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月山富田城






巨大な難攻不落の山城
色々お参りに山城へ行ったが
ここはすごい
険峻な山につづらな道や
虎穴を作り周りは崖
でも敵の忍など夜も篝火をたき
見張りをそこかしこに配置したやら
いずれにしても
この頂上には大国主を祀る神社がある
尼子さんが代々祈り、国の安泰や様々この
磐座のいただきで月を見ながら拝んでいたのだろう
出雲から車で一時間半位
ぜひお参りください
海の神様とも、忍とも縁深き天空の聖域も
遥か昔は海の底だった
波の撮影と深い因がある
気になったので先のおいなりさんへ戻り
堀尾さんの供養等の古いお酒とお稲荷さんの古いお酒8本
を回収しお寺の住職へ、お掃除をさせていただきましたが
捨てていただけますかと家にお尋ねした
なんだか人ごとのような感じで
こちらで捨てますのでおいてください
となんだか、笑顔ひとつない無愛想な住職
真言宗の古刹
巖倉寺
杭迫先生
山中鹿之介


この巨大な供養等が出雲大社やこの辺りを支配し
大国主を拝んでおられた尼子一族が1566年に1年半耐え抜いたの兵糧攻めだが
内部家臣の寝返りを
進言した大塚の言葉を信じ、忠義の家臣宇山久兼を
を誅殺してしまったのは、急逝した尼子晴久の息子 義久
そのせいで内部がガタガタになり士気が下がり
毛利に開城したという
その後も山中鹿之介は様々な調略や戦術で盛り返すも
1578年に兵庫県の上月城で降伏、毛利へ連行される途中
差し違えようとしていると悟られたのか
危険人物とみなされ、岡山のあいの渡しの川で暗殺される
裏切りと出戻りなど
様々なことを繰り返してきた武士達
の違いの正義と、家臣を守るための保身や選択
今の学者の答えでは届かない、当時の風がこうして今も生きている
御霊は個性を保ち残るわけだが
月に向かい
七難八苦を与えたまえ
と祈ったとも伝わり
月岡芳年も浮世絵に残す。
堀尾吉晴さんが富田城にきて
今の
松江城を1607年に作るも
完成間近の4年後の亡くなる
元は信長の家臣だったそうだが
信長にジェノサイドにあった
1581年の天正伊賀の乱で落ち延びたりした
地侍や忍、鉄砲の雑賀衆(鈴木重家の弟)
40人を傭兵としてを抱えたらしい
鈴木重家の末裔は今の僕の古武道の師匠
重家は義経と藤原寝返りにより源に攻められ
東北の立館でともに亡くなる
その弟の際が雑賀孫一で、実鈴木ともさんと言い
戦国武将の末裔の会や
戦国グッズやイベントを行う
家紋は八咫烏
数年前ふと知らずに山門をくぐり
どんどん導かれるようについた山奥の静かな供養塚
物寂しい場所で
供養に来る方も少ないのだろうか
稲荷神
出雲教 北島国造館

例祭にご案内くださり
再訪
140人近い方で祭殿はいっぱい
今はイスだが一昔前は皆正座だろう
地元の物部など深く長い時間を共に綿々と祈ってこっられた神社の宮司さん達
や地元の名市の方々に混ぜていただく
北島国造さんの祝詞や巫女舞
大神様=大国主の命、素戔嗚、イチキシマひめさんを祀り数千年
天皇家よりも実な古い
元は出雲族は海洋民族
長髄彦
素戔嗚さんも深く
古来の神事を大切にしてきた忌部=物部
世界は未だ戦争です
大国主さんは和を持ってなしました
いろいろな考えがるでしょうが
和を大切に譲られたことでしょう
北島さんとのお話し
やがて直会へ
写真は今どこに飾ろうか考え中です
いいんです
こちらに
この場に置いてくださることが
海の神様の道となり
ありがたいですから
生涯に一度歩かないかです
日御碕神社前の海ですから
見えない裏でも
飾らなくてもいいんです
安田さんやいつも
ご丁寧な宮司さんがたとお話しを
う山口県の周防大島のみかん農家の元水軍の方と
広島大学の元哲学の先生
哲学は一つじゃないですね
そうです
こうだと言うのがない
今はみかんの山を歩いている
日々の暮らしが宗教で
哲学ですね
農協は言いなりにならないと
農協に出したものの評価を下げ
あからさま嫌がらせをすると昔聞いた
農薬数種類、甘くなる薬
オレンジになる薬
買わされるんよ
尾道の蜜柑農家さんに聞いた
奇跡の林檎の木村さん
ね
山口県では講演できんのよ
なぜ?
農協が強いから
もはやカルテルですね
昨日もその話
殺虫剤や除草剤が猛毒で
川や海にジャンジャン流れ
ている
モンサント社の圧力で
木村さんや小野さんとアメリカで出す無農薬やUFOに乗り
宇宙人から教わった本が
差し止めになったようですね
日本は雲を殺すとかありやらムカデやら
どうしようもない、猛毒のがすが作られ売られている
薬で殺すことはないでしょ
なんとかの命にもゴブの魂
人間も吸い込んでガンになりますし
人間様の海や山ではないのにね
大国主を祈っていた
尼子一族再興を願い
戦いの中に消えた山中鹿之介さんの供養塚のある
月山富田城へ
人は器


全国で修行を重ね
やがてごく自然に自分の気持ちに真っ直ぐに
好きな魚や寿司以外はやらないだけ
普通が今や普通でなくなる養殖は使わず
天然にこだわり
全国から数多のお客さんが来ると言う
出会いは先月
ふらりと良さそうなお店だなと
暖簾を潜ると
カウンターは常連さん1人
最初は全くお互いに話さず
黙々と握り、黙々と食べた
帰り際
松江には・・・・
作務衣で雪駄だったから
話しかけずらかったのか
出雲教さんへ写真をご奉納させていただきまして
しゃしんを?
そう
いや旨かった!
魚が下関の田舎で子供の頃食べた
のを憶い出しました
うまいだろ
天然のうなぎね俺からサービス
食べて
蒸さないんよ
養殖は脂が臭いから
蒸すけどな
漁師が持ってくる
そこの川にいる
また来て!
あ兄とまた飲みたいから来てよ
いつですか?
いつでも大丈夫だよ
笑
電話しますね
そして
再来
厳しい技術と一生懸命握ってきた秀さん
優しく、妙な回転の速い駄洒落だすごい
冷蔵庫から酒を出してきては隣で飲んで
カウンターに入っては次々と自然の魚が美しく出てくる
いろいろな活きた刺身
正直一升瓶の酒はうまくない
開けたてならともかく
時間がたつとすぐ味が落ちてしまう
店はその方が仕入れが安いが
うまいのは常に開けたての小瓶
あのな兄貴
兄貴
なに?
なんで俺が兄貴?
いいがや
夢にじゅロジン?がくる
何?
寿老人?
そうそれ!
あれやあの上にある!
おっ
寿老人はね仙人で南極星の化身
僕もこの1年月岡芳年の寿老人の掛け軸吊るしてます
腰に霊芝 魔法のキノコ持ってるでしょ
知らんがな
でもよ
毎日来るんよ
どこに?
夜
夢に
毎日?
ゆめに?
そう
10年くらい前からの
えっさ
えっさ!
って
杖2本持って歩く
笑
2本なんだ杖
そう
だから俺の守神
飾ってるんよね
優しさと暖かさの魚料理と空間に誘われ
常連さんが
毎夜、秀さんに会いに来るのもよくわかる
人は器
仙人のような魅力はそれでか
兄貴!いつ来るん!?
来月!
天然のうなぎや魚
松江へ


松江の宍道湖は、写真の飛行場や田んぼや電車だの人間様の都合優先で干拓されてきた
大昔は海であり巨大な入江だったようだが
湖畔が破壊されて、コンクリートになり(コンクリートはPHを下げたり言い訳がない)
当然魚も少なくったが
メディアでも取り上げられていたが今はダンマリな
日本で初めて輸入されたネオニコチノイド系の殺虫剤(エージェントオレンジ枯葉剤の軍需産業モンサント社が元だとも)水田などで使用されてから、あからさまに鰻や魚類、特に公魚などが激減
農協も国も認めたくない事実を隠蔽してきた
漁師も訴えていたが、田舎のため村八分や差別を嫌い
代も変わりウヤモヤな霧に包まれた
日本中の川や海はこうした除草剤や殺虫剤が溶かされ
人間様に結局は還る因果が現実
写真は松江の名店 寿司ヒデ
ヒデさん昔は湖は広くて
きれいだったんよ
随分と埋め立てて
魚も減ったわな
先月ふらりとお邪魔し
今度、にいやんと飲みたいからまたきてよ
で
2回目
ヒデさんと杯をかわす
どんどん島根の銘酒が運ばれる
例祭の前の前夜祭
自然に寄り添い
何億匹の魚を見てきた人には
モヤが立ち込める美しい原風景と
幾重もの川が海と行き来する
水の流れや魚達も一つの美しい景色だが
どうも人間様は表面ばかり
小手先の視野でしか観れていない
から平気で破壊を繰り返している
戦争と同じ
自然の魚が減り、養殖になることは
味覚のや自然界の汚染に湯ながることを意味している
幼い頃海には魚がたくさんいて
藻がたくさんあった
海の森が死ぬ
山の森も死ぬ
高度成長の破壊の上にあるにしろ
二度と戻れない悠久の時間
出雲は元は杵の社
江戸時代に作られた
都庁の長になった出雲大社の千家尊福らに作られた
神様へ商売繁盛や良縁成就をお願いすることも同じく
スタンプラリー化した御朱印など
安易なご利益をすぐに買うことは
人間の心の破壊になっている事実
神社は祈願所ではない
他力本願でもない
宇宙と海に胸を傾け
魚の故郷を大切にすれば
それは人に帰ってくる
地球も宇宙に漂う海だから
鹿児島 Chacott Photo Shooting
叡智

