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松乃鮨

京都の、海外のお客様をアテンドする
日本の窓のアビ社長からの依頼
日本の政府の愚行
海岸の破壊と埋め立て
前は美しい海の目の前だった大森海岸

にその時間を見てきた
潮の音も香りも消えたこの地に
昔のまま佇む
路地の奥には桃源郷のような空間

四代目若旦那をパチリ
皆さん日本の文化と味
庭師や大工、4代目の受け継ぐ緻密な職人
豊潤な時間を過ごされてました

展示

展示を2回に分けて開催します
急ですみません。

1回目 6/11 ,12 ,13, 15 ,16 今までの様々な海(小傷のセール作品もあります)

2回目 7/1,2,3,4,5(6月末に開けられるか決定)

場所 Park Studio
品川区西五反田5−24−11−1F
最寄駅 南北線不動前駅 徒歩4−5分
西桐ヶ谷公園前 
駅の改札を出たら右、右で坂を真っ直ぐ登り切ると角に喫茶店ベル
そこを左に曲がる

Open だいたいですが 12:00-20:00
Tel 090-3068-0668
Mail miki@umi-bushi.jp

薬は自分

曇りがちなこの世
雨の隙間に撮影に行こうかとも
思ったが、改めて

あるときに
もう撮れるように
なっているわけだから
いいか
と思うように

どうせファインダーは見てないので
写る時は向こうから写る

これが海の宇宙との普遍的な
約束のない約束

人はこの右回りに高速回転する地球そのもが生きていて
人はそこに寄生しているに過ぎないのだと
忘れがちだ

海の中にも山があり
渓谷がある

それは隆起した山とつながる
低いところに川や海があるだけ

珊瑚は海の御神木
陸地ではバリのガジュマロに四角い江戸時代の浮世絵にも出てくる意匠
市松格子のガラ模様の布が巻かれ
線香や供物が絶えない

これは聖域

お葬式でもこの衣装を着た
耳に赤いハイビスカスを挟んだ
おじいさんたちががゆっくり槍を持ち舞う姿は感動的だった

海の中はもう一つの世界で国
海そのものが神域で聖域であることを
古来の人は知っていたから
心を傾けてきた

貝を吹く(たてる)のはバラモン教もマオリも、ハワイアン も同じ
日本の山伏も

羽黒山伏の衣装も市松模様
海の命を山で震わせることで
命の循環を表していると聞いた

人間様は余計なことばかりしている

写真も同じく
撮れてなくても後から色をいじり
好きな部分だけカットして使うトリミング
が横行

これは写真ではない

安易に物や好みの欲が手元に目先に
手に入る間違え
に気づかないといけない

なんでも一つの道は時間もかかる

デジタルカメラも
もう新しいものは作らないでほしい
十分だ

多様性というのは海中のこと

人間界で多様性と
間違った広告が横行している

多様性はお互いが、環境は破壊せず、利己的に占有せず、宣伝せず
適材適所で、絶妙なバランスで循環し
また相互に一つの有機的なシステムとして
あるジェームスらブロック博士のいうガイア=有機体

ごく自然にお互いが海風のようにあること

おもちゃの金券 金がなくても
彼らは40億年自給自足

近所に十五年くらい路上生活を
している方がいる

コロナの時も
マスクだらけの人々の雑踏のなか
公園で拾ったタボコ を燻らせ
新聞を読みながら
ニコニコ手を振る姿

豊だな ーと思った

話し始めたの十年後のある日
おしの方かと思ったら

そうではなかった

何かを差し上げると
いらないと

いや余ったからと
差し上げると拝んで笑顔で受け取り

そのうちにお返しももらうように

新聞や雑誌はいつも最新を持っている

誰に諂うわけでも
今の都会と自然に生きている
彼こそが本当の気高い御仁

時は向こうから来る

あとは群れずに黙って
行動するのみ

しのごの行ったって
波がきたら前へいくしかない

退いたら大波に巻かれ
気持ちも負ける

ドアや様々な機械で空調し
いかした植木鉢でへうあで飼育する木々は弱る

本来のように雨や風に当たらないと

自然の強さを避けて生きると忘れがちな
都会の蟻塚の隙間で生きる我々

宇宙と自然界に身を置いて
古武道やうみでおよぎ

ちょっと命の儚さと危なさを感じること

テレビは捨てて

目には見えない、神経や感覚が何もしないで
も思い出す

ナビなんかない古い車に乗り
エンジンやミッションや匂いや車の挙動を
感じるのもいい

何はともあれバランス

都会の山居を忘れずに

部屋に迷い込んだ虫を殺さず逃がしてあげる
元々は狐や虫やサメの住んでいた世界に
人間が占拠したのだから

とにかく靴を脱いで
山や海へ行く
古来の日本人の持っていた霊性の高さや
直感が刀のようになり

海中の風が気になるようになる

夢も鮮明観るようになる

自ずと調律していく

薬は自分











日本の時間を観ていくこと

日本の海を観ることは
日本の古い記憶や
伝承や神話に自ずと呼ばれていく

世界に2600年天皇制で続く国
またそこで同時発生した
手作りの刀や建築物や漆塗りの器や木彫や庭など
恐るべき叡智の集合した島国と民族

平田篤胤さんが研究や体験や神職の方から口伝を
自然にこれはと感じた
感覚を大切に絶妙に並べらてた祝詞が
神道大祓(中村風祥堂さん)の一番初めに出る

みそぎのおおはらい

海や山や川や滝でぶつぶつ唱えている

高天原にかむづまります
かむろぎかむろみのみことをもちて
すめみおやかむ いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちばなの おとののあわぎのはらに

みそぎはらへたまいし
ときにあれませるはらひとのおおかみたち

もろもろのつみけがれを
はらひたまへ
きよめたまえ

と申すことのよしを
天津神
国津神
やをろづの神たち
とともにきこしめせと
かしこみ
かしこみまをす

九州の高千穂に神様がくる扉の場所があるわけです
やをろずの神たち前に自分のその時々の思いで神様を入れ
るなど

たいじなのは
無心と胸のまま

お願いをするのではなく
ただ一体に水と溶け合う感覚でしょうか


夢に最初はヒレがいくつか水面にあった
あれはイルカだと

最初はなぜか近所の子供と車に乗っていて
バリ島の海かトルコの感じがしたが、斜めな海岸を車が
倒れたらまーいいやと冷静に車の挙動を感じつつUターンした

やがていくつかのヒレはイルカになり
次のシーンで
幾人かの綺麗な若い人魚の女性になる
あしはひれか?と見ると人間の足に見えたが
ヒレと同じで見えているのが足だけだとわかり、気にならなくなる
その女性が話かけてきた
と思ったが
深い確実なテレパシーだとわかる
喋っているのではない

フランス人?そこはタヒチだと分かった
あなたと結婚したい
と真剣な目で伝わる
えーそんなことあるんだな
不思議だな
と思いつつ
冷静に
タヒチのポリネシアの海の神様が
姿を象徴的なわかりやすい形で見せているのだと分かった

確かにタヒチは以前に色々な島に行ったが
その時は波の裏側は撮ってなく
いつか行きたいと思っていた

でも夕方になると
タヒチの地に海底にある気も大切で
祓い潔めるお役目もあるのだが
実は日本の海
まだ入っていない
海にき行き祝詞を捧げ
潔める、または写真を写すこと
なのだと感じた

場所は九州かな?

あまりに鮮明で
生々しい夢を超えた夢

日本に日本人に深い見えない霊妙な風がある
と改めて感じた

北条高時さんはじめ
800人が自害された
東勝寺の手前

北条屋敷跡は後醍醐天皇が
足利に命じ
霊を慰めるための
供養の聖地
天台宗 金龍山釈満院 円頓
宝戒寺を作ったのは

開基1288/13339年

時の鎌倉北条をたおした

後醍醐天皇の腹心
楠木さん亡き後
の新田義貞さんや

北条時政の利権や権威の保存維持の為
騙し討ちで
亡くなった
比企さんや和田義盛、畠山重忠、安達泰盛さん

また高時の政りや様々
不満が溜まっていた
武士の反発が重なり

1333年5/22
120年の
北条が潰れた

イチキシマヒメ(弁財天)龍神の化身
江ノ島に参籠した
時政の前に現れ
日本中の聖地を巡礼し

政りごとなど心つくせば
7代はつづかせる
と言われ

3枚の鱗を置いていき

北条の家紋は三つ鱗となる

事実9代のうちら2代は
事情にやむえない
とりあえずの執権な為
実際には7代で滅びたらしい

浮世絵の版画は

銀座久兵衛さん
の場所に住んでいた
月岡芳年さん

国芳の弟子で
神仏や古事を深く理解し
立体感ある
線を引いた天才

北斎美術館の波の企画展示より

神仏を大切に
祭りや供物をかかさねば
おのづと霊験があがり
人々が幸せになる

と作った
初めての法律書
御成敗式目を作ってたはずだが

今の時代の我々の頭や
北条よりにかかれた
記録本吾妻鏡からの引用や

歴史家の言い分には
永久にわからない

それぞれの正義と時間があっだ訳だ

神仏は観ている

伊賀忍達がつたえたように
正心と正義

石山寺や恵林寺を焼き払い
僧侶を生きたまま焼いた殺戮をくりかえし

僧から天罰がくだると言われた
信長のような

政治的に強い傲慢な天魔がきても
真っ向立ち向かう心と武術

伊賀上野城は元は
平楽寺という

忍や侍、人々の延暦寺や大徳寺や高野山のような
塔頭の集まる一代聖地だったが

鉄砲をうち焼き払い、僧や民を
殺戮したあとに

伊賀にはいらない城を占領軍が作った後付け
伊賀はどこの大名も東大寺の圧力にもくっせづ
統治されない唯一の場
信長の息子が二度攻めかけ大敗

魑魅魍魎の住む国へ勝手に手を出すなといい
7万の軍勢で伊賀を地球から無くそうとしたが
失敗(1581年伊賀の乱)

最後は家康に服部半蔵が彼らが全滅覚悟で戦うと
伝えると奈良の大倉五郎なる神楽師(忍か諜報員)
を通じ、天台宗延寿院(赤目不動と藤堂高虎の御位牌もある古刹で、赤目滝衆(山伏で忍)いた松本住職)
の近くの柏原城で和睦をさせた

