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海が変わっている
150年前の浮世絵師たちが見た透明で空も青かった時間は
人間の破壊と汚染と埋め立てで絶滅

もう戻ることはない
埋め立て地を破壊し、元に戻すなどやらない訳で
地球は宇宙全体の星でも、劣悪に汚染と荒廃が進んでいることだろう

愚かな口先で嘯く政治家

すぐに壊れる電池や車や、「しろもの」を作る企業や
川や海や土壌をダメにする農薬メーカー
世界は戦争をなくせない訳です

海の中もこの数年、雲や風が多く海中は暗い日や、濁った日が多かった気がする
とにかく天気がコロコロ変化し撮れず

所詮丸いボールの地球のゴミと汚染は
結局、その原因を一生懸命作った人間様にかえるだけ

天罰、天災も同じことか

目先の私利私欲で後を濁す大人たち

波も二度と同じ姿はない
月の引力、地球の自転や公転
太陽や風
雲や川に流れる森の倍音や周波数
人間の届かない、あまたの叡智と感情をも
一見波というあたかも固有の一つの物

に見せる波は
小さな水分子の結合と離反の高速で微細な
パラパラ漫画のような世界

細かいビーズのような玉で埋め尽くされ

揺れ動く場を海という

そんな宇宙や国土の感性や音や時間を聞いてきた
海の水分子は生きて、人間様をみている







Fire king Cafe 9/1-28

21年目になる
代々木上原の老舗カフェというよりも、凝ったアジアン料理はレストラン

そろそろ写真を16枚選ばねば

と1日中ギャラリーで選ぶがまだ数日かかりそうです。

海も風も月や宇宙の影響を受けながら、共に呼応して動く為

同じ写真がない

海に失礼のないように
最高の現像技術と印画紙でプリントします

昨今の吹き付け塗装の安価で色の出ないインクジェットではなく

プロの写真家は当然印画紙で行くべきです

写真展を開催しても
見ていただく方に塗装印刷を見せるのも
失礼です
本物の写真展ではありません
あたらしい技術など必要ないのです

プロは印画紙で見せるのが当たり前です
世の自称写真家にい言いたい

ファインダーは覗かず
押すから
見たら撮れない写真が写ります

波に引き込まれた空気の早い泡が
流れて写っている
あとは光の乱反射や透過


2002年にフィジー の離島であった、ハワイからきたボディーボーダー
その後フィジーやハワイやサモアで再会し
彼の家に泊めてもらうなど縁は豊かに成長し
今回は家族と日本にきた

しばらくは日本は天気が悪く撮影はお預け

中高生の水の事故も毎日多く
心が痛い

慌てず
手先と腕を広げ大きくかいて浮く
体の浮力を生かし
とにかく慌てず、怖がらない
水と溶け合い、水の浮力と体全体を使い水を味わい
体力を温存する泳法を教えて欲しい

僕はいつも独り
片手にカメラ
片手、両足で沖まで泳いでいき
一時間からフィルムを変え長いときは五時間泳いで帰る
観光も何も興味もない上
そんなお金を払ってみて、遊ぶ人工物の世界とは
おさらばな、天然の海にいると
電気仕掛けのネズミの国など馬鹿馬鹿しい
夢は自然界と宇宙のはざまの自分の中にあることを忘れずに




小島愛梨 バレエダンサー 人は器

小島愛梨さん

今は亡きバレエ界のレジェンド
牧亜佐美さんのバレエ団に今は所属

同じくバレエダンサー姉の小島沙彩さん
と僕のスタジオで撮らせて頂きました。

スイッチを入れたように空気を変える
スラットしたお二人

表面的なモデルの美しさではない佇まいが

1枚に現れるのが写真



kojima Saaya 小島沙彩 人は器

小島沙彩 バレエダンサー

スラットした独特なたたずまい
厳しい修行と訓練と様々な緊張の舞台
熊川哲也さんのK-BALLETを経て
2018年に退団し

現在はチャコットのバレエ講師などで活躍

女優でありダンサー

独特な風の時間


曇りがちな海の中
なかなか撮れませんが
御神酒をそそぎ
祝詞を捧げに来たわけです

宇宙の海
海も宇宙
太陽を上からは見れないこと

風をよく見ること

一つの波
というより
一つの大きな波動
連写
1秒の320分の1=0.1875秒
いつもより遅め

太陽を波の裏から
これから波が沖に引いて
徐々に風が吹き始め
水面や水中に振動していく
それを波動という
水素結合と離反の高速な世界

午後から南伊豆へ
波が少し上がってきた
学校帰りの子供たちがお母さんに車で
送ってもらい、サーフィンにきた

水が思った以上に冷たく
ウェットをきて泳ぐ

穏やかな美しい海岸

フィジーの大雨の波の裏
冷たく、波が崩れては白い泡で爆発し
暗くなる水中

音もくぐもり
ワビサビの世界
を超えたワニサビ

出雲は
二礼
四拍
一礼

4種の日本の海 同じ場所

龍宮につながる
綿津見さんの入り口であり中である
同次元にある
あるけど無い
無いけどある

そこが神代の世界

出雲教

ぎ出雲へ再び
出雲大社の右隣り
地元の方々が参られるのがこちら

出雲教 北島家さん
本殿の奥には謎の少な彦さん、太宰府の正義を貫いた菅原道真さん
おいなりさんが大切にお祀りされています

海の神様 大国主、息子たち、事代主、タケミナカタ
その父 素戔嗚さん

天照の国譲りという名ばかりの
作為に押し込まれた
大国主ご家族のおもい

とはいえ
魂を磨かれた方達の尊き憶いが数千年
 
すごいことです

個展

先日の個展は緩やかに友人が来てくれた
元アメ車のコルベットに精通した今は庭師のシゲさん

近所で城南ジープ安江さんがオレゴンから3年前に見つけた
サバーバンに乗る、車と祭りが好きな小林さん
小林さんには未公開だった2枚の写真を会社に飾らせていただくことに

