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Chacott Photo shooting
Chacott

2001年にオーストラリアの波へ向かった
そこはライフガードの資格を数週間かけ、未知の訓練と
ひたすら水泳。座学は英語で心肺蘇生のCPR、EARにヘリコプターを呼ぶ
ビーチオペレーターなど
頭も体も相当キツかった
いちばんきついのは、体にたすきがげ した、岸の巨大なリールに繋がれたロープ
をつけたまま、波の崩れる沖まで潜り泳ぎ、溺れ役を回転させ背中越しに抱える
サインの片手を上げると、ぐいぐいリールで岸のライフガードに引かれる
溺役を両手で背中から抱え、岸に背中を向けながら引かれると
前から波は来るから潜れず水を飲み、腰が曲がり自分が水中に引き込まれる
こんなレスキュー方は助ける方が死ぬな
とごぼごぼと苦しいなんてもんじゃない
それでも、日本の明治の終わりの
100年前から歴史あるライフガード
日本人には、ボランティアで海で人助ける役の人を配置し人命を見張るなど
考えも及ばない事実
しかもヘンテコな黄色と赤の帽子をかぶり海パンだけ
体は冷えないのか?体や腕はロープで擦れ、ミミズ腫れ
その上、海にはサメも死ぬ可能性もある写真を見せられたアカクラゲもいるから気を付けろ!
なんていうが
水中は見えないから
無理です。
クラゲなんか運そのもの
そして朝8時にプール400mを9分を切らないとやり直し
もキツかった
最終試験は海岸を200m走り沖のブイまで100m泳ぎ
また100m泳ぎ戻り
ゴールまで走るランスイムラン
これが8分以内!
波がとにかくすごく
ぜいぜいしながらちょうど8分
危なかった
できない人はまたチャレンジはきつい
マニュアルには潜ってす砂をつかめと書いてるから
やったが浅瀬はいいが少し深くなると全くできず
やがて波の下を潜り潜ればいいと体験から知る
なんだこの教科書は
そんな体験は1989年
あの時間がこんな写真に役立ち命をつないでいる
波がきたら引くはない
ひたすら沖へ向かい波へ頭から突っ込む!
つべこべいうと、遅れ、進入角度が甘くな理、勢いもおち
暗黒の泡に巻かれる
黙ってやる
気合いという不可思議な自分の自分とずれないようにする
hinomisaki 神とテトラポット

ふみしま(経島)経文のきょうと呼ぶ島は、小さな鳥居があるが
日御碕神社の宮司さんがだけが行かれ祈る場所
目が怖いウミネコの声につつまれた繁殖地
しかし正直、周囲は防波堤やテトラポットの心無い海洋土木の
不自然で神々に失礼な工作物で覆われている
港がどんどん広げられ、この数年でまたテトラポットの山が
中筋グループが国の依頼により行った
中筋さんは仕方ないと言っていたが
国がこんな大事な祈り場を、いくら漁船があるからとはいえ
神社の前の聖地を伊勢神宮のように守るべきだが
神様がやってこられる稲佐の浜でさえテトラポットが迫る
(テトラや海に土台として沈めるケーソンの成分が海のpHを下げてしまうしなかの鉄筋や様々な化学物質も環境によくない)ケーソンの制作現場も国交相の関係の撮影で見てきました)
一説には天照大神(女性)が夕陽神事をしていた大切な島
実はこの岩の島の中は空洞で(岡本さんの経営するダイビングショップ アクア工房より、ダイビングで行かれます)僕も実際に岡本さんに案内していただき行きました
沖縄のセイファー御嶽のような三角の内部の下は玉砂利
お気に向かい2本に伸びる参道や階段や亀など人為的な工作物を見つけたのが岡本さん
勾玉でも出れば考古学的に認めれるとはいえ、いろいろな先生が来てやはり
人工的に作った道や歴史的にも間違いなく古代の祈り場でしょうとのこと
西暦八百年の地震で10m沈下したらしい
岡本さんも散々、金属探知機や砂を掘り返したが
まだ見つかってないそうだ。
なんだか独特な雰囲気と、ちょっと怖い海
日御碕神社は素戔嗚と天照を祭り
裏には素戔嗚が自分で柏の葉を置きここに祀って欲しいと言った森もあります。
出雲には(須佐神社)もありますが
ここも大事ですとのこと。
出雲は実は霊蛇=龍神を祭ります
10月には南から蛇が(えらぶ海蛇が実際に来る)
蛇が龍の化身で神様を乗せ来ると伝承されている。
この時期には霊蛇のお札やプリントの掛け軸(約7000円)も販売されている
この海の岩場にあたる波で写真を何枚か取らせていただいたのは2019年
海に出雲教さんでいただいた、神前酒とお赤飯を海に捧げ貝をたて、祝詞を唱えたのは2020年
出雲は出雲大社(千家家)が有名で、東京都知事ににもなった政治家の千家尊福さんは有名でそのせいか
全国に布教活動をしていた御師(押し)のおかげか(伊勢神宮は御師をおんしと呼ぶ)
出雲といえば出雲大社!と観光客には大きなしめ縄で広告的にも有名で、僕もよくわからないまま
訪れ、地元の方にお聞きしました。
実は古来から神事を司ってきたのは、その右隣にたたずむ出雲教さんです。
やがて千家家もやらせて欲しいとなり、国の命令で順番にやるように。
観光局のパンフレットにも掲載されないと地元の方、確かにあるパンフレットには載っていませんでした。
政教分離が抜けない日本の昨今
天皇家の血筋を受け継ぐ、北島国造様で37代目となると
昨年初めてご面会させて頂いた際にお伺いしました
出雲は基本的に国津神の大国主、事代主、タケミナカタの兄弟、少な彦(一寸法師)イチキシマ姫様(弁財天)を祀る滝の池もある
天津神の天照大神が戦いの末
入れ替わった謎。諏訪においやられたのが事代主の弟タケミナカタ(龍神)
いずれにしろ数千年の時と地元の方々に大事にされてきた聖域
浮世絵し芳年さんも絵馬を奉納した氷川神社は斐伊川から関東に来たという。
僕も自然と古来からの祈り人北島家の清らかなこの霊力漂う地に
2018年ごろからお酒と新恩感謝のお気持ちをご奉納させて頂いていました。
そんなことを書いていたら
あまり話したことはないのですが
京都のサンエムカラーさんで作った高精密印刷の写真集Blue Forest
が伊勢神宮にご奉納された日のことを思い出します
以前,陛下のお姉さまの伊勢神宮の祭祀の際には先達されていた池田厚子様のご縁で写真集を伊勢神宮の内宮へ
特別奉納させて頂くことに
あの時は伊勢神宮の奉納は基本的には人間国宝レベルの方のみ
そもそも伊勢の2000年の歴史において、奉納のカテゴリーにも写真は時代が若く
ないとの内容。
2週間僕のことを調べます
その結果によりできないこともありますと
言われました。
そして2週間後
大丈夫でしたので(内容はわかりませんが)
と伊勢神宮の祭祀を取り仕切っておられた方より
お電話をいただき
日取りを決め儀式を行い(その後365日朝晩写真集に祝詞を捧げていただきお焚き上げをし高天原へ)
本当に生涯にない特別な奉納でした。
そしてさらに特別に内宮の中へもご案内くださいました
あそこはやはり何かいらっしゃる
怖いくらいの聖域でした
空気が異次元でピーンとしていまして
お祈りをすると急に「神垂」(しで)が内側に急に動きました
さらに奥の白い玉砂利の社の前は
怖かったのが今も残っています
怖いとはつまり、禍々しい気持ちや嘘はいけないという
宇宙の法則のようなシンプルなこと
ネイティブアメリカンやアイヌやアボリジニの方々が
思う、自然と宇宙と一体で自然破壊は我が身のように思う気持ち
です
ここがなくなると、平気で神域にテトラポットを投げ入れ破棄してしまう
海や公園に食べたゴミやタバコを捨てる
本当は間違えだが、目先のお金や国の政治的圧力でやってしまう
バチがすぐに当たれば気づくのかもしれないが
五十鈴川の護岸を全て固めダムを作りペンキや水銀を流すようなものです
出雲海も掃除を言った時だけしてますが
テトラポットと漁具やペットボトル、発泡スチロールだらけ。
テトラももうやめて欲しいものです。
神様はなんと思っているやら
Amsterdam