滝野十郎吉政さんの縁ある滝野宮司が今も守る


そこで
本当の忍とは全く違う
コスプレの忍者ショーをやる愚行

彼らやその聖地にいた
方々の供養もしなければ
その崇高な生き様や、悲しみを踏みにじり

嘘を外人やらに
伝える事実でない事実は

デジタルカメラで
後出しジャンケンでいじり倒す
写真やと同じ

道真さんのように
騙され、筋違いな事をすれば
彼らの御霊が暴れ

天災や様々起こします

祟りはあります。

供養には終わりはなく
個性はこの世に残ると感じます

もし
自分が死に
数百年たち
知らないだれかが
水とおにぎりを
供え

胸のうちをつたえてくれたら
嬉しいのは

皆同じ
宇宙の感覚

こうして
古戦場鎌倉が
なんとなく平和なのも

宝戒寺 ほうかいじの歴代の

修行を重ねたプロの
霊力の重いこの地を
鎮めて下っているご住職

またこの地に右足を一歩入れ
手を合わせていただいた
観光客も含め数多の人々の
1滴のお気持ちが御供養の海となる

後醍醐天皇も
子息 大塔宮が幽閉され
足利の命令で暗殺され
その暗殺者も殺されている

平和な世を祈るのは
全宇宙の憶い

宇宙の海に漂う地球人が全知全能の一つの神ではないように

最澄さんや空海さんが
昔は海だった比叡山で修行されなんとかしようとされた時間は

自然界と名付ける前の=国土の安穏と
目には見えないものや
星や海に寄り添うこと


有名なお言葉
忘己利他

己を忘れ
他人を幸せに(自然へも)する行い
こそが尊いと




Chacott Kagoshima

昨年も来ていただいた
お二人
1年経つと、大きくなられ
技も様々

毎日バレエの修行をかさねる
彼女たちの思い出になれば幸いです
ご家族の元、自身の部屋でバレエの自分の姿に
見つつ、見られながら
好きなことを続けてくれたら嬉しいです

波も人も波動
見ないで押すこと

カメラマンの意図一切なしの
ドキュメンタリーな瞬間が写真であるから

ノートリミング色補正なし

島津忠良公と忍と侍たち

鹿児島は知覧の基地にも近い
武芸と禅に通じ
故郷加世田で亡くなるまで、郷里の民を大切にした
お人柄深き島津忠良さんのお墓へ


熊本の金峯山に
吉野から蔵王権現や役行者を勧請し
修験者や忍を呼び
忍術や様々な訓練をさせたという
山潜り(やまくぐり)の衆を組織したのは
島津忠良さんらしい

儒教や様々教養と侍としても男の義の塊の
忠良公がもし亡くなったら
自らも後に続き切腹すると
藩から許可を取っていた2人の若者
満留郷八左衛門忠実
中条次郎右衛門政義
忠良さんの葬儀の1568年12/19
に家族とも別れ殉死された
尊き御霊

その手前には全国に法華経を納経し
情報を仕入れ、時に島津の様々な依頼に応え

金峯山で修行をした修験者で(忍?)
井尻神力坊宗憲さんのお墓

22年間の旅を続けた
井尻さん(元侍)は旅から戻ると
忠良さんが7年前に亡くなっていたことと
また2名の侍も殉死されたことを知り

言い伝えでは1575年に自ら高い木から岩にめがけ
殉死されたという

近年では竹田神社近くの経塚から井尻さんが
収めた筒が出てきたという

尊き彼らの崇高な生き様
約8年前宮崎の武家のお客様に波の写真をとりつけに行き
以来、この地を訪れ
自宅でも彼らの名前を毎日読み上げ
ご飯をお供えさせていただいています

そんなわけで今回もチャコットの撮影で来れたので
鹿児島市内から約40分

チャコットの撮影に昨年来ていただいた
方々は昨年のお参りに続き、ホウキやゴミ袋を持参!
参道やお墓に残る前回お供えしたお茶?や焼酎を片付け
お掃除をさせていただき

太巻きやさつま揚げ、いも焼酎のロックをお墓に
お供えさせていただきました

井尻神力坊と書かれた竹箒もあり
しきみがお供えされているのでどなたかは
来てらっしゃるようでした

不可思議なご縁に
なんだか懐かしさとともに
胸に風が通りすぎていく

なんでしょう
この感覚は

457年前にここにいた彼らのかなしみや悔いのない
忠義と誠心が今も苔むしたこの地で呼吸している

それを大切にしてきた郷土の方々の懷いは尊きことです




写真は全てノーファインダー
色も載せたりしてません
海に嘘をつき、破壊と埋め立てをした人間様
波のなか人の力など石ころさ

南伊豆海へ行くも天気が悪く
撮らずに祝詞を捧げ
サーフィンをして帰宅、東名は奇跡的に空いていて三時間半
財布を忘れ一文なし
水がぶ飲み
ガソリンギリギリ

雨の中
冷たい海で震えながら
沖まで泳いだ
フィジーの最果てで一人
俺れは生きてるぜ!
と嬉しくて叫んで大笑い

誰もいない
最果て無人島の前
村には数百人が住むが
水も電気もない
自給自足

遠くの山で煙が立つと
なんだか一人じゃないなと
少し安堵する

何か起きたらおしまい
街中のジャンクな自分を
海の偉大な力の中

何かしらの海の何かを借りないと
戻れない
と実感に体感を重ね
感覚をよく味わい
そのまま行く

表裏の中に身をおき
透明な自分を観るや

紙一重の世界に人は宇宙に謙虚になる

写真は全てノーファインダー
自然を勝手に盗撮するのに
見たら失礼

写る時は向こうから写る

月山富田城

巨大な難攻不落の山城
色々お参りに山城へ行ったが
ここはすごい

険峻な山につづらな道や
虎穴を作り周りは崖
でも敵の忍など夜も篝火をたき
見張りをそこかしこに配置したやら

いずれにしても
この頂上には大国主を祀る神社がある
尼子さんが代々祈り、国の安泰や様々この
磐座のいただきで月を見ながら拝んでいたのだろう

出雲から車で一時間半位
ぜひお参りください

海の神様とも、忍とも縁深き天空の聖域も
遥か昔は海の底だった

波の撮影と深い因がある

気になったので先のおいなりさんへ戻り
堀尾さんの供養等の古いお酒とお稲荷さんの古いお酒8本
を回収しお寺の住職へ、お掃除をさせていただきましたが
捨てていただけますかと家にお尋ねした

なんだか人ごとのような感じで
こちらで捨てますのでおいてください
となんだか、笑顔ひとつない無愛想な住職


真言宗の古刹
巖倉寺

杭迫先生

真偽は不明ですが
京都の興聖寺でお会いした仙人は
書道の杭迫さん

山中鹿之介の末裔と話されたいたのを思い出す

山中鹿之介

この巨大な供養等が出雲大社やこの辺りを支配し
大国主を拝んでおられた尼子一族が1566年に1年半耐え抜いたの兵糧攻めだが
内部家臣の寝返りを
進言した大塚の言葉を信じ、忠義の家臣宇山久兼を
を誅殺してしまったのは、急逝した尼子晴久の息子 義久
そのせいで内部がガタガタになり士気が下がり
毛利に開城したという

その後も山中鹿之介は様々な調略や戦術で盛り返すも
1578年に兵庫県の上月城で降伏、毛利へ連行される途中
差し違えようとしていると悟られたのか
危険人物とみなされ、岡山のあいの渡しの川で暗殺される

裏切りと出戻りなど
様々なことを繰り返してきた武士達
の違いの正義と、家臣を守るための保身や選択
今の学者の答えでは届かない、当時の風がこうして今も生きている

御霊は個性を保ち残るわけだが
月に向かい
七難八苦を与えたまえ
と祈ったとも伝わり
月岡芳年も浮世絵に残す。

堀尾吉晴さんが富田城にきて
今の
松江城を1607年に作るも
完成間近の4年後の亡くなる

元は信長の家臣だったそうだが

信長にジェノサイドにあった
1581年の天正伊賀の乱で落ち延びたりした
地侍や忍、鉄砲の雑賀衆(鈴木重家の弟)
40人を傭兵としてを抱えたらしい

鈴木重家の末裔は今の僕の古武道の師匠
重家は義経と藤原寝返りにより源に攻められ
東北の立館でともに亡くなる

その弟の際が雑賀孫一で、実鈴木ともさんと言い
戦国武将の末裔の会や
戦国グッズやイベントを行う

家紋は八咫烏

数年前ふと知らずに山門をくぐり
どんどん導かれるようについた山奥の静かな供養塚
物寂しい場所で
供養に来る方も少ないのだろうか

稲荷神

出雲へきたらなるべく足を伸ばす
月山富田城と山中鹿之介さんと、雑賀衆と伊賀忍を抱えた堀尾吉晴さんの供養等
そして、その手前の荒れ寺の奥の、お稲荷様へ
昨年のお供えがそのまま
急に社の劣化も進み、虫食いだらけで
陶器のお稲荷様も荒れ放題

こんなことがあるのか?
お寺の管轄ではないのか?
昨年はまだどなたかがお参りをされていたようだったが

できるだけ陶器のお稲荷さんを起こして
ゴミを払い
新しい御神酒と供物を置き

古いお酒はまとめて下においた

周りの小さな石仏には
お経の書かれた白い紙が巻いてあるから

お寺の住職は来ているはずだが

まさか管轄が神社ですと言うのか?