皆様ありがとうございました。

次回開催
7/1 -5 (6はまだ未定)
11:00-21:00

park-studio
www.park-studio.jp
品川区西五反田5−24−11−1F

熊野大社

那智の熊野大社よりも古くから
ドーンと鎮座する聖域
熊野宮司さんに再会

イザナミ、イザナギを祀る
宍道湖の下
少し山へ入った場所へ広がる巨大な神殿

宇龍の熊野神社

那智の熊野大社からのか
権現島の頂上に何らかの事が起き
祀ってから
江戸に入り橘姫を参拝していた
全ては謎

祭礼には小舟を横に並べて島に渡るという

宇龍という日御碕神社の裏
日本海側の美しい静かな漁村

好きな場所の一つ

今でこそ車で出雲大社から30分

何かが起きないと
祀らないであろう
その始まりは永久に謎でも
構わずに、普通の村人から代々
手渡されてきた神さまを尊ぶ思い
世界においても、神職出なくても
大事に受け継いできた神社やほこらの数は
日本には未確認なものを含め
全国が結界になっているわけだ

波は雨でしばらくおあづけ

しばらくはお祈りの旅へ

松乃鮨

京都の、海外のお客様をアテンドする
日本の窓のアビ社長からの依頼
日本の政府の愚行
海岸の破壊と埋め立て
前は美しい海の目の前だった大森海岸

にその時間を見てきた
潮の音も香りも消えたこの地に
昔のまま佇む
路地の奥には桃源郷のような空間

四代目若旦那をパチリ
皆さん日本の文化と味
庭師や大工、4代目の受け継ぐ緻密な職人
豊潤な時間を過ごされてました

展示

展示を2回に分けて開催します
急ですみません。

1回目 6/11 ,12 ,13, 15 ,16 今までの様々な海(小傷のセール作品もあります)

2回目 7/1,2,3,4,5(6月末に開けられるか決定)

場所 Park Studio
品川区西五反田5−24−11−1F
最寄駅 南北線不動前駅 徒歩4−5分
西桐ヶ谷公園前 
駅の改札を出たら右、右で坂を真っ直ぐ登り切ると角に喫茶店ベル
そこを左に曲がる

Open だいたいですが 12:00-20:00
Tel 090-3068-0668
Mail miki@umi-bushi.jp

薬は自分

曇りがちなこの世
雨の隙間に撮影に行こうかとも
思ったが、改めて

あるときに
もう撮れるように
なっているわけだから
いいか
と思うように

どうせファインダーは見てないので
写る時は向こうから写る

これが海の宇宙との普遍的な
約束のない約束

人はこの右回りに高速回転する地球そのもが生きていて
人はそこに寄生しているに過ぎないのだと
忘れがちだ

海の中にも山があり
渓谷がある

それは隆起した山とつながる
低いところに川や海があるだけ

珊瑚は海の御神木
陸地ではバリのガジュマロに四角い江戸時代の浮世絵にも出てくる意匠
市松格子のガラ模様の布が巻かれ
線香や供物が絶えない

これは聖域

お葬式でもこの衣装を着た
耳に赤いハイビスカスを挟んだ
おじいさんたちががゆっくり槍を持ち舞う姿は感動的だった

海の中はもう一つの世界で国
海そのものが神域で聖域であることを
古来の人は知っていたから
心を傾けてきた

貝を吹く(たてる)のはバラモン教もマオリも、ハワイアン も同じ
日本の山伏も

羽黒山伏の衣装も市松模様
海の命を山で震わせることで
命の循環を表していると聞いた

人間様は余計なことばかりしている

写真も同じく
撮れてなくても後から色をいじり
好きな部分だけカットして使うトリミング
が横行

これは写真ではない

安易に物や好みの欲が手元に目先に
手に入る間違え
に気づかないといけない

なんでも一つの道は時間もかかる

デジタルカメラも
もう新しいものは作らないでほしい
十分だ

多様性というのは海中のこと

人間界で多様性と
間違った広告が横行している

多様性はお互いが、環境は破壊せず、利己的に占有せず、宣伝せず
適材適所で、絶妙なバランスで循環し
また相互に一つの有機的なシステムとして
あるジェームスらブロック博士のいうガイア=有機体

ごく自然にお互いが海風のようにあること

おもちゃの金券 金がなくても
彼らは40億年自給自足

近所に十五年くらい路上生活を
している方がいる

コロナの時も
マスクだらけの人々の雑踏のなか
公園で拾ったタボコ を燻らせ
新聞を読みながら
ニコニコ手を振る姿

豊だな ーと思った

話し始めたの十年後のある日
おしの方かと思ったら

そうではなかった

何かを差し上げると
いらないと

いや余ったからと
差し上げると拝んで笑顔で受け取り

そのうちにお返しももらうように

新聞や雑誌はいつも最新を持っている

誰に諂うわけでも
今の都会と自然に生きている
彼こそが本当の気高い御仁

時は向こうから来る

あとは群れずに黙って
行動するのみ

しのごの行ったって
波がきたら前へいくしかない

退いたら大波に巻かれ
気持ちも負ける

ドアや様々な機械で空調し
いかした植木鉢でへうあで飼育する木々は弱る

本来のように雨や風に当たらないと

自然の強さを避けて生きると忘れがちな
都会の蟻塚の隙間で生きる我々

宇宙と自然界に身を置いて
古武道やうみでおよぎ

ちょっと命の儚さと危なさを感じること

テレビは捨てて

目には見えない、神経や感覚が何もしないで
も思い出す

ナビなんかない古い車に乗り
エンジンやミッションや匂いや車の挙動を
感じるのもいい

何はともあれバランス

都会の山居を忘れずに

部屋に迷い込んだ虫を殺さず逃がしてあげる
元々は狐や虫やサメの住んでいた世界に
人間が占拠したのだから

とにかく靴を脱いで
山や海へ行く
古来の日本人の持っていた霊性の高さや
直感が刀のようになり

海中の風が気になるようになる

夢も鮮明観るようになる

自ずと調律していく

薬は自分











日本の時間を観ていくこと

日本の海を観ることは
日本の古い記憶や
伝承や神話に自ずと呼ばれていく

世界に2600年天皇制で続く国
またそこで同時発生した
手作りの刀や建築物や漆塗りの器や木彫や庭など
恐るべき叡智の集合した島国と民族

平田篤胤さんが研究や体験や神職の方から口伝を
自然にこれはと感じた
感覚を大切に絶妙に並べらてた祝詞が
神道大祓(中村風祥堂さん)の一番初めに出る

みそぎのおおはらい

海や山や川や滝でぶつぶつ唱えている

高天原にかむづまります
かむろぎかむろみのみことをもちて
すめみおやかむ いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちばなの おとののあわぎのはらに