2019年以来コロナやらで行かれなくなっていた海外の展示
ブースを借りたギャラリーEに嘘をつかれ展示費用をぼられたりといい経験。
10月のアムステルダム、間に合えば7月ベルリンに行くか!
主催者側は僕のGallery UmiBushiで参加出来ますよと、登録をしてくださった。
ミュンヘンのように、一人で全てブースを借り写真を運ぶのみ。
しかし運ぶのが正直きつい。
前回1ヶ月ヨーロッパに滞在し3か所の展示をした。
160kg運びオーバーチャージ羽田で32万が18万
スウェーデンからドイツで32万! 作品4枚破損のルフトハンザとエールフランス航空
ドイツからアムステルダム9万!
交渉を笑顔で前向きにしたから安くはなったが・・・
壊れた写真もカードの携帯品保険もダメ、ルフトハンザは
そもそも壊れやすいものだからダメ?間違いなく投げて角が潰れていたがどこの誰だかが特定できず
1枚1万円と言われ。馬鹿にしてるから申請はしなかった。
ビジネスクラスの機内預け容量は32キロ二つ
これを5箱W120センチの写真を運ぶため、段ボールの箱も手製にしたが
爺さんの家の体重計が狂っていた事実
結論として、気持ち強く、健康で力持ちなら、英語が微妙でも運ぶのは出来なくはないが
行ってからの移動がまたベンツの大型タクシーになり高額になる
日本からヨーロッパに持っていくのがとにかく高いのは仕方ない。
ニューヨークで会ったギャラリーの黒人の女性とスウェーデンの展示であった際
木箱でDHLに頼み輸送だけで60万かかったといい
一人でどうやってこんなに運んだ?と聞かれ笑われた。
皆、夢を生きる
実は作品は前回また来年来るんだろう?もしよかったらあづかってあげるよ
と展示で知り合った、毎回参加しているうちに友人になった、オランダ人アーティスト レップリンゲルにあづけたまま
まだあるの?と去年きいたら、大丈夫だよ兄弟と言っていたが
状態がわからないな〜 外人の大丈夫はな〜
また運んだら帰りは、もち帰れない、無限ループになるな〜
海外で簡単にプリントして作ればと
言うのですが難しい。
まづ色が出ない。(説明が英語でできないのもあり)見本をくれといいうが。それには前倒しで7日ほど滞在しないとダメでしょう。
アクリルマウントはアムステルダムの加工場を紹介してくれたが
実際に行って話すが片面3mmしかできないと
(これは必ず将来反ります。)
額装?またこれが難しい
色々もし作品が壊れていたり傷があるかもしれないから
最悪何か持っていかないと、白い壁だけになります。
ワクワクしてきます。
ベルリン7月
10月アムステルダム
7月はファイヤーキングの準備もあるから
無理かな〜?
ドキュメンタリーに経験をさらに アレンジしようと思います。
微細は隙間の風


水は海の中の風
水が動いているわけでも
海が動いているわけではなく
波とは何か?
なんでもない
何にもない
自由自在にエネルギーを受けては反応する水素のつぶつぶ
素粒子が動くというか
滝は水が落下しているわけはなく
水素が水素を引っ張り合う姿
平水面なら川は何か?
あるけどない
ないけどある
般若心経も確信をついている
供養、祈り目に見えないもの、魂は残るのであれば
そこに届く声は何か?
思い
念
シンプルに言えばそうしたものとは違う
言葉にするとややこしいが
言葉もない気持ち
信心?
だから供養は大切
この空間や歴史や時間をこえ
空間と宇宙を癒す力がある
なんていうか整えて調律する
海の波は一つの「物」
ではない
細かい微細な、見えない水中の風(エネルギー)が
伝わり、離散し、またくっつく
方向性も何もない自由自在な何か
その何かは記憶や時間を見てきた全てを
知っている
命があるのか?問われると
わかりませんが
少なくとも「物」ではない
海に言葉を捧げ
存分に生きたここちを、理解し楽しむこと
頭は捨てる
全て自由自在に脱力する
いや、脱力もしない
言葉は脆弱だが
そこに何かを乗せると
水間や空間に入り込める
周波数が違う
太陽も過去の光
波動は未来のもの
その隙間に溶け込み
入り込み押すと、たまたま写った1枚


自分では海は古武道とよく言うが
どんな意味なのか
神術的
心的術
体術
が古武道の動きや意識ではあるが
昔、水にどうしたらなれるのか
普通に泳いだらいられないはずの波の中
どうしたら崩れ散る波の裏から高速な雪崩の水を写せるのか
いや
そこにまづいられるのか
知りたかった
誰も撮ってないものを撮りたい
泳ぎ始めた25年前青い世界のフィジーで
波に揉まれながながら考えた
所詮抗えない
上や前から全てをかっさらうエネルギー
そのエネルギーを受けて 流す
受けて流すから動く水から逃げられる
高速で動きと真反対のエネルギーの数センチ手前の
波動が伝わり始めた、水のかぜを利用して
その力で回転し、方向転換する
鮎や鯉が逆流する一見高速な水や滝に登れるのはなぜか?
答えはそこにもあるが
水中では波を交わして(かわす=逃げる)のだが
交わすことで水が助けてくれる力がある
防水ケースのカメラは手を出し、なんとなく、鋭クレンズをその時々の方向へ向け
みないで押すだけ
意識を使う
波という名詞的な一つのものではなく
連接する微細な水の粒子と波動の風は陰を含む
そこが不可思議な生きているような何か
未来と今と過去の隙間に入り込むようなものが波の中
滝は垂直落下
波は並行であり、また水分子の中で溶け合うビッグバン!
ここがまだ研究中
オンワードとチャコット

