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只今、サーバー移行に伴い調整中です
しばらくおまちください。
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後北条と上杉の高輪の戦いやら
既に江戸時代にはあったらしい
氷川神社は元は出雲の斐伊川の流れ
1908年明治41年に八幡、諏訪神社、第六天神社を合祀
忍田稲荷も元は京都の伏見より、高輪の袖ヶ崎神社からこちらへ
素戔嗚
ホンダワケノ命=応神
タケミナカタ 龍神で出雲大国主の息子
オモダル命
かしこね命は2神で一つ
自然界の陰陽を司る
の八幡系
江戸時代にはこんこんと湧く湧水で滝を作り
江戸庶民の憩いの場滝の飛曝だったが
近隣マンション開発など水脈が切られ
チョロチョロに
となりの安楽寺は昔は別当寺で同じだった
今は天台系だが数年前
地元の不動産屋で政治家 Hkと池田住職が、滋賀で盗まれた仏像を安楽寺所有にして
結果、数億で売り抜き、勝手に延暦寺の土地を売り払い、懐に入れた
天台の整理係と回収係が現れ、住職は追い出され
この件に絡んだ後輩の大崎の住職は亡くなり
骨董屋さんが、デパートで購入してた骨董品の見積もりもいろいろしていたが
デパートは5倍10倍な為本物にしても希望には届かなかったようだ
(文春にも出てます)
そんな人間界のモヤモヤに常に変質した
祈願所になってしまった全国の神社だが
村の神社はひっそりとたたずみ
村を鎮護してくださり
今年も祭り親父が
夜の社に現れた





以前ヘリコプターで御神体那智の滝を
おそれながら撮影させていただいた
以前今もサポートを受けているパタゴニアの1%プラネットという
売り上げの1%をパタゴニアが推薦する環境保護運動などの企業を
自分で選び寄付する活動で
山口県上関の原発の反対運動をされている、みどりさんの団体へ寄付をさせていただきました。
実際に上関や特に祝島にもいき(祝島は約98%の人が反対)
道の駅を3億で作るなど様々な工作をしてきた電力会社と地元政治家
こうして日本中が破壊されている
長崎の宇久島、阿蘇も同じく
業者と地元の議員が札束で村人を買収し
村ならではの(言いづらい)など家族や共同体の破壊、高齢化になりおかなが入るならと
賛成に回る現状
漁船も調査という方便で船を出させ金銭を払い
徐々に浸透させていく手法
上関など反対派の神社の宮司さんも、賛成派に入れ替える神社庁
漁労長や村の長にお金を配る
電力会社の人間の賛成派の議員へのインチキな架空投票がバレたりと
目先の金に溺れた村とは関係のない人々により、日本は今山や海が村人の心が破壊されている
ソーラーなど壊れて鉛や様々な有害な成分が出ようが
業者は100万円の負担金で倒産でき。その撤去費用は払わなくてもいいという決まりなど
抜け道だらけの信じられないようなルールも追い風に
日本中が風力、太陽光、原発で破壊されている
この文覚も修行し過去2000年に渡り修行され、尊ばれたた御神体の瀧にハーケンを打ち込み、登った佐藤なるクライマーがいた事実も
忘れてはいけない
長周新聞さんのウェブにも詳しくでています。
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/30659


印画紙へのプリント確認
今年も代々木上原駅前 ファイヤーキングカフェさんでの個展が
9/1より28まで開催させていただきます。
出来上がり
白い紙を外され
強い色に
だいじょうぶ?
と現像場で聞く?
いじってないですよね?
はい
色の情報がsすごいだけで
何も色を載せたりしてません
それならいいんだけど
写す際も見てないので
本当の色は分からず
最も人間の目は適当に補正するので
宇宙や海の色は誰にも分からない事実
それでいんです
宇宙や海を手に入れることなど
できないのだから
この15年くらい安価で安易なインクジェット塗装で
写真展で展示する写真家がいます
正直インクジェットは吹き付け塗装です
エアブラシで書いた絵です
写真ではありません
写真は現像し(ここはデジタルでもいいのですが)
最後は数ミリのゼラチン層の印画紙を使い
中から色をじわりと浮き出させる
これが写真です。
キャノンやにニコンなどのカメラメーカーも
インクジェットプリンターとインクを売りたいので
カメラメーカーの個展会場は、各メーカーのインクジェット塗装が
条件になっていたり
カメラメーカーが写真の道をずらして
何をしてるんだ!が本音
インクジェット塗装(プリントと呼びますがプリントではないです)
の写真展、また色を載せたりソフトでいじった写真は
グラフィック展というべきです。
撮れてないのだから、イサギ悪い写真家が、後出しジャンケン写真を
飾っている写真展が本当に多い。
写真でいきましょう。



