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鎌倉の海へいくが
波が全くなく家へ

ふらりと現れる
武道の師匠と会う

武士道とは?

お前が普段書いたり
言ってることは武士道と同じだな

海の中の古武道は心の行
体術的、繰り出す言葉を超えた技
 
胸心=芯=素直=無

潔め祓うのは経験を重ねた後の行為
まづは雨に打たれる

今から500年前にいた侍や忍
比叡山や根来にいて信長に殺戮された
僧兵は、仏教の干渉と影響と、宗派の違いの悩みや、様々
な土台にまた考え方も違ったのだろうか?

煩悩は捨てられないと言うのも言葉上の事実だが

煩悩という言葉=物が添加物となっているだけで

そんな言葉は知らない方がいい
捨ててしまえ

自分がどうあるか
この宇宙の風のリズムに呼応し溶け合い
野生化し則していく
(即すというと仏教臭いが)

要は太陽や月の満ち欠け
陰陽に合わせ

どうす事もできない
あらがえない摂理と真理に寄生するのが人間界

いかした植物や鉢で部屋を飾り
雨、風や寒さ、暑さを、最高級の素材の家や電気製品で避け
ドアを閉めて鍵かけて
風呂をボタン一つでわかし
テレビやパソコンや携帯の充電を気にする暮らし
 
ありのままの強い宇宙から避けながら暮らさねば
死んでしまうのだが

随分と侍がいた時代に比べ
過剰に便利に、ひ弱になり

枯葉剤の殺虫剤で家の中の虫を殺し
電子レンジでチンしたカスを食う
余計なズレた不自然な行いも感覚を遠ざけてきた

ビルの隙間で
星も太陽も月も雲も見ず
虫音や風のメッセージを聞けなくなって退化する

当然宇宙や自然感覚はよわり
精神的にも電磁波やら余分なメディアやテレビのジャンクで乱れ
判断力が迷走

情報や物がありすぎると良くありません

1本の刀と
手裏剣で戦った彼ら

伊賀忍が言っていた

必死即生

死ぬ気でかかれば
必ず帰って生き残る

元々道教や大陸から来た彼らは
旅の転生の中で様々な宗教や神事を、体術と心で
練り上げ錬磨してきた

要は
いろいろな道具があると
道具にたより
迷い、遅れたり
技が出ずやられる
一つに集中するために

短い刀はあえて目抜きを抜くとか
鞘だけとか、持たないと伝わる

もしかしたら道具との連節的、霊的な集中力的、霊験的繋がりも
弱まるかもしれない

変な言い方だが
物波100年経つと九十九神が宿るというが
そんなに経たなくとも、特に手製のものは何かがある
相性もあるようだが

自分にあった刀と出会うのは
不可解な人生の旅

霊験はある

霊と書くと気持ち悪いが
霊魂の霊ではなく広い視野での例え
超越した 目には見えず

一朝一夕では身につかない
呼べないフォース

足跡ではなく
影を消すとか
影をずらして動くとか

海の中で太陽光を浴びて
自分を消さないと写真に
水分子のつぶや面に自分が反射して写りこんでしまうから
消すとか?

いちいち拾い始めたら
不思議な事もある
 
これを験力とも人間界では言う

大切なのは一人で修行する事
旅する事

誰見いない恐るべし力の中に身を置く
そこで自分の心の波と不安や、ネガティブな思いや
現実的な宇宙の波の力を、うまくすり抜け、また自心を乗りこえる

うまく言えないが

海は生きていて
我々をレントゲンやイルカの頭のメロンからる
周波数の反響のような何かでじっと見て聞いている

朝日を浴び
雨を浴び
宇宙のせつりにそい
自分を大切にし
弱いものを助け

誰も見ていない海や川にゴミを捨てず

正しい暮らしを自演すれば
の自ずと正心がついてくる

頭は捨てて
胸で話す事
動く事

他人は他人

耳すませ
心澄まして
生き死にを感じながら武勇を磨き

地球を自然に慈し無のが武士道だと思う

フィジー の大波の中で
蒼い写真が写っていたのは、振り返れば23年前

やがて、海というのが
別なものというか
場所ではなく

生きた聖域だと感じ得ずに
いられない出来事がたくさんあった

出来事とは目の前の現象だが
 
出来事がなくとも、そう感じれる自分がいた

アニミズムという自然信仰
の前の時間が

海にもあり

水、風、光、月、太陽、川、岩

そのすべての記憶と時間が
波であると思う

波は固有の一つの形をした物ではなく

エネルギー体
波動であり風

空気の風ではなく
水の風である

宇宙の感覚を使う=呼び戻す=自然に海の生物や海の循環を大切に思えることになる

人間界と宇宙の干渉行為の一つがこの水の風の裏側の記録である

独り
誰にも見られるず
海を神社のような聖域と感じ
お辞儀をして、言葉をかけ、言葉に心をそえ、お伝えする

日本の祝詞でもいい、ハワイの祝詞エホマイでもいい
わからなければ、お願いしますでいい

胸の無心に浮かび上がる思いを伝える

行くと決めたら行く
もちろん
怪我を避け
戻る努力を惜しまず

妙に胸が怖わくなったら
海岸へ戻る

結果や理屈や頭で生きている養殖池の学校の
(でも学校は「きっかけ」やガイドの先生の教えが必要だから、しばらくは我慢する場かな
僕も水泳の訓練はいい先生と塩素と魚のいないが、波のないつらいプールでした)