オンワードは芝浦が始まり
オーナーの樫山さんや馬場さんは海が好きで
会社のロゴも太陽の黄色と海の青
子供の頃毎日のように、自転車で白金小学校の友人と
釣りに来た海に目の前にビルが建ち
そのロービーに写真を飾っていただいた
Chacottと土屋さんの創業で後継がなく、オンワードが買い受け経営
だからオンワードのグループ
現在はオンワードの副社長だった先代の馬場さんとは同姓の馬場社長
僕はオンワードの会長のご縁で、波の写真も個人的に購入くださった。
ご紹介くださった方はパタゴニアで展示をした2009年頃だったか
やがて馬場さんはファイヤーキングの個展に来てくださり
バレエは撮っていただけますか?
「いえバレエはわからないし、望遠レンズのよくあるポーズのパパラッチな写真は撮りたくないです
専門家がいるからその方達に頼んだらいいですよ」
いえいえいつもの
祭りオヤジのような
魂の写っった1枚は?
それなら撮らせてください
ドキュメンタリーならぜひ
そんな一言から始まったのがチャコットフォトシューティング
こうした様々なみなさんの暖かなご縁は
はるか沖のフィジーの離島で独り、それこそ溺れながら逃げ待っていた日々が
まさかの展開に
無心でやる
覚悟を決める
なるようになる
不可思議なご縁や運がある
頭で考えず、胸から入る
体で海流や温度を感じつつ
全神経を張り巡らし生きる術を巡らせる
1枚にかけること
だらだらする映像ではない
1枚
そして
一言
臆することなく
胸で話せばいい
1枚と一言は嘘をつけないから
おみとうし

僕にとって
海ってなんですか?と
昔、ラジオの出演時に聞かれたが
答えが出なかった
今もうまく説明できない
断片的には海は還すところ、循環、心地良い
命の儚さを知る、美しい世界と魔界の表裏
様々な言葉が漂うが
まだわからない
一つの答えにはできない
永久に命があるうちはわからない
わずか数十年の付き合いの海に45億年の時間を
当てはめるのは、都合がいい
山も海も全てにおいて
人間様ではないということ
宇宙は厳しい
雨も波も風も危ない
そんな条件のバッチリ揃った場所が水面の波
体温が冷える、恐怖でパニックになる、岩や珊瑚に打ち付けられて怪我をする
サメもいる、呼吸もできない
恐るべし地球のもう一つの星
修験者が山に登り、古来から(仏教伝来以来な場所と、もっと昔から宗教のない時代から
古神道の時代から何かを先人が感じた場所
そこを彼らはなびき(靡)と呼び、受け継いで守ってきている
修験とは神道、アミニズム、仏教(密教系)、道教(くじ切りなど)
うまい具合に微細に溶かした高純度なもの
僕は修験者でないから、本当の修行もしたことはないが
修験道も金峰山寺派、京都醍醐派、羽黒系、御嶽、彦山など
地域によりその衣装も違う
明治の修験道禁止で随分と絶滅したとはいえ
未だ人知れず、山の奥でその呪法と信心を継承し、ご自身の修行をされている
尊い方々がいる
海は靡であると思う
修験道に誘われたこともあるが
僕は、みんなで白装束と頭にトキン赤や緑の梵天をつけ
行くのではなく、一人で祓い浄めたいから
お断りした
海だから
山伏がいいて海伏がいてもいいんじゃないかな?
羽黒や金峰山寺の山伏にどうですか?良いですかね
とお聞きし
いいなそれ
やれやれ
やりなさい!と背中を押され
海伏と命名したが、肩書きはそもそも嫌いだから
どうでもいいのですが
真似されないように、何か特許?をとれば
で
特許ではないか
商標登録を数年前に申請したら許可がやく7ヶ月後におりた
写真家?海伏?
いやいや裸で海に行けば
肩書きなんか海の藻屑と知る
芯で祈る
祈るというときな臭いから
伝える
言葉にして
ことわけ
全てはレントゲンのように
見て聞いている
その胸の内も全ておみとうしなのが海
1994年ごろのウブドの川


ウブドは特別な場所だった
もっと昔はよかったのだろうが、まだ道も未舗装もあり凸凹で
土産物や小さなロスメン(簡易的な宿が)道路地の奥まで所々にあった
高級ホテルもなく、唯一チャンプアンというホテルとその渓谷ぞいのレストランが好きだった
入り組み高低差のある山の村の
至ところで夜はダンスのショーをしていた
日本人もあまりいなくヨーロピアンが多かった
わずか数百円で寺院の付近でチケット立ちんぼのような人が売っていた
その完成度は素晴らしく、修行を重ね、この村と土地の伝統、コミュニティーのかよう人の心
うまくいえないが、何か自然霊のような感受をも受けるがままに、ここでしか生まれない音と舞だった
初めて見たのはレゴンダンスだった
夜は屋台で隣の旅のドイツ人と話をした
仕事はなんだったか?1ヶ月休んで旅をしていると言っていた
ご飯に黒いぞうむしが沢山いたが、おばちゃんが手ではらい、はいよ
2人で笑い、食べたのを覚えている
子供のころの日本もたまに入っていたから
なんともなかった
昔の日本のようで、そこに神様のがガジュマルの木やあちこちに
花や供物と煙の上がる線香
インターネットもスマフォもない穏やかな時間
こうして思うと、なんでも先にわかってしまい、宿も海外から見て予約してしまう
旅とはかけ離れた、常に先々が担保された工程はどうしたものか
宿な必ず取らずにチケットだけで世界中旅をしていた僕には
どうでもいい話だが
あの行ってみた感じや空気、不安やワクワク感
車を走らせて歩いて、良さそうな雰囲気のいい部屋を見せてもらい
値段の交渉をしながらの旅
もう戻ることはできないな
と思うとあの日々は人と人の触れ合いや
思いやりがあったなと思うし
昨今の歩いてまで携帯ばかり見ている人々には
こうした心の景色が見れずにいて
外からの自然な情報も受けれずに
新幹線で移動したような、点から点だけの移動になり
感覚や嗅覚や触覚を曖昧に弱らせていく
地図を広げないから方向感覚もないまま目的地だけに着く訳だ
当時は皆、自分の足やロンリープラネットという生の声をまとめた地図がたくさんあるガイドブックや
聞きづてで宿やいい場所を見つけていた
旅人の訓練と冒険があった
今もガイドブックは買わないし、ネットで調べない
旅の豊かさが半減し、人間の野生性や感覚や自然観も退化させていることは間違えない
自分の感覚で行動し失敗も繰り返し、時間をかけていた
宿が見つかるのが夕方なんてこともよくあった
あてもない旅はオーストラリア、バリ、ハワイ、マウイ、オーストラリア、タヒチ
からやがて波の旅への変身した
オーストラリアバーレーの海岸では偶然いとこに会い
ハワイで溺れ
また翌月今度はマウイで溺れかけ
ヨーロピアンのゲイがハッモックを揺するモルジブは怖い
やがてフィジーの離島で人を知らない太古のままの波を見つけた
霧がかかる山には妖精がいると聞き
これだ!これこれ!この生きた心地!死ぬ心地!が本物の海だ!
以来フィジー で武者修行をしたのは2002年から
川の音に誘われモンキーフォレストの宿から散歩をしていると
渓谷から子供の声が聞こえたので近づくと
エビを釣っていた兄弟がいた
一昔前の日本と自分を見ているようだった
思い起こせば、旅に行けば行くだけ
波と風の出会いには、必ず不思議な人の出会いもあった
あまり英語も話せず
酒も飲まずバーもいかず、人けのない場所ばかりにいた
80年代ずっと六本木の防衛庁の前の、モータウン音楽のダンスフロアのお店やディスコや芝浦のGoldで働いて
いたからその反動でしょう。
もう夜の世界は卒業したんです。
海や聖地の祈りばや旅の移動手段や時間や怪我しないか、死なないか?とか
敵がきたらやっつけるか!とかご飯のことだけ考えている、誰とも話さない日もある
日本ではおしゃべりですが。喋らない時は数日誰とも話さない、声を出さない。
観光地は全く行かない。
海は命がけで常に緊張するので、気力を調律し体を調整ケアし、お詣りと散歩以外は本を読み休んでいます。
イタリアでもピザも食べない、パスタも仕方なく2回だけ、洋食が好きじゃないと最近わかった。
ケバブかインドカレー
だからバリは食事が合う、人々が常に祈っている崇高な場所
先祖を敬う、ガルガン、クニガンなどお盆である
ナシチャンプルを毎日、ピーナッツソースの焼き鳥のサテを屋台で食べ
砂糖なしの薄いコピを飲む
一人が好き
おみくじとはなんだろう



