師匠

古武道の師匠 土居清はお母さんがたの名前を受け継ぐ
元は物部
源義経の側近 鈴木重家の子孫
命をつなぐために当時は兄弟を離れさせその血を守ったが
重さんにはお子さんがいらしたようです

またお用途は鈴木孫一(雑賀孫一)
で今は鈴木ともさんと言う方で、数年前師匠が武将の会でばったり逢い
様々繋がり
結局は師匠が僕のお兄さんで鈴木家の大元の本家ですよ
聞いたと言う

また2年前
キョーばし!
はい

あのな
夢になたちだて
って出たが
なんだ?



なんだろ
たちだて?

そう
たつだてかな

調べたら
立館 は東北で
義経が兄鎌倉幕府の頼朝に命を追われ
元は匿っていて共に叩く意思もあった藤原さんが亡くなると
寝返った息子が掌を返し弁慶や重家さん、義経さんを惨殺した

(その前に船が難破し数百の精鋭の側近が亡くなったことが義経さんには痛かった)

それご先祖の重様が亡くなった場所ですよ
そうか

来てくれと言ってるんだろうな

またある日一緒に
四国の宇和島な
土居のおばあちゃんの墓参りに行きました
子供の頃な、この臨済宗のこの寺の
この銀杏の木のここでな
師匠に真剣でバットおでこと胸を皮1枚斬られたのが
入門の日だったな

毎日6歳の俺は
塀から中の稽古見てたんだな

そうしたらな
坊主!こい!
と境内へ呼ばれてな

やりたいのか?

はい

でも….

心配するな金や道具はあるからいらないぞ

お前のおじいさん、お父さん(剣豪)もよく知ってるから大丈夫だ

そこに立て!

銀杏の木にな
手を広げて目をつぶるなよ

そうしたらな
鍔鳴りと共に
すうーって切られた

怖かったー

それから毎日な
1000回刀ふれって
言われ
最初はその辺の桜の木の棒でな

これは辛かった6年間これだけ
基本の振りだけ

手を見せろ!

って言われて
手を見るなり

お前サボってるな!
と怒られてな

最後はないっしょに
トンボを斬った

20代まで稽古してたが
仕事でしばらく名古屋へ行ってな
師匠に極伝の免許もらいに帰ったら死んでた

俺が30くらいだった

そのままだ
だから免許皆伝までで は
極伝は正式にはもらえなかったんだ


実はすごいことに
師匠はその師匠の名前も家族がいたかも
墓がどこかも知らないと言う

名前しらないんですか?

うーん
したの坊さんの名前は覚えてるが
確かー

それ以外はお互い何にも話さなかったからな

実際のお寺に行きも
今のお坊さんもつれなく
裏の代々の住職の墓地にあるんじゃないですか
の一言

結局寺まで行ったが
そこから探さないのも師匠

いいの?探さなくて
探しましょうよ

いいよ
またそのうち
今度またわかるだろ

が流石の感覚

まー人間の思惑の墓石へ行かなくても
来たことは全部見えてるからいいか
喜んでますね

お墓には私はいませんー

だな



風武流と名付けた
古武道の稽古の会を作り
今は日曜日に品川体育館と不定期で千葉の鋸山の海で教えています

後世に残したいんだと





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