北条高時さんはじめ
800人が自害された
東勝寺の手前

北条屋敷跡は後醍醐天皇が
足利に命じ
霊を慰めるための
供養の聖地
天台宗 金龍山釈満院 円頓
宝戒寺を作ったのは

開基1288/13339年

時の鎌倉北条をたおした

後醍醐天皇の腹心
楠木さん亡き後
の新田義貞さんや

北条時政の利権や権威の保存維持の為
騙し討ちで
亡くなった
比企さんや和田義盛、畠山重忠、安達泰盛さん

また高時の政りや様々
不満が溜まっていた
武士の反発が重なり

1333年5/22
120年の
北条が潰れた

イチキシマヒメ(弁財天)龍神の化身
江ノ島に参籠した
時政の前に現れ
日本中の聖地を巡礼し

政りごとなど心つくせば
7代はつづかせる
と言われ

3枚の鱗を置いていき

北条の家紋は三つ鱗となる

事実9代のうちら2代は
事情にやむえない
とりあえずの執権な為
実際には7代で滅びたらしい

浮世絵の版画は

銀座久兵衛さん
の場所に住んでいた
月岡芳年さん

国芳の弟子で
神仏や古事を深く理解し
立体感ある
線を引いた天才

北斎美術館の波の企画展示より

神仏を大切に
祭りや供物をかかさねば
おのづと霊験があがり
人々が幸せになる

と作った
初めての法律書
御成敗式目を作ってたはずだが

今の時代の我々の頭や
北条よりにかかれた
記録本吾妻鏡からの引用や

歴史家の言い分には
永久にわからない

それぞれの正義と時間があっだ訳だ

神仏は観ている

伊賀忍達がつたえたように
正心と正義

石山寺や恵林寺を焼き払い
僧侶を生きたまま焼いた殺戮をくりかえし

僧から天罰がくだると言われた
信長のような

政治的に強い傲慢な天魔がきても
真っ向立ち向かう心と武術

伊賀上野城は元は
平楽寺という

忍や侍、人々の延暦寺や大徳寺や高野山のような
塔頭の集まる一代聖地だったが

鉄砲をうち焼き払い、僧や民を
殺戮したあとに

伊賀にはいらない城を占領軍が作った後付け
伊賀はどこの大名も東大寺の圧力にもくっせづ
統治されない唯一の場
信長の息子が二度攻めかけ大敗

魑魅魍魎の住む国へ勝手に手を出すなといい
7万の軍勢で伊賀を地球から無くそうとしたが
失敗(1581年伊賀の乱)

最後は家康に服部半蔵が彼らが全滅覚悟で戦うと
伝えると奈良の大倉五郎なる神楽師(忍か諜報員)
を通じ、天台宗延寿院(赤目不動と藤堂高虎の御位牌もある古刹で、赤目滝衆(山伏で忍)いた松本住職)
の近くの柏原城で和睦をさせた

滝野十郎吉政さんの縁ある滝野宮司が今も守る


そこで
本当の忍とは全く違う
コスプレの忍者ショーをやる愚行

彼らやその聖地にいた
方々の供養もしなければ
その崇高な生き様や、悲しみを踏みにじり

嘘を外人やらに
伝える事実でない事実は

デジタルカメラで
後出しジャンケンでいじり倒す
写真やと同じ

道真さんのように
騙され、筋違いな事をすれば
彼らの御霊が暴れ

天災や様々起こします

祟りはあります。

供養には終わりはなく
個性はこの世に残ると感じます

もし
自分が死に
数百年たち
知らないだれかが
水とおにぎりを
供え

胸のうちをつたえてくれたら
嬉しいのは

皆同じ
宇宙の感覚

こうして
古戦場鎌倉が
なんとなく平和なのも

宝戒寺 ほうかいじの歴代の

修行を重ねたプロの
霊力の重いこの地を
鎮めて下っているご住職

またこの地に右足を一歩入れ
手を合わせていただいた
観光客も含め数多の人々の
1滴のお気持ちが御供養の海となる

後醍醐天皇も
子息 大塔宮が幽閉され
足利の命令で暗殺され
その暗殺者も殺されている

平和な世を祈るのは
全宇宙の憶い

宇宙の海に漂う地球人が全知全能の一つの神ではないように

最澄さんや空海さんが
昔は海だった比叡山で修行されなんとかしようとされた時間は

自然界と名付ける前の=国土の安穏と
目には見えないものや
星や海に寄り添うこと


有名なお言葉
忘己利他

己を忘れ
他人を幸せに(自然へも)する行い
こそが尊いと




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