出雲は最初は神在月、神無月に合わせて行ってましたが
全て混んでいるので
3月から4月ごろにお参りへ
不思議なことに
昨年訪れた出雲。 おみくじは普段やりませんが、代々御師の方が先に出雲大社を勧めますが
僕は出雲教さんへ行きたいので。
後で大社へ行きますと伝え、、御神酒をご奉納しお参りをさせていただき隣の大社へ行くと
もう1人の東京からの知り合いとその方はいらした
「お〜 キョー橋さんおみくじしなさい! あたるから。前 当たったろ神様の大吉 とニコニコ笑う
う〜んじゃ引きますか・・・ 乗り気でない200円!
箱の中のおみくじは少し少なめかな?一度指で触ったおみくじは透明な箱で見えますから、指を離し2枚横のを触って引いた
どうだ!なんだった今年?
あら去年と同じですね
おっ〜!すごいな〜え〜
何枚入ってる?んですか・
大吉多いんじゃないの?
こら!お前な おみくじは業者から買うな52プラス1種類あってな
月に何回か巫女がチェックして、箱を見て少なくなるとその52,3種類の入った業者から買った袋を
箱へ入れ混ぜるんだ
だから、同じのばかりかもしれないし、何年も引かれないものもあるかも?
それはわからんが
しかし俺も始めてだ、同じの引いたのは
内容はなんだ
ざっくりこうです 大吉
「神を日々尊ばねばその先は全てなし」
お前の生き方そのままだ
と嬉しそうに笑っている
続き

江戸時代に御師おし(伊勢神宮だけは御師おんし)が神社の経済面、維持の面でお札や様々全国に営業に行き
その時に出雲大社も、大国主とは関係ない恋愛だの、商売繁盛で広め営業しましたが
実は繁盛したのは逆に出雲大社かもしれません。
よくみなさんがあ〜出雲神社 神様の会議をする大きなしめ縄の連想される
出雲大社は千家家。
出雲には二つの別な社が隣り合わせであります。
向かって左の大きな社が千家家の出雲大社。
向かって右が皇室の血統の祈りの北島家の出雲教さん。
数千年前から全て祈りごとや祭事を行うのは北島家さん
明治時代に千家家は東京都知事や電車会社の社長になった尊福(たかとみ)さんという方がいました
いわば政治的にもたけた方だったのでしょう。
ともあれあまり知られてませんが、地元の方々は古来からの祭司
霊験あらたかな北島家の出雲教さんを特に大切にされてきています。
とはいえ神様は人間界のことはさておき
あの出雲の地になんらかの、時間を読み取った出雲族や土師氏(菅原道真の祖先)物部の方々が
渡来し、祈りを継承されてきた、人間には永久に分かりえない不可思議な空間と海があります。
古来のアイヌをはじめネイティブな宇宙や自然そのものの時間が神だ と胸で知っていた
皆さんの思い(信心よりピュア)が、またその思いに神々が寄り添い
神界、幽界、また大国主、息子事代主間にタケミナカタ(龍神)も海のお方
そんな何処よりおいでになり
様々な風で人々を優しく、よきに強く撫で、国土の安穏にためにお働きになられています。
出雲教さんの過去より同じご家族で37代目となるの北島国造様時はじめ、皆様のお人柄は
日々の御修行の武道の精神に通じる数千年の風かと存じます。
そんな祈りを全て聞いてみてきた御神木も裏にあります。
TVでも目立つ大きなしめ縄がなくても、誰もがすんなり全てを胸で理解できることでしょう
海が冷たい!波が強い!海が青く綺麗だが、なんだか怖い
目の前の万物の風景に溶け込ませてある 「何か」を感じる感覚は子供から魚まで同じです
そこを直に体験することが、海にゴミを捨てない、朝の蜘蛛は殺さないに繋がります
修験道も結局は神道、あとから輸入された仏教、道教のうまい融合です
経験を修める から修験の道