出雲教 北島国造館



例祭にご案内くださり
再訪
140人近い方で祭殿はいっぱい

今はイスだが一昔前は皆正座だろう
地元の物部など深く長い時間を共に綿々と祈ってこっられた神社の宮司さん達
や地元の名市の方々に混ぜていただく

北島国造さんの祝詞や巫女舞
大神様=大国主の命、素戔嗚、イチキシマひめさんを祀り数千年

天皇家よりも実な古い

元は出雲族は海洋民族
長髄彦
素戔嗚さんも深く
古来の神事を大切にしてきた忌部=物部

世界は未だ戦争です
大国主さんは和を持ってなしました
いろいろな考えがるでしょうが
和を大切に譲られたことでしょう

北島さんとのお話し

やがて直会へ

写真は今どこに飾ろうか考え中です

いいんです
こちらに
この場に置いてくださることが
海の神様の道となり
ありがたいですから
生涯に一度歩かないかです
日御碕神社前の海ですから

見えない裏でも
飾らなくてもいいんです

安田さんやいつも
ご丁寧な宮司さんがたとお話しを

う山口県の周防大島のみかん農家の元水軍の方と
広島大学の元哲学の先生
哲学は一つじゃないですね
そうです
こうだと言うのがない
今はみかんの山を歩いている

日々の暮らしが宗教で
哲学ですね

農協は言いなりにならないと
農協に出したものの評価を下げ
あからさま嫌がらせをすると昔聞いた
農薬数種類、甘くなる薬
オレンジになる薬
買わされるんよ

尾道の蜜柑農家さんに聞いた
奇跡の林檎の木村さん

山口県では講演できんのよ
なぜ?
農協が強いから

もはやカルテルですね
昨日もその話
殺虫剤や除草剤が猛毒で
川や海にジャンジャン流れ
ている
モンサント社の圧力で
木村さんや小野さんとアメリカで出す無農薬やUFOに乗り
宇宙人から教わった本が
差し止めになったようですね

日本は雲を殺すとかありやらムカデやら
どうしようもない、猛毒のがすが作られ売られている
薬で殺すことはないでしょ

なんとかの命にもゴブの魂
人間も吸い込んでガンになりますし
人間様の海や山ではないのにね

大国主を祈っていた
尼子一族再興を願い
戦いの中に消えた山中鹿之介さんの供養塚のある
月山富田城へ

人は器

全国で修行を重ね

やがてごく自然に自分の気持ちに真っ直ぐに
好きな魚や寿司以外はやらないだけ

普通が今や普通でなくなる養殖は使わず
天然にこだわり

全国から数多のお客さんが来ると言う

出会いは先月
ふらりと良さそうなお店だなと
暖簾を潜ると
カウンターは常連さん1人

最初は全くお互いに話さず
黙々と握り、黙々と食べた
帰り際
松江には・・・・

作務衣で雪駄だったから
話しかけずらかったのか

出雲教さんへ写真をご奉納させていただきまして
しゃしんを?
そう

いや旨かった!
魚が下関の田舎で子供の頃食べた
のを憶い出しました

うまいだろ 

天然のうなぎね俺からサービス
食べて

蒸さないんよ

養殖は脂が臭いから
蒸すけどな

漁師が持ってくる
そこの川にいる

また来て!
あ兄とまた飲みたいから来てよ

いつですか?

いつでも大丈夫だよ


電話しますね

そして
再来

厳しい技術と一生懸命握ってきた秀さん
優しく、妙な回転の速い駄洒落だすごい
冷蔵庫から酒を出してきては隣で飲んで
カウンターに入っては次々と自然の魚が美しく出てくる

いろいろな活きた刺身

正直一升瓶の酒はうまくない
開けたてならともかく
時間がたつとすぐ味が落ちてしまう
店はその方が仕入れが安いが
うまいのは常に開けたての小瓶

あのな兄貴
兄貴

なに?

なんで俺が兄貴?
いいがや

夢にじゅロジン?がくる
何?
寿老人?

そうそれ!
あれやあの上にある!
おっ

寿老人はね仙人で南極星の化身
僕もこの1年月岡芳年の寿老人の掛け軸吊るしてます

腰に霊芝 魔法のキノコ持ってるでしょ

知らんがな

でもよ
毎日来るんよ

どこに?



夢に

毎日?

ゆめに?
そう
10年くらい前からの

えっさ
えっさ!
って
杖2本持って歩く

2本なんだ杖

そう
だから俺の守神
飾ってるんよね


優しさと暖かさの魚料理と空間に誘われ
常連さんが
毎夜、秀さんに会いに来るのもよくわかる

人は器

仙人のような魅力はそれでか

兄貴!いつ来るん!?

来月!









松江へ

松江の宍道湖は、写真の飛行場や田んぼや電車だの人間様の都合優先で干拓されてきた
大昔は海であり巨大な入江だったようだが

湖畔が破壊されて、コンクリートになり(コンクリートはPHを下げたり言い訳がない)
当然魚も少なくったが
メディアでも取り上げられていたが今はダンマリな

日本で初めて輸入されたネオニコチノイド系の殺虫剤(エージェントオレンジ枯葉剤の軍需産業モンサント社が元だとも)水田などで使用されてから、あからさまに鰻や魚類、特に公魚などが激減
農協も国も認めたくない事実を隠蔽してきた
漁師も訴えていたが、田舎のため村八分や差別を嫌い
代も変わりウヤモヤな霧に包まれた

日本中の川や海はこうした除草剤や殺虫剤が溶かされ
人間様に結局は還る因果が現実


写真は松江の名店 寿司ヒデ
ヒデさん昔は湖は広くて
きれいだったんよ

随分と埋め立てて
魚も減ったわな

先月ふらりとお邪魔し
今度、にいやんと飲みたいからまたきてよ


2回目

ヒデさんと杯をかわす
どんどん島根の銘酒が運ばれる

例祭の前の前夜祭

自然に寄り添い
何億匹の魚を見てきた人には
モヤが立ち込める美しい原風景と
幾重もの川が海と行き来する
水の流れや魚達も一つの美しい景色だが

どうも人間様は表面ばかり
小手先の視野でしか観れていない
から平気で破壊を繰り返している

戦争と同じ

自然の魚が減り、養殖になることは
味覚のや自然界の汚染に湯ながることを意味している

幼い頃海には魚がたくさんいて
藻がたくさんあった
海の森が死ぬ
山の森も死ぬ

高度成長の破壊の上にあるにしろ
二度と戻れない悠久の時間

出雲は元は杵の社
江戸時代に作られた
都庁の長になった出雲大社の千家尊福らに作られた
神様へ商売繁盛や良縁成就をお願いすることも同じく
スタンプラリー化した御朱印など

安易なご利益をすぐに買うことは
人間の心の破壊になっている事実

神社は祈願所ではない
他力本願でもない

宇宙と海に胸を傾け
魚の故郷を大切にすれば
それは人に帰ってくる

地球も宇宙に漂う海だから



鹿児島 Chacott Photo Shooting

チャコットフォトシューティングin鹿児島」

 ● 期間 : 5月24日(土)~ 5月25日(日)まで

 ● 場所 : スタジオチアノ chain-space.com
鹿児島市鴨池2-3-16えりかビル4F

      鹿児島市電 谷山線「騎射場」電停より徒歩3分

      ※お車でお越しの場合は近隣のコインパーキングをご利用ください

chain-space.com

● 対象 : 3歳 ~(バレエの経験は問いません)
● 金額 : ¥88,000(税込)

詳しくはチャコットホームページ
予約より
フォトシューティング鹿児島

叡智

その道の人は様々な冒険と思いを忘れずに続けてきた人
人は器
そんな彼らの秘伝のお下がりをいただき、自分流に見つけていく
黙って初歩の基本を積んで
黙ってやるだけ
ただそこに、無我夢中に真没し、人の意見はさておき
続けて行けるかだ
すぐに簡単にはないのだから

16歳の時近所に骨継ぎの見た目も古武士のような
島津先生がいた
恐る恐るもしえていた柳生新陰流に入りたいと言うと
一度夜の公園などで稽古を見ておいでと
言われ行ったが
そこにいるある練習生にいい印象がなかった
しばらくすると
君はねキョーバシくんは俺の言う通りに
1年黙ってやってごらん
と言われた

足の親指で蹴るように
胸を張ってたったったっ!と歩きなさい

それで?それだけですか?

そうだ
毎日毎日気をつけて
親指のした母指きゅう日から入れけれ!

そして1年後

先生歩いてました
ようし
見せてごらん

言われたまま歩くだけだが

先生は
よし!
いいよ

はい
次はなんですか
わざでしょうか?

いや
君はこれでいい
これでいい

そうだ
僕がね
師匠が亡くなる前に聞いた口伝の秘伝を
教えてあげるから
1週間今からやること
自分で感じてね
俺を見て考えてまたきなさい

1週間後どうだ?
と質問され
色々体の動きを感じながら

教えていただいた

それでもういいよ
これができたら
全て大丈夫

終わり!

数年後道ばったり会う!
先生今どこに?
引っ越したんよね

どうなのうん?
波の中を泳いでますよ
先生いの術と
そうかー

こうだ!こうと!
いきなり道で
指先からクロールで回転!
こうね

またね!

と去っていく姿が最後



そして海でそのことを使っている

写真の師匠 今は亡き柏原誠
島津兼治(新陰流や火縄銃古武道の生き、雑誌秘伝の編集顧問)今年1月に逝去されていた
土居清

皆哲学者であり己の道をいく
マイペースな独特な間合いで生きていた
土居清は健在で77歳

皆様の努力と叡智に祈る

エーホマイ



師匠

古武道の師匠 土居清はお母さんがたの名前を受け継ぐ
元は物部
源義経の側近 鈴木重家の子孫
命をつなぐために当時は兄弟を離れさせその血を守ったが
重さんにはお子さんがいらしたようです

またお用途は鈴木孫一(雑賀孫一)
で今は鈴木ともさんと言う方で、数年前師匠が武将の会でばったり逢い
様々繋がり
結局は師匠が僕のお兄さんで鈴木家の大元の本家ですよ
聞いたと言う

また2年前
キョーばし!
はい

あのな
夢になたちだて
って出たが
なんだ?



なんだろ
たちだて?

そう
たつだてかな

調べたら
立館 は東北で
義経が兄鎌倉幕府の頼朝に命を追われ
元は匿っていて共に叩く意思もあった藤原さんが亡くなると
寝返った息子が掌を返し弁慶や重家さん、義経さんを惨殺した

(その前に船が難破し数百の精鋭の側近が亡くなったことが義経さんには痛かった)

それご先祖の重様が亡くなった場所ですよ
そうか

来てくれと言ってるんだろうな

またある日一緒に
四国の宇和島な
土居のおばあちゃんの墓参りに行きました
子供の頃な、この臨済宗のこの寺の
この銀杏の木のここでな
師匠に真剣でバットおでこと胸を皮1枚斬られたのが
入門の日だったな

毎日6歳の俺は
塀から中の稽古見てたんだな

そうしたらな
坊主!こい!
と境内へ呼ばれてな

やりたいのか?

はい

でも….