みそぎはらへたまいし
ときにあれませるはらひとのおおかみたち

もろもろのつみけがれを
はらひたまへ
きよめたまえ

と申すことのよしを
天津神
国津神
やをろづの神たち
とともにきこしめせと
かしこみ
かしこみまをす

九州の高千穂に神様がくる扉の場所があるわけです
やをろずの神たち前に自分のその時々の思いで神様を入れ
るなど

たいじなのは
無心と胸のまま

お願いをするのではなく
ただ一体に水と溶け合う感覚でしょうか


夢に最初はヒレがいくつか水面にあった
あれはイルカだと

最初はなぜか近所の子供と車に乗っていて
バリ島の海かトルコの感じがしたが、斜めな海岸を車が
倒れたらまーいいやと冷静に車の挙動を感じつつUターンした

やがていくつかのヒレはイルカになり
次のシーンで
幾人かの綺麗な若い人魚の女性になる
あしはひれか?と見ると人間の足に見えたが
ヒレと同じで見えているのが足だけだとわかり、気にならなくなる
その女性が話かけてきた
と思ったが
深い確実なテレパシーだとわかる
喋っているのではない

フランス人?そこはタヒチだと分かった
あなたと結婚したい
と真剣な目で伝わる
えーそんなことあるんだな
不思議だな
と思いつつ
冷静に
タヒチのポリネシアの海の神様が
姿を象徴的なわかりやすい形で見せているのだと分かった

確かにタヒチは以前に色々な島に行ったが
その時は波の裏側は撮ってなく
いつか行きたいと思っていた

でも夕方になると
タヒチの地に海底にある気も大切で
祓い潔めるお役目もあるのだが
実は日本の海
まだ入っていない
海にき行き祝詞を捧げ
潔める、または写真を写すこと
なのだと感じた

場所は九州かな?

あまりに鮮明で
生々しい夢を超えた夢

日本に日本人に深い見えない霊妙な風がある
と改めて感じた

北条高時さんはじめ
800人が自害された
東勝寺の手前

北条屋敷跡は後醍醐天皇が
足利に命じ
霊を慰めるための
供養の聖地
天台宗 金龍山釈満院 円頓
宝戒寺を作ったのは

開基1288/13339年

時の鎌倉北条をたおした

後醍醐天皇の腹心
楠木さん亡き後
の新田義貞さんや

北条時政の利権や権威の保存維持の為
騙し討ちで
亡くなった
比企さんや和田義盛、畠山重忠、安達泰盛さん

また高時の政りや様々
不満が溜まっていた
武士の反発が重なり

1333年5/22
120年の
北条が潰れた

イチキシマヒメ(弁財天)龍神の化身
江ノ島に参籠した
時政の前に現れ
日本中の聖地を巡礼し

政りごとなど心つくせば
7代はつづかせる
と言われ

3枚の鱗を置いていき

北条の家紋は三つ鱗となる

事実9代のうちら2代は
事情にやむえない
とりあえずの執権な為
実際には7代で滅びたらしい

浮世絵の版画は

銀座久兵衛さん
の場所に住んでいた
月岡芳年さん

国芳の弟子で
神仏や古事を深く理解し
立体感ある
線を引いた天才

北斎美術館の波の企画展示より

神仏を大切に
祭りや供物をかかさねば
おのづと霊験があがり
人々が幸せになる

と作った
初めての法律書
御成敗式目を作ってたはずだが

今の時代の我々の頭や
北条よりにかかれた
記録本吾妻鏡からの引用や

歴史家の言い分には
永久にわからない

それぞれの正義と時間があっだ訳だ

神仏は観ている

伊賀忍達がつたえたように
正心と正義

石山寺や恵林寺を焼き払い
僧侶を生きたまま焼いた殺戮をくりかえし

僧から天罰がくだると言われた
信長のような

政治的に強い傲慢な天魔がきても
真っ向立ち向かう心と武術

伊賀上野城は元は
平楽寺という

忍や侍、人々の延暦寺や大徳寺や高野山のような
塔頭の集まる一代聖地だったが

鉄砲をうち焼き払い、僧や民を
殺戮したあとに

伊賀にはいらない城を占領軍が作った後付け
伊賀はどこの大名も東大寺の圧力にもくっせづ
統治されない唯一の場
信長の息子が二度攻めかけ大敗

魑魅魍魎の住む国へ勝手に手を出すなといい
7万の軍勢で伊賀を地球から無くそうとしたが
失敗(1581年伊賀の乱)

最後は家康に服部半蔵が彼らが全滅覚悟で戦うと
伝えると奈良の大倉五郎なる神楽師(忍か諜報員)
を通じ、天台宗延寿院(赤目不動と藤堂高虎の御位牌もある古刹で、赤目滝衆(山伏で忍)いた松本住職)
の近くの柏原城で和睦をさせた

滝野十郎吉政さんの縁ある滝野宮司が今も守る


そこで
本当の忍とは全く違う
コスプレの忍者ショーをやる愚行

彼らやその聖地にいた
方々の供養もしなければ
その崇高な生き様や、悲しみを踏みにじり

嘘を外人やらに
伝える事実でない事実は

デジタルカメラで
後出しジャンケンでいじり倒す
写真やと同じ

道真さんのように
騙され、筋違いな事をすれば
彼らの御霊が暴れ

天災や様々起こします

祟りはあります。

供養には終わりはなく
個性はこの世に残ると感じます

もし
自分が死に
数百年たち
知らないだれかが
水とおにぎりを
供え

胸のうちをつたえてくれたら
嬉しいのは

皆同じ
宇宙の感覚

こうして
古戦場鎌倉が
なんとなく平和なのも

宝戒寺 ほうかいじの歴代の

修行を重ねたプロの
霊力の重いこの地を
鎮めて下っているご住職

またこの地に右足を一歩入れ
手を合わせていただいた
観光客も含め数多の人々の
1滴のお気持ちが御供養の海となる

後醍醐天皇も
子息 大塔宮が幽閉され
足利の命令で暗殺され
その暗殺者も殺されている

平和な世を祈るのは
全宇宙の憶い

宇宙の海に漂う地球人が全知全能の一つの神ではないように

最澄さんや空海さんが
昔は海だった比叡山で修行されなんとかしようとされた時間は

自然界と名付ける前の=国土の安穏と
目には見えないものや
星や海に寄り添うこと


有名なお言葉
忘己利他

己を忘れ
他人を幸せに(自然へも)する行い
こそが尊いと




Chacott Kagoshima

昨年も来ていただいた
お二人
1年経つと、大きくなられ
技も様々

毎日バレエの修行をかさねる
彼女たちの思い出になれば幸いです
ご家族の元、自身の部屋でバレエの自分の姿に
見つつ、見られながら
好きなことを続けてくれたら嬉しいです