その道の人は様々な冒険と思いを忘れずに続けてきた人
人は器
そんな彼らの秘伝のお下がりをいただき、自分流に見つけていく
黙って初歩の基本を積んで
黙ってやるだけ
ただそこに、無我夢中に真没し、人の意見はさておき
続けて行けるかだ
すぐに簡単にはないのだから
16歳の時近所に骨継ぎの見た目も古武士のような
島津先生がいた
恐る恐るもしえていた柳生新陰流に入りたいと言うと
一度夜の公園などで稽古を見ておいでと
言われ行ったが
そこにいるある練習生にいい印象がなかった
しばらくすると
君はねキョーバシくんは俺の言う通りに
1年黙ってやってごらん
と言われた
足の親指で蹴るように
胸を張ってたったったっ!と歩きなさい
それで?それだけですか?
そうだ
毎日毎日気をつけて
親指のした母指きゅう日から入れけれ!
そして1年後
先生歩いてました
ようし
見せてごらん
言われたまま歩くだけだが
先生は
よし!
いいよ
はい
次はなんですか
わざでしょうか?
いや
君はこれでいい
これでいい
そうだ
僕がね
師匠が亡くなる前に聞いた口伝の秘伝を
教えてあげるから
1週間今からやること
自分で感じてね
俺を見て考えてまたきなさい
1週間後どうだ?
と質問され
色々体の動きを感じながら
教えていただいた
それでもういいよ
これができたら
全て大丈夫
終わり!
数年後道ばったり会う!
先生今どこに?
引っ越したんよね
どうなのうん?
波の中を泳いでますよ
先生いの術と
そうかー
こうだ!こうと!
いきなり道で
指先からクロールで回転!
こうね
またね!
と去っていく姿が最後
そして海でそのことを使っている
写真の師匠 今は亡き柏原誠
島津兼治(新陰流や火縄銃古武道の生き、雑誌秘伝の編集顧問)今年1月に逝去されていた
土居清
皆哲学者であり己の道をいく
マイペースな独特な間合いで生きていた
土居清は健在で77歳
皆様の努力と叡智に祈る
エーホマイ
師匠



古武道の師匠 土居清はお母さんがたの名前を受け継ぐ
元は物部
源義経の側近 鈴木重家の子孫
命をつなぐために当時は兄弟を離れさせその血を守ったが
重さんにはお子さんがいらしたようです
またお用途は鈴木孫一(雑賀孫一)
で今は鈴木ともさんと言う方で、数年前師匠が武将の会でばったり逢い
様々繋がり
結局は師匠が僕のお兄さんで鈴木家の大元の本家ですよ
聞いたと言う
また2年前
キョーばし!
はい
あのな
夢になたちだて
って出たが
なんだ?
笑
なんだろ
たちだて?
そう
たつだてかな
調べたら
立館 は東北で
義経が兄鎌倉幕府の頼朝に命を追われ
元は匿っていて共に叩く意思もあった藤原さんが亡くなると
寝返った息子が掌を返し弁慶や重家さん、義経さんを惨殺した
(その前に船が難破し数百の精鋭の側近が亡くなったことが義経さんには痛かった)
それご先祖の重様が亡くなった場所ですよ
そうか
来てくれと言ってるんだろうな
またある日一緒に
四国の宇和島な
土居のおばあちゃんの墓参りに行きました
子供の頃な、この臨済宗のこの寺の
この銀杏の木のここでな
師匠に真剣でバットおでこと胸を皮1枚斬られたのが
入門の日だったな
毎日6歳の俺は
塀から中の稽古見てたんだな
そうしたらな
坊主!こい!
と境内へ呼ばれてな
やりたいのか?
はい
でも….
心配するな金や道具はあるからいらないぞ
お前のおじいさん、お父さん(剣豪)もよく知ってるから大丈夫だ
そこに立て!
銀杏の木にな
手を広げて目をつぶるなよ
そうしたらな
鍔鳴りと共に
すうーって切られた
怖かったー
それから毎日な
1000回刀ふれって
言われ
最初はその辺の桜の木の棒でな
これは辛かった6年間これだけ
基本の振りだけ
手を見せろ!
って言われて
手を見るなり
お前サボってるな!
と怒られてな
最後はないっしょに
トンボを斬った
20代まで稽古してたが
仕事でしばらく名古屋へ行ってな
師匠に極伝の免許もらいに帰ったら死んでた
俺が30くらいだった
そのままだ
だから免許皆伝までで は
極伝は正式にはもらえなかったんだ
実はすごいことに
師匠はその師匠の名前も家族がいたかも
墓がどこかも知らないと言う
名前しらないんですか?
うーん
したの坊さんの名前は覚えてるが
確かー
それ以外はお互い何にも話さなかったからな
実際のお寺に行きも
今のお坊さんもつれなく
裏の代々の住職の墓地にあるんじゃないですか
の一言
結局寺まで行ったが
そこから探さないのも師匠
いいの?探さなくて
探しましょうよ
いいよ
またそのうち
今度またわかるだろ
が流石の感覚
まー人間の思惑の墓石へ行かなくても
来たことは全部見えてるからいいか
喜んでますね
お墓には私はいませんー
だな
笑
風武流と名付けた
古武道の稽古の会を作り
今は日曜日に品川体育館と不定期で千葉の鋸山の海で教えています
後世に残したいんだと
天気にいいも悪いもない

天気が点々と変わり、しばらく海は写せない
よく天気が悪い(雨とか風)と人間は言いますが
悪いのではなく
晴れた日がいいとする基準ではなく
雨や風邪の日がなくてはならない地球と宇宙の摂理
海の中は常に雨
風雨の日にこそ美しい時間がある
空間の雰囲気や
人間の心も変えてしまう
なんて言うか
周波数、見てなかった、感じえなかった静けさ
ある限度を超えると人が災害と呼ぶ、悲しいこともおきますが
しかし昨今の海岸の破壊や山や川のダムなど
数十億年で自然に収まる位置に収まり循環してきた地球の神経や血管を
破壊しているのが人間
そりゃ数字や脆弱な科学では届かない
エナジーを壊せば色々起きるのでしょうか
地球から見たら毎日が人災です
鳥も虫も魚も海の御神木とおなじ珊瑚も決して
人間様のような害はせず、慎ましいものです
目地政府が自然(じねん)と言う禅の言葉をあてがい
自然(自然とし)都合の良い線を引き、日本人と国土と宇宙や
山河との交信やチューニングを分離政策した
それまでは国土
都市伝説でもなんでもなく
宇宙や海や川や石や滝や風の全てには魂のような
何かが存在し
その目ない風や波動を慈しみ、時におは力を授かり
また時には強い力に翻弄されつつも
頑張って生き残ってきた
国土安穏につながります
神社の御朱印やお寺も
昔は、木版に擦った、国家安泰、家族健全、国土安穏など
自分以外の他者や地球や宇宙を愛しみ
日本中の霊的な神社などに納経(お札や言葉を書いた紙や木版でコピーした紙を
収めた、御礼の返礼でした
それが今やスタンプラリーに変化
神社も効能書きを前に出して売るシステムを構築
商売繁盛
良縁成就など
都合の良い神頼みの場に変化してきた
人間様と神様、仏さんのご関係
神社の真ん中に1組づつ並んで拝むのも
利己的な昨今のずれたお参り
いい悪いはではなくこれが事実
そういえば
湯島天神に数年前
合格祈願にきた若いお母さんと子供が
数ヶ月後
受からなかったから
お金を返して!ときたと
関係者の方から聞きました
皆さんびっくり!
どうしたの?
返さないでしょ
そりゃもちろん
そんなのおかしいですから
社務所にデーンと効能書きがあるわけ?
いやご利益とか
その程度ですよ普通に
まー温泉に近いですものね
それは斬新ですね
そんな日本になっちゃったかー
あーあ
昔、二度にわたり
五年かけ全国の社寺に広島から遠くは湯殿山まで
納経した、江戸時代の丹下弥右衛門さんの御朱印帳を拝見しました
当時の旅の日付や、どう言う順番で回ったかなど克明に書いてあり
当時は命がけの旅
インターネットもなく
どうやってその(良い場所)や道筋や行程を読んで
歩いたのでしょう
江戸時代には様々な旅の版画で刷られた本も売られていましたが
それにしても、感覚と情報と自分の健脚や正直な力を測り国や自分を祈り
ある日を境に、ふと思い立ち旅をしたのは 1711年2/3
今から314年前
そんな昔に弥右衛門さんが徒歩で来たと言う
山奥の,伊賀忍の瀧寺、雪の延寿院のお堂に止まっていた明け方に
偶然お会いした
当時の御朱印のコピーも見せていただき
住職もびっくり!
以来、達筆な心のままの心眼でかいた
お手紙で(もう85歳)の丹下さんとは仲良しで岡山へ逢いに伺っています
そもそもは
314年前物凄い意志で玄関を出たご先祖
その後まさかの子孫が同じ足跡を自分の背負った
命がけの指紋や呼吸や汗の染み込んだ御朱印帳を辿り
ご先祖の足跡を訪ねる旅を始めます
何よりの御供養で
同時に日本の霊場の霊道の復活
当時は歩いたか、かご?や時に舟でしたが
お仕事の合間の週末などに、車や飛行機を使い
岡山から全国へ江戸時代の足跡を263ヶ社寺満願されました
その満願成就の石塔をご先祖のお墓に建てた日に
偶然僕も広島の先祖の墓にいました
これにはお互いびっくり
たまたま前の夜にでんわがあり
明日広島の府中の本家で儀式を行うんじゃ!
えっー
広島にいますよ
海沿いの風早ですが
先祖の神社に
嘘じゃろ!
あんたそんなこと言って
東京から来るんじゃろー
大変だからこんでいいわ
本当にいるんよ
でご家族に混じり
式典に参加させていただいたのも
何かしらの仕組まれたご縁
丹下さんは豪快で船も乗る
開口1番!
皆さん!ねー
この人は私の恋人ー!
ドット笑うご家族
そんな祈りの国だった日本は絶滅しかけている
明治時代の神仏分離や修験道禁止、呪術や骨継ぎなど
普通の人もできていた陰陽師的なみえない力を恐れた、明治政府が
全て禁止にしたことは、日本にとって大きな損失で
また今まで代々祈って守られた、仏像や神像を焼かれたりと
どんなに悲しいことだったやら
それでも日本人の100人に1人とか2人は行者だったようです
最も、バリバリの白装束の螺貝をたてる(吹く)行者レベルではなくとも
相当な数の一般の人々が大切にされてきたけっか世界でも
とんがった気宇な精神と誠心を持っていたことが
これだけ神社が残っている証でしょう
そんな日本中にある聖域や張り巡らされた、海や山にある靡(なびき)や社や寺
元は磐座や滝のエナジーの道を清めてつないでいました
これが龍脈や見えない神経や血管にもなります
波動や言霊は全部と届きます
国中の人が
そんな思いで、旅をして霊道を自然に作っていったのだから
地球や海や山や神仏もさぞ嬉しかったことでしょう
もちろん人間の暮らしを脅かし続ける地球があって、そこの寄生する人間
地球は固有の一つの独立した物ではなく
人智を超えた宇宙のかけらの1部の島にすぎず、地震、天災を数千年繰り返してきた事実
もうすぐ宇宙人も公然と公になる日が近いのでしょうか
隠したって無理ですからね
隠しようが無いのが宇宙の摂理
海はいけば、ちょっと前まで撮れると
人間様の言い方で反省してますが
今では写ると言うようにしています
だって見なくても写るんだもん
と言うわけですから
正しい言葉では写真は写ってしまう
写ってしまった!
がきっと良い写真です
予期しない
ファインダー見ない
なんだか胸の感覚で見るまもなく押す!
所詮機械の電気製品のカメラですが
写ったまま
色も自分のいいようにいじらない
政治家の誰かが書いた紙切れのような写真は
子供が見たってきな臭い
小さな子や
魚たちは全て真理をわかっています
大人や人間は真摯に胸を傾け
手を差し伸べてください
純粋な子供たちに
嘘をついた写真を見せないように
大人がまづは
海を祈って
ライフジャケットをつけずに
泳ぐ
命を守るのはそこでは無い
野生を思い出し
この風に則して
即す
骨抜きになった日本人
命の危険を、宇宙の海の偉大さを身をもって知れば
記憶にございませんとも言えません
恥ずかしい大人が蔓延する昨今が今の末法の時代かもしれません
ネクタイ外して
波へご案内いたします
天災はもうどうしようもないです
人災が地球をぶっ壊しているから
天災になるわけです
あらゆる美の全てはこの自然にある
魯山人
師匠