羽黒山は昔のままの霊場が息づいている
苔むした階段を延々と登りながら、松尾芭蕉の足跡や
道を外れたおいなりさん
至ところに昔の方々が、何かを見て感じたままに神様の別荘を作った
人間の仕業の神社ではあるが、大昔
古事記は心からよむと祟ると言われたそうだ
そのものがマントラで霊力が高い場へ誘うとも
スマフォやおバカなテレビが氾濫し、月夜も月海も水に気づけばコケコッコー
昔は近所に鶏のオスがいて、朝になると鳴いていた
なんて事ない普通のことも
今や公園で飛び回る子供達の声や、祭りや運動会まで
マンションに越してきた住人が、利己的な文句を奏でると言う
タヒチにいたとき、海岸に立つバンガローは波音だけの
本当にすごい所だった
口を斬りながら食べる、焼きたて硬いフランスパンが毎朝出た
それはフランスの植民地の名残がタヒチの伝統的な食文化を破壊した
メディア的には溶け込んだといえばいいのだろが
ハワイもしかり
ハワイ料理は発酵したタロイモのポイや葉っぱで蒸した魚や肉や芋
パンケーキやベーコンサンドなどはアメリカ料理
ワイキキは王族の聖地ワイは水 キキは湧く
しかし今やタロ芋畑や泉を埋め立て、新宿の様なビルに
猫の額のカリフォルニアから運んだ砂を巻いた人工海岸がワイキキ
フィジーも海の崖に乗っていたから
波音で細胞から毛穴から触覚がきれいに整い音叉となり
周波数がその細胞や筋肉にまで届き
とにかくすごい浄化と調律の場だった
海から上がると、そこでカメラを掃除し
本を読み昼寝をし、たまに浅瀬に漁に来る村の仲良しと
話すのが楽しみだった
村人は自給自足
水は山から引いて、当時は発電機をみんなで買いガソリンで回し
夜の少しの時間だけ電気をつけた
男たちは山でタロ意味を作り
なぜか女性が朝から海に腰まで浸かり魚を釣っていた
流石に冷えるはずだが彼女たちは少し太っちょだったから
平気。僕はウェットをきても寒くて寒くて、よく風邪をひいたが
普段から薬は飲まないから、水飲んで食べて汗かいて寝て治す
宿は8棟だけ簡素な木の作り木とベッド、一応昼間はスタッフがいて
なんとそこに新潟のサーファー猿子さんがいた(マシコ)今は新発田でサーフショップを開く
本当によくしてくれて、沖まで300〜400ある波まで独りパドルアウトし
誰もいないリーフのレフトの惚れた波に突っ込んでいた
しょっちゅう足を珊瑚で切り
たくましい尊敬する男
そんな宿もお客が来ないから閉鎖してしまい行きすべがない
時は待ってくれないが
それも新しい時が待っている
振り返る情緒や経験や思い出や様々なもまれた波の感覚は
きっと今も、あの轟音や絶体絶命の沖で波に巻かれた泡の振動が
体や心なる不可思議な記憶装置に残り
今の写真や生き方に多分に影響を与え続けていると思う
世界でどこが好きって
僕が知っているのは第3ジェネレーションの90年代初頭のバリのウブド
フィジーのキングコング
タヒチのランギロア
グランドケイマンで食べたラザニア
ライフガードの資格をとったこれまた死ぬ思いをした
オーストラリアのバーレーヘッズとその横のナショナルパーク
なんて海外のことを並べながら
今は日本が好きでたまらない
これだけ数千年も至ところに神社や海がある国はない
そりゃ島国だが
アメリカも島国だがでかいだけえ同じ
そんな神社や目に見えぬ修行と、アイヌや沖縄の方々の様に
精霊や自然霊を敬い、修験者の様に万物には魂があり呼応している
という原初的な当時は当然だったことが今も絶滅しない国
また1000年前に砂鉄から、刀を手で焼いて叩いて磨いて
作った人の英知が既に完成されそれをいまだに、絶対的な制作方法を
いわば真似て継承している
こともすごいことです。
靖国神社で刀匠の晶平さんにお会いし
またその魔力に近い異空間と繋がる彼の時間と目が
そんなことを気づかせてくれました
羽黒山伏と羽黒にも忍者がいました
ある時拝んでいたら、羽黒三山神社で写真を撮っていいですか?と言われ
どうぞ
といった人は
羽黒山伏で極真空手の先生でした
羽黒には昔ものすごい数の宿坊がありました
それだけ信じんが深い時代が明治までありました
江戸時代まで白装束の行者さんがそれは沢山いたそうです
明治政府がある日から、せっかく物部さんの神様派へ政治的なネゴを悪用した蘇我さんが
余計なことに外国の新興宗教を広め戦争が起きました
が、本音はわかりませんが、表面的には神仏習合で時間が上手に溶け合わせたのに
神仏分離、廃仏毀釈で、昨日まで拝んでいた仏像を役人の手下が焼き払い破壊しました
いずれにしてもそれは悲しいことです
修験道の禁止、呪術、骨つぎの禁止
とにかく人が個性強く、自然やかみや海から、山から力を授かり
個性強くなると、言いなりにならない為困ったのでしょう。
神の力を増したかったのか?
天皇が天照の子孫になってしまったのもこの頃
天皇陛下は神?人じゃなかったんですか?論が出たのでしょうか?
羽黒山伏のある人はアレフの上祐さんと関係があり
なんと今は羽黒のやってない宿坊を仲介し売ってしまいました
大丈夫なのか?と村人にみなさんの心配
羽黒三山神社の斎館には昔、湯殿山でお会いした
権禰宜さんの仲良しの方がいます
そのかたは湯島天神(道真さんは実は土師氏の関係で出雲の大国主と関係があります)
学問の神様は後付けです。
そんな学問に効きます!とついつい
効能を表面化した湯島天神
やはり時代が変われば
仏教が来たときの様に衝撃が走るんですね
ある若いお母さんがお子さんと合格祈願に来たそうです
約1ヶ月後
そのお母さんは
すみませんといったかどうか知りませんが
「息子が受からなかったから
祈祷料返してください」といったそうです
やるな〜馬鹿だな〜
で?
どうしたの?
いや
返すはずないですよ
電話が来たから
それは違うと説明しなさいと
言いました
効能書きが、受け付けにあるの?
笑
効能と書いてないけど
ご利益と書いてあるかな
温泉じゃないものね
温泉だって掛け流しや、加温や塩素バリバリの循環式もある様に
入って温まるが、病気が急に治る訳ではないからですね
入る人やその時の気候、体調いろいろありますし
要は気の持ち様ですね
独りうみで泳いで写すこと、人の魂を写すこと
独り山や海で(同じもの)で祈る
独り忍や侍の供養をする
この三つが人生の全て
それぞれの、なんらかのお役目があり今にいます
宗教や仏教によりかかからず
他力本願はしない
自力で泳いで帰るが全て
宮本武蔵もルバング島で28年戦った小野田さんもおっしゃってました
「神仏は信じるが頼らない」
なる様になります.
一人旅へ
武道が人生(武道とは軸を知る全てに通じる精神性)
海も武道
日々の日常が武道
心の平静
覚悟一発!頭は捨てる
覚悟は瞬間
その瞬間は過去のもの
その瞬間には過去と少し先が写る
写真は嘘はつけない
海へじゃぼん
45年後 ユージンスミスへ