波も人も波動
見ないで押すこと

カメラマンの意図一切なしの
ドキュメンタリーな瞬間が写真であるから

ノートリミング色補正なし

島津忠良公と忍と侍たち

鹿児島は知覧の基地にも近い
武芸と禅に通じ
故郷加世田で亡くなるまで、郷里の民を大切にした
お人柄深き島津忠良さんのお墓へ


熊本の金峯山に
吉野から蔵王権現や役行者を勧請し
修験者や忍を呼び
忍術や様々な訓練をさせたという
山潜り(やまくぐり)の衆を組織したのは
島津忠良さんらしい

儒教や様々教養と侍としても男の義の塊の
忠良公がもし亡くなったら
自らも後に続き切腹すると
藩から許可を取っていた2人の若者
満留郷八左衛門忠実
中条次郎右衛門政義
忠良さんの葬儀の1568年12/19
に家族とも別れ殉死された
尊き御霊

その手前には全国に法華経を納経し
情報を仕入れ、時に島津の様々な依頼に応え

金峯山で修行をした修験者で(忍?)
井尻神力坊宗憲さんのお墓

22年間の旅を続けた
井尻さん(元侍)は旅から戻ると
忠良さんが7年前に亡くなっていたことと
また2名の侍も殉死されたことを知り

言い伝えでは1575年に自ら高い木から岩にめがけ
殉死されたという

近年では竹田神社近くの経塚から井尻さんが
収めた筒が出てきたという

尊き彼らの崇高な生き様
約8年前宮崎の武家のお客様に波の写真をとりつけに行き
以来、この地を訪れ
自宅でも彼らの名前を毎日読み上げ
ご飯をお供えさせていただいています

そんなわけで今回もチャコットの撮影で来れたので
鹿児島市内から約40分

チャコットの撮影に昨年来ていただいた
方々は昨年のお参りに続き、ホウキやゴミ袋を持参!
参道やお墓に残る前回お供えしたお茶?や焼酎を片付け
お掃除をさせていただき

太巻きやさつま揚げ、いも焼酎のロックをお墓に
お供えさせていただきました

井尻神力坊と書かれた竹箒もあり
しきみがお供えされているのでどなたかは
来てらっしゃるようでした

不可思議なご縁に
なんだか懐かしさとともに
胸に風が通りすぎていく

なんでしょう
この感覚は

457年前にここにいた彼らのかなしみや悔いのない
忠義と誠心が今も苔むしたこの地で呼吸している

それを大切にしてきた郷土の方々の懷いは尊きことです




写真は全てノーファインダー
色も載せたりしてません
海に嘘をつき、破壊と埋め立てをした人間様
波のなか人の力など石ころさ

南伊豆海へ行くも天気が悪く
撮らずに祝詞を捧げ
サーフィンをして帰宅、東名は奇跡的に空いていて三時間半
財布を忘れ一文なし
水がぶ飲み
ガソリンギリギリ

雨の中
冷たい海で震えながら
沖まで泳いだ
フィジーの最果てで一人
俺れは生きてるぜ!
と嬉しくて叫んで大笑い

誰もいない
最果て無人島の前
村には数百人が住むが
水も電気もない
自給自足

遠くの山で煙が立つと
なんだか一人じゃないなと
少し安堵する

何か起きたらおしまい
街中のジャンクな自分を
海の偉大な力の中

何かしらの海の何かを借りないと
戻れない
と実感に体感を重ね
感覚をよく味わい
そのまま行く

表裏の中に身をおき
透明な自分を観るや

紙一重の世界に人は宇宙に謙虚になる

写真は全てノーファインダー
自然を勝手に盗撮するのに
見たら失礼

写る時は向こうから写る

月山富田城

巨大な難攻不落の山城
色々お参りに山城へ行ったが
ここはすごい

険峻な山につづらな道や
虎穴を作り周りは崖
でも敵の忍など夜も篝火をたき
見張りをそこかしこに配置したやら

いずれにしても
この頂上には大国主を祀る神社がある
尼子さんが代々祈り、国の安泰や様々この
磐座のいただきで月を見ながら拝んでいたのだろう

出雲から車で一時間半位
ぜひお参りください

海の神様とも、忍とも縁深き天空の聖域も
遥か昔は海の底だった

波の撮影と深い因がある

気になったので先のおいなりさんへ戻り
堀尾さんの供養等の古いお酒とお稲荷さんの古いお酒8本
を回収しお寺の住職へ、お掃除をさせていただきましたが
捨てていただけますかと家にお尋ねした

なんだか人ごとのような感じで
こちらで捨てますのでおいてください
となんだか、笑顔ひとつない無愛想な住職


真言宗の古刹
巖倉寺

杭迫先生

真偽は不明ですが
京都の興聖寺でお会いした仙人は
書道の杭迫さん

山中鹿之介の末裔と話されたいたのを思い出す

山中鹿之介

この巨大な供養等が出雲大社やこの辺りを支配し
大国主を拝んでおられた尼子一族が1566年に1年半耐え抜いたの兵糧攻めだが
内部家臣の寝返りを
進言した大塚の言葉を信じ、忠義の家臣宇山久兼を
を誅殺してしまったのは、急逝した尼子晴久の息子 義久
そのせいで内部がガタガタになり士気が下がり
毛利に開城したという

その後も山中鹿之介は様々な調略や戦術で盛り返すも
1578年に兵庫県の上月城で降伏、毛利へ連行される途中
差し違えようとしていると悟られたのか
危険人物とみなされ、岡山のあいの渡しの川で暗殺される