写真は独学
写真はな
写真家先生に習ったり
こう撮ろうなんか撮ったら
自分の写真じゃ無い!
そんなのはダメだ!
先生の写真のコピーですよ
写真機はな
所詮カメラは道具よ
機械に撮られなさんなよ
モデルな
バーンと瞬間!
鷲掴み!だ
ファインダーなんか見るな
バーン!だぞ
いいオヤジだったな
ユージンは
日本に来てフォードやコマーシャルの撮影をユージンがしてな
そこころ俺はトッパンの写真にいてな
彼が撮った写真の現像を全て任されてな
本当にいいオヤジだった
千葉の五井の反対集会な
あの
小和田雅子の爺さん
水俣病引き起こして
知らないと言っていた
あの窒素の江頭な
あれにヤクザかチンピラやとわれ
暴行されてカメラ壊されてな
目もあまり見えなくなって腰やら痛めてな
でもな俺は後悔してないし恨んでないと
言ってたな
すごいオヤジだったな
サイパン沖縄と戦場の悲しみや
死に向かう日本の子供達をファインダーで見て
いたたまれなくなり
戦争をして殺しているのは俺じゃない
戦争やどもが悪いんだと
写真のほとんどは処分されたらしい
兵士が感傷的になる、都合が悪い写真だというわけだ
そして砲弾を受け
瀕死のユージンは数年間カメラは撮れず
ある日ふとセントラルパークを歩く子供たちの後ろ姿を写す
そんな1枚から
貪欲にまた人が目を背け
みえていない時間にレンズを向け
最後は水俣に住み写していた
そんな写真を通じた生き様や
ドキュメンタリーな先達の教え通り
どんどん行動!
とにかくバット!押す
人も波も同じ
みえない風
波動がある
カメらをぶら下げあてもなく
オーストラリアやバリ島にいたのは1992-1998年ごろ
やがて海へ波へ行く
彼らのことを思い出し
子供の頃パラオの海の家に数日いた
その時のオヤジの死を知りパラオの墓前で
話しかけ
感覚が降りてきた
命がげで写真を撮りたいがどこでしょう?
湾岸戦争か!
でも他力で人の血を都合よく写して本や金にするのは違うな
命か
どこでしょう?死の可能性が高い場は
うみか?
なみだ!
波の中は死にそうですね
決めた
波の中へ行きます
と誓ったのは
2002年5月
パラオの墓前に行こうとしたのは2001年9/12
成田空港まで行くが全てフライトはキャンセル
パラオに電話すると
アリー(もしもし)
ビンラディンのせいでね
何よピンラディん?って
いつでもいいのよ
大丈夫よ
あきをは死んじゃって
悲しいけどね
みきがね
来れるときにきなさいね
私たちは待ってるから
いつでもいいの
ありがとうね
体気をつけてね
そしてよくとし墓参りにいく
これね
あなたの車と携帯電話ね
息子たちになんでも言うのよ
命ははかない
今こうだと思うったら
逢いたい人には逢いに行く
なりふり構わず
後悔しないように
だから波へ向かった
パラオのオヤジがいなかったら
14歳のとき、あの日家に泊まってなければ
一緒に船でパラオの海を走り
色々食べさせてくれ、大きなシャコガイを
お土産に持たせてくれた
海のような大きな心の家族
死を通じて波へ向かい
死と隣わせが人には大切だと知る
存分に楽しみ
海で大笑いし
ひたすら根性で泳ぎ切り
シャッターを見ないで押す
写真はドキュメンタリーだ
後でいじり写真にわざと嘘をつかすのは人間だ



