人の思惑を超える写真

今映画になっているMINAMATA水俣

その本人ユージンスミスは僕の写真の師匠の師であり、師匠の友だった。

トッパンのスタジオにいた頃
ユージンスミスが戦争ではなく、確かFordの日本全国の撮影や様々
現像を任され、アシスタントをしていた

いい〜親父だった〜


生前
よく口癖のように話していた。

戦争の報道カメラマンとして
アニーパイルやキャパと同じく
最前線に派遣され
その現状を写したが

サイパンや沖縄の配色濃い中の
追い詰められ自決へ向かう
悲しげな親子の表情や、ふと戦争を忘れ遊ぶ楽しげな子供たち
が自分の子供と同じようだと感じシャッター押し

アメリカ兵の死体など
そのありのままを写し

戦争屋どもめ!
と戦争のありのままを残そうとするが

これは、戦意を失わせる感情に触れる写真
軍の担当上官に
太平洋から追い出すといわれという

ドキュメンタリーだと思われた
自分の写真のほぼ焼かれた彼の葛藤

やがて砲弾の破片で重傷を負い
カメラから離れたが

数年後
セントラルパークを歩く
2人の子供の姿を写し

人に見せたことで

「人」ドキュメンタリーに戻ったのだろう

誰も当時は蓋を開けようとしなかった
小和田雅子さんのおじいさんの江頭のチッソの引き起こした
化学肥料工場から出る水銀中毒
の人々を水俣にアイリーンとすみ写していく

やがて
千葉の五井のチッソの住民集会で
雇われた輩に、カメラを壊され、暴行を受け
怪我を負うが

俺は恨んではいない
と言ったという

体の中の砲弾が痛くて
それは大変だったようだ

カメラ
いや
1枚の写真が人を動かす
揺さぶる

カメラマンを奮い立たせる

また写した1枚には
不可思議で正直なありのままの空気と心象や
奥にひめる何かが残る

写真機こそ現代の発明の
最も優れた、地球人を如何様にも変える
1枚に立ち会える瞬間
を残すものだと思う

カメラがなければ1枚は残らず
ユージンや柏原誠がいなければ
彼らの人生観をも揺さぶり変え続ける
1枚はなく

彼らの死後
僕たちの立ち会えない時間と

時間を変え
その場の生きた時間と風に
立ち会える

そんな1枚に自ら独りで立ち会うこと
被写体に溶け込んで、近くで写すこと

その相手のキラリ!とひかる
瞬間を少し先に感じて
その時には思い切り押していること

感じたまま
その風に溶け合うこと

ユージンや柏原が命をかけて
歩いてきた山道が

時を超え
教えてくれている

写真は嘘をつけない
嘘をつくのは写真屋だ

合成も修正もない1枚

僕は海に命を賭す

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