裏切りと出戻りなど
様々なことを繰り返してきた武士達
の違いの正義と、家臣を守るための保身や選択
今の学者の答えでは届かない、当時の風がこうして今も生きている

御霊は個性を保ち残るわけだが
月に向かい
七難八苦を与えたまえ
と祈ったとも伝わり
月岡芳年も浮世絵に残す。

堀尾吉晴さんが富田城にきて
今の
松江城を1607年に作るも
完成間近の4年後の亡くなる

元は信長の家臣だったそうだが

信長にジェノサイドにあった
1581年の天正伊賀の乱で落ち延びたりした
地侍や忍、鉄砲の雑賀衆(鈴木重家の弟)
40人を傭兵としてを抱えたらしい

鈴木重家の末裔は今の僕の古武道の師匠
重家は義経と藤原寝返りにより源に攻められ
東北の立館でともに亡くなる

その弟の際が雑賀孫一で、実鈴木ともさんと言い
戦国武将の末裔の会や
戦国グッズやイベントを行う

家紋は八咫烏

数年前ふと知らずに山門をくぐり
どんどん導かれるようについた山奥の静かな供養塚
物寂しい場所で
供養に来る方も少ないのだろうか

稲荷神

出雲へきたらなるべく足を伸ばす
月山富田城と山中鹿之介さんと、雑賀衆と伊賀忍を抱えた堀尾吉晴さんの供養等
そして、その手前の荒れ寺の奥の、お稲荷様へ
昨年のお供えがそのまま
急に社の劣化も進み、虫食いだらけで
陶器のお稲荷様も荒れ放題

こんなことがあるのか?
お寺の管轄ではないのか?
昨年はまだどなたかがお参りをされていたようだったが

できるだけ陶器のお稲荷さんを起こして
ゴミを払い
新しい御神酒と供物を置き

古いお酒はまとめて下においた

周りの小さな石仏には
お経の書かれた白い紙が巻いてあるから

お寺の住職は来ているはずだが

まさか管轄が神社ですと言うのか?

出雲教 北島国造館



例祭にご案内くださり
再訪
140人近い方で祭殿はいっぱい

今はイスだが一昔前は皆正座だろう
地元の物部など深く長い時間を共に綿々と祈ってこっられた神社の宮司さん達
や地元の名市の方々に混ぜていただく

北島国造さんの祝詞や巫女舞
大神様=大国主の命、素戔嗚、イチキシマひめさんを祀り数千年

天皇家よりも実な古い

元は出雲族は海洋民族
長髄彦
素戔嗚さんも深く
古来の神事を大切にしてきた忌部=物部

世界は未だ戦争です
大国主さんは和を持ってなしました
いろいろな考えがるでしょうが
和を大切に譲られたことでしょう

北島さんとのお話し

やがて直会へ

写真は今どこに飾ろうか考え中です

いいんです
こちらに
この場に置いてくださることが
海の神様の道となり
ありがたいですから
生涯に一度歩かないかです
日御碕神社前の海ですから

見えない裏でも
飾らなくてもいいんです

安田さんやいつも
ご丁寧な宮司さんがたとお話しを

う山口県の周防大島のみかん農家の元水軍の方と
広島大学の元哲学の先生
哲学は一つじゃないですね
そうです
こうだと言うのがない
今はみかんの山を歩いている

日々の暮らしが宗教で
哲学ですね

農協は言いなりにならないと
農協に出したものの評価を下げ
あからさま嫌がらせをすると昔聞いた
農薬数種類、甘くなる薬
オレンジになる薬
買わされるんよ

尾道の蜜柑農家さんに聞いた
無農薬でリンゴを作る
奇跡の林檎の木村さん

山口県では講演できんのよ
なぜ?
農協が強いから

もはやカルテルですね
昨日もその話
殺虫剤や除草剤が猛毒で
川や海にジャンジャン流れ
ている
モンサント社の圧力で
木村さんや小野さんとアメリカで出す無農薬やUFOに乗り
宇宙人から教わった本が
差し止めになったようですね

日本は雲を殺すとかありやらムカデやら
どうしようもない、猛毒の殺虫ざいが作られ売られている

人間様が後からきたのに、薬で殺すことはないでしょ

人間も吸い込んでガンになりますし
枯葉剤と同じ成分

人間様の海や山ではないのにね

大国主を祈っていた
尼子一族再興を願い
戦いの中に消えた山中鹿之介さんの供養塚のある
月山富田城へ

人は器

全国で修行を重ね

やがてごく自然に自分の気持ちに真っ直ぐに
好きな魚や寿司以外はやらないだけ

普通が今や普通でなくなる養殖は使わず
天然にこだわり

全国から数多のお客さんが来ると言う

出会いは先月
ふらりと良さそうなお店だなと
暖簾を潜ると
カウンターは常連さん1人

最初は全くお互いに話さず
黙々と握り、黙々と食べた
帰り際
松江には・・・・

作務衣で雪駄だったから
話しかけずらかったのか

出雲教さんへ写真をご奉納させていただきまして
しゃしんを?
そう

いや旨かった!
魚が下関の田舎で子供の頃食べた
のを憶い出しました

うまいだろ 

天然のうなぎね俺からサービス
食べて

蒸さないんよ

養殖は脂が臭いから
蒸すけどな

漁師が持ってくる
そこの川にいる

また来て!
あ兄とまた飲みたいから来てよ

いつですか?

いつでも大丈夫だよ


電話しますね

そして
再来

厳しい技術と一生懸命握ってきた秀さん
優しく、妙な回転の速い駄洒落だすごい
冷蔵庫から酒を出してきては隣で飲んで
カウンターに入っては次々と自然の魚が美しく出てくる

いろいろな活きた刺身

正直一升瓶の酒はうまくない
開けたてならともかく
時間がたつとすぐ味が落ちてしまう
店はその方が仕入れが安いが
うまいのは常に開けたての小瓶

あのな兄貴
兄貴

なに?

なんで俺が兄貴?
いいがや

夢にじゅロジン?がくる
何?
寿老人?

そうそれ!
あれやあの上にある!
おっ

寿老人はね仙人で南極星の化身
僕もこの1年月岡芳年の寿老人の掛け軸吊るしてます

腰に霊芝 魔法のキノコ持ってるでしょ

知らんがな

でもよ
毎日来るんよ

どこに?



夢に

毎日?

ゆめに?
そう
10年くらい前からの

えっさ
えっさ!
って
杖2本持って歩く

2本なんだ杖

そう
だから俺の守神
飾ってるんよね


優しさと暖かさの魚料理と空間に誘われ
常連さんが
毎夜、秀さんに会いに来るのもよくわかる

人は器

仙人のような魅力はそれでか

兄貴!いつ来るん!?

来月!