茅ヶ崎で生まれ育ち
茅ヶ崎で生まれたが、小さくて死にかけていたので
横浜の警察病院にみかん箱に入れ運んでくれたおじさん
そんなおじさんとおじいは、目黒の家で水槽がたくさんある
下が工場の家に住んでいた
部屋一面、左右ベッド以外は大小20本近い水槽と水の音
世界中の熱帯魚が泳いでいた
おじいはもの静かで器用な人で、先の戦争は満洲
次の大東亜戦争はビルマに行き
習志野の鉄道2連隊として訓練を受け
鉄道や暗号無線の仕事をしていた
戦後1年たち、甲板のめくれた引き揚げ船の空母葛城で浦賀についたそうだ
部隊は全滅と聞いていた家族だったが
部隊長達と終戦間際タイに入っていたので捕虜にはならず
帰れたそうで
隊長や戦友とは80代になるまで戦友会が解体されるまで
苦楽を共にした仲間を大切にした、優しい人だった
大正から昭和の写真を見ると、ザイルで沢登や剱岳など家族親戚と山やスキーを
楽しんでいた。曾祖父さんは戦争中で行けない仲間には、正二君とのぼりに名前を書いて
写真を撮っていた。ドンコー会と名付けていた(ゆっくりしかいけませんの意味で)
ひいじいーさんもユーモアがある
彼らは海もよく行ったがウェットなどない時代
スキューバで潜りはしなかったようだ。
何はともあれ戦後はサニトラに工具を積んで米軍の基地や
帝国ホテルの厨房を作る新橋の祖母の会社に入り
職人としていき
休みの日は息子のおじさんと僕を真鶴の岩場や、野沢温泉に車で連れて行ってくれた
幼い頃の自然のガイドだ
何を注意するわけでもなく、僕も海に慣れていた子供だったせいか
遠くでタバコを燻らせ見ているだけだった
が
見えるところで遊ぶんだぞ
とだけ言っていた
岩場で牡蠣殻で足を切ったり
真鶴の岩の漁港がコンクリートがで固めはじま
そこに生えた苔で滑って肩から腕をすりむき血が滲んだり
子供の頃はゴムゾーリしかなかったから
脱げるは滑るは、足がはみ出て切ったり
怪我をしながら気をつけるようになった
夏になると今度は父方の田舎が下関にあり
青いあさかぜと言う名前のプレートをつけた機関車にひかれた
寝台車で行くのが楽しみだった
汽笛を鳴らしながら、2段ベッドに潜り込む
朝になると、車掌さんの独特な声や汽笛とレールのつなぎ目の音で目覚めた
その頃になると柳井あたりにいた
家は城下町長府の乃木希典の家の近くの屋敷から
壇ノ浦を見渡す場所に移動して40年亡くなるまで住んでいた
朝になると、長府にすわる魚の行商のおばあから
ウニやオコゼやひらそ(ぶりの子)など、好きな魚を選ばせてくれ買い
山への階段を上り、海が一望の家で食べるのが楽しみだった
朝食後はそこからバスと汽車をまた乗り継ぎ一時間ほどで
海沿いの駅から15分ほど歩いて
漁港から漁師さんの船で無人島へ毎日通うのが
さらに楽しみで、透明な住んだ海で1日中、素潜りでたこやトコブシや魚を網で
生け捕っていた
水中メガネがないと意味がない!とばかりに
メガネがないと海には入らなかった
帰る頃はうつらうつら
潮を吹いた肩の顔を客車の窓やドアの金具にぶつけ いて!っと起きては
また寝ながら、時には生捕りの小魚をビニール袋のバケツに
電池式のぶくぶくをつけて山の家まで帰った
よく歩いてよく思いバケツや荷物も一人で持っていたなと思う
子供の頃から海の家は大嫌い
シャワーなんか浴びる習慣もなく
なんで同じ世代の子供が魚も少ない汚い砂浜の海で
あんな人工的な海の家にいるのか、不思議だった
全く別な人種なくらい、口も聞かずひたすら
両手に網に腰の海水パンツに拾った鉄のアワビおこしをさし
水中の岩から岩へ飛び移り、ふやけるまで魚を探していた
泳いでいるベラなどは早くて捕まえれないので
岩上や岩の蔭にいるカサゴやアイナメが獲物だった
自分でも子供ながらに魚の逃げる方向と、後ろの網を下構え
獲るのは上手いと思っていた
海のはじまりはそんな頃から
少し冷たい響灘の海で
ふやけるまで一人で遊んでいた
よく親も見えない場所や色々島の周りに行っても
心配しないでほっぽらかしだったな
と思う
今の親ならライジャケをつけ(これは帰って危ないんです)
浮き輪までして過剰な保護と浮状態にしますが
波が来たらライジャケは潜れず、かえって沖に運ばれたり
浮いたまま波に叩きつけられ、体の制御ができず
子供はある程度泳げる6ー7歳くらいからは
波をくぐる方法や慌てないことなど親が教えて
ライフジャケットは僕はつけない方がいいと思います
自分の泳力を超えてもライジャケや浮き輪は分からず
流されてしまうことも多々あります
自分で潮流や位置が変わったなとか
気をつけなくなる
海や自然との間合いが変な道具のせいで
曖昧になるのが危険なのです
そもそも泳げない子が川や海へ行きべきではないのです
以前にも書きましたが
生まれて初めて喉が閉まるほど溺れたのは32歳と遅咲きです
ずいぶん気をつけていましたが
冬のハワイのノースショアの波は人知を超えた本物でした
何もできないとはこのこと。
(泳力とむぐる角度や心構えが弱かった)体力ではなく
経験と強い気持ちが足りなかった。
沖へ流され、不規則な波に巻かれ
片手には今では考えられない大きなカメラのケース
足ひれと半ズボンのウェットに水中めがね
酸素ボンベはずるく
海の真髄を知るには無酸素だ!と
飛び込んだ、オーストラリアのバーレーへッズに
続く2回目の波の旅
2002年の冬
死にかけたとはこれだと雨の海岸で笑い
波にもまれ酸素が吸えず
喉からヒューヒュー、海面に顔を出し立ち泳ぎで吸うたびに音がして
肺に空気がいかない
これには焦り、穴が空いたのかと片手で喉を触った
穴なんか開くわけがないが
全く初めての体験で
波は不規則に止めどなくくる
沖の波にそれでも行こうとするが
全くこの葉のように波に巻き込まれ
苦しいなんてもんじゃない
しまいには、足のスネと腕が痛く動かない
きのうていし?なんだこりゃ
それでも波は待ったなし
巻かれては顔を出し空気数が苦しくなるばかり
もうおてあげ
これは息を止めた方が楽だな
と
そんなことしたら死ぬのだが
頭がショートし
人間は弱いから溺れるときはこう思うんだな
とゆっくりと時間が流れ始めた
空に向かい甲賀のひいじいちゃん助けてよ
と念じると
なんとなく空に黒いスーツにひい爺さんが笑っているが
ネクタイが黒じゃなかった してない?
その瞬間
僕はハワイの沖で独おおわらい
あーこれは弱い僕で
だめだ人間は二ついるから
つよい自分でいかねば
あーこれは喉の気道が閉まり
肺に空気がいかないんだ
腕や足は乳酸だ
オーストラリアのライフガードの本で読んだな
これはダメだ落ち着いて肺に海水が入らないように
口を押さえて帰るしかない
出直しだ!
と妙に元気になった
波に乗りながらブルブル震え
鼻水や海水がダボダボ垂らしながら
海岸にへたり込む
完敗!
乾杯!
全く泳げなかったオーストラリアは湖
ここは本物!海だ!
ショック!
いやー泳げないな無理なのか?
ラジオ体操第一で入った俺がばかだった
これはアスリートの世界だ
生きてるな
よかったなー安心だ地に足がついて
そんな独ごとを海岸でぶつぶつ行っていると
サングラスのライフガードが近づいてきた
なんだか偉そうに
よく帰ってきたな!
と言った
なんだ見てたのか
イエローモンキーだと思ってなめてるな
携帯電話忘れた
と返すと
ちっ!と行っていなくなる
くそ
もっとあーいう態度の人間にはブラックジョークを返したいが
頭がうこかず、英語力もなくとっさに返せなかった
そこが自分が溺れた原因!だな
雨の海岸に巨大な虹が出ていた
祝福?
でも大事なことが一つきた
今でもはっきり覚えている
もう一度ここで泳がないと
お前は潰れるよ
と
声がした
自分のどこかからか
そんな霊的な天の声ではなく
中から胸のあたりの感じだった
波を泳ごうとパラオの墓で思った感覚と同じ
あの確信めいた感覚
えー
また泳ぐんですか
ここでー
とまた笑う
そしてウェットを着たまま
膝から軽く血を流し
濡れた体で車を運転し
途中のパン屋で、すみません、溺れて
床濡らしたらごめんね入っていいですか?
甘いデニッシュを二つ買いたいんですが
もちろんだよ
と店のおじさん
だいじょうぶかい?
はい
ごめんね
いいんだ
またな
気をつけてな
宿に着くと暗い少し冷たいシャワーを浴びる
膝の血を絞り出し、砂が入ってないか擦る
よく帰ってきたな
地に足がつくのは安心だな
いや溺れたな
自信がなくなったな
泳げないのか俺な?
など頭からシャワーを浴びながら
さっきまでの事件を走馬灯のように思い出しては
心を落ち着かせたかった
木でできた宿と木々は雨に光り
共同のリビングで
デニッシュを食べコーヒーを入れ
自分の小さな部屋の2段ベッドに潜り込み
どっと疲れ頭も乾かさずに一時間ほど寝た
起きると雨はさらに土砂降り
シェアしていたカップルはまだ帰らない
行きますか!
よし
静かに準備をし
赤土のぬかるんだ道を避けながら
レンタカーの鍵を回す
なんだかドラマだな
こりゃ
大丈夫か俺は
一時間で泳げるようにはなってないから
完全に溺れ巻かれるが
行くしかないと腑に落ちた
車を路地にとめ
山のような砂浜を越えると数人の女の子のサーファーとすれ違う
ハーイ
とだけ言葉を交わし
冷たい雨の海岸を目指すと海は轟音
さっきよりさらに、海は荒れている
おや
どうするか
目を凝らすが
沖にも誰もいなかった
少し見ていたが
確信がきた
よしこれは海が守ってくれた
正直にきたからこれでいい
来なかったら、にげていたらこの感覚なない
お前はちびっこだから
海のゴミになるだけだ
どこか自分に泳げそうな子供たちのいる海で練習をし
これから2週間は仕方がない
海へはいくが
このレベルは無理で死ぬだけだ
日本で水泳の訓練をしなおして
来月も来るんだから
それでいい
自信は戻らないが確信的に
また腑に落ちた
すぐ近くの海岸へ行くと
おきにおきに子供たちがいた
割と綺麗な波で
泳いで潜って逃げれそうだ
そしてここで流されながら五時間
泳いだ
途中大波が目の前で壁になると
今朝溺れた恐怖の感覚がまたどこにあるやら
胸に集まり、呼吸が乱れる
いけない、いけない
これはダメ!
いけ!大丈夫!と叫んで沖へ
結局何もとれなかったが
満足だった
向こうからアジア人がパドルしてきた
さっきから何してんですか?
こんな沖で
およいでるんですか?
えー
いたかしますよ
危ないですよ
うわ!
大丈夫、俺も何してんだかわからないんだ
ありがとうね
笑う
握手してください
と海の上で右手同士で握手して
その日本人の若者と別れた
こんな場所でサーフィンしている日本人はすごいね
帰るかな
ここに五時間もいて泳いで波をかわせ
サメも来なかった
夜賑やかな宿のメキシカンナイト
というメニューで世界からきたバックパッカーが
ビールやタコスを食べ賑やかだった
僕は独り普段は飲まないお酒
タヒチのヒナノビールを飲み
今日1日の生きるか死ぬかの日を味わった
メキシカンの味?というと
大したことなかったかな
溺れた海へ行ってよかった
とにかく
そのことに尽きる
コウロギかなんか虫の葉音の
緑の中の木の家で
その夜は深い眠りについた
その14年後から真っ暗な日本の夜明けの海を
撮るようになる
御神酒を巻いて、ゴミを拾い
祝詞を捧げ、貝をたてるなど
魔術の世界
そしてこの頃
2003年にフィジーで出会ったハワイアン の結婚式の写真を
頼まれ、この海で泳いぎました
不思議でした
当時の自分と生まれ変ったような自分
海の景色は変わらないが
何か少しゆとりができたようでした
同じ宿の同じ部屋を行ってから泊まりたいと
行くと当時のオーナーのおばさんがいました
同じ部屋は残念ながら満室でしたが
敷地の別な部屋が空いて
見に行っていい?
もちろんよ
と当時のままの部屋に行きました
シャワーもリビングも当時のままでした
ここは懐かしい場所
ハワイの王族の祈り場
白い貝殻という海岸
真珠湾攻撃隊の若者たちがこの空からハワイに入り
命をかけた時間を海は見て知っています
不思議ですね
今は平和です
無理に命を潰した若者たちのおかげで
わざと命をかけれる幸せを知りました
ハワイに行くとまづ真珠湾へお酒を持ち
54人のパイロットと潜水艦の若者の名前を読み上げ
にお祈りに行きます
魚が先生
Fire King Cafe
Chacott



Chacott フォトシューティング
早いもので3年が過ぎ
波と同じく
一期一回
二度はない瞬間
この1枚がご家族の元
ご本人のもとで共に時を超えていき
やがて世界のバレリーナ
バレエの先生
バレエの写真家になっているのかもしれません
無限な光が待っている
僕も昔
ふらりと高野山に行き
案内所で昔ながらの宿坊は
ありませんか・
とお聞きご紹介していただいた
羽生川先生の無量光院
アミターバ
阿弥陀仏の光明
無限に広がる光は様々な意味を含み
阿弥陀様は横から見ると少し前に屈んでいる
時間や空間を超えこ皆をすぐに救いに行く!
と言う準備とやる気。
いつも朝のお勤めが終わると
奥の部屋でコーヒーを飲みましょう
と談笑する時間がなんだか暖かな
皆さんのお気持ち
お遍路で回って日焼けした外国人
皆1人で泊まりにきている方とも
旅も波も人も永遠な波動と光
一瞬で押すだけ
迷いなく舞うバレリーナや
古武道の刀とも同じ
心の正中線を自由自在に

今週はバレエの撮影でタイミングが合わず
昨日稲取へ行くが
雨で水が濁り、地球は一面の雲の覆われていた
龍宮神社に御神酒を携え出雲の龍神様と繋がせていただく
龍の道
写真は
先日の明け方、波がなくなり
海を急いで変えて、遅まきながら入る
太陽がずいぶん横から出ので
うつるのか?少し心配だった
とにかく海流が早く、波が崩れるたびに
海底の砂や泡が舞うので
難しい撮影に
どうせファインダーは見てないのだから
もはやむぐり抜けた波へかカメラを向けるだけ
写る時は写る
生涯で写る枚数が決まっているやら
宇宙が相手の成り行きな1枚
写る時は写る
写らない時は写らず
全ては運と宇宙の天気まかせ
写真と呼べるのか
動機と
撮りたいという欲
行こうと決めていく行動ありき
水は少し暖かくなりますが
どんどん朝日が早くなる
海の目の前にいても
カメラのセッティングやウェットや様々
準備運動や呼吸を合わせるのに一時間
どんなに寝ても朝3時に起き海で泳ぐのは
きっと体に悪い
頭が痛い
心臓がとくとくする
冷えるなんてもんじゃない
溺れている暇がない
丈夫でないと水中で動けません
北島国造館 出雲教様