海とは都会に住みながら
付かず離れず
写真の師匠は柏原誠、個人的な出会いは1年
そこから明大前のスタジオに仕事をしつつ
毎週4〜5回通い
光や現像、ハッセル、4×5のカメラを揃え
様々は撮影に立ち合った
しかし、一貫していたのは飄々としながら
も的をついた一言
長い人生と経験でと持ち前の、研究心と自由奔放な個性やセンスも
見た目もいかにも芸術家、写真家だった
俺はね
ユージンスミスのアシスタントや現像をしていた時期が
長くてな
いいオヤジだった
が口癖
ユージンはご存知の通り水俣病を引き起こした(小和田雅子さんおおじいさんの会社チッソ)
ミナマタを晩年写し
千葉の五井にあった会社のの集会で
雇われた者達に暴行を受け、目が悪くなる
俺は奴らを恨んではいないと
言っていた
と聞いた
実はユージンスミスは戦場カメラマンとして
サイパンや沖縄戦に従軍する
そこで玉砕したサイパンで、傷ついたり、亡くなる日本人の親子や赤ちゃんを実際に
目の当たりし、「アメリカがやっただけで、俺ではないんだ」と心に苛まれ
戦争屋どもめ!と
思うようになる
こうした、アメリカ兵の死体や傷ついた日本人のドキュメンタリーな写真は、アメリカ軍の士気を落とし
広告的に不利になるため
軍から太平洋から追い出すぞ
と言われたという
やがて砲弾が炸裂し負傷し
数年間は治療と精神的なこともあったのだろう
カメラを手にはできなかった
やがてセントラルパークを歩く自分の子供を
の写真で脚光を浴び
人を撮り始めていく
柏原師匠は懐かしそうにユージンの話をし
また
おい!キョーバシくん!
カメラは所詮機械よ!
カメラに写されんな!
いいか!
バット!な
モデルの心や雰囲気な
鷲掴み!ば〜ん!と押しなさい!
ファインダーなんか見ちゃだめ
あんなもん、見てるようじゃ
撮れませんよ
瞬間は!
ね
とニタニタ笑う
正月になると
キョーバシくん
うちに来なさい
と奥さんの料理や自分でつけたキムチや燻製やローストビーフを
出してくれた
本当に優しい哲学者でありながら、自由でおおらかな男の中の男だった
写真で活躍する半沢さんも弟子で
最後の弟子がキョーバシくんだな
と笑う
その1年後
あのね俺写真を今日からやめます!
えっ?
やめるんですか?
うんそうだ
なぜ?
あのね
写真はこれからデジタルになる
つまりね
ツマライ!
単価も下がる
腕の見せ所がなくなる
パソコンで車の色変えちゃうだろ
あれで俺は、馬鹿野郎だなと
思った
だけどな
君はね
人を写すと何か写るよ
あとやっぱり
海
海へ行きなさい!
そんな
親父が病気で亡くなるのはその数年後
波を取り見せると
本当に喜んでくれた
いいの見つけたな!
いいぞ!おい!
バリバリ
エネルギービンビンで
死なないように!
笑
そして手紙をもらう
そこにはこう書いてあった
97%おめでとう
私は若い時に戦場カメラマン、ユージンスミスのアシスタントをしていました
あなたの写真を見ていると
どこかあのキャパに似ている何かがあると感じます
これからもエネルギービンビンに頑張ってください
と
文字はそこに、韻を含んだ言葉として残り続ける
78歳まで突っ走って
自由自在に研究や修行を重ねつつ
自分に正直に真っ向い生きた柏原のオヤジさん
オヤジさんが海だったと今思えました
写真は出雲、日の御崎神社
秋になると海蛇にのり(霊蛇)にのり、海の神
大国主達が来るという
日御碕神社の前には経島(ふみしま)という不思議な岩だけの島があり
鳥居が一つ
海猫の繁殖場に
実は天照大神が素戔嗚と夕日の神事をしていたという
中は空洞で玉砂利の海底と参道や階段や亀の姿の岩など(人工的)がある
この海底遺跡を見つけたのは日御碕のダイビングショップオーナーの岡本さん
わざわざ泳げそうか船も出していただき、一緒に車で海岸線を走っていただいた
経島は正直怖かった、水深も深いがなんだか聖域であり
ロックフェロー島のような寒々しい荒磯から帰れるか?不安だった
出雲は夜の国
大国主は霊界にヒーラーで供養人
息子達は事代主も海の神
タケミナカタは龍神で、諏訪に追いやられる(天照の国譲り?に反対し天照の刺客タケミカヅチと戦う結果らしい)神様も人の領地を欲しがるのか謎だが
出雲教さんは天皇家の血筋
現在で37代目になられる北島国造さんの出雲教こそ
古来より神事や様々な大切な儀式や、海や国土の安泰を
祈祷してきた方々(やがて千家家が僕たちもやりたい!となり、毎年交代になったそうだ)
皆さんがメディアで知る大きな派手なしめ縄の出雲大社は
東京都知事などをされた政治手腕に長けた千家家の神社ですが
実は地元の方々に大切に数千年されてきた
のはこの北島家の出雲教です
宮司さんや権禰宜さんも一つの家族のような
心の方々。
出雲大社の右に樹齢1000年近い霊樹とともに
龍族の長で龍神イチキシマヒメ様も祀っておられます
この1枚は出雲教さんへ毎年伺う際に
御奉献させていただいたお酒のお返しにいただいた
お赤飯と御神酒を日御碕神社の海へお還し
し祝詞やを注ぎ貝をたてた後に写った1枚
出雲中の海を見たが波はなく諦めかけ
日御碕をまた散歩しながらゴミを拾うと
なんだか気のいい場所を、ほこらを見つけた
その海は荒磯!危ないな〜でもな〜
あの辺なら逃げれるかな?
帰れるかな〜
と観察し
そうだ!俺は太陽を波から撮るんだから
水が激しく動けばいいだけで
波なんかなくても
写るわけだろう
と夕暮れに入った
なんだかきの
白龍のような姿
旅はめぐる
それぞれの人生の経験と栄養を賜り
宇宙の海に生かされているだけ
海は生きていて見て聞いています
師匠の師匠ユージンスミスさんに見せたかった
ジャンクなスマフォなし