松江へ

松江の宍道湖は、写真の飛行場や田んぼや電車だの人間様の都合優先で干拓されてきた
大昔は海であり巨大な入江だったようだが

湖畔が破壊されて、コンクリートになり(コンクリートはPHを下げたり言い訳がない)
当然魚も少なくったが
メディアでも取り上げられていたが今はダンマリな

日本で初めて輸入されたネオニコチノイド系の殺虫剤(エージェントオレンジ枯葉剤の軍需産業モンサント社が元だとも)水田などで使用されてから、あからさまに鰻や魚類、特に公魚などが激減
農協も国も認めたくない事実を隠蔽してきた
漁師も訴えていたが、田舎のため村八分や差別を嫌い
代も変わりウヤモヤな霧に包まれた

日本中の川や海はこうした除草剤や殺虫剤が溶かされ
人間様に結局は還る因果が現実


写真は松江の名店 寿司ヒデ
ヒデさん昔は湖は広くて
きれいだったんよ

随分と埋め立てて
魚も減ったわな

先月ふらりとお邪魔し
今度、にいやんと飲みたいからまたきてよ


2回目

ヒデさんと杯をかわす
どんどん島根の銘酒が運ばれる

例祭の前の前夜祭

自然に寄り添い
何億匹の魚を見てきた人には
モヤが立ち込める美しい原風景と
幾重もの川が海と行き来する
水の流れや魚達も一つの美しい景色だが

どうも人間様は表面ばかり
小手先の視野でしか観れていない
から平気で破壊を繰り返している

戦争と同じ

自然の魚が減り、養殖になることは
味覚のや自然界の汚染に湯ながることを意味している

幼い頃海には魚がたくさんいて
藻がたくさんあった
海の森が死ぬ
山の森も死ぬ

高度成長の破壊の上にあるにしろ
二度と戻れない悠久の時間

出雲は元は杵の社
江戸時代に作られた
都庁の長になった出雲大社の千家尊福らに作られた
神様へ商売繁盛や良縁成就をお願いすることも同じく
スタンプラリー化した御朱印など

安易なご利益をすぐに買うことは
人間の心の破壊になっている事実

神社は祈願所ではない
他力本願でもない

宇宙と海に胸を傾け
魚の故郷を大切にすれば
それは人に帰ってくる

地球も宇宙に漂う海だから



鹿児島 Chacott Photo Shooting

チャコットフォトシューティングin鹿児島」

 ● 期間 : 5月24日(土)~ 5月25日(日)まで

 ● 場所 : スタジオチアノ chain-space.com
鹿児島市鴨池2-3-16えりかビル4F

      鹿児島市電 谷山線「騎射場」電停より徒歩3分

      ※お車でお越しの場合は近隣のコインパーキングをご利用ください

chain-space.com

● 対象 : 3歳 ~(バレエの経験は問いません)
● 金額 : ¥88,000(税込)

詳しくはチャコットホームページ
予約より
フォトシューティング鹿児島

叡智

その道の人は様々な冒険と思いを忘れずに続けてきた人
人は器
そんな彼らの秘伝のお下がりをいただき、自分流に見つけていく
黙って初歩の基本を積んで
黙ってやるだけ
ただそこに、無我夢中に真没し、人の意見はさておき
続けて行けるかだ
すぐに簡単にはないのだから

16歳の時近所に骨継ぎの見た目も古武士のような
島津先生がいた
恐る恐るもしえていた柳生新陰流に入りたいと言うと
一度夜の公園などで稽古を見ておいでと
言われ行ったが
そこにいるある練習生にいい印象がなかった
しばらくすると
君はねキョーバシくんは俺の言う通りに
1年黙ってやってごらん
と言われた

足の親指で蹴るように
胸を張ってたったったっ!と歩きなさい

それで?それだけですか?

そうだ
毎日毎日気をつけて
親指のした母指きゅう日から入れけれ!

そして1年後

先生歩いてました
ようし
見せてごらん

言われたまま歩くだけだが

先生は
よし!
いいよ

はい
次はなんですか
わざでしょうか?

いや
君はこれでいい
これでいい

そうだ
僕がね
師匠が亡くなる前に聞いた口伝の秘伝を
教えてあげるから
1週間今からやること
自分で感じてね
俺を見て考えてまたきなさい

1週間後どうだ?
と質問され
色々体の動きを感じながら

教えていただいた

それでもういいよ
これができたら
全て大丈夫

終わり!

数年後道ばったり会う!
先生今どこに?
引っ越したんよね

どうなのうん?
波の中を泳いでますよ
先生いの術と
そうかー

こうだ!こうと!
いきなり道で
指先からクロールで回転!
こうね

またね!

と去っていく姿が最後



そして海でそのことを使っている

写真の師匠 今は亡き柏原誠
島津兼治(新陰流や火縄銃古武道の生き、雑誌秘伝の編集顧問)今年1月に逝去されていた
土居清

皆哲学者であり己の道をいく
マイペースな独特な間合いで生きていた
土居清は健在で77歳

皆様の努力と叡智に祈る

エーホマイ



師匠

古武道の師匠 土居清はお母さんがたの名前を受け継ぐ
元は物部
源義経の側近 鈴木重家の子孫
命をつなぐために当時は兄弟を離れさせその血を守ったが
重さんにはお子さんがいらしたようです

またお用途は鈴木孫一(雑賀孫一)
で今は鈴木ともさんと言う方で、数年前師匠が武将の会でばったり逢い
様々繋がり
結局は師匠が僕のお兄さんで鈴木家の大元の本家ですよ
聞いたと言う

また2年前
キョーばし!
はい

あのな
夢になたちだて
って出たが
なんだ?



なんだろ
たちだて?

そう
たつだてかな

調べたら
立館 は東北で
義経が兄鎌倉幕府の頼朝に命を追われ
元は匿っていて共に叩く意思もあった藤原さんが亡くなると
寝返った息子が掌を返し弁慶や重家さん、義経さんを惨殺した

(その前に船が難破し数百の精鋭の側近が亡くなったことが義経さんには痛かった)

それご先祖の重様が亡くなった場所ですよ
そうか

来てくれと言ってるんだろうな

またある日一緒に
四国の宇和島な
土居のおばあちゃんの墓参りに行きました
子供の頃な、この臨済宗のこの寺の
この銀杏の木のここでな
師匠に真剣でバットおでこと胸を皮1枚斬られたのが
入門の日だったな

毎日6歳の俺は
塀から中の稽古見てたんだな

そうしたらな
坊主!こい!
と境内へ呼ばれてな

やりたいのか?