出雲大社の右が大社より上位になる
古来からの祭祀を受け継ぐ、80代目の北島家国造様のもとへ
日御碕神社の前の聖域で写った写真をご奉納させていただきました。
出雲教さんは、大国主、菅原道真、少な彦、大山祇神
素戔嗚、タケミナカタ、事代主 、稲荷神などを祀る
古来出雲の稲佐の浜での神事は北島家が執り行ってきたが
隣の巷では有名な出雲大社の千家家がうちにもやらせて欲しいと
言い始め交互になったという
僕は地元の方々が大切にされいる
出雲教さんへ約5年前から御神酒をたずさえて訪れていた
当時はただ御神酒をご奉献させていただきお参りをして帰るだけでした。
毎年訪れるようになる数年後、出雲の波はとれまいか?と感じ
島根中の海岸線を車で走り
波を探した
でもどこも波はなく
水も濁っていたり
ピンとくる場所はなかったが
最初に訪れた日御碕神社の前が何だか気になっていた
波を探しに来た年に御神酒を奉献のお返しに頂いた
御神酒とお赤飯日御碕の海の龍神さまへ
貝をたて、祝詞と般若心経を唱え注ぎいれた
その時に日御碕の経島(ふみ島)のダイビングっショップ(アクア工房)の
岡本さんもいた
髪を束ねたネイティブアメリカンのような雰囲気
聞けば不思議な形をした木も一本もない、海猫の集まる経島の下は空洞で、参道や玉砂利の海底もあり
昔の祈りばや神社の跡ではないかと言う
紹介され会ったばかりにかかわらず
すぐに、船出して泳げそうな場所さがしましょうか?
と言っていただいた。
何だかイギリスやアイルランドのケルトの海のような寒々しいながらも
霊気が漂う青黒い海は怖かった
しかしながら泳げそうな場所も、波がそもそもなく
一度は諦めて、舟から上がり
車で海岸線を松江の三保神社まで走らせた
結局、撮れる場所はなく諦めて
海岸の掃除をしに今まで行かなかった奥の海岸へ行くと
何だか気のいい場所があった
妙な行き止まりの祠も気になり
ゴミをひたすら拾った
しばらく見ているとお気に岩にぶつかる波があった
荒磯のような波で、波乗りの波でなはく
うねりがぶつかった波頭
その時
結局は波を移しているのではなく
太陽を自ら写しているのだから
海面が暴れていればいいんだ
と人皮むけた境地に笑った
よし!
岡本さんに泳いでいいか?聞くと
自己責任で良ければどうぞと
もちろん常々自己責任の旅
そんな夕暮れで写った1枚
やがて数年後ご縁で
この写真をご奉納させていただく不思議
出雲教様も
写真のご奉納は
初めての事、ありがたいこと
海の神素戔嗚、大国主さんの
もとに配置させて頂くことは
生涯にない話し。
禰宜の宮澤さんが
海伏として海原で…
と祝詞を創り
た読み捧げてくださっ
80代目になる
北島家国造様
宮澤さま
安田様皆さまありがとうございました。
(特別に拝殿のお写真を撮らせていただきました)
出雲には龍神さまである龍蛇が神様をお連れし
神有月には南の海からくるという(実際にセグロ海蛇がきて打ち上げられると神様として剥製にする)
経島は地震で30m沈下したと伝わり
素戔嗚さんな天照大神が夕陽神事をした場とつたわる
甲賀稲荷





千駄ヶ谷や原宿は江戸城を護る
伊賀、甲賀の忍や古士たちが移民して住む地域だった
ここ鳩森神社の境内に、移動し合祀された稲荷は
元々は甲賀の忍たちの心の支えであり
おそらくは神仏や修験、星々や龍神などと陰陽道も自然と
尊んだ彼らの意志と意識だったのだろう
伊賀と甲賀は当然同じ土地にあり
信長の侵略で結果的、表向きは方向性が変わり
甲賀は村や民を守ために
郡中惣という上部の古士により決められる仕組みで
早くに信長に降伏したが
伊賀は12人の上忍
長田庄 百田藤兵衛
朝屋庄 福喜多将監
木興庄 町井左馬充貞信
河合庄 田屋掃部介
音羽庄 音羽半六宗重
島ヶ原庄 富岡忠兵衛貞頼
伊那具庄 小泉左京尉
比土庄 中林助左衛門忠昭
布生庄 布生大膳善昭
柏原庄 柏原十郎吉政
阿波庄 植田豊前守光使
西ノ沢庄 家喜上総吉近
その上の忍 藤林長門守、服部半蔵正成、百地丹波守らのより
肉体は滅びても、先祖からの御霊と意志を大切に
あんな一方的なジェノサイドと侵略の織田に頭を下げるのは恥とし
死を恐れず、徹底抗戦が決まる
僕は上記の山城跡へいき
ご供養をしていますが
特に印象深いのは
百田さん
音羽さん
田屋さん
柏原さん
植田さんの山城と
掛田、壬生や種生、雨乞山で
必ず伊賀へ行くと供養へ行きます
中でも種生、壬生、霊山、長田山、柏原、田屋は特に憶いが残っています
甲賀も鮎川城や黒川久内さんの山城、望月出雲守さん、和田伊賀守さんの山城はまだ怖いですが
特に和田城跡はアクセスが簡単なせいか地元の人なのか
ゴミがすごくできるだけですが山ではお掃除をします。
矢川神社、油日神社など様々行きますが今では開発された地域のせいもあり
伊賀の方が山深く御霊がまだ戦っておられる感じがします
おそらく亡くなっているからでしょう
(数年後ファイヤーキングカフェの展示に来た方が、偶然油日神社の宮司さんは、僕の小学校の知り合いの知り合いのおじさんと判明し驚きました。)
忍の御霊を一人で山中であげるのがお役目とし
2012年から本格的に行き始めました
その時に初めてお会いしたのが延寿院の松本住職で
その日にお寺の掃除を買って出て
御位牌を持つとそれは藤堂高虎さんでした
2013年6/11
やがて京都の織部さん、曾我蕭白さんの菩提寺に
青波の襖が突如奉納され
お寺にたくさん高虎さんのゆかりの物が多く
住職に聞くと織部亡き後(徳川に子供もろとも切腹させられた)
亡き御霊を供養したのが奥さんの仙さんと高虎さん
?
よく調べると
織部さんの命日も6/11日
お寺に初めてきたのは11/11
そういえばある観える方に
忍びたちが伊賀から走らせたと
言ってます
と言われ
また忍者がなぜ?このお寺にと思っていました
まさか信長の後伊賀を平定し、まとめ役が高虎さん
伊賀上野城は忍者たちの時代にはなく
あの山は平楽寺という平家系の伝来の高野山のような塔頭の祈りの宗教的聖地
そこを信長軍が僧侶、女子供、郷士の侍や忍を1000人近く、包囲し鉄砲撃ち、火を放ち
ジェノサイドした場です
今もお不動様とともに古いお墓が、入り口の登り坂の左にありますのでお参りしてください。
何ら看板もなく
そんな忍者とは関係のない伊賀上野城で
安易な忍者ショーを開催する伊賀観光局はどうしたものか
全く歴史観や精神感、彼らの配慮がありません。
伊賀上野城は忍者とは無縁です
勇敢に戦った古士、郷土の民への配慮のなさ。
本当に思いやりもない目先の観光業の金儲けに呆れます
過去生が忍者の時代もいくつもあると
薄々わかってましたが
行けばなるほど様々な場所に呼ばれ人に会い
イギリスで免許を取ったミディアムの方や
観える方に同じく言われました
(占いではなく確認です)
京都知恩院の奥には甲賀古士をまとめた、修験僧で忍び頭の山岡景友さんのお墓に
必ず行きます。兄弟は甲賀のお寺に眠り、毛牧には山城お跡がありますが
ずいぶん破壊されてます
おそらく家康には伊賀は服部
甲賀は山岡さんがパイプ役となり江戸へ連れてこられたのでしょう
青山には最初は伊賀200人、10年後に100人の甲賀の方々が数百人、住んだのが表参道交差点近くで
そのまま246をまっすぐで江戸城ですから
通っていたのでしょう
伊賀超えのお礼もあり家康は恩義を感じていたと伝わります
10年くらい前から、御神酒を携えお参りをしていると
社務所の方に声をかけていただき
5年ほど前から甲賀稲荷の崇敬会に入れていただきました
平野宮司は山口県の出身
僕の先祖は広島の神社と甲賀や水口
実際にひいひいひい爺さんは水口久兵衛といいます
何か縁があるのでしょうね。
また誕生が大祭の日も不思議です
今から56年前の4/15に今の社を崇敬者と神社で作ったそうです
元参議院議員 丸川珠代さんや渋谷区長や議員さんが毎年来ては
このような場で恐縮ですと言いながら
上手な歯に衣の演説をしています
政教分離
神仏習合
必死則生
国家安泰
自然崇拝
稲荷は農耕の神のご眷属でありひげのおじいさん
とも言いますが、霊能の世界では龍神です
Fire King Cafe Exhibition 9/1-9/21
夜明け
道先

水は微細なビー玉のような分子が集まった場所
空中なら落ちたら怪我をするが、落ちることもなく、支えてくれる
波に巻かれれば巻き込まれ
写真も右から左上に水が水を引っ張っている
水の分子が水素結合をしてエネルギーの(風)の方向に向かっている
この少し前に
見えない風を読んで
水野ビー玉の隙間に指先から潜りみ
回転して押す
ビー玉の集合した中へ、瞬時にかき分けるように入る訳だ
水と水も共鳴している
人間もそれなりの心もちでいけば
感応する
人間の周りのエーテル帯
を溶け合わせる
水中だと離れはしないが陸上とは素材感が
違うかもしれない
変なことを言ってますが
霊的な環境に入る
妙なズレというか
次元のレイヤーに入り込む
目には見えないのでうまく言えないが
やはり所詮、写真機は道具に過ぎない
刀も同じように
人間の思惑や恣意を捨てた境地と状況で自然に動く
道具が中立に介在して
観せている
念写とは違うな・・・
直感 その先を行く感じだ
何も考えないで少し先を押す
自然に手首と指が動いてレンズを向けて押している
と写り込む
ファインダーは一切見ない
伸ばしたり、カットしたりという、トリミングもしていない
ありのままのサイズ
あるとき
青島神社の塩土老翁が巻物を渡したいと
言われていて
いただきに伺った
もちろん、現実的な巻き物ではないが
人払いをされ
お宮の前で、拝み、祝詞を捧げると
妙にあたたくなり
涙が溢れた
その足でまた、ある方の元へ確認に行くと
やはり渡したと言われている
と
その紙には感覚を信じ、さらにそのまま行けと記してあった
日本