心配するな金や道具はあるからいらないぞ

お前のおじいさん、お父さん(剣豪)もよく知ってるから大丈夫だ

そこに立て!

銀杏の木にな
手を広げて目をつぶるなよ

そうしたらな
鍔鳴りと共に
すうーって切られた

怖かったー

それから毎日な
1000回刀ふれって
言われ
最初はその辺の桜の木の棒でな

これは辛かった6年間これだけ
基本の振りだけ

手を見せろ!

って言われて
手を見るなり

お前サボってるな!
と怒られてな

最後はないっしょに
トンボを斬った

20代まで稽古してたが
仕事でしばらく名古屋へ行ってな
師匠に極伝の免許もらいに帰ったら死んでた

俺が30くらいだった

そのままだ
だから免許皆伝までで は
極伝は正式にはもらえなかったんだ


実はすごいことに
師匠はその師匠の名前も家族がいたかも
墓がどこかも知らないと言う

名前しらないんですか?

うーん
したの坊さんの名前は覚えてるが
確かー

それ以外はお互い何にも話さなかったからな

実際のお寺に行きも
今のお坊さんもつれなく
裏の代々の住職の墓地にあるんじゃないですか
の一言

結局寺まで行ったが
そこから探さないのも師匠

いいの?探さなくて
探しましょうよ

いいよ
またそのうち
今度またわかるだろ

が流石の感覚

まー人間の思惑の墓石へ行かなくても
来たことは全部見えてるからいいか
喜んでますね

お墓には私はいませんー

だな



風武流と名付けた
古武道の稽古の会を作り
今は日曜日に品川体育館と不定期で千葉の鋸山の海で教えています

後世に残したいんだと





天気にいいも悪いもない

天気が点々と変わり、しばらく海は写せない
よく天気が悪い(雨とか風)と人間は言いますが
悪いのではなく
晴れた日がいいとする基準ではなく

雨や風邪の日がなくてはならない地球と宇宙の摂理
海の中は常に雨
風雨の日にこそ美しい時間がある
空間の雰囲気や
人間の心も変えてしまう

なんて言うか
周波数、見てなかった、感じえなかった静けさ
ある限度を超えると人が災害と呼ぶ、悲しいこともおきますが

しかし昨今の海岸の破壊や山や川のダムなど
数十億年で自然に収まる位置に収まり循環してきた地球の神経や血管を
破壊しているのが人間
そりゃ数字や脆弱な科学では届かない
エナジーを壊せば色々起きるのでしょうか
地球から見たら毎日が人災です

鳥も虫も魚も海の御神木とおなじ珊瑚も決して
人間様のような害はせず、慎ましいものです

目地政府が自然(じねん)と言う禅の言葉をあてがい
自然(自然とし)都合の良い線を引き、日本人と国土と宇宙や
山河との交信やチューニングを分離政策した

それまでは国土

都市伝説でもなんでもなく
宇宙や海や川や石や滝や風の全てには魂のような
何かが存在し
その目ない風や波動を慈しみ、時におは力を授かり
また時には強い力に翻弄されつつも
頑張って生き残ってきた

国土安穏につながります

神社の御朱印やお寺も
昔は、木版に擦った、国家安泰、家族健全、国土安穏など
自分以外の他者や地球や宇宙を愛しみ
日本中の霊的な神社などに納経(お札や言葉を書いた紙や木版でコピーした紙を
収めた、御礼の返礼でした

それが今やスタンプラリーに変化
神社も効能書きを前に出して売るシステムを構築
商売繁盛
良縁成就など
都合の良い神頼みの場に変化してきた
人間様と神様、仏さんのご関係

神社の真ん中に1組づつ並んで拝むのも
利己的な昨今のずれたお参り

いい悪いはではなくこれが事実

そういえば
湯島天神に数年前
合格祈願にきた若いお母さんと子供が

数ヶ月後
受からなかったから
お金を返して!ときたと
関係者の方から聞きました

皆さんびっくり!

どうしたの?
返さないでしょ

そりゃもちろん
そんなのおかしいですから

社務所にデーンと効能書きがあるわけ?

いやご利益とか
その程度ですよ普通に

まー温泉に近いですものね
それは斬新ですね
そんな日本になっちゃったかー

あーあ



昔、二度にわたり
五年かけ全国の社寺に広島から遠くは湯殿山まで
納経した、江戸時代の丹下弥右衛門さんの御朱印帳を拝見しました
当時の旅の日付や、どう言う順番で回ったかなど克明に書いてあり

当時は命がけの旅
インターネットもなく
どうやってその(良い場所)や道筋や行程を読んで
歩いたのでしょう
江戸時代には様々な旅の版画で刷られた本も売られていましたが
それにしても、感覚と情報と自分の健脚や正直な力を測り国や自分を祈り
ある日を境に、ふと思い立ち旅をしたのは 1711年2/3
今から314年前

そんな昔に弥右衛門さんが徒歩で来たと言う
山奥の,伊賀忍の瀧寺、雪の延寿院のお堂に止まっていた明け方に
偶然お会いした
当時の御朱印のコピーも見せていただき
住職もびっくり!

以来、達筆な心のままの心眼でかいた
お手紙で(もう85歳)の丹下さんとは仲良しで岡山へ逢いに伺っています

そもそもは
314年前物凄い意志で玄関を出たご先祖
その後まさかの子孫が同じ足跡を自分の背負った
命がけの指紋や呼吸や汗の染み込んだ御朱印帳を辿り

ご先祖の足跡を訪ねる旅を始めます
何よりの御供養で
同時に日本の霊場の霊道の復活


当時は歩いたか、かご?や時に舟でしたが
お仕事の合間の週末などに、車や飛行機を使い
岡山から全国へ江戸時代の足跡を263ヶ社寺満願されました

その満願成就の石塔をご先祖のお墓に建てた日に
偶然僕も広島の先祖の墓にいました
これにはお互いびっくり
たまたま前の夜にでんわがあり
明日広島の府中の本家で儀式を行うんじゃ!

えっー
広島にいますよ
海沿いの風早ですが
先祖の神社に

嘘じゃろ!
あんたそんなこと言って
東京から来るんじゃろー
大変だからこんでいいわ

本当にいるんよ

でご家族に混じり
式典に参加させていただいたのも

何かしらの仕組まれたご縁

丹下さんは豪快で船も乗る
開口1番!
皆さん!ねー
この人は私の恋人ー!


ドット笑うご家族

そんな祈りの国だった日本は絶滅しかけている

明治時代の神仏分離や修験道禁止、呪術や骨継ぎなど
普通の人もできていた陰陽師的なみえない力を恐れた、明治政府が
全て禁止にしたことは、日本にとって大きな損失で

また今まで代々祈って守られた、仏像や神像を焼かれたりと
どんなに悲しいことだったやら

それでも日本人の100人に1人とか2人は行者だったようです

最も、バリバリの白装束の螺貝をたてる(吹く)行者レベルではなくとも
相当な数の一般の人々が大切にされてきたけっか世界でも
とんがった気宇な精神と誠心を持っていたことが
これだけ神社が残っている証でしょう

そんな日本中にある聖域や張り巡らされた、海や山にある靡(なびき)や社や寺
元は磐座や滝のエナジーの道を清めてつないでいました
これが龍脈や見えない神経や血管にもなります
波動や言霊は全部と届きます

国中の人が
そんな思いで、旅をして霊道を自然に作っていったのだから
地球や海や山や神仏もさぞ嬉しかったことでしょう

もちろん人間の暮らしを脅かし続ける地球があって、そこの寄生する人間
地球は固有の一つの独立した物ではなく
人智を超えた宇宙のかけらの1部の島にすぎず、地震、天災を数千年繰り返してきた事実

もうすぐ宇宙人も公然と公になる日が近いのでしょうか

隠したって無理ですからね

隠しようが無いのが宇宙の摂理

海はいけば、ちょっと前まで撮れると
人間様の言い方で反省してますが

今では写ると言うようにしています

だって見なくても写るんだもん
と言うわけですから

正しい言葉では写真は写ってしまう

写ってしまった!
がきっと良い写真です

予期しない
ファインダー見ない
なんだか胸の感覚で見るまもなく押す!
所詮機械の電気製品のカメラですが
 
写ったまま
色も自分のいいようにいじらない
政治家の誰かが書いた紙切れのような写真は
子供が見たってきな臭い

小さな子や
魚たちは全て真理をわかっています

大人や人間は真摯に胸を傾け
手を差し伸べてください

純粋な子供たちに
嘘をついた写真を見せないように

大人がまづは
海を祈って
ライフジャケットをつけずに
泳ぐ

命を守るのはそこでは無い

野生を思い出し
この風に則して
即す

骨抜きになった日本人

命の危険を、宇宙の海の偉大さを身をもって知れば

記憶にございませんとも言えません
恥ずかしい大人が蔓延する昨今が今の末法の時代かもしれません

ネクタイ外して
波へご案内いたします

天災はもうどうしようもないです
人災が地球をぶっ壊しているから
天災になるわけです
 
あらゆる美の全てはこの自然にある
魯山人














師匠

写真は独学
写真はな
写真家先生に習ったり
こう撮ろうなんか撮ったら
自分の写真じゃ無い!
そんなのはダメだ!
先生の写真のコピーですよ

写真機はな
所詮カメラは道具よ
機械に撮られなさんなよ

モデルな
バーンと瞬間!
鷲掴み!だ
ファインダーなんか見るな
バーン!だぞ

いいオヤジだったな
ユージンは
日本に来てフォードやコマーシャルの撮影をユージンがしてな
そこころ俺はトッパンの写真にいてな
彼が撮った写真の現像を全て任されてな
本当にいいオヤジだった

千葉の五井の反対集会な
あの
小和田雅子の爺さん
水俣病引き起こして
知らないと言っていた
あの窒素の江頭な
あれにヤクザかチンピラやとわれ
暴行されてカメラ壊されてな
目もあまり見えなくなって腰やら痛めてな
でもな俺は後悔してないし恨んでないと
言ってたな

すごいオヤジだったな

サイパン沖縄と戦場の悲しみや
死に向かう日本の子供達をファインダーで見て
いたたまれなくなり
戦争をして殺しているのは俺じゃない
戦争やどもが悪いんだと
写真のほとんどは処分されたらしい
兵士が感傷的になる、都合が悪い写真だというわけだ