はい

でも….

心配するな金や道具はあるからいらないぞ

お前のおじいさん、お父さん(剣豪)もよく知ってるから大丈夫だ

そこに立て!

銀杏の木にな
手を広げて目をつぶるなよ

そうしたらな
鍔鳴りと共に
すうーって切られた

怖かったー

それから毎日な
1000回刀ふれって
言われ
最初はその辺の桜の木の棒でな

これは辛かった6年間これだけ
基本の振りだけ

手を見せろ!

って言われて
手を見るなり

お前サボってるな!
と怒られてな

最後はないっしょに
トンボを斬った

20代まで稽古してたが
仕事でしばらく名古屋へ行ってな
師匠に極伝の免許もらいに帰ったら死んでた

俺が30くらいだった

そのままだ
だから免許皆伝までで は
極伝は正式にはもらえなかったんだ


実はすごいことに
師匠はその師匠の名前も家族がいたかも
墓がどこかも知らないと言う

名前しらないんですか?

うーん
したの坊さんの名前は覚えてるが
確かー

それ以外はお互い何にも話さなかったからな

実際のお寺に行きも
今のお坊さんもつれなく
裏の代々の住職の墓地にあるんじゃないですか
の一言

結局寺まで行ったが
そこから探さないのも師匠

いいの?探さなくて
探しましょうよ

いいよ
またそのうち
今度またわかるだろ

が流石の感覚

まー人間の思惑の墓石へ行かなくても
来たことは全部見えてるからいいか
喜んでますね

お墓には私はいませんー

だな



風武流と名付けた
古武道の稽古の会を作り
今は日曜日に品川体育館と不定期で千葉の鋸山の海で教えています

後世に残したいんだと





天気にいいも悪いもない

天気が点々と変わり、しばらく海は写せない
よく天気が悪い(雨とか風)と人間は言いますが
悪いのではなく
晴れた日がいいとする基準ではなく

雨や風邪の日がなくてはならない地球と宇宙の摂理
海の中は常に雨
風雨の日にこそ美しい時間がある
空間の雰囲気や
人間の心も変えてしまう

なんて言うか
周波数、見てなかった、感じえなかった静けさ
ある限度を超えると人が災害と呼ぶ、悲しいこともおきますが

しかし昨今の海岸の破壊や山や川のダムなど
数十億年で自然に収まる位置に収まり循環してきた地球の神経や血管を
破壊しているのが人間
そりゃ数字や脆弱な科学では届かない
エナジーを壊せば色々起きるのでしょうか
地球から見たら毎日が人災です

鳥も虫も魚も海の御神木とおなじ珊瑚も決して
人間様のような害はせず、慎ましいものです

目地政府が自然(じねん)と言う禅の言葉をあてがい
自然(自然とし)都合の良い線を引き、日本人と国土と宇宙や
山河との交信やチューニングを分離政策した

それまでは国土

都市伝説でもなんでもなく
宇宙や海や川や石や滝や風の全てには魂のような
何かが存在し
その目ない風や波動を慈しみ、時におは力を授かり
また時には強い力に翻弄されつつも
頑張って生き残ってきた

国土安穏につながります

神社の御朱印やお寺も
昔は、木版に擦った、国家安泰、家族健全、国土安穏など
自分以外の他者や地球や宇宙を愛しみ
日本中の霊的な神社などに納経(お札や言葉を書いた紙や木版でコピーした紙を
収めた、御礼の返礼でした

それが今やスタンプラリーに変化
神社も効能書きを前に出して売るシステムを構築
商売繁盛
良縁成就など
都合の良い神頼みの場に変化してきた
人間様と神様、仏さんのご関係

神社の真ん中に1組づつ並んで拝むのも
利己的な昨今のずれたお参り

いい悪いはではなくこれが事実

そういえば
湯島天神に数年前
合格祈願にきた若いお母さんと子供が

数ヶ月後
受からなかったから
お金を返して!ときたと
関係者の方から聞きました

皆さんびっくり!

どうしたの?
返さないでしょ

そりゃもちろん
そんなのおかしいですから

社務所にデーンと効能書きがあるわけ?

いやご利益とか
その程度ですよ普通に

まー温泉に近いですものね
それは斬新ですね
そんな日本になっちゃったかー

あーあ



昔、二度にわたり
五年かけ全国の社寺に広島から遠くは湯殿山まで
納経した、江戸時代の丹下弥右衛門さんの御朱印帳を拝見しました
当時の旅の日付や、どう言う順番で回ったかなど克明に書いてあり

当時は命がけの旅
インターネットもなく
どうやってその(良い場所)や道筋や行程を読んで
歩いたのでしょう
江戸時代には様々な旅の版画で刷られた本も売られていましたが
それにしても、感覚と情報と自分の健脚や正直な力を測り国や自分を祈り
ある日を境に、ふと思い立ち旅をしたのは 1711年2/3
今から314年前

そんな昔に弥右衛門さんが徒歩で来たと言う
山奥の,伊賀忍の瀧寺、雪の延寿院のお堂に止まっていた明け方に
偶然お会いした
当時の御朱印のコピーも見せていただき
住職もびっくり!

以来、達筆な心のままの心眼でかいた
お手紙で(もう85歳)の丹下さんとは仲良しで岡山へ逢いに伺っています

そもそもは
314年前物凄い意志で玄関を出たご先祖
その後まさかの子孫が同じ足跡を自分の背負った
命がけの指紋や呼吸や汗の染み込んだ御朱印帳を辿り

ご先祖の足跡を訪ねる旅を始めます
何よりの御供養で
同時に日本の霊場の霊道の復活


当時は歩いたか、かご?や時に舟でしたが
お仕事の合間の週末などに、車や飛行機を使い
岡山から全国へ江戸時代の足跡を263ヶ社寺満願されました

その満願成就の石塔をご先祖のお墓に建てた日に
偶然僕も広島の先祖の墓にいました
これにはお互いびっくり
たまたま前の夜にでんわがあり
明日広島の府中の本家で儀式を行うんじゃ!

えっー
広島にいますよ
海沿いの風早ですが
先祖の神社に

嘘じゃろ!
あんたそんなこと言って
東京から来るんじゃろー
大変だからこんでいいわ

本当にいるんよ

でご家族に混じり
式典に参加させていただいたのも

何かしらの仕組まれたご縁

丹下さんは豪快で船も乗る
開口1番!
皆さん!ねー
この人は私の恋人ー!