日本の夕暮れ
昨年の冬にウェットスーツにヘッドキャップに手袋でも
水は入り、サーフィンと違い水中はとにかく冷えます
軽い低体温症で、気持ち悪くなり、頭も痛くなります
そうなったら早めに海から上がり
いきなり温泉は寒さで体に血液を回そうと開いていた血管が、急に細くなり危険ですが
寒い!温めたい!との思いに半分負けてます
海外の海ではこんな黒と光の写真は撮れず
最も明け方や夕暮れの沖の300mにいる時点で危険です
海流も変わり、海底は岩盤で波もさらに早く大きく、暗くて見えなくなると戻れず
多分お腹をしかしたサメもいます
そういった部分では日本はまだ安全です
太陽の角度や波の崩れるスピード
その速さとは、水素結合しては離反する水分子の事
塩や様々な分子も光に影響するのやら
わかる必要の
知る必要もない
海の美しさ
人間の目がよく出来すぎていて
明るいところと、暗い部分に光を与え
見えるようにする
実際にはこのような景色
泡は空中から落下した水が空間を巻き込んで
さらに浅瀬に引っ張った姿
引っ張る力はその水素結合力
目には見えないものを残すのが写真
目には見えないものに朧げに漂えるのが人
どんなことを言おうが人はちっぽけで
宇宙や海に寄生して寄り添うしかないのです
そうこうしているうちに
宇宙とは?風とは、樹々とは
風雨、波にさらされ
己を丸裸に見て
自然に、全てへ畏怖が生まれます
電気のネズミの国では永久に知り得ない
大切な宇宙の風を胸で観れることほど
幸せなことはありません
そこに仏様の仲間や教本やマニュアル本も大事ですが
とどのつまり、螺貝がなくても、錫杖がなくても
心根が本心であればいいわけです
呼応し溶け合うこと
Melt
天然

写真を自分のギャラリーに飾り
改めて見ると、様々な部分が目にとまり
不思議だな〜と
撮ったときは見ていまるが、カメラの窓を覗かず
水中で回転しながら、防水ケースのカメラについた
棒状のグリップについたシャッターを
手袋越しに、なんとなく角度をつけたりして押すだけ
きみの悪い念写とも違い
太陽と波が崩れながら、たまたま構図に入った瞬間
太陽と波は全く関係のない別なもので
ある場所も違う
強いて言えば、そこが作為かもしれない
狙ってないが
狙っている
見てないが、手の感覚でレンズの画角を感じながら
観て押す
何もそこでは考えていない0.02秒
たまたまの1枚
色も足したりしない
ありのままの天然
写真も魚も天然に限ります
2025
松岡正剛さんご逝去
風
間合い
台本なし
陰陽
Sunset
Sunset
夕暮れ
海へ
海へ
海は方丈

海の中もこの数年
風が不規則に吹いてます
海の中にも風があります
その風が水の反応した姿
動いては消えていく姿
水素結合力と離反の姿
アニメーションのようでさらに細く高速な1コマ1コマの姿
これを、誰が言ったやら「波」と言います
波にその風なる波動を持って動くので
妙ぜつなエネルギーがあります
滝の落下を滝壺で浴びて修行という
ように(あれも水素結合の波動の塊)波は横軸、縦軸、斜め軸、下からと
縦横無尽に波動が動き回る、全身洗浄浄化される自然の洗濯機のような世界
だから心身脱落では無いですが
計算も予測もない
無の波動を全身やつぼという物質的部分と
内面?心?というときな臭いですが
簡潔に「胸」で感じます
これは忘れません
座禅、泳禅の違い
頭で考えるようになった日本人
北斎や役行者さんのような先人の感受した音を聞き取れる場でもあります
水中から見た波は全く違う色彩と形です
空間=空気の中に在る波
と
水中=水間の中に在る波
同じでありながら、その姿を変える
水面の上と下の線を観る
陰と陽は陰陽
同じだけど、同じでない
在るけど無い
無いから存在できると伝えるネパールからきた般若心経
円運動で回転する、道教の白黒のたいち
その線、つまり水平線が動き
宇宙からの太陽が射抜くとこうなるようです
宇宙と海は同じ景色
宇宙に漂う、地球も宇宙の海の島にすぎない
銀河系は固定されていず動いているのかもしれない
全ては回転するトーラスと円運動
何はともあれ
地球のボスは人間様では無いことを
よく知るように
海は方丈
鎌倉






鎌倉武士達が見ていた海
今は平和で海岸線もずいぶん狭くなった
子供頃、北鎌倉に曾祖父さんがいた
円覚寺の横の、大きな石を運んだ池のある日本家屋
横須賀線の細いホームを降りて
昔人力で掘ったトンネルを通る印象的な場所で
目の前は臨済宗のお寺の階段
安倍晴明のお母さんの供養塚のある
八雲神社もある(素戔嗚と国とこたち)もまつる
円覚寺や付近の山が遊び場だった
犬を連れてよくおじさんが、山道の散歩へ連れて行ってくれるのが
楽しみだった
由比ヶ浜の海岸はもっと広かった
北条に謀られた、警察庁長官 和田義盛さんご家族はこの由比ヶ浜で力つき
斬首された首の数300あまり
多くの血を吸った海岸、和田塚とはその供養の場所で
鶴岡八幡に、北条に斬首されそうになり連行されながら
俺を助けないのか神よ!浄土宗は由比ヶ浜で首をはねろと叫んだ
熱狂的な日蓮を信じた和田さん
結局は死刑は取りやめになるが
彼らは話を作り、稲妻が、首斬り左衛門の刀に落ちて中止!
と教科書にも書いてあった。
世間が反対したらそれは法難!とすり替え
強烈に洗脳し言い聞かせ、入信させる折伏(シャクブク)を
巧みに使用するSGK創価学会(ニトリ、ヤマダ電機、ベネッセなど)や妙智会、霊友会の有様
同時に電通がなだかんだ上手に立ち回る
海の水は今と変わらずそんなに綺麗じゃなかったのか?
が
今より政教分離されたはずだ
数年前、由比ヶ浜、材木座、腰越の命名権を豊島屋さんが競り落としてくれたのは凄いことです
中国に買われたらどんなことか
海が濁っているのは、川が多いから汚れているのか?人間の心の破壊の末なのか?
鎌倉は絶え間ない古戦場のころは青かったのか?
10万人の侍や巻き添えで亡くなった人がいるらしい
今も建築のために掘ると、様々な呪いの品々や骨や屋敷の跡が出ててくるという
古戦場と御霊供養の寺と神社がひしめく隙間を
外人の観光客が食べ歩きながらギューギューに投げていく
大仏なんかそれはすごい!小人のように群がり、インスタの写真をパチリ!
お賽銭なんか誰も入れず、拝みもせず、日本人も大仏に背を向けピース!
凄い国ですね。
鎌倉武士も先人の祈りの人々も呆れてます
入場料で大儲けしているお寺もあからさまに増え
長谷寺も受付所が最新の券売機とリニューアル!
弁財天さんの魔力に相乗り希望者が凄い
江ノ島は頼朝の仲良し北面の武士から、那智滝で修行し
た遠藤さんが変身し文覚さんになり
琵琶湖の竹生島の弁財天(仏教風)=イチキシマ姫(神道風)を
灌頂し作った
人生は無限な様々な道があり、懺悔も含めその人の意思と正心があれば
どんなにも変身できるわけです
話はそれましたが
波乗りをして、撮影をしようと意気込むも
物凄い風で海は暴れ、濁っていたので
海には入らず、裸足で砂浜でアースシング(体内の乱れた磁場を調律)し
わずかなゴミを拾い
目の前のサーフショップのオーナー山井君と海を眺めていた
明日サーフィンのレンタルをできないかと赤髭の白人がきた
いい人で、1ヶ月休んでいるらしい
なまりがオージーだからオージー?
と聞いたら
ウエールズなんだよ、先生をしていてね
明日入ろうかな?いくらですか?
料金は三時間、板とウェットで7000円
お〜安い!
流れはあるの?地形は遠浅・ドン深?
となかなか海を知っている
大丈夫、岩もないし、流れは横で
なんたって鎌倉は
サメもクラゲもいないからね
最高だねと笑い合う
そんなわけで由比ヶ浜へ来たら
手ぶらでサーフィンもできますし、スクールも事前予約であります
太陽のキラキラまう砂の中、数時間いたが風も変わらないので
また明日ねと一旦帰るか〜
ふと帰りがけに、お父さんの代からお世話に
なっている、古いアメ車40年
多摩川の城南ジープ安江さんに会いに
赤いトラックが、出戻りで販売中
安江さんのおじいさんはジャーナリストで骨董の愛好家
家紋はアゲハの琵琶湖付近
は僕の先祖と同じ
野洲には壇ノ浦で負け、連れて取れてこられた
平家の大将、宗盛と息子宗清が斬首された墓もある
この間タクシーをチャーターし
戻ると運転手のおじさんが、お墓の入り口で
立小便をしていた
怖い!
宗教はおきたらして
己の心真っ直ぐに正心で正義は正義
波乗りもそんなものです
風