夜明け
昨日の夕方、御神酒を注いだ海は
波が消えていた
諦めて海から戻り、海岸で拝む、前にみかんをくれたおばあちゃんと
お話をした。
太陽は登り始めたが、地球は雲に覆われ太陽は見えず
車を走らせ、太陽が気になる
線香花火のような太陽が水平線より高い位置に出ていた
もどるか?いくか?
決めたから行こう
波は大きめだが
風が合わず白波の海の濁りで
とれないかもしれないが海へ
思った以上に水が冷たい
フードをかぶるが
手袋は左手だけ戻る時間は惜しいので
このまま海の中と水面を、山をみたて
流れたら戻るの繰り返し
広い海の不思議で川のように横に流れている
いつもよりシャッターを遅めに設定し
あとは成り行きで見ないで押す
いかに波が早いか
波という固有物ではなく
水素の風が波
水がくっついては離れる姿
一時間くらい海にいると
手が痺れ、回転を繰り返し
少し目が回った
二度とない時間
海の中は轟音と静寂
浄化と回転
間合いを読む感覚の修練と
目に見えぬ崇高な太古からの周波数と合わせていくこと
たかが水の中だが
水は記憶をもち全てを観ている


曽祖父も祖父も山の人だった
大正、昭和とザイルはロープでテントはキャンバス
パタゴニアのようないいウェアがあったわけでもないが
当時の写真を見ると、沢登りや槍ヶ岳や様々、親子や兄弟親戚で旅をし
大東亜戦争中はドンコー会という名前で
戦地にいる家族や兄弟の仲間の名前を書いたのぼりで登っていた
古田織部が家康に切腹させられと分かった5男は織部重成ののぼりを背に
大阪城で豊臣川につき戦い、討死された
のぼりにはそんな家族の思いがある
日章旗の寄せ書き、と同じ
誰もが無事を祈っている
幼い頃からスキーに連れて行ってくれた
チエーンを巻いたベレッタでスキーの帰り道、群馬の車屋で通りがかりに買った
プリンスワゴンのやねに、みかん箱をいくつものせ
チェーンのチャンしゃん、チリチリと雪道を皆、ゆっくり走っていた
運転もみなマニュアルでうまかった
逆走なんか考えられない今の運転技術の低下
オートマの車が危ないから
作らない方がいいと思う
向かったのは野沢温泉
板は器用な祖父が作った木のいた
作っているところを横で見ていた
ストックは竹とかろうじてスチールパイプ
靴は牛がわだった
足が狭くてキツかったし
濡れた
そんな無料の村の湯気が立ち込め
雪の多い饅頭屋の蒸気の漂う急斜面に家々が立つ
野沢で二回足を折った
林間コースを一人で入り
コースに出たら穴があり
ビンディングもいい加減で外れず
てこの原理で折れた
もう一回も足だった
その後さらに、表万座で白樺にツッコミ大腿骨を折ったのはひどかった
ぶつかる手前にしぬかな?と思い頭を抱えた
飛ばされている時は以上に長く感じ
早く止まらないかな?
生きてるかな
走馬灯のように人生を見たら死んだんだったかな?
など以上に冷静だった
原因は春の重い雪に足をとられ
つつ、技術不足
大迷惑をかけ本当に申し訳なかった
その後、猪苗代でスキーを中学生や高校生に教えるアルバイトを数年続け
基礎から学び
数十年後、日赤の雪上安全法を所得した
(スキーパトロールは2種類あり
スキー連盟の企画する技能検定一級保持と
日赤の2級程度の腕前とやる気の二つ)
泊まり込みで数日、朝から練習とテスト、夜は座学とロープワーク
眠くて仕方ないが、掛け流し温泉が楽しみで
初めて出会う、日赤の人や、やる気ある人たちとの交流は、今も続く
何よりも講習の山は、なんと足を折った山の隣の万座だった
写真は飯士山修験道の山だが
岩原スキー場
舞子スキー場と
一つの山は挟み撃ちで破壊されて
きつねやウサギを追い出し
ゴルフ場と同様、不自然な造成され除草剤を巻かれた末の姿が
スキー場であることを知ること
申し訳ないですね
山を人間が破棄して
そのおかげで楽しめてますが
若者たちが怪我なく楽しめ
いつかこのおかしな、現状と破壊の上にあることをしり
宇宙と山河を慈しんで欲しい
知らしめてください。
と
ことわけをし
祝詞やハワイのエホマイを捧げ
お酒を注いだ
苗場ではないが
たまたま手にしたお酒の名前
現実を観ること
いいも悪いもそれが
どうなっているのかを
胸をそらさずに読むこと
雪は海の水で地球の水の循環
全て違う雪の結晶の謎めいた世界
山は元々海の底
海にも渓谷がるように
水間か空間の違いだけ
魚が鳥に変わり
珊瑚や海藻が木になっただけ
山は過去のやり残しをしているそうです
研究

太陽は毎日来るが
動いているのは地球
地球が1秒間に約400m東回りに自転しつつ
さらに固定された光源の太陽の周りをきれいに1秒で30km動く
さらに何千もの星が、太陽を中心に回転運動をする謎
波を押すのは1秒の500分の1=0.02秒
地球の自転は400mの0.02秒 だとすると20m地球は回転した時
そこに波が来る
速さは常に違うが0.02 から0.04秒で撮らないと止まらないから早い
しかも波の穂先は早いが
根元は遅いとか
無限な時間軸がこの1枚には介在している
波は近寄ってきて崩れるが
水そのもの、水面そのものは、あまりその位置を変えていない
沖の水が波となり僕に来たようで、実際にお気に見えた波の山の水は僕にはきていない
水素はなぜか電気を持ち、離れてはくっつく
多分音波や、祈りの声や、波の音や鯨やシャこの音など
古来からの音や感性の記憶を持った生き物の分子の塊かなと僕はおもう
水中の風が波動で、月などの引力も影響し
泳いでいる僕の波動や気持ち、電磁帯、アストラルタイやエーテルタイも周囲の水は感じたり
電気的な影響も及ぼし、また及ぼされ
この波という水中の風は形を変えながら、光と影を透過したり吸収したり反射したりする
この水中の波は三百六十度
密度があり、隙間もあり塩分の分子もプリズムのようにいたずらをする
超立体的である箱の中に
僕がいて何かを瞬時に海は造っている
波動は水素の結合しては離れる姿、微細な透明なビー玉の波が
押し合いへし合い、混ざり合い、離反する謎の生き物な水分子
東から来た太陽光線と波が合わさる瞬間
地球の時点は右だから
東から来た太陽と波を
ここでは指からの連動の動きで鋭く潜り、回転する向きを決め
瞬時に波に間をためたりしつつ
回転し、逆さ見なったり様々、波に合わせ
ほぼ右手人差し指か、波が強い時は人差し指はカメラのハンドルをにぎり
中指で押している
時点の速度に合わせて回転するが、波は自転とは逆の左巻き
俺は少し先にいるのか?
空気も海も30kmで公転し
波は地球の回転に覆いかぶさるように逆転してくる
この海の神社の鳥居奥宮は南を向いている
本殿は西南
人間にも電気と磁石があり、水に浮かした針先が北に向くように
頭が北に向くようになっているのか?
北枕はいいんんじゃないか?
磁力に自然
鳥居は様々な向き
決して南むきや東だけでは無い
人間様が意図的にその場の様々な予算や都合で作ったのだから
神様の意思とはまた違う
ちなみにこの神社の神様は
いこな姫
若宮の命
つるぎの命
三島大明神
おいなりさん
見目の命
の他にも
大山祇から松尾大社、イザナギとすごい数の神様の集う場所
ここにも祀られている
イチキシマ姫さん=弁財天=七面大明神=龍神
のお宮は南むき
本家 広島の平家制作の宮島の厳島神社の鳥居は北
家では仏壇は南
神棚は東に向けろと言われている
泳いでいる時は南向きの奥宮は
左に見えるから北だ
体の水面での向きは最初は東
撮る時の水中では回転すると北か西か南か東だが
東の太陽が3体2のフィルムサイズのどこかに入るように
手首を傾ける
この写真は東向き
よくわかりませんが
宇宙の仕業に寄り添い、即すしかないのが地球人
人体の物理的な電気とか
僕の個性
なんていうか今までの修行や神社の神様の影響や
先祖の何かとか、侍や忍者の何かも関係しつつ
世界の色々な海の体験や音波や音叉や細胞に入る水分子の記憶
感情のキルリアン写真的なオーラ
エーテル体や様々
と海の水がぶつかった瞬間
DNAも回転する記憶装置
全ては回転するトーラスとフリーエネルギー
戦後日本の魂の強さや、霊性を解体しようとした GHQ
仙術、道教、南極星、北斗七星、陰陽道、古武道、禅、神道
マントラ、印は補助的は方法で、海の真理をより深く思い出し
誘導するためのツール
古来の人々の懷を大切にすると豊かになる
日本人の精魂のけだかしさ
とどのつまり
一人で風や海や山や全てへ伝える
心のまっさらな真っ直ぐな思いでいい
墓なんかいらない
戒名も坊様に架空請求される法要もいらない
自分でやればいい
全ての要素と呼応し
調律し合うのがこの宇宙との約束
宇宙や海の流れを邪魔をしないで
遠慮すること
ジャンクな大量生産の物や食べ物に汚染され
狭い籠で競争させらる学校養殖
利己的なお願いだけを神社に
都合よく置いていき
自衛隊など御神体の富士山に大砲を撃ち
駿河湾で潜水艦探知のソノブイなどを海に落とし投棄する
江戸時代の富士講の人々は怒ってます
やはり噴火しますかね
海にゴミや
ぶくぶくの洗剤を川へ流す現状
故郷納税や税金でエコな洗剤や
いい濾過フィルター家庭につけておくれ
おいおい
もはや宇宙の黄金律を破壊し尽くす
手に負えない地球人
お灸をすえておくれ宇宙の隣人たち
研究中・・・
供物