そして砲弾を受け
瀕死のユージンは数年間カメラは撮れず
ある日ふとセントラルパークを歩く子供たちの後ろ姿を写す
そんな1枚から
貪欲にまた人が目を背け
みえていない時間にレンズを向け
最後は水俣に住み写していた

そんな写真を通じた生き様や
ドキュメンタリーな先達の教え通り
どんどん行動!
とにかくバット!押す

人も波も同じ
みえない風
波動がある

カメらをぶら下げあてもなく
オーストラリアやバリ島にいたのは1992-1998年ごろ
やがて海へ波へ行く

彼らのことを思い出し
子供の頃パラオの海の家に数日いた
その時のオヤジの死を知りパラオの墓前で
話しかけ
感覚が降りてきた
命がげで写真を撮りたいがどこでしょう?
湾岸戦争か!
でも他力で人の血を都合よく写して本や金にするのは違うな
命か
どこでしょう?死の可能性が高い場は

うみか?
なみだ!
波の中は死にそうですね

決めた
波の中へ行きます
と誓ったのは
2002年5月
パラオの墓前に行こうとしたのは2001年9/12
成田空港まで行くが全てフライトはキャンセル

パラオに電話すると
アリー(もしもし)

ビンラディンのせいでね
何よピンラディん?って

いつでもいいのよ
大丈夫よ
あきをは死んじゃって
悲しいけどね
みきがね
来れるときにきなさいね
私たちは待ってるから
いつでもいいの
ありがとうね

体気をつけてね

そしてよくとし墓参りにいく
これね
あなたの車と携帯電話ね
息子たちになんでも言うのよ

命ははかない

今こうだと思うったら
逢いたい人には逢いに行く
なりふり構わず

後悔しないように

だから波へ向かった

パラオのオヤジがいなかったら
14歳のとき、あの日家に泊まってなければ
一緒に船でパラオの海を走り
色々食べさせてくれ、大きなシャコガイを
お土産に持たせてくれた
海のような大きな心の家族

死を通じて波へ向かい
死と隣わせが人には大切だと知る

存分に楽しみ
海で大笑いし
ひたすら根性で泳ぎ切り
シャッターを見ないで押す

写真はドキュメンタリーだ
後でいじり写真にわざと嘘をつかすのは人間だ

茅ヶ崎で生まれ育ち
茅ヶ崎で生まれたが、小さくて死にかけていたので
横浜の警察病院にみかん箱に入れ運んでくれたおじさん

そんなおじさんとおじいは、目黒の家で水槽がたくさんある
下が工場の家に住んでいた
部屋一面、左右ベッド以外は大小20本近い水槽と水の音
世界中の熱帯魚が泳いでいた

おじいはもの静かで器用な人で、先の戦争は満洲
次の大東亜戦争はビルマに行き
習志野の鉄道2連隊として訓練を受け
鉄道や暗号無線の仕事をしていた

戦後1年たち、甲板のめくれた引き揚げ船の空母葛城で浦賀についたそうだ
部隊は全滅と聞いていた家族だったが
部隊長達と終戦間際タイに入っていたので捕虜にはならず
帰れたそうで

隊長や戦友とは80代になるまで戦友会が解体されるまで
苦楽を共にした仲間を大切にした、優しい人だった

大正から昭和の写真を見ると、ザイルで沢登や剱岳など家族親戚と山やスキーを
楽しんでいた。曾祖父さんは戦争中で行けない仲間には、正二君とのぼりに名前を書いて
写真を撮っていた。ドンコー会と名付けていた(ゆっくりしかいけませんの意味で)
ひいじいーさんもユーモアがある

彼らは海もよく行ったがウェットなどない時代
スキューバで潜りはしなかったようだ。

何はともあれ戦後はサニトラに工具を積んで米軍の基地や
帝国ホテルの厨房を作る新橋の祖母の会社に入り
職人としていき
休みの日は息子のおじさんと僕を真鶴の岩場や、野沢温泉に車で連れて行ってくれた
幼い頃の自然のガイドだ

何を注意するわけでもなく、僕も海に慣れていた子供だったせいか
遠くでタバコを燻らせ見ているだけだった


見えるところで遊ぶんだぞ
とだけ言っていた

岩場で牡蠣殻で足を切ったり
真鶴の岩の漁港がコンクリートがで固めはじま
そこに生えた苔で滑って肩から腕をすりむき血が滲んだり
子供の頃はゴムゾーリしかなかったから
脱げるは滑るは、足がはみ出て切ったり
怪我をしながら気をつけるようになった

夏になると今度は父方の田舎が下関にあり
青いあさかぜと言う名前のプレートをつけた機関車にひかれた
寝台車で行くのが楽しみだった
汽笛を鳴らしながら、2段ベッドに潜り込む

朝になると、車掌さんの独特な声や汽笛とレールのつなぎ目の音で目覚めた
その頃になると柳井あたりにいた

家は城下町長府の乃木希典の家の近くの屋敷から
壇ノ浦を見渡す場所に移動して40年亡くなるまで住んでいた
朝になると、長府にすわる魚の行商のおばあから
ウニやオコゼやひらそ(ぶりの子)など、好きな魚を選ばせてくれ買い
山への階段を上り、海が一望の家で食べるのが楽しみだった

朝食後はそこからバスと汽車をまた乗り継ぎ一時間ほどで
海沿いの駅から15分ほど歩いて
漁港から漁師さんの船で無人島へ毎日通うのが
さらに楽しみで、透明な住んだ海で1日中、素潜りでたこやトコブシや魚を網で
生け捕っていた
水中メガネがないと意味がない!とばかりに
メガネがないと海には入らなかった

帰る頃はうつらうつら
潮を吹いた肩の顔を客車の窓やドアの金具にぶつけ いて!っと起きては
また寝ながら、時には生捕りの小魚をビニール袋のバケツに
電池式のぶくぶくをつけて山の家まで帰った
よく歩いてよく思いバケツや荷物も一人で持っていたなと思う

子供の頃から海の家は大嫌い
シャワーなんか浴びる習慣もなく
なんで同じ世代の子供が魚も少ない汚い砂浜の海で
あんな人工的な海の家にいるのか、不思議だった

全く別な人種なくらい、口も聞かずひたすら
両手に網に腰の海水パンツに拾った鉄のアワビおこしをさし
水中の岩から岩へ飛び移り、ふやけるまで魚を探していた

泳いでいるベラなどは早くて捕まえれないので
岩上や岩の蔭にいるカサゴやアイナメが獲物だった
自分でも子供ながらに魚の逃げる方向と、後ろの網を下構え
獲るのは上手いと思っていた

海のはじまりはそんな頃から

少し冷たい響灘の海で
ふやけるまで一人で遊んでいた

よく親も見えない場所や色々島の周りに行っても
心配しないでほっぽらかしだったな
と思う
今の親ならライジャケをつけ(これは帰って危ないんです)
浮き輪までして過剰な保護と浮状態にしますが

波が来たらライジャケは潜れず、かえって沖に運ばれたり
浮いたまま波に叩きつけられ、体の制御ができず

子供はある程度泳げる6ー7歳くらいからは
波をくぐる方法や慌てないことなど親が教えて
ライフジャケットは僕はつけない方がいいと思います
自分の泳力を超えてもライジャケや浮き輪は分からず
流されてしまうことも多々あります

自分で潮流や位置が変わったなとか
気をつけなくなる
海や自然との間合いが変な道具のせいで
曖昧になるのが危険なのです

そもそも泳げない子が川や海へ行きべきではないのです

以前にも書きましたが
生まれて初めて喉が閉まるほど溺れたのは32歳と遅咲きです
ずいぶん気をつけていましたが

冬のハワイのノースショアの波は人知を超えた本物でした
何もできないとはこのこと。
(泳力とむぐる角度や心構えが弱かった)体力ではなく
経験と強い気持ちが足りなかった。
沖へ流され、不規則な波に巻かれ
片手には今では考えられない大きなカメラのケース
足ひれと半ズボンのウェットに水中めがね
酸素ボンベはずるく
海の真髄を知るには無酸素だ!と
飛び込んだ、オーストラリアのバーレーへッズに
続く2回目の波の旅
2002年の冬

死にかけたとはこれだと雨の海岸で笑い
波にもまれ酸素が吸えず
喉からヒューヒュー、海面に顔を出し立ち泳ぎで吸うたびに音がして
肺に空気がいかない
これには焦り、穴が空いたのかと片手で喉を触った
穴なんか開くわけがないが
全く初めての体験で
波は不規則に止めどなくくる
沖の波にそれでも行こうとするが
全くこの葉のように波に巻き込まれ
苦しいなんてもんじゃない
しまいには、足のスネと腕が痛く動かない
きのうていし?なんだこりゃ

それでも波は待ったなし
巻かれては顔を出し空気数が苦しくなるばかり
もうおてあげ
これは息を止めた方が楽だな
と 
そんなことしたら死ぬのだが
頭がショートし
人間は弱いから溺れるときはこう思うんだな

とゆっくりと時間が流れ始めた
空に向かい甲賀のひいじいちゃん助けてよ

と念じると
なんとなく空に黒いスーツにひい爺さんが笑っているが
ネクタイが黒じゃなかった してない?
その瞬間
僕はハワイの沖で独おおわらい
あーこれは弱い僕で
だめだ人間は二ついるから
つよい自分でいかねば

あーこれは喉の気道が閉まり
肺に空気がいかないんだ
腕や足は乳酸だ
オーストラリアのライフガードの本で読んだな

これはダメだ落ち着いて肺に海水が入らないように
口を押さえて帰るしかない
出直しだ!
と妙に元気になった

波に乗りながらブルブル震え
鼻水や海水がダボダボ垂らしながら
海岸にへたり込む

完敗!
乾杯!
全く泳げなかったオーストラリアは湖
ここは本物!海だ!
ショック!