12月初旬まで
京都 臨済宗興聖寺 にて紅葉と秋の特別公開開催中。
フィジーへ2002〜2011年まで通い
まさか京都に飾られるとは
ここは侍で茶人(利休の弟子)古田織部さんと
共に家康に切腹を強要された息子たちが眠り
江戸時代の画家曽我蕭白さんの菩提寺
織部さん亡きあとは、伊賀の延寿院に御位牌のある
城造りの名人、藤堂高虎さんが彼らを弔いこの寺の大檀那に
臨済宗は鎌倉建長寺をはじめ、北条や侍達の気質にあい
当時の国の推奨というか認可に近い形で、座禅と般若心経が
溶け合った
伊賀の初めてのお参りは偶然?滝音に包まれる、高虎の御位牌の
ある祈願所、現在は天台宗 延寿院
今から700年前からのそれぞれの人生と、不思議な風が流れている
北条、織部、曾我蕭白、高虎
曾祖父さんは北鎌倉の円覚寺の横で
子供の頃の散歩コース
いつかわかる時が来るのかもしれません
生きたふり



この日はボートで沖へ行った
山から吹く風と
波は轟音をたてて崩れていた
水面から4〜6m
行くか?
行かぬか?
死ぬかな?
逃げれるかな?
端っこにいれば大丈夫かな?
妄想と予想で
しばらく波から離れた場所の小舟で見ていた
やっぱり行くから近くまで行ってくれる?
とフィジーアンの仲良しのセブに言う
わかった
俺は波から離れた場所にいるから
帰るときに呼んで
怖いと思うことは大切
その怖さと溶け合うことが何よりの幸せ
人の息の続くだけ、足ひれと
片手にカメラ、片手クロールで泳ぐ
緊張と研ぎ澄んだ野生と、街で生きたふりをしていた自分を超える喜び
これこれ!
これですよ!
と、一人波の中で大笑い
一時間ほど波の中を泳ぎ潜り回転し
目が回り、気持ち悪くなった
小舟に向かい泳ぐが、水中の渓谷の先は
深い群青の底の見えない海
サメが来ないか帰りも怖い
小舟のセブにカメラを渡し、上に這い上がるとほっとする
冷たいシャワーを浴び、波を望む小屋で本を読む
写真
Fiji
城南ジープ 40周年!



先代の安江さんとのお付き合いは、1台のシボレーエルカミーノから
古武士の様に生きろと
ジャーナリストで華道や焼き物の窯も持ってたオヤジに命付けらえてね
そんなオヤジさんが急逝したのは数年前
しかしながら遥か昔からの、お客さんが今も、アメリカのトラックやジープと
オヤジの魅力に40年続く老舗の城南ジープさん
先代と働いていた、息子さんが今もその暖簾を守る
シボレーは江戸時代、日本が飛脚と籠の時代
すでに馬車を設計
今も1987年の最終のエルカミーノのステップには、水色の幌馬車の絵とFIsherと書いてある
写真はアメリカで1991年に販売されたシボレー サバーバンV2500
これでローダーやキャンピングカーを牽引する様に
エンジンのトルクや、タイヤも8穴のヘビーデューティーな作り
で1500に比べ低トルクもあり4速のオートマ
マニュアルが欲しいところだが、当時の最上級モデルは700万を超えたらしい
定年退職したカリフォルニアに住むアメリカ人の夫婦が約10年アリゾナなど旅をし
やがて奥さんが病気になり、病院へいくのには小さな車になる為
その思い出を先代が見つけて日本へ運ぶ
そして、お店の常連さんのスキー連盟の親子さんが大事に20年乗り
お父さんの別なシボレー を受け継ぐために
僕のところにきた
雪に巻く環境には毒の塩化カルシウムのせいで錆さびで眠っていた車
つくられたからまだ33年だが骨董に近い物語が、1990年台までの車には生きている
車は人生と共に生きるう現代のうまの様です
今の部品がなくなり、すぐにジャンクなゴミになるハイブリットやらの、作っては売りつける日本車
には永遠に育まれない物語を買うのが骨董の醍醐味
どうせ自分が死ねばただの車や掛け軸ですが
人生を豊かに死ぬかが大切です
伊賀忍たちが伝える様に
必死即生
死ぬ気で物事にかかれば、かえって生きる
刀は2本ではなくあえて一振りにして
余計なことを考えず敵に向かう
波も同じく迷わず、一気に向かい潜ればなんとかなる
波の刃先の間合いが古武道や忍術と同じだと感じています
だから今古武道を習っています
余談
安江さんは平家の家紋で琵琶湖
うちの母がたは琵琶湖付近や甲賀
忍者とは全く関係ない、当時はなかった
信長軍が殺戮と焦土作戦の後に作った邪魔な物、伊賀上野城
その以前は平楽寺という平家系の宗教的な伽藍の並ぶ聖地
今も平楽寺のあった当時をしのぶ供養の五輪塔や墓跡が入り口付近にあります
是非お参りを。
安江さんと深い過去の何か関係があるのか
そういえば少し前に
信長側の若い忍 安江彦三郎さんというかたが
活躍する前に伊賀忍に返り討ちにあい死に
無念で恥ずかしいと言い
僕に供養して欲しいとあらわれました