祈りというとなんだか、大袈裟だが
胸の内をそのまま飾らずに
伝えることが
供養とか祈りとか、信心などと日本語では書くわけだ
大自然、大宇宙、神話の神々や祖霊や英霊、忍や侍を祈る
現時点で縁のある神様も毎日読み上げる
仏ではお不動様、役行者、蔵王権現、薬師如来
浮世絵師や天海、安倍晴明、古田織部ご家族と
円覚寺の横に住んでいたひいじさんの家も何かの縁で
昨年からは怖くて入れなかった鎌倉武士の御供養をはじめた
名前がある以上個性を持ち生きてきたわけだから
そんな彼らの名前を呼び、供物を捧げ話しかけている。
しかし北条は深い。江ノ島で山籠し龍の化身イチキシマひめに
日本の100箇所の霊域を祈りにいけば7代まで北条は持たせると言い
北条の家紋は、その龍神がおいて行った3枚の鱗 (三つ鱗)と言われている
最後の高時で結局は9代ではなく7代
間の2代は事情による正式ではない執権らしい
北条が編み出した
土地の権利の法律などを記した
御成敗式目の第一条には
神官、僧侶はそのつとめを全うし
人々は祭礼と供物を欠かさずにすれば
霊力が上がり自然に幸せになると
すごいことが書いてあるが
しかしながらその子孫の
地位と権利の欲望で
謀られた
和田義盛さん、畠山重忠さん、比企さん、安達泰盛さん、梶原景時さんらをしのぶ
だからどうだこうじゃない
細かいことはどうでもいい
今の我々には永久にわからない
またわかる必要もない
それぞれの正義
と実際に存在した彼ら
自分がこの世で死に
数百年後に知らない誰かが
酒とおにぎりを1つ
レーズンや柿を一つ
持ってきて
名前を読んでもらえたら
どんなに嬉しいか
世界万民
宗教なんか必要なく
そこに尽きる
歴史の学者の言うことは
置いておいて
感覚的に野性的に感じたことをする
波の中こそ、細胞や触覚と感覚と宇宙の
叡智を繋ぐことに尽きる
魚の写真は撮らない
なんとなくきた波に合わせるだけ
決めたらそこに漂う
運も使命
使命も運
人は持って生まれた約束がある
そこに気づき
感覚を宇宙と合わせ
己一人でその砂鉄を集め叩き続ける
と一振りの刀になる
海も同時に修行であり祈りである
1枚の写真が供物なのかもしれない
真実は宇宙と海に

出雲は杵築と昔は言いました
紋様は亀の甲羅ではなく
海蛇の鱗を表すとも
実は霊蛇=龍神も祀ります
(秋には南からセグロ海蛇が実際に来る)
蛇が龍の化身で神様を乗せ来ると伝承され
これは出雲族の長 富美家の出雲口伝ではインドから来たと言われるクナト王の部族達が出雲族になり
インドでは森の神コブラ、ワニ(水神はナーガ)の代わりに
旧暦の10月に南から流れ着くセグロ海蛇を龍神=霊蛇と祀った
これは歴史がひっくり返るというか
真実の元に戻る時期が来るのでしょう
明治政府が呪術や修験道を禁止したのも同じで
目に見えない日本人の強い精神力や様々を解体したい
天照が天皇の先祖としたい
事情に通じているのかなと
神棚の真ん中の大麻は天照大神にしなさいという神社庁ですが
僕は元の神の1人
アマノミナカヌシ と自分で書いた紙を入れています
出雲族の土師氏は菅原道真さんのご先祖で
自然信仰や海や神を大切にした物部=忌部でもある
仏教を輸入して政権に混ぜ込んだ蘇我馬子は日本を壊す工作員なのか?
聖徳さんはどう考えていたやら
対馬の間者たこやを使ったのが最初の忍者の始まりとか
複雑でわからない
神様は一つではない、同体でもあるとか
何代もいるとか
藤原不比等さんが都合よく書いた古事記も
見て聞いたことを書いているから
あながち嘘ではないらしい
4000年前にきたクナトの国トラヴィタ族が武力ではなくやがて出雲族となり
やがてヤマトを治める長髄彦につながる長髄彦はタケミナカタととも聞いたことがある
何度か奈良のとみ神社や池の近くの長髄彦さんの地に供養へも行きました
ある方に僕が長髄彦さんの何かを受け継いでいると言われたこともありました
クナト王=富美長髄彦さんは日向の神武天皇に追いやられ、東北へ逃げたらしい
出雲=出芽 初代の王=八耳王の奥さんが稲田姫
その子供が
年長を大名持(王)
下を少名彦(副王)一寸法師とも言われ混同
東を富美家
西を神門臣家で日本を統治
8代目の王様 神門臣家 大名持 八千予=大国主
副王 富美家 少名彦 八重波津見=事代主
親子でないの?
インド人が出雲族?
出雲にはチャイとチャパティが神様はよろこばれる?
2人ともタケヒナドリ(武夷鳥命)の策略で騙され
サメ(神様)が浜に打ち上げられ徐福の連れてきた子供たちが
が騒いでいると
その海童たちに拉致されて
岩に幽閉されたとも
鎌倉の比企一族と同じ
北条が嘘の仏事の相談で呼び寄せ
殺されたのと同じ
龍神のみち

日本の波は写るのが難しいのかもしれない
海外は波パワーもすごいが、波が派手に崩れるので写りやすい
日本は天候や透明度に加え、太陽光線がどう当たるかが毎回違う
宇宙から来た太陽が一番先に当たる地球は日本らしい
千葉の外房の海のちかくの玉崎神社が最初などというが
そこはどうなのかわからない
その光の先っぽとラインが富士山にあたり、七面山の敬神院の山門の中から50mほど下のお堂の七面大明神(龍神イチキシマ姫)琵琶湖の聖地竹生島の龍神イチキシマ姫から出雲大社(ここもイチキシマ姫と龍神を祀る)へいくと
山梨の七面山の友達の山の僧に聞いた
なんだ龍神のみちか
伏見稲荷の熊鷹池と那智滝と川も龍の道と聞いたことがあり
伏見稲荷の御膳谷の社へ御奉献したお酒を3ヶ月後に受け取りに行き那智へ注いだ御膳谷は昔は
茶店だったらしいが、今は社と社務所があり、お酒を御奉献すると3ヶ月後に受け取り行けます
今は亡き霊能者でお稲荷さんに生涯を尽くした
砂澤たまえさんのお塚もこの向かいの奥にあり、お参りさせていただいています
海の撮影とともに全国へ供養と清め払いの旅をしていまして、この波へ泳ぎ見ないで押す行為も
結果の確認や使命だと思い、忍や侍、九州隼人族、長髄彦出雲族、英霊の供養と連動しています。
山へ行くのは過去生のやり残しをしているそうです
きな臭いエシカル

科学も人間の都合や思惑の届かない世界が宇宙と地球
海と山は一つの地続きにすぎず
地球も宇宙の海に漂う島に過ぎないが
人間様は欲と自己の主張ばかり
思いやりも失い、コンビニのトイレも無断で使うずるさ
これは砂漠化した蟻塚の暮らしが、自然や宇宙との約束を忘れさせ
電子レンジでチンのコンビニ化した暮らしのツケ
は、そもそも自然界=国土から目を離し、自らサーモスタットのきいた水槽の魚になった
為に、自然の怖さや強さや、神仏や先祖を尊ばないツケ
バランスの位置がずれてしまっている
エシカルとか、環境問題とか美麗な言葉を並べて、結局ものを売りつける手段に悪用しているだけ
新しいものなど作らず修理すればいい
車は特に顕著
環境に良い車など存在しない
新しい車を作れば環境を破壊するだけ
見え見えの砂上の言葉
ある霊媒を主とする神道の方に以前お会いした際に
おろしたい方がいる場合のやり方を教えていただきました
天津神 国土の神
国津神 天の神
遠つみおやの神=先祖=神様
をある方法で読み上げ所作とで
繋がるという方法でした
伯家神道の修行をされたご年配の方でした(中には昨今の世相で紛いものの方もいるようです)
いきなり何も行をしない方がやるべきではないのですが
こうした、自然霊や様々宇宙への祈りを2600年?以上前からしていたのが日本人です
アメリカ約250年 大英帝国年約950年にすぎません
元々日本人が持つセンスが逃げられない遺伝と宿命があるようで=霊的感覚 霊とは霊魂ではなく高次元なスピリット広い意味があります
出雲族の聖地 国津神 大国主さんのお膝元に
写真がご奉納していただけることになり
数年前から続く
奈良のとみ(トビとも)一族の長 神武と戦った長髄彦ながすねひこさん(出雲族)
のことと結ばれてきたようにも 長髄彦の御霊わけとも言われたこともあります。
これは伊賀の敢國神社の神 おおひこ、すくな彦、金山彦、とも関係があるとも
毎日お供えと祈りを神棚でしています
出雲では古来から実際に海蛇も、沖縄方面からこの時期だけ流れ着くのですが
霊蛇神=龍神を11月に祀ることも関係があるようです
(この時期だけ日御碕神社、出雲教さんで祀られ、お札もあります)
25年前に海へ無酸素で一人泳いで波の中に向かったあの日が
こうして繋がってくることも不思議です。
京都の古田織部さん、曾我蕭白さんの菩提寺で、高虎さんが守った臨済宗興聖寺に
この頃の写した葵フィジー の写真が襖絵としていきなり治ったのも不思議です
伊勢神宮では写真集を宮家のご紹介で特別奉納の祈りを365日していただきました
もったいないくらいのありがたい海のお返しを賜りました。
水となみとどうやったら溶け合えるのか
営力を超えた場に行くにはどうしたら良いのか
正直なドキュメンタリーな考察を合理的に自分の力とてらし合わせ
溺れ、溺れ今があります
2015年からは日本の聖地や神社の海でお祈りをし写しました
もし良いのが撮れたらありがたいですだけで、御神酒を捧げ
海にも御神酒を注ぐ日々がバレエの人の撮影にも繋がっているように思います
目には見えない魂を1枚に残すこと
写真はファインダー見ないで押す
海と人は波動で成り立ってますので同じです
現世 うつしよ 写世 とも言えます
海の撮影は、同時にこうした供養や祈りの旅(願い事や御朱印スタンプラリー)ではない
自分のためではなお参りと同時進行しています
伊賀忍者の供養に行くと
ある金峯峰寺系の山伏さんと知り合ったり
京都醍醐派の山伏さん
羽黒の権禰宜さんなど
縁が結ばれていくのも振り返ると不思議です
それで自分で海伏と命名しました(商標登録)
古武道も同時に入り始めたので海ぶしともいえるかもしれません
これは特別なことではなく、古来日本の武士や農民も星々や山河を崇め
占術や陰陽道と溶け合い生きてきた、ネイティブアメリカンやアボリジニ
アイヌと同じ地球の共生するハートが真理としてありました
聖徳太子が (たこや) という対馬の間者を使ったのが最初とか
クシナダヒメのクシに化けさせ情報を仕入れたのが
忍の始まりとも文献にあるそうです
でも文献は色々かけますので真偽は不明ですが
こうした話があることは
火のないところには煙は立たずで
何かはあったのでしょう。
前々から言っているように、地球人の傍若無人は破壊と欲で
宇宙や海そこに住む、海の御神木のサンゴや魚や動物がかわいそうです
ホピ族の言い伝えのように、人間がおバカに振る舞い、4回粛清された
5度目の大いなる存在(タイオワ)の力で
また記憶を消されリセットされる日もくるのでしょう
黒い水が来ると書いてあったかな