いやー泳げないな無理なのか?
ラジオ体操第一で入った俺がばかだった
これはアスリートの世界だ
生きてるな
よかったなー安心だ地に足がついて

そんな独ごとを海岸でぶつぶつ行っていると
サングラスのライフガードが近づいてきた
なんだか偉そうに
よく帰ってきたな!
と言った

なんだ見てたのか
イエローモンキーだと思ってなめてるな

携帯電話忘れた
と返すと
ちっ!と行っていなくなる
くそ
もっとあーいう態度の人間にはブラックジョークを返したいが
頭がうこかず、英語力もなくとっさに返せなかった
そこが自分が溺れた原因!だな

雨の海岸に巨大な虹が出ていた

祝福?
でも大事なことが一つきた

今でもはっきり覚えている

もう一度ここで泳がないと
お前は潰れるよ

声がした
自分のどこかからか


そんな霊的な天の声ではなく
中から胸のあたりの感じだった

波を泳ごうとパラオの墓で思った感覚と同じ
あの確信めいた感覚

えー
また泳ぐんですか
ここでー
とまた笑う



そしてウェットを着たまま
膝から軽く血を流し
濡れた体で車を運転し
途中のパン屋で、すみません、溺れて
床濡らしたらごめんね入っていいですか?
甘いデニッシュを二つ買いたいんですが

もちろんだよ
と店のおじさん

だいじょうぶかい?

はい
ごめんね

いいんだ
またな
気をつけてな

宿に着くと暗い少し冷たいシャワーを浴びる
膝の血を絞り出し、砂が入ってないか擦る
よく帰ってきたな
地に足がつくのは安心だな
いや溺れたな
自信がなくなったな
泳げないのか俺な?
など頭からシャワーを浴びながら
さっきまでの事件を走馬灯のように思い出しては
心を落ち着かせたかった

木でできた宿と木々は雨に光り
共同のリビングで
デニッシュを食べコーヒーを入れ

自分の小さな部屋の2段ベッドに潜り込み
どっと疲れ頭も乾かさずに一時間ほど寝た

起きると雨はさらに土砂降り

シェアしていたカップルはまだ帰らない

行きますか!
よし
静かに準備をし
赤土のぬかるんだ道を避けながら
レンタカーの鍵を回す

なんだかドラマだな
こりゃ
大丈夫か俺は
一時間で泳げるようにはなってないから
完全に溺れ巻かれるが
行くしかないと腑に落ちた

車を路地にとめ
山のような砂浜を越えると数人の女の子のサーファーとすれ違う
ハーイ
とだけ言葉を交わし
冷たい雨の海岸を目指すと海は轟音
さっきよりさらに、海は荒れている
おや
どうするか
目を凝らすが
沖にも誰もいなかった
少し見ていたが

確信がきた
よしこれは海が守ってくれた
正直にきたからこれでいい
来なかったら、にげていたらこの感覚なない
お前はちびっこだから
海のゴミになるだけだ
どこか自分に泳げそうな子供たちのいる海で練習をし
これから2週間は仕方がない
海へはいくが
このレベルは無理で死ぬだけだ
日本で水泳の訓練をしなおして
来月も来るんだから
それでいい

自信は戻らないが確信的に
また腑に落ちた

すぐ近くの海岸へ行くと
おきにおきに子供たちがいた
割と綺麗な波で
泳いで潜って逃げれそうだ

そしてここで流されながら五時間
泳いだ
途中大波が目の前で壁になると
今朝溺れた恐怖の感覚がまたどこにあるやら
胸に集まり、呼吸が乱れる
いけない、いけない
これはダメ!
いけ!大丈夫!と叫んで沖へ

結局何もとれなかったが

満足だった

向こうからアジア人がパドルしてきた
さっきから何してんですか?
こんな沖で
およいでるんですか?
えー
いたかしますよ

危ないですよ
うわ!

大丈夫、俺も何してんだかわからないんだ
ありがとうね

笑う

握手してください
と海の上で右手同士で握手して
その日本人の若者と別れた
こんな場所でサーフィンしている日本人はすごいね

帰るかな

ここに五時間もいて泳いで波をかわせ
サメも来なかった

夜賑やかな宿のメキシカンナイト
というメニューで世界からきたバックパッカーが
ビールやタコスを食べ賑やかだった
僕は独り普段は飲まないお酒
タヒチのヒナノビールを飲み
今日1日の生きるか死ぬかの日を味わった
メキシカンの味?というと
大したことなかったかな

溺れた海へ行ってよかった
とにかく
そのことに尽きる
コウロギかなんか虫の葉音の
緑の中の木の家で
その夜は深い眠りについた



その14年後から真っ暗な日本の夜明けの海を
撮るようになる
御神酒を巻いて、ゴミを拾い
祝詞を捧げ、貝をたてるなど
魔術の世界



そしてこの頃
2003年にフィジーで出会ったハワイアン の結婚式の写真を
頼まれ、この海で泳いぎました
不思議でした
当時の自分と生まれ変ったような自分
海の景色は変わらないが
何か少しゆとりができたようでした
同じ宿の同じ部屋を行ってから泊まりたいと
行くと当時のオーナーのおばさんがいました
同じ部屋は残念ながら満室でしたが
敷地の別な部屋が空いて
見に行っていい?
もちろんよ
と当時のままの部屋に行きました
シャワーもリビングも当時のままでした

ここは懐かしい場所
ハワイの王族の祈り場
白い貝殻という海岸

真珠湾攻撃隊の若者たちがこの空からハワイに入り
命をかけた時間を海は見て知っています
不思議ですね

今は平和です
無理に命を潰した若者たちのおかげで
わざと命をかけれる幸せを知りました

ハワイに行くとまづ真珠湾へお酒を持ち
54人のパイロットと潜水艦の若者の名前を読み上げ
にお祈りに行きます




魚が先生

海に入ると心身の流れが良くなる
滝行と同じなのは当然

ダイビングの機材を背負って
人工の圧縮酸素を吸っていたら
わかりません

波の見えない風に抗わず
所詮ちっぽけな人間様

うなぎのように
体をクネらせ
流れをうまくいなし
前から来た波には気合で鋭く潜り込む
魚から教わったことがたくさんある

この海の中の水素が目まぐるしく
動き、弾け、振動する世界が
自身の験力のような見えない力を
呼び起こすような気もします

うなぎの滝登りができますように

Fire King Cafe

代々木上原で今年で25周年を迎えた
Fire King Cafe

僕は初めての個展から21回目 21年 
9/1 〜28まで開催させていただきます

少しづつ新しい波の裏が写り始めてます

ファインダー見ないで押すだけの1枚
あまり撮る意識はなく

たまたま写った写真が
ドキュメンタリーでいいなと言う感覚になりました

この6年位、天候が変わり風や雨が読めない地球

それも人間様の浅はかな科学や歴史や、人智の及べない時間と、命を落とす可能性のあることが大切

といいながらも、やっぱり明け方の暗い海は全てが冷えました

また今年もよろしくお願いいたします。


Chacott

Chacott フォトシューティング
早いもので3年が過ぎ
波と同じく
一期一回
二度はない瞬間

この1枚がご家族の元
ご本人のもとで共に時を超えていき
やがて世界のバレリーナ
バレエの先生
バレエの写真家になっているのかもしれません
無限な光が待っている

僕も昔
ふらりと高野山に行き
案内所で昔ながらの宿坊は
ありませんか・
とお聞きご紹介していただいた

羽生川先生の無量光院
アミターバ
阿弥陀仏の光明
無限に広がる光は様々な意味を含み
阿弥陀様は横から見ると少し前に屈んでいる
時間や空間を超えこ皆をすぐに救いに行く!
と言う準備とやる気。

いつも朝のお勤めが終わると
奥の部屋でコーヒーを飲みましょう
と談笑する時間がなんだか暖かな
皆さんのお気持ち
お遍路で回って日焼けした外国人
皆1人で泊まりにきている方とも

旅も波も人も永遠な波動と光

一瞬で押すだけ

迷いなく舞うバレリーナや
古武道の刀とも同じ
心の正中線を自由自在に

今週はバレエの撮影でタイミングが合わず

昨日稲取へ行くが
雨で水が濁り、地球は一面の雲の覆われていた
龍宮神社に御神酒を携え出雲の龍神様と繋がせていただく
龍の道
写真は
先日の明け方、波がなくなり
海を急いで変えて、遅まきながら入る
太陽がずいぶん横から出ので

うつるのか?少し心配だった

とにかく海流が早く、波が崩れるたびに
海底の砂や泡が舞うので
難しい撮影に
どうせファインダーは見てないのだから
もはやむぐり抜けた波へかカメラを向けるだけ
写る時は写る

生涯で写る枚数が決まっているやら
宇宙が相手の成り行きな1枚
写る時は写る
写らない時は写らず
全ては運と宇宙の天気まかせ

写真と呼べるのか
動機と
撮りたいという欲
行こうと決めていく行動ありき

水は少し暖かくなりますが
どんどん朝日が早くなる

海の目の前にいても
カメラのセッティングやウェットや様々
準備運動や呼吸を合わせるのに一時間

どんなに寝ても朝3時に起き海で泳ぐのは
きっと体に悪い
頭が痛い
心臓がとくとくする
冷えるなんてもんじゃない
溺れている暇がない
丈夫でないと水中で動けません









明け方、水面の上は曇空
冷たい水中は波が激しく砂が舞う
空気の雲が水面へ向かう
水中の中の空気
H2Oだからすらも海も同じ

見えるもの
見えないものの中に見えるものがある
宇宙の真理

北島国造館 出雲教様

出雲大社の右が大社より上位になる

古来からの祭祀を受け継ぐ、80代目の北島家国造様のもとへ

日御碕神社の前の聖域で写った写真をご奉納させていただきました。

出雲教さんは、大国主、菅原道真、少な彦、大山祇神

素戔嗚、タケミナカタ、事代主 、稲荷神などを祀る

古来出雲の稲佐の浜での神事は北島家が執り行ってきたが
隣の巷では有名な出雲大社の千家家がうちにもやらせて欲しいと
言い始め交互になったという

僕は地元の方々が大切にされいる
出雲教さんへ約5年前から御神酒をたずさえて訪れていた

当時はただ御神酒をご奉献させていただきお参りをして帰るだけでした。

毎年訪れるようになる数年後、出雲の波はとれまいか?と感じ

島根中の海岸線を車で走り
波を探した

でもどこも波はなく
水も濁っていたり
ピンとくる場所はなかったが
最初に訪れた日御碕神社の前が何だか気になっていた

波を探しに来た年に御神酒を奉献のお返しに頂いた
御神酒とお赤飯日御碕の海の龍神さまへ

貝をたて、祝詞と般若心経を唱え注ぎいれた

その時に日御碕の経島(ふみ島)のダイビングっショップ(アクア工房)の
岡本さんもいた

髪を束ねたネイティブアメリカンのような雰囲気

聞けば不思議な形をした木も一本もない、海猫の集まる経島の下は空洞で、参道や玉砂利の海底もあり
昔の祈りばや神社の跡ではないかと言う

紹介され会ったばかりにかかわらず
すぐに、船出して泳げそうな場所さがしましょうか?

