坐禅

400年にわたり坐禅瞑想を伝え
実践してきた場だ
臨済さんという中国の修行僧から数え達磨さん、白隠さんも
その徹底した坐禅により悟りの風を
見つけてきた

白隠は旅に生きた元京都御所の武士で
ある日、思うことあり出家した西行に憧れ
(知恩院、円山公園近くに西行庵あり)

宝暦の富士山の噴火を目の当たりに
旅へでたらしい

輸入された仏教の
他力でも念仏で救われるでもなく
実践型の自力と不可思議な記憶とチャンネルを開くのが禅らしい

人間の個性がある以上自然と同じく
当然、同じ結果ではないからこそ
瞑想の魅力と魔力はあまたの修行者を引き留めた

「全てを捨てろ」

禅の本を読んだのは2000年頃

1970年製の黄色いポルシェも売り

身を1つ波から波へ
入れてみた

地に足がつかない時間こそ
禅の場だった

宇宙の法則となぜ雨が降るのか?
のように
教科書ではない

言葉を超えた体験が
体で感じ
胸で感じたら
来世でも忘れないだろう

自分の奢りや
身の丈を知らずにいけば
一瞬であの世へ行くであろう場に
逆に生きがいを感じ
笑っていた

「これだ!」

海も地球も太陽も宇宙からのもの
所有するものでも
征服するものでもない

数百年後この京都を訪れた人々が
あれ?海って青かったのか?〜
など言わせないためにも

青空のように
青海

青は太陽の仕業
水の仕業で
透明な仕業

丸い地球を巡る
水の惑星

自然が背中を押す
利久が織部に言った
「人と違うことをしなさい」

そんな
身近な人の一言が背中を押すこともある

自らが、ふと思うことを大切に
水の旅をすれば、全ては腑に落ちる

全てを捨てるとは
物質の呪縛を捨てることはもとより
執着を捨て水のように変幻自在、融通無碍

まづは黙って
全力で夢中になれる事をすること

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