海や山や風も生きている
粒子の一つに個性があり
海から雲になり山を覆い
また山に落ち川を通り
海の中の山を水として覆う
彼岸に先祖や死んだ侍たちを祀り
仲良く、古来から彼らが尽くしてきた宇宙や神々への祈りも
含んでいる
仲良く憶い出を語らい、宴を囲むのがお盆
お盆休みはそのためにあるが
どこの家も今や迎え火も送り火をせず
それを悪用する住職にたかられたら
日本を脱出したくなり
ハワイやアメリカへ行く
いつの日も先祖との約束をぶっちぎり
帰ってきたら
誰もいないと寂しいのは我々も同じです
秋には出雲にいかず
山の右は亀やま 古来からの祭祀を今で37代目続ける北島家 こちらが上位になる
左は鶴やま 千家家 しかし都知事にもなった千家尊福さんの政治力や様々大きなしめ縄やキャッチーな
千家家が祭祀やると言い出し、皇室の血を巧みに結ぶが別々になる現状
神様に対して企画をしたらいけません。素戔嗚さんも呆れます
今や日本はいつの間にやら
死者になり切るハロウィンに変質
コンビニがなければいられない人々
トイレを貸してくださいと一言言わずに使う(ドライブイン感覚)
宇宙の隅々まで科学で理解し知り尽くそうと欲しがる地球人
宇宙が自然な摂理で作った完全なる世界の海岸線や山を
海岸にタバコやペットボトル安易に投げ
トラポットを投げ入れ破壊
人口の木々の植木のビルの蟻塚にすみ
強い自然をさけ、スイッチポンで、電子レンジでチンし
マイクロ波の産物のゴミを食う
魚や木や雨に胸を傾けなくなれば
誰だって大事にしなくなり、野生力や宇宙観や自然観
神様の見えない時間と数千年にわたり、胸を傾けてきた先人を
蔑ろにしたのが昨今の地球
災害も起こるでしょう
海や宇宙は見て聞いている
自分たちが宇宙の唯一の存在でもキリストでもない
例えば
写真は見えないものを写す
写るから魅了される
しかし昨今の写真屋の写真は後出しジャンケン
都合よく色や形まで変えてします
一度嘘をつくと止まらないのと同じ
現世はうつしよ
写世
全ては真実の真理を自然と呼ぶ
ジネン
もはや宇宙人でも来て
お灸をすえてくれないといけないレベルの地球の海
砂漠に覆われた地球に向エバ、人の心も乾きコンビニ化する
時間がかかること
時間をかけること
自然に祈ること
独り海へ泳げばすぐに思い出す、宇宙との約束
広い視野で
養殖の魚にならないように
モノリス
出雲教 日御碕神社 龍神



出雲の言い伝えでは
秋になると南から龍神が来るという
実際に人間界の可視化された姿ではセグロ海蛇が流れ着く
出雲では数千年に渡り、重要な祈りの儀式は出雲教の北島家さんが受け継がれてこられた。
昨年お会いできた天皇家の血筋を持つ国造様で80代目になられるとお聞きした
穏やかで、品格と知識を越えた何か不思議なオーラのあるお方
お隣の大きなしめ縄の、観光客がいく出雲大社ではなく右隣の社が上位になる
神様は同じだがそこには、どうしても人が介在する以上様々ある
実はこの写真が実は4月にご奉納させていただくことに
思い起こせば今から数年前から御奉献お酒と、新恩感謝のお気持ちでお参りをしていると
お返しに、お待ちください。
と、御神酒とお赤飯を頂いた
ふと出雲の神様の海で「太陽の位置では夕日しか撮れないがとれるのか?」とふと疑問がわき
島根中の海岸を車を走らせた
途中、以上な警戒とバリケードの原発の海岸や様々見たがどこも、水は濁り、何よりもピントこず
そのまま美保神社の大国主さんの息子?海の神 事代主=言代主さんへ
ご奉献のお酒と神恩感謝のお気持ちを
お渡しすると、宮司さんが少しお待ちください。とおっしゃり
しばらくすると、本殿へどうぞと、3人の宮司さんが太鼓と笛でご神事をしていただいた
なんだか涙が出る不思議な空気に感謝した
そのまままた海沿いに出の日御碕神社へ引き返す。
そこでダイビングショップを経営し
海底遺跡を発見した岡本さんへ、どこもいい場所はなかったと伝えた
まっ散歩でもして撮影は諦め
海岸の掃除をしに行くと
今まで知らない港の奥が、なんだかいい雰囲気だ
テトラポットの山はあるが
かろうじて、海岸と海は昔のままで
三角の奥が細い岩のほこらの奥のペットボトルや漁具やサンダルを拾う
なんだか怖いけどこの付近がいい感じがする
波に乗れるような今までのような波はないが
沖からうねりが磯にぶつかる波はある
ここだ!
俺は波を移してるのでは無い
いい雰囲気の海岸線で祝詞を捧げきよめ
太陽を水から押すだけだ
水がかき混ぜればいいわけだ。
と一皮むけた感覚と確信がきた
岡本さんに見つけた!
泳いでいいの?と聞くと
いいんじゃ無いかな〜。でも自己責任で危ないよ
でもね
あれ、なんかみえる人?なの
?
感覚で海岸線を観察してなんだかいい雰囲気なところいつも泳ぐ
いい雰囲気があの岩の切れ目の祠?にもあった
あそこは前にね葦船を作り、古代の神事をして観える人が
あそこは昔の祈り場で祭事をしていたと
その人は船で沖に出ると
ここは何か感じるというと
今は沈下した水中の昔の参道の祈り場の上だった
そうだ出雲教さんでいただいた御神酒とお赤飯を海へ注ぎ
貝をたて、祝詞と般若心経、道教のくじぎりをしてから泳いだ
海は入るまで怖かった
なんとも言えないスコットランドの寒々した青黒い海
幾重にも沖からうねりが来ては
岩の浅くなった場所にぶつかる
波に流され岩にあたらぬよう、白波の中見えない水中で
波をやり過ごしつつ、日没の太陽に向けてシャッターを押した
日が沈む(経島は天照と素戔嗚夕陽神事の場)近くの民宿まで歩いて帰る頃は夜になった
寒くて震えた5月
この写真は実はさらに奥の岩棚にぶつかる経島の左で写した
泳いで行こうと思うと
岡本さんがボートで連れて行ってくれた
薄濁りの海底と岩棚には海藻が生え
その海藻の動きと同じようにうねりに左右に流されながら
波が岩にぶち当たるその少し前に潜って回転
30分位、なんだが不気味な位海底の切り立つ岩で泳ぐが
酔って気持ち悪くなった
後で聞くとここは昔、神社や祈り場の頃の馬小屋らしいと聞いた
暗くなって行く海岸で、ホースで水を浴び、山の民宿へ帰った
海も生きていて、見ている
言葉を聞き、記憶を保ち観ている
伊勢神宮にも過去に、写真集を特別奉納させていただいたので(所蔵は人間国宝レベル、それを以前に書や篆刻や器は伊勢神宮2000年の歴史にあるが写真は時代が若すぎて項目にない)
(朝晩写真集に祝詞を奏上し、365日後に高天原にお焚き上げをする儀式)
これより伊勢の天照大神、豊受の神=稲荷=龍神とこの出雲の海の道が通る
何かしらこの日本と宇宙へ海からお手伝いができたら幸いです
空間と水を飛び越える

古武道tお同じ水中
動きという動的な物質的な事とは別に
水に溶け合い、その水の時間の隙間に入る
ファインダーは見ないでも写るのは
人も同じかもしれない
人間も海の成分と同じ整体水で
振動し共鳴もする
正中線という軸に線を
どんな体勢でも失わなずにいることが
命を守るのが古武道
その線とは
自分自身の線が維持されていて初めて
相手をずらすことができる
間合い とは距離だが この間合いにも呪術めいた何かがある
波は未来から来る透明な風
その風というかエネルギーに水の分子が微細に反応し
あたかも生きたように、繋がり、いとも簡単に離れる謎
科学では届かない今がある
水分子の繋がりや、角度
つまり平面ではなく
水中の全てが水分子の密集した空間で(水間)
その中に人間がという物体?すり抜けられる?
別な物がいる
写真も奥の光と形として見える波はあるが
実はその手前にもある
が透明で光やエネルギーが静 なために写らない
でもある
無いものに、あるように見せるのは
波動というエネルギーと光の屈折
透過、反射もある
水の隙間にで、シャッターを押すスピードは
人間界の1秒の500分の1
0,02秒
目には見えない時間を
人間が作ったカメラが残すわけだ
人の写真も少し前に押している
ここだという、瞬間が少し前にわかり
移動しレンズを向けたと同時に押している
撮られた気がしない
のは波も人も同じかもしれない
楽しむこと
考えも無い
目で押さず
正中線を保ち、スーッと近ずいて一気に押す
それが写真