稲取ホテル浜の湯さんの隣
小高い岬の中にひっそりと
1部の地元の方々に大切にされている 龍宮神社
その昔は違う場所にあったが
地元の富岡さんをはじめ有志の方が
この岬に安置されたと、90歳の漁師の富岡のお孫さん
にお聞きした
賽銭泥棒も来るとは
罰当たり
1人はどこの誰かもわかっていて
その人はその後亡くなった
人間が身勝手なことばかりするが
数十億年生きている海の水は、昔のまま澄んでいた
波はなかった
もう少し波の向きが斜めでないと
ブレイクが岸に近すぎて、岩に激突する
最もたまに泳ぎますが
ここは危ない場所です
流れもあり
戻る時も、波に叩きつけられるため
タイミングを見て一気に帰らないと
波にのまれなくても、その力で岩にヒットする
戻るさいは、凸凹の海底を歩きながら
岩の上の貝などで足を切るなど
い岩場の撮影は怖いです
一番怖かったのは
クック諸島の岩場
降りたら高さが水面と1mあり
絶対に這い上がれないから
遠くの浅い岩場に回り込んで泳いで帰る
流れもあり
波をうまく潜らないと
そのまま水中の岩に波の力で叩きつけられてしまう
1回しか泳ぎませんでした
ここでも一度だけ写しましたが
あとは2回カメラが水没
なかなか泳げるタイミングが来ないのが
幻の海の龍の宮
人を安易に寄せ付けない美しい昔のままの海が尊い

夏は1番の海の撮影のきせつですか?
とよく言われますが
夏はいきません
水も濁り、とにかく海が混んでいる
寒いプランクトンのいない、雨の降らない日を選び
いきますが
太陽が雲で隠れたり
波がなかったり
なかなか撮るのが難しい
撮ると例えるより
写るといった方が正しいかもしれません
ファインダーも見ないで
水中へ潜り泳ぎ
回転してなんとなく太陽に手を向けて押す
見たら多分写真はきな臭くなります
写ったまま
何もしない
人が宇宙や海を征服しない
ありのままの天気とその時を分けていただく
押すだけ
楽しんで
死なない工夫を総動員し
波に巻かれても負けない心
最低限の泳力
早く泳ぐ泳力ではなく
水を味方につけ
水に合わせて水中を漂う感覚です
腰を入れて
古武道と同じです

Fire King Cafe 個展に向け
今年で21年目の個展9/1 ~9/28
早い物です
1999年に青山スパイラルで合同展に参加でき
その時、1階にあったカフェの店員さんの紹介
2005年に再会し
写真を見せたら
人に見せた方がいいですよ! 〜
いや
あと5年は撮り貯めて、寝かせておくかな 〜
え〜
見せましょうよ
これすごいですよ
僕の家の近くにいいレストランカフェがありますから
夜行って話してきますから
明日電話してみてください
どこ?
代々木上原のファイヤーキングカフェさんです
知らないな 〜
翌日オーナー阿部さんにご連絡すると
鶴の一声
ぜひうちで展示してください。
そして21年
皆様の暖かなお気持ちに漂って
ありがとうごうざいます。