でも競争するテストではない
順位でもない
名誉でも
地位でもない
負けでも、勝ちでもない

全てを透明にして海へ入る

ファインダーは見ないで押す

写る時は見なくたって写る

目に頼ったら
人間様の恣意を海に押し付けるわけだ

昨今のカメラマンはファインダーを見すぎる
見れば見るほど、その輝く瞬間は
砂に吸い込まれる海のように消えていく

考える以上の
時間と風が夢中で飛び出せば
そこかしこに暖かく待っている

諦めずに
心折れないよう自分で自分を押して
ゆっくり、慌てず
脈々と泳ぎ潜る

やがて術が身についてくる

行かねば0
行けば0でもその意味が違う

どんな世界も刀のように鍛錬するしかない

自由自在に海の風のように

自分と自然界
自分自身の間合いを知るように

 

風がくれた命

海の中にも山がある

水面から見上げるほど
天にそびえる緑の山は海の中の海藻の生えた山とつながっている

陸地の山を包むのは空気
海の山を包むのは水
所詮同じH2oの粒子の大きさと水素結合の数の違い

霧も海
雨も海

それらに息吹を与えているのは風

海の中にも波動があり
風がある
 
陸地は空気の風

水中は水の風

水の風と回転する生きたエナジー
トーラスによってリンゴも海も全ては円の動き
アジアのタオも同じく

古武道 まろばしの術

30年前独りあてもなくいった
オーストラリアの海沿いの町

ふとした奇跡的偶然で
プール付きの家が見つかり
その一部屋をお借りできた

そんな家の本棚には精神世界の本、宇宙人のチャネリング記録
ネイティブアメリカン北山耕平さんの、ネティブアメリカンの教えという
僕にとって、知っていたのに隠されていた、記憶がこれこれ!
そう、そうと胸に落ちる言葉の数々

北山さんの旅をした勇気と様々な長老たちの出会いが詰まった
本当に大切な1冊

ネイティブアメリカン
のナバホの古い祈りの歌にこうあった

その人たちに命を与えてくれたのは風
今、私たちの口をついて出てくるのも風

風がくれた命

私たちが生かされているのは風
風が止むとき私たちは死ぬ
今でも私たちの指の下に風の道が見える

あの日から30年たち
その本当の意味が海の風の中を23年間じて
胸の奥で分かった気がした

旅は続く
誘うのは風です

大島

やや

写り始めたぞ

世界中あてもなく
泳いで23年

早いなー

呼ばれるように
行くわけですが

水中の地形や波の中の
感じのガイドブックはないから

ひたすら旅して
海岸を探す

気というか
雰囲気かな

人がなるべくいない
昔のままの海

テトラや様々人工物が
無い海を探していたが

最近は
そんな事より
大切な芯を観る

昔は皆
どこも、ありのままの
自然の海岸だったが

毎月のように
海岸は破壊され
埋め立てられ

テトラポットや
四角いコンクリートの埋め立てにつかう
箱、ケーソン


国や県の税金やらから

危ないから
必要と判を押され
毎年認められ

政治家にあとから
献金という
ロンダリングを通じ渡される

政治家や町の有力な土木屋
を潤す大切なアイテム

最悪です。

使ってもいいから
破壊を最低限で済ませる

自然を生かした
使い方をしたらよいのに

土木工事やは
そんな手間やノウハウもなく
工期を短く

新しいことをいやがる
島の古い政治と同じく

自然を
大事に思えないかな

やがて
海からこの景色は
絶滅する日も遠くはないだろう

冷水に酔う

水中は大きな石が点在し
波がきたら、かわす場所を常に意識する

浅いな
波にのまれて
海岸方向に
石がないか
常に見ながら
位置を変えていく

堤防にあたり戻るバックウォッシュの不自然な波と
沖からきた波がぶつかり合う

波が崩れた後に沖の波がないことを確認し
一気に泳がねば

波に叩きつけられる

思った以上に海水は冷たいな

たまたま持ってた、右手だけの手袋で
岩で手を切らずにすんだ


寒くて震える海
外洋に面した大島は水が冷たい
昨夜の風で冷やされたせいもあるだろう

緑の切り立つ山の
タヒチのような、昔のままの景色の中

不思議な気がここにはある

堤防がとにかく残念だが。

四方八方から海面が暴れ常に緊張する

冷水に酔った

梅雨の隙間で撮らせていただいた。

人間が安易に防波堤にするのもではない
岩場の貝や蟹も生きたまま埋めてしまう人間

防波堤のまっつぐな硬い表面は
海の水を跳ね返し、海におかしな海流を生む

自然の入り組んだ岩ばなら
その波動は自然にかえるのだが

その波の自然な一件関係ないように思える
岩場や海岸には必要なエナジー
波動が循環する

人工的な違和感ある景色になる前からの海を知っている
とこの1枚を見ると感じます

海は生きていて我々を見ている

しかし受け身になっているので
行政や政治家や海洋土木やら
安全といシールで日本中の美しい海岸線が破壊され消えている

観光とはその国のその風土と自然が有給の時間作り上げた
美を愛しみ、守こと

日本も意識が変わって欲しい

美しい景色にすれば
見にくる人も増えるだろう

宇宙の箱庭じゃないんだから

泳いで大丈夫か?

