島津忠良公と忍と侍たち



鹿児島は知覧の基地にも近い
武芸と禅に通じ
故郷加世田で亡くなるまで、郷里の民を大切にした
お人柄深き島津忠良さんのお墓へ
熊本の金峯山に
吉野から蔵王権現や役行者を勧請し
修験者や忍を呼び
忍術や様々な訓練をさせたという
山潜り(やまくぐり)の衆を組織したのは
島津忠良さんらしい
儒教や様々教養と侍としても男の義の塊の
忠良公がもし亡くなったら
自らも後に続き切腹すると
藩から許可を取っていた2人の若者
満留郷八左衛門忠実
中条次郎右衛門政義
忠良さんの葬儀の1568年12/19
に家族とも別れ殉死された
尊き御霊
その手前には全国に法華経を納経し
情報を仕入れ、時に島津の様々な依頼に応え
金峯山で修行をした修験者で(忍?)
井尻神力坊宗憲さんのお墓
22年間の旅を続けた
井尻さん(元侍)は旅から戻ると
忠良さんが7年前に亡くなっていたことと
また2名の侍も殉死されたことを知り
言い伝えでは1575年に自ら高い木から岩にめがけ
殉死されたという
近年では竹田神社近くの経塚から井尻さんが
収めた筒が出てきたという
尊き彼らの崇高な生き様
約8年前宮崎の武家のお客様に波の写真をとりつけに行き
以来、この地を訪れ
自宅でも彼らの名前を毎日読み上げ
ご飯をお供えさせていただいています
そんなわけで今回もチャコットの撮影で来れたので
鹿児島市内から約40分
チャコットの撮影に昨年来ていただいた
方々は昨年のお参りに続き、ホウキやゴミ袋を持参!
参道やお墓に残る前回お供えしたお茶?や焼酎を片付け
お掃除をさせていただき
太巻きやさつま揚げ、いも焼酎のロックをお墓に
お供えさせていただきました
井尻神力坊と書かれた竹箒もあり
しきみがお供えされているのでどなたかは
来てらっしゃるようでした
不可思議なご縁に
なんだか懐かしさとともに
胸に風が通りすぎていく
なんでしょう
この感覚は
457年前にここにいた彼らのかなしみや悔いのない
忠義と誠心が今も苔むしたこの地で呼吸している
それを大切にしてきた郷土の方々の懷いは尊きことです