ノーファインダー色加工なし
ふざけた後出しジャンケンの写真やが増えるだけ
写真や自然界の美しさや物語は衰退する
現像液は銀や様々ケミカルな
例えばコダックの軍需産業で環境に猛烈に悪いが、現像して色を出す方が
新たなおかしなインクジェットやインクを作るより
ましだろう
猛毒リチウムや水銀の電気自動車がエコでないように
人が作る物で
「エコ」なんてこの地球にはない
現代の地球人が生きているだけで、今や
何を言おうと、破壊と荒廃に向かう現実
その隙間で
新たに物を売りつけるための美辞麗句を並べるのが
企業の広告と環境に優しい
笑
ぱんだを借りて、金払って見て
水族館や動物園で生け捕りにされ、誘拐されたオリの中の動物を見ているつもりでも
オリにいるのは人間様が本音
いかした植木鉢の「植木」の違和感も同じく
麻痺している己の真理
海は嘘をつけない
写真は嘘をつけない
人間が嘘を塗り重ねているのは
まるで日本仏教と同じ
己の準備と危機感
まづはじっと観察し
海や川へ入る場所、戻る場所をシュミレーションして入る
流されたらどこへどういくか?
これはライフジャケットの問題ではない
ライフジェケットは波ではかえって危険
水の事故を無くしたい
学校でもっと、水辺の体験や勉強をさせるべきだ
僕は何千回?も波を足ひれと水中眼鏡だけで
切り抜けてきた
一度も死んでない
2002年頃、三度、危機的波に何度も潰され肺の酸素がなくなり、溺死しかけた
そこですくうのは自分しかない
ともしる
剣道の試し合いは裏がある
果し合いにはルールも裏話もない
畳の上の水連
早くプールで泳ぐ無意味さ
水を感じ
水を味方にし
川や海の見えない力にイフを持ち
おまじないをする
が
結局は自分の折れない心
最低限の泳力と体力
古来の人が宇宙と海の約束を忘れていなかった時間をみる
かむながらの道は
魂を大きくするためだ
江戸時代の霊術や古神道の
平田篤胤さん

太陽を待つ
遥か彼方からきた赤い光
空は青いから青くなる
雲は白いから白い
海が澄んでいれば、青空が見え海が青くなる
海はひとを寄せ付けず、寄せ付ける
意味はなく
中立
命を取る気もなければ
ただそこにあるだけ
物理的には
地球自体が毎秒400mで動く自転や公転
風や月や雨の影響で
水は反応するだけ
水素の結合して離反する姿を波と呼ぶが
沖の水は海岸に1滴も来ていないように
波なんて物は存在しない
今きた!と思った太陽の光は
8分17秒前の光
もう無い物を(光)我々は見ている
波は未来から来る波動
夜空の星は
10万年前の星の爆発
海は生きている
明らかにビー玉のような水素で満たされた海
は押し合い、へしあい
動くだけ
学者が言うほど海の水は動かず
その土地で海の渓谷で記憶を持つ
海に薬品や原発の冷却水や肥料や除草剤、スキー場の塩化カルシウム、換気扇や洗濯の界面活性剤や洗剤を流すべきではない
海中はペットボトルや、漁具や、あらゆる人間様の物理的使い捨て製品のの方が
魚よりはるかに多い
sdgs? 綺麗事は茶番
黙って一人海岸へいけ
全てが教え
全てを還すのが海

海が変わっている
150年前の浮世絵師たちが見た透明で空も青かった時間は
人間の破壊と汚染と埋め立てで絶滅
もう戻ることはない
埋め立て地を破壊し、元に戻すなどやらない訳で
地球は宇宙全体の星でも、劣悪に汚染と荒廃が進んでいることだろう
愚かな口先で嘯く政治家
すぐに壊れる電池や車や、「しろもの」を作る企業や
川や海や土壌をダメにする農薬メーカー
世界は戦争をなくせない訳です
海の中もこの数年、雲や風が多く海中は暗い日や、濁った日が多かった気がする
とにかく天気がコロコロ変化し撮れず
所詮丸いボールの地球のゴミと汚染は
結局、その原因を一生懸命作った人間様にかえるだけ
天罰、天災も同じことか
目先の私利私欲で後を濁す大人たち
波も二度と同じ姿はない
月の引力、地球の自転や公転
太陽や風
雲や川に流れる森の倍音や周波数
人間の届かない、あまたの叡智と感情をも
一見波というあたかも固有の一つの物
に見せる波は
小さな水分子の結合と離反の高速で微細な
パラパラ漫画のような世界
細かいビーズのような玉で埋め尽くされ
揺れ動く場を海という
そんな宇宙や国土の感性や音や時間を聞いてきた
海の水分子は生きて、人間様をみている