ドット笑うご家族

そんな祈りの国だった日本は絶滅しかけている

明治時代の神仏分離や修験道禁止、呪術や骨継ぎなど
普通の人もできていた陰陽師的なみえない力を恐れた、明治政府が
全て禁止にしたことは、日本にとって大きな損失で

また今まで代々祈って守られた、仏像や神像を焼かれたりと
どんなに悲しいことだったやら

それでも日本人の100人に1人とか2人は行者だったようです

最も、バリバリの白装束の螺貝をたてる(吹く)行者レベルではなくとも
相当な数の一般の人々が大切にされてきたけっか世界でも
とんがった気宇な精神と誠心を持っていたことが
これだけ神社が残っている証でしょう

そんな日本中にある聖域や張り巡らされた、海や山にある靡(なびき)や社や寺
元は磐座や滝のエナジーの道を清めてつないでいました
これが龍脈や見えない神経や血管にもなります
波動や言霊は全部と届きます

国中の人が
そんな思いで、旅をして霊道を自然に作っていったのだから
地球や海や山や神仏もさぞ嬉しかったことでしょう

もちろん人間の暮らしを脅かし続ける地球があって、そこの寄生する人間
地球は固有の一つの独立した物ではなく
人智を超えた宇宙のかけらの1部の島にすぎず、地震、天災を数千年繰り返してきた事実

もうすぐ宇宙人も公然と公になる日が近いのでしょうか

隠したって無理ですからね

隠しようが無いのが宇宙の摂理

海はいけば、ちょっと前まで撮れると
人間様の言い方で反省してますが

今では写ると言うようにしています

だって見なくても写るんだもん
と言うわけですから

正しい言葉では写真は写ってしまう

写ってしまった!
がきっと良い写真です

予期しない
ファインダー見ない
なんだか胸の感覚で見るまもなく押す!
所詮機械の電気製品のカメラですが
 
写ったまま
色も自分のいいようにいじらない
政治家の誰かが書いた紙切れのような写真は
子供が見たってきな臭い

小さな子や
魚たちは全て真理をわかっています

大人や人間は真摯に胸を傾け
手を差し伸べてください

純粋な子供たちに
嘘をついた写真を見せないように

大人がまづは
海を祈って
ライフジャケットをつけずに
泳ぐ

命を守るのはそこでは無い

野生を思い出し
この風に則して
即す

骨抜きになった日本人

命の危険を、宇宙の海の偉大さを身をもって知れば

記憶にございませんとも言えません
恥ずかしい大人が蔓延する昨今が今の末法の時代かもしれません

ネクタイ外して
波へご案内いたします

天災はもうどうしようもないです
人災が地球をぶっ壊しているから
天災になるわけです
 
あらゆる美の全てはこの自然にある
魯山人














師匠

写真は独学
写真はな
写真家先生に習ったり
こう撮ろうなんか撮ったら
自分の写真じゃ無い!
そんなのはダメだ!
先生の写真のコピーですよ

写真機はな
所詮カメラは道具よ
機械に撮られなさんなよ

モデルな
バーンと瞬間!
鷲掴み!だ
ファインダーなんか見るな
バーン!だぞ

いいオヤジだったな
ユージンは
日本に来てフォードやコマーシャルの撮影をユージンがしてな
そこころ俺はトッパンの写真にいてな
彼が撮った写真の現像を全て任されてな
本当にいいオヤジだった

千葉の五井の反対集会な
あの
小和田雅子の爺さん
水俣病引き起こして
知らないと言っていた
あの窒素の江頭な
あれにヤクザかチンピラやとわれ
暴行されてカメラ壊されてな
目もあまり見えなくなって腰やら痛めてな
でもな俺は後悔してないし恨んでないと
言ってたな

すごいオヤジだったな

サイパン沖縄と戦場の悲しみや
死に向かう日本の子供達をファインダーで見て
いたたまれなくなり
戦争をして殺しているのは俺じゃない
戦争やどもが悪いんだと
写真のほとんどは処分されたらしい
兵士が感傷的になる、都合が悪い写真だというわけだ

そして砲弾を受け
瀕死のユージンは数年間カメラは撮れず
ある日ふとセントラルパークを歩く子供たちの後ろ姿を写す
そんな1枚から
貪欲にまた人が目を背け
みえていない時間にレンズを向け
最後は水俣に住み写していた

そんな写真を通じた生き様や
ドキュメンタリーな先達の教え通り
どんどん行動!
とにかくバット!押す

人も波も同じ
みえない風
波動がある

カメらをぶら下げあてもなく
オーストラリアやバリ島にいたのは1992-1998年ごろ
やがて海へ波へ行く

彼らのことを思い出し
子供の頃パラオの海の家に数日いた
その時のオヤジの死を知りパラオの墓前で
話しかけ
感覚が降りてきた
命がげで写真を撮りたいがどこでしょう?
湾岸戦争か!
でも他力で人の血を都合よく写して本や金にするのは違うな
命か
どこでしょう?死の可能性が高い場は

うみか?
なみだ!
波の中は死にそうですね

決めた
波の中へ行きます
と誓ったのは
2002年5月
パラオの墓前に行こうとしたのは2001年9/12
成田空港まで行くが全てフライトはキャンセル

パラオに電話すると
アリー(もしもし)

ビンラディンのせいでね
何よピンラディん?って

いつでもいいのよ
大丈夫よ
あきをは死んじゃって
悲しいけどね
みきがね
来れるときにきなさいね
私たちは待ってるから
いつでもいいの
ありがとうね

体気をつけてね

そしてよくとし墓参りにいく
これね
あなたの車と携帯電話ね
息子たちになんでも言うのよ

命ははかない

今こうだと思うったら
逢いたい人には逢いに行く
なりふり構わず

後悔しないように

だから波へ向かった

パラオのオヤジがいなかったら
14歳のとき、あの日家に泊まってなければ
一緒に船でパラオの海を走り
色々食べさせてくれ、大きなシャコガイを
お土産に持たせてくれた
海のような大きな心の家族

死を通じて波へ向かい
死と隣わせが人には大切だと知る

存分に楽しみ
海で大笑いし
ひたすら根性で泳ぎ切り
シャッターを見ないで押す

写真はドキュメンタリーだ
後でいじり写真にわざと嘘をつかすのは人間だ

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