と言っていただいた。

何だかイギリスやアイルランドのケルトの海のような寒々しいながらも
霊気が漂う青黒い海は怖かった

しかしながら泳げそうな場所も、波がそもそもなく
一度は諦めて、舟から上がり
車で海岸線を松江の三保神社まで走らせた

結局、撮れる場所はなく諦めて
海岸の掃除をしに今まで行かなかった奥の海岸へ行くと
何だか気のいい場所があった
妙な行き止まりの祠も気になり
ゴミをひたすら拾った

しばらく見ているとお気に岩にぶつかる波があった
荒磯のような波で、波乗りの波でなはく
うねりがぶつかった波頭

その時
結局は波を移しているのではなく
太陽を自ら写しているのだから
海面が暴れていればいいんだ

と人皮むけた境地に笑った

よし!

岡本さんに泳いでいいか?聞くと
自己責任で良ければどうぞと

もちろん常々自己責任の旅

そんな夕暮れで写った1枚

やがて数年後ご縁で

この写真をご奉納させていただく不思議

出雲教様も

写真のご奉納は

初めての事、ありがたいこと

海の神素戔嗚、大国主さんの

もとに配置させて頂くことは

生涯にない話し。

禰宜の宮澤さんが

海伏として海原で…

と祝詞を創り

た読み捧げてくださっ

80代目になる

北島家国造様

宮澤さま

安田様皆さまありがとうございました。

(特別に拝殿のお写真を撮らせていただきました)

出雲には龍神さまである龍蛇が神様をお連れし

神有月には南の海からくるという(実際にセグロ海蛇がきて打ち上げられると神様として剥製にする)

経島は地震で30m沈下したと伝わり

素戔嗚さんな天照大神が夕陽神事をした場とつたわる

甲賀稲荷

千駄ヶ谷や原宿は江戸城を護る
伊賀、甲賀の忍や古士たちが移民して住む地域だった
ここ鳩森神社の境内に、移動し合祀された稲荷は
元々は甲賀の忍たちの心の支えであり
おそらくは神仏や修験、星々や龍神などと陰陽道も自然と
尊んだ彼らの意志と意識だったのだろう
伊賀と甲賀は当然同じ土地にあり
信長の侵略で結果的、表向きは方向性が変わり
甲賀は村や民を守ために
郡中惣という上部の古士により決められる仕組みで
早くに信長に降伏したが

伊賀は12人の上忍
長田庄 百田藤兵衛
朝屋庄 福喜多将監
木興庄 町井左馬充貞信
河合庄 田屋掃部介
音羽庄 音羽半六宗重
島ヶ原庄 富岡忠兵衛貞頼
伊那具庄 小泉左京尉
比土庄  中林助左衛門忠昭
布生庄  布生大膳善昭
柏原庄  柏原十郎吉政
阿波庄  植田豊前守光使
西ノ沢庄 家喜上総吉近

その上の忍 藤林長門守、服部半蔵正成、百地丹波守らのより
肉体は滅びても、先祖からの御霊と意志を大切に
あんな一方的なジェノサイドと侵略の織田に頭を下げるのは恥とし
死を恐れず、徹底抗戦が決まる

僕は上記の山城跡へいき
ご供養をしていますが
特に印象深いのは
百田さん
音羽さん
田屋さん
柏原さん
植田さんの山城と
掛田、壬生や種生、雨乞山で
必ず伊賀へ行くと供養へ行きます
中でも種生、壬生、霊山、長田山、柏原、田屋は特に憶いが残っています

甲賀も鮎川城や黒川久内さんの山城、望月出雲守さん、和田伊賀守さんの山城はまだ怖いですが
特に和田城跡はアクセスが簡単なせいか地元の人なのか
ゴミがすごくできるだけですが山ではお掃除をします。
矢川神社、油日神社など様々行きますが今では開発された地域のせいもあり
伊賀の方が山深く御霊がまだ戦っておられる感じがします
おそらく亡くなっているからでしょう

(数年後ファイヤーキングカフェの展示に来た方が、偶然油日神社の宮司さんは、僕の小学校の知り合いの知り合いのおじさんと判明し驚きました。)

忍の御霊を一人で山中であげるのがお役目とし
2012年から本格的に行き始めました
その時に初めてお会いしたのが延寿院の松本住職で
その日にお寺の掃除を買って出て
御位牌を持つとそれは藤堂高虎さんでした
2013年6/11

やがて京都の織部さん、曾我蕭白さんの菩提寺に
青波の襖が突如奉納され
お寺にたくさん高虎さんのゆかりの物が多く
住職に聞くと織部亡き後(徳川に子供もろとも切腹させられた)
亡き御霊を供養したのが奥さんの仙さんと高虎さん

よく調べると
織部さんの命日も6/11日
お寺に初めてきたのは11/11

そういえばある観える方に
忍びたちが伊賀から走らせたと
言ってます
と言われ
また忍者がなぜ?このお寺にと思っていました
まさか信長の後伊賀を平定し、まとめ役が高虎さん

伊賀上野城は忍者たちの時代にはなく
あの山は平楽寺という平家系の伝来の高野山のような塔頭の祈りの宗教的聖地

そこを信長軍が僧侶、女子供、郷士の侍や忍を1000人近く、包囲し鉄砲撃ち、火を放ち
ジェノサイドした場です
今もお不動様とともに古いお墓が、入り口の登り坂の左にありますのでお参りしてください。
何ら看板もなく
そんな忍者とは関係のない伊賀上野城で
安易な忍者ショーを開催する伊賀観光局はどうしたものか
全く歴史観や精神感、彼らの配慮がありません。

伊賀上野城は忍者とは無縁です
勇敢に戦った古士、郷土の民への配慮のなさ。

本当に思いやりもない目先の観光業の金儲けに呆れます


過去生が忍者の時代もいくつもあると
薄々わかってましたが
行けばなるほど様々な場所に呼ばれ人に会い
イギリスで免許を取ったミディアムの方や
観える方に同じく言われました
(占いではなく確認です)
京都知恩院の奥には甲賀古士をまとめた、修験僧で忍び頭の山岡景友さんのお墓に
必ず行きます。兄弟は甲賀のお寺に眠り、毛牧には山城お跡がありますが
ずいぶん破壊されてます

おそらく家康には伊賀は服部
甲賀は山岡さんがパイプ役となり江戸へ連れてこられたのでしょう
青山には最初は伊賀200人、10年後に100人の甲賀の方々が数百人、住んだのが表参道交差点近くで
そのまま246をまっすぐで江戸城ですから
通っていたのでしょう
伊賀超えのお礼もあり家康は恩義を感じていたと伝わります

10年くらい前から、御神酒を携えお参りをしていると
社務所の方に声をかけていただき
5年ほど前から甲賀稲荷の崇敬会に入れていただきました
平野宮司は山口県の出身
僕の先祖は広島の神社と甲賀や水口
実際にひいひいひい爺さんは水口久兵衛といいます

何か縁があるのでしょうね。
また誕生が大祭の日も不思議です
今から56年前の4/15に今の社を崇敬者と神社で作ったそうです

元参議院議員 丸川珠代さんや渋谷区長や議員さんが毎年来ては
このような場で恐縮ですと言いながら
上手な歯に衣の演説をしています

政教分離
神仏習合
必死則生
国家安泰
自然崇拝

稲荷は農耕の神のご眷属でありひげのおじいさん
とも言いますが、霊能の世界では龍神です



Fire King Cafe Exhibition 9/1-9/21

今年の代々木上原ファイヤーキングカフェさんの展示は
9/1 -9/28に決まりました。
21年 21回目の個展。
様々はご縁をいただきました
今月は出雲教さんに写真のご奉納へ

宇宙を海は巡る


散々海外の波を旅をしたが
もういいやと思い

日本で生まれたには
この日本の海を撮りたいと思ったのは2015年
以来、寒い場合が多いが
祝詞を捧げ御神酒を注ぎ海へ
適時、流れに乗って海へ

写る時は写る
写らない時は写らない
どうせファインダー見ないから
一緒


何が大事か

頭は置いて
感じたら行くと何かが起こる

一人旅

そこです

夜明け

いつもよりスローシャッター
波の回転が早い部分が流れている
このロールをくぐり抜け、どの角度とタイミングで押すかにより
全く違う絵になる
考えたらできない
無意識に感じた動き
体術の動きは古武道と同じ

夜明けの海で

道先

水は微細なビー玉のような分子が集まった場所
空中なら落ちたら怪我をするが、落ちることもなく、支えてくれる
波に巻かれれば巻き込まれ
写真も右から左上に水が水を引っ張っている

水の分子が水素結合をしてエネルギーの(風)の方向に向かっている

この少し前に
見えない風を読んで
水野ビー玉の隙間に指先から潜りみ
回転して押す

ビー玉の集合した中へ、瞬時にかき分けるように入る訳だ

水と水も共鳴している
人間もそれなりの心もちでいけば
感応する
人間の周りのエーテル帯
を溶け合わせる
水中だと離れはしないが陸上とは素材感が
違うかもしれない


変なことを言ってますが
霊的な環境に入る

妙なズレというか
次元のレイヤーに入り込む

目には見えないのでうまく言えないが

やはり所詮、写真機は道具に過ぎない
刀も同じように

人間の思惑や恣意を捨てた境地と状況で自然に動く

道具が中立に介在して
観せている

念写とは違うな・・・

直感 その先を行く感じだ

何も考えないで少し先を押す

自然に手首と指が動いてレンズを向けて押している
と写り込む

ファインダーは一切見ない
伸ばしたり、カットしたりという、トリミングもしていない
ありのままのサイズ

あるとき
青島神社の塩土老翁が巻物を渡したいと
言われていて
いただきに伺った
もちろん、現実的な巻き物ではないが

人払いをされ

お宮の前で、拝み、祝詞を捧げると
妙にあたたくなり
涙が溢れた

その足でまた、ある方の元へ確認に行くと

やはり渡したと言われている

その紙には感覚を信じ、さらにそのまま行けと記してあった




夜明けの海

曇に覆われた地球
地球の海の中から宇宙を見る

人為のおよばえない世界を知る

なんでも科学で知るなんて馬鹿げている

オゾン層の破壊は車のCO2ではないように

嘘の電波の欺瞞を海で洗う

ここにくれば全てを知る

日本


夜明け
昨日の夕方、御神酒を注いだ海は
波が消えていた

諦めて海から戻り、海岸で拝む、前にみかんをくれたおばあちゃんと
お話をした。

太陽は登り始めたが、地球は雲に覆われ太陽は見えず

車を走らせ、太陽が気になる

線香花火のような太陽が水平線より高い位置に出ていた

もどるか?いくか?