2002年にフィジー の離島であった、ハワイからきたボディーボーダー
その後フィジーやハワイやサモアで再会し
彼の家に泊めてもらうなど縁は豊かに成長し
今回は家族と日本にきた
しばらくは日本は天気が悪く撮影はお預け
中高生の水の事故も毎日多く
心が痛い
慌てず
手先と腕を広げ大きくかいて浮く
体の浮力を生かし
とにかく慌てず、怖がらない
水と溶け合い、水の浮力と体全体を使い水を味わい
体力を温存する泳法を教えて欲しい
僕はいつも独り
片手にカメラ
片手、両足で沖まで泳いでいき
一時間からフィルムを変え長いときは五時間泳いで帰る
観光も何も興味もない上
そんなお金を払ってみて、遊ぶ人工物の世界とは
おさらばな、天然の海にいると
電気仕掛けのネズミの国など馬鹿馬鹿しい
夢は自然界と宇宙のはざまの自分の中にあることを忘れずに

曇りがちなこの世
雨の隙間に撮影に行こうかとも
思ったが、改めて
あるときに
もう撮れるように
なっているわけだから
いいか
と思うように
どうせファインダーは見てないので
写る時は向こうから写る
これが海の宇宙との普遍的な
約束のない約束
人はこの右回りに高速回転する地球そのもが生きていて
人はそこに寄生しているに過ぎないのだと
忘れがちだ
海の中にも山があり
渓谷がある
それは隆起した山とつながる
低いところに川や海があるだけ
珊瑚は海の御神木
陸地ではバリのガジュマロに四角い江戸時代の浮世絵にも出てくる意匠
市松格子のガラ模様の布が巻かれ
線香や供物が絶えない
これは聖域
お葬式でもこの衣装を着た
耳に赤いハイビスカスを挟んだ
おじいさんたちががゆっくり槍を持ち舞う姿は感動的だった
海の中はもう一つの世界で国
海そのものが神域で聖域であることを
古来の人は知っていたから
心を傾けてきた
貝を吹く(たてる)のはバラモン教もマオリも、ハワイアン も同じ
日本の山伏も
羽黒山伏の衣装も市松模様
海の命を山で震わせることで
命の循環を表していると聞いた
人間様は余計なことばかりしている
写真も同じく
撮れてなくても後から色をいじり
好きな部分だけカットして使うトリミング
が横行
これは写真ではない
安易に物や好みの欲が手元に目先に
手に入る間違え
に気づかないといけない
なんでも一つの道は時間もかかる
デジタルカメラも
もう新しいものは作らないでほしい
十分だ
多様性というのは海中のこと
人間界で多様性と
間違った広告が横行している
多様性はお互いが、環境は破壊せず、利己的に占有せず、宣伝せず
適材適所で、絶妙なバランスで循環し
また相互に一つの有機的なシステムとして
あるジェームスらブロック博士のいうガイア=有機体
ごく自然にお互いが海風のようにあること
おもちゃの金券 金がなくても
彼らは40億年自給自足
近所に十五年くらい路上生活を
している方がいる
コロナの時も
マスクだらけの人々の雑踏のなか
公園で拾ったタボコ を燻らせ
新聞を読みながら
ニコニコ手を振る姿
は
豊だな ーと思った
話し始めたの十年後のある日
おしの方かと思ったら
そうではなかった
何かを差し上げると
いらないと
いや余ったからと
差し上げると拝んで笑顔で受け取り
そのうちにお返しももらうように
新聞や雑誌はいつも最新を持っている
誰に諂うわけでも
今の都会と自然に生きている
彼こそが本当の気高い御仁
時は向こうから来る
あとは群れずに黙って
行動するのみ
しのごの行ったって
波がきたら前へいくしかない
退いたら大波に巻かれ
気持ちも負ける
ドアや様々な機械で空調し
いかした植木鉢でへうあで飼育する木々は弱る
本来のように雨や風に当たらないと
自然の強さを避けて生きると忘れがちな
都会の蟻塚の隙間で生きる我々
宇宙と自然界に身を置いて
古武道やうみでおよぎ
ちょっと命の儚さと危なさを感じること
テレビは捨てて
目には見えない、神経や感覚が何もしないで
も思い出す
ナビなんかない古い車に乗り
エンジンやミッションや匂いや車の挙動を
感じるのもいい
何はともあれバランス
都会の山居を忘れずに
部屋に迷い込んだ虫を殺さず逃がしてあげる
元々は狐や虫やサメの住んでいた世界に
人間が占拠したのだから
とにかく靴を脱いで
山や海へ行く
古来の日本人の持っていた霊性の高さや
直感が刀のようになり
海中の風が気になるようになる
夢も鮮明観るようになる
自ずと調律していく
薬は自分

