鎌倉の海へいくが
波が全くなく家へ

ふらりと現れる
武道の師匠と会う

武士道とは?

お前が普段書いたり
言ってることは武士道と同じだな

海の中の古武道は心の行
体術的、繰り出す言葉を超えた技
 
胸心=芯=素直=無

潔め祓うのは経験を重ねた後の行為
まづは雨に打たれる

今から500年前にいた侍や忍
比叡山や根来にいて信長に殺戮された
僧兵は、仏教の干渉と影響と、宗派の違いの悩みや、様々
な土台にまた考え方も違ったのだろうか?

煩悩は捨てられないと言うのも言葉上の事実だが

煩悩という言葉=物が添加物となっているだけで

そんな言葉は知らない方がいい
捨ててしまえ

自分がどうあるか
この宇宙の風のリズムに呼応し溶け合い
野生化し則していく
(即すというと仏教臭いが)

要は太陽や月の満ち欠け
陰陽に合わせ

どうす事もできない
あらがえない摂理と真理に寄生するのが人間界

いかした植物や鉢で部屋を飾り
雨、風や寒さ、暑さを、最高級の素材の家や電気製品で避け
ドアを閉めて鍵かけて
風呂をボタン一つでわかし
テレビやパソコンや携帯の充電を気にする暮らし
 
ありのままの強い宇宙から避けながら暮らさねば
死んでしまうのだが

随分と侍がいた時代に比べ
過剰に便利に、ひ弱になり

枯葉剤の殺虫剤で家の中の虫を殺し
電子レンジでチンしたカスを食う
余計なズレた不自然な行いも感覚を遠ざけてきた

ビルの隙間で
星も太陽も月も雲も見ず
虫音や風のメッセージを聞けなくなって退化する

当然宇宙や自然感覚はよわり
精神的にも電磁波やら余分なメディアやテレビのジャンクで乱れ
判断力が迷走

情報や物がありすぎると良くありません

1本の刀と
手裏剣で戦った彼ら

伊賀忍が言っていた

必死即生

死ぬ気でかかれば
必ず帰って生き残る

元々道教や大陸から来た彼らは
旅の転生の中で様々な宗教や神事を、体術と心で
練り上げ錬磨してきた

要は
いろいろな道具があると
道具にたより
迷い、遅れたり
技が出ずやられる
一つに集中するために

短い刀はあえて目抜きを抜くとか
鞘だけとか、持たないと伝わる

もしかしたら道具との連節的、霊的な集中力的、霊験的繋がりも
弱まるかもしれない

変な言い方だが
物波100年経つと九十九神が宿るというが
そんなに経たなくとも、特に手製のものは何かがある
相性もあるようだが

自分にあった刀と出会うのは
不可解な人生の旅

霊験はある

霊と書くと気持ち悪いが
霊魂の霊ではなく広い視野での例え
超越した 目には見えず

一朝一夕では身につかない
呼べないフォース

足跡ではなく
影を消すとか
影をずらして動くとか

海の中で太陽光を浴びて
自分を消さないと写真に
水分子のつぶや面に自分が反射して写りこんでしまうから
消すとか?

いちいち拾い始めたら
不思議な事もある
 
これを験力とも人間界では言う

大切なのは一人で修行する事
旅する事

誰見いない恐るべし力の中に身を置く
そこで自分の心の波と不安や、ネガティブな思いや
現実的な宇宙の波の力を、うまくすり抜け、また自心を乗りこえる

うまく言えないが

海は生きていて
我々をレントゲンやイルカの頭のメロンからる
周波数の反響のような何かでじっと見て聞いている

朝日を浴び
雨を浴び
宇宙のせつりにそい
自分を大切にし
弱いものを助け

誰も見ていない海や川にゴミを捨てず

正しい暮らしを自演すれば
の自ずと正心がついてくる

頭は捨てて
胸で話す事
動く事

他人は他人

耳すませ
心澄まして
生き死にを感じながら武勇を磨き

地球を自然に慈し無のが武士道だと思う

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