決めたから行こう

波は大きめだが
風が合わず白波の海の濁りで
とれないかもしれないが海へ

思った以上に水が冷たい

フードをかぶるが
手袋は左手だけ戻る時間は惜しいので
このまま海の中と水面を、山をみたて
流れたら戻るの繰り返し

広い海の不思議で川のように横に流れている

いつもよりシャッターを遅めに設定し
あとは成り行きで見ないで押す

いかに波が早いか

波という固有物ではなく
水素の風が波
水がくっついては離れる姿

一時間くらい海にいると
手が痺れ、回転を繰り返し
少し目が回った

二度とない時間

海の中は轟音と静寂

浄化と回転

間合いを読む感覚の修練と

目に見えぬ崇高な太古からの周波数と合わせていくこと

たかが水の中だが
水は記憶をもち全てを観ている

曽祖父も祖父も山の人だった
大正、昭和とザイルはロープでテントはキャンバス
パタゴニアのようないいウェアがあったわけでもないが
当時の写真を見ると、沢登りや槍ヶ岳や様々、親子や兄弟親戚で旅をし
大東亜戦争中はドンコー会という名前で
戦地にいる家族や兄弟の仲間の名前を書いたのぼりで登っていた

古田織部が家康に切腹させられと分かった5男は織部重成ののぼりを背に
大阪城で豊臣川につき戦い、討死された

のぼりにはそんな家族の思いがある
日章旗の寄せ書き、と同じ
誰もが無事を祈っている

幼い頃からスキーに連れて行ってくれた
チエーンを巻いたベレッタでスキーの帰り道、群馬の車屋で通りがかりに買った
プリンスワゴンのやねに、みかん箱をいくつものせ
チェーンのチャンしゃん、チリチリと雪道を皆、ゆっくり走っていた
運転もみなマニュアルでうまかった

逆走なんか考えられない今の運転技術の低下
オートマの車が危ないから
作らない方がいいと思う

向かったのは野沢温泉
板は器用な祖父が作った木のいた
作っているところを横で見ていた
ストックは竹とかろうじてスチールパイプ
靴は牛がわだった

足が狭くてキツかったし
濡れた

そんな無料の村の湯気が立ち込め
雪の多い饅頭屋の蒸気の漂う急斜面に家々が立つ
野沢で二回足を折った

林間コースを一人で入り
コースに出たら穴があり
ビンディングもいい加減で外れず
てこの原理で折れた

もう一回も足だった

その後さらに、表万座で白樺にツッコミ大腿骨を折ったのはひどかった
ぶつかる手前にしぬかな?と思い頭を抱えた
飛ばされている時は以上に長く感じ
早く止まらないかな?
生きてるかな
走馬灯のように人生を見たら死んだんだったかな?
など以上に冷静だった

原因は春の重い雪に足をとられ
つつ、技術不足

大迷惑をかけ本当に申し訳なかった

その後、猪苗代でスキーを中学生や高校生に教えるアルバイトを数年続け
基礎から学び
数十年後、日赤の雪上安全法を所得した
(スキーパトロールは2種類あり
スキー連盟の企画する技能検定一級保持と
日赤の2級程度の腕前とやる気の二つ)
泊まり込みで数日、朝から練習とテスト、夜は座学とロープワーク
眠くて仕方ないが、掛け流し温泉が楽しみで
初めて出会う、日赤の人や、やる気ある人たちとの交流は、今も続く

何よりも講習の山は、なんと足を折った山の隣の万座だった

写真は飯士山修験道の山だが
岩原スキー場
舞子スキー場と
一つの山は挟み撃ちで破壊されて

きつねやウサギを追い出し
ゴルフ場と同様、不自然な造成され除草剤を巻かれた末の姿が
スキー場であることを知ること

申し訳ないですね
山を人間が破棄して
そのおかげで楽しめてますが

若者たちが怪我なく楽しめ
いつかこのおかしな、現状と破壊の上にあることをしり
宇宙と山河を慈しんで欲しい
知らしめてください。


ことわけをし
祝詞やハワイのエホマイを捧げ
お酒を注いだ

苗場ではないが
たまたま手にしたお酒の名前

現実を観ること
いいも悪いもそれが
どうなっているのかを
胸をそらさずに読むこと

雪は海の水で地球の水の循環
全て違う雪の結晶の謎めいた世界

山は元々海の底
海にも渓谷がるように
水間か空間の違いだけ

魚が鳥に変わり
珊瑚や海藻が木になっただけ


山は過去のやり残しをしているそうです

研究

太陽は毎日来るが
動いているのは地球

地球が1秒間に約400m東回りに自転しつつ
さらに固定された光源の太陽の周りをきれいに1秒で30km動く
さらに何千もの星が、太陽を中心に回転運動をする謎

波を押すのは1秒の500分の1=0.02秒
地球の自転は400mの0.02秒 だとすると20m地球は回転した時

そこに波が来る
速さは常に違うが0.02 から0.04秒で撮らないと止まらないから早い

しかも波の穂先は早いが
根元は遅いとか
無限な時間軸がこの1枚には介在している

波は近寄ってきて崩れるが
水そのもの、水面そのものは、あまりその位置を変えていない
沖の水が波となり僕に来たようで、実際にお気に見えた波の山の水は僕にはきていない

水素はなぜか電気を持ち、離れてはくっつく
多分音波や、祈りの声や、波の音や鯨やシャこの音など
古来からの音や感性の記憶を持った生き物の分子の塊かなと僕はおもう
水中の風が波動で、月などの引力も影響し
泳いでいる僕の波動や気持ち、電磁帯、アストラルタイやエーテルタイも周囲の水は感じたり
電気的な影響も及ぼし、また及ぼされ
この波という水中の風は形を変えながら、光と影を透過したり吸収したり反射したりする

この水中の波は三百六十度 
密度があり、隙間もあり塩分の分子もプリズムのようにいたずらをする
超立体的である箱の中に
僕がいて何かを瞬時に海は造っている

波動は水素の結合しては離れる姿、微細な透明なビー玉の波が
押し合いへし合い、混ざり合い、離反する謎の生き物な水分子

東から来た太陽光線と波が合わさる瞬間

地球の時点は右だから
東から来た太陽と波を
ここでは指からの連動の動きで鋭く潜り、回転する向きを決め
瞬時に波に間をためたりしつつ
回転し、逆さ見なったり様々、波に合わせ
ほぼ右手人差し指か、波が強い時は人差し指はカメラのハンドルをにぎり
中指で押している
時点の速度に合わせて回転するが、波は自転とは逆の左巻き
俺は少し先にいるのか?

空気も海も30kmで公転し
波は地球の回転に覆いかぶさるように逆転してくる

この海の神社の鳥居奥宮は南を向いている
本殿は西南

人間にも電気と磁石があり、水に浮かした針先が北に向くように
頭が北に向くようになっているのか?

北枕はいいんんじゃないか?
磁力に自然


鳥居は様々な向き
決して南むきや東だけでは無い
人間様が意図的にその場の様々な予算や都合で作ったのだから
神様の意思とはまた違う


ちなみにこの神社の神様は
いこな姫
若宮の命
つるぎの命
三島大明神
おいなりさん
見目の命
の他にも
大山祇から松尾大社、イザナギとすごい数の神様の集う場所

ここにも祀られている
イチキシマ姫さん=弁財天=七面大明神=龍神
のお宮は南むき
本家 広島の平家制作の宮島の厳島神社の鳥居は北

家では仏壇は南
神棚は東に向けろと言われている

泳いでいる時は南向きの奥宮は
左に見えるから北だ

体の水面での向きは最初は東
撮る時の水中では回転すると北か西か南か東だが
東の太陽が3体2のフィルムサイズのどこかに入るように
手首を傾ける
この写真は東向き

よくわかりませんが
宇宙の仕業に寄り添い、即すしかないのが地球人

人体の物理的な電気とか
僕の個性
なんていうか今までの修行や神社の神様の影響や
先祖の何かとか、侍や忍者の何かも関係しつつ
世界の色々な海の体験や音波や音叉や細胞に入る水分子の記憶

感情のキルリアン写真的なオーラ
エーテル体や様々
と海の水がぶつかった瞬間

DNAも回転する記憶装置

全ては回転するトーラスとフリーエネルギー

戦後日本の魂の強さや、霊性を解体しようとした GHQ

仙術、道教、南極星、北斗七星、陰陽道、古武道、禅、神道
マントラ、印は補助的は方法で、海の真理をより深く思い出し
誘導するためのツール

古来の人々の懷を大切にすると豊かになる
日本人の精魂のけだかしさ

とどのつまり
一人で風や海や山や全てへ伝える
心のまっさらな真っ直ぐな思いでいい
墓なんかいらない
戒名も坊様に架空請求される法要もいらない
自分でやればいい

全ての要素と呼応し
調律し合うのがこの宇宙との約束
宇宙や海の流れを邪魔をしないで
遠慮すること

ジャンクな大量生産の物や食べ物に汚染され

狭い籠で競争させらる学校養殖

利己的なお願いだけを神社に
都合よく置いていき

自衛隊など御神体の富士山に大砲を撃ち
駿河湾で潜水艦探知のソノブイなどを海に落とし投棄する

江戸時代の富士講の人々は怒ってます

やはり噴火しますかね

海にゴミや
ぶくぶくの洗剤を川へ流す現状

故郷納税や税金でエコな洗剤や
いい濾過フィルター家庭につけておくれ

おいおい

もはや宇宙の黄金律を破壊し尽くす
手に負えない地球人

お灸をすえておくれ宇宙の隣人たち



研究中・・・






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