日本の海を観ることは
日本の古い記憶や
伝承や神話に自ずと呼ばれていく
世界に2600年天皇制で続く国
またそこで同時発生した
手作りの刀や建築物や漆塗りの器や木彫や庭など
恐るべき叡智の集合した島国と民族
平田篤胤さんが研究や体験や神職の方から口伝を
自然にこれはと感じた
感覚を大切に絶妙に並べらてた祝詞が
神道大祓(中村風祥堂さん)の一番初めに出る
みそぎのおおはらい
海や山や川や滝でぶつぶつ唱えている
高天原にかむづまります
かむろぎかむろみのみことをもちて
すめみおやかむ いざなぎのおおかみ
つくしのひむかのたちばなの おとののあわぎのはらに
みそぎはらへたまいし
ときにあれませるはらひとのおおかみたち
もろもろのつみけがれを
はらひたまへ
きよめたまえ
と申すことのよしを
天津神
国津神
やをろづの神たち
とともにきこしめせと
かしこみ
かしこみまをす
九州の高千穂に神様がくる扉の場所があるわけです
やをろずの神たち前に自分のその時々の思いで神様を入れ
るなど
たいじなのは
無心と胸のまま
お願いをするのではなく
ただ一体に水と溶け合う感覚でしょうか




夢に最初はヒレがいくつか水面にあった
あれはイルカだと
最初はなぜか近所の子供と車に乗っていて
バリ島の海かトルコの感じがしたが、斜めな海岸を車が
倒れたらまーいいやと冷静に車の挙動を感じつつUターンした
やがていくつかのヒレはイルカになり
次のシーンで
幾人かの綺麗な若い人魚の女性になる
あしはひれか?と見ると人間の足に見えたが
ヒレと同じで見えているのが足だけだとわかり、気にならなくなる
その女性が話かけてきた
と思ったが
深い確実なテレパシーだとわかる
喋っているのではない
フランス人?そこはタヒチだと分かった
あなたと結婚したい
と真剣な目で伝わる
えーそんなことあるんだな
不思議だな
と思いつつ
冷静に
タヒチのポリネシアの海の神様が
姿を象徴的なわかりやすい形で見せているのだと分かった
確かにタヒチは以前に色々な島に行ったが
その時は波の裏側は撮ってなく
いつか行きたいと思っていた
でも夕方になると
タヒチの地に海底にある気も大切で
祓い潔めるお役目もあるのだが
実は日本の海
まだ入っていない
海にき行き祝詞を捧げ
潔める、または写真を写すこと
なのだと感じた
場所は九州かな?
あまりに鮮明で
生々しい夢を超えた夢
日本に日本人に深い見えない霊妙な風がある
と改めて感じた