波はなく
こんな岩場で泳いで大丈夫か?
不安になり(常に誰も泳いでない海は不安です)
やめようか
入ろうか?

危ないな〜
危ない!

いやいや
行くだろ!
せっかくきたから

いつものように
独り事をぶつぶつ
観察

しばらく、じっと観察してました

朝3時に起きれた

体操をし
カメラをセットし
入る場所
戻る場所と波のタイミング

戻れない場合
遠回りしても最短で戻る場所や海岸を観察

そうこうしているうちに太陽が本当きそうです

どーん!と
岸壁に打ち付ける波!
をみたらドン引き

笑うしかない

行くしかない

キリスト排除運動1612

徳川家康の命令で
キリシタンのオタイエさん

大島〜新島〜神津島へ流刑されその生涯を閉じた

小西行長野の元で暮らした少女は
やがて家康に強制的に侍女から
かこわれそうになり
一切拒否した

一説には朝鮮から朝鮮出兵時に拉致され

そういえば
家康に家族もろとも
切腹をしいられた
古田織部の弟子高虎の戦利品(勝てばなんでもありは大東亜戦争と同じ)
略奪したであろう達磨が京都興聖寺にあります

達磨は
臨済さんの臨済宗
あの白隠も富士山の噴火を見て人生に何かを感じ
西行のように、漂泊の旅へ出たわけで

白隠の書が骨董で多いのは
当時相当数、書いたのと
売れるので贋作屋が偽物を描いたと
骨董屋さんに聞きました

行長が関ヶ原で敗れ
切腹を拒み、京都を市中引き回しされ
六条河原で、石田三成と共に斬首
晒し首に

恐るべし日本人

家康に拉致され侍女とは名ばかりの愛人にさせられ
デウス(絶対神)のキリシタン信仰を捨てない為
家康が怒り流刑にされた

1612年にキリスト排除の禁教令が作られ
多くのキリスト教信者が殺された

彼女も拉致された上に今度は流刑に

ここに十字架があるのは
キリスト教の信者が、大島町とどうにかして
色々して昭和34年に建てたそうです

昨年亡くなった園芸園を経営され数々の骨董や様々集め
一時は建物内で開放し
波浮の港を愛する会のメンバー金子勇さんが

オタイエさんが、風の吹き荒ぶ
霊的聖地のこの場の雰囲気と
イメージで
この場所に何かあったらいいのではと
考えたようです

オタイネの碑は金子さんが自費で作られ
人々に後世、織部家族を切腹に追いやり
服部半蔵に自分の息子を切腹させ介錯させようとし
拒まれ
半蔵は仏門に入り、四谷の(浄土宗)西念寺にお二人のお墓があります

権力を我が物顔にしたスターリンやプーチンのような
家康の愚行と小西さんやオタイエさんの生き様が
のこり伝える、ご供養になられているでしょう

今でも大島には一つだけ教会があり
キリシタンの人が数十名おられるようです

この場所自体とおたあジュリアさんは
関係あるのか?ないのかはわかりませんが
約1ヶ月滞在したようですが
詳細はわかりません

海で泳げたのかな?
くさやは食べたかな?
かわいそうです。

海岸から急な山が聳え立つ景色は
まるでタヒチのモーレア島のようです

この海と山は全てを見て聞いています

今大島町長は新しい町長さんになりました。
筆しまの海岸のゴミをなんとかして欲しいと
直接お会いしお話ししてきました

漁網や発泡の網の目印、ウキや様々
とペットボトルの山!
拾いきれません!

由比ヶ浜
海へ行くと海水をがぶ飲みする

昔と違い
いろんな、化学の毒もマイクロプラスチックも
水素の隙間に入っているのでしょう

そもそも食べるために買う食品が
あらゆる、添加物や農薬やら体には確実に悪いですね

コーヒーではなくお茶を飲んで
忍者や侍の食生活がいいんですね本当は

海を大切にとは
海岸線も川も、鮎やうなぎのようにさかのぼれば、山の木々も滝も
大切にしないといけません

人間が自ら生きられない世界に汚染し
加速しているのが今の地球なのが
現実ですが

海へ行き
恐怖や美しさを知ること
限度のない無限な美と怖さに胸で感じること

鎌倉

鎌倉今日は波は大きかった
サーフィンし
その後40分ほど流されながら泳いだ

雨まじりのグリーンの海
冷えました。

織部さん

今日は古田織部さんと長男重嗣さんのご命日
徳川に疎まれ嫌疑の末
 
師匠利休と同じく切腹

仲の良かった木村宗喜他連歌師 如玄他20数名
も京都に火を放ち三重安を暗殺するという
嫌疑で京都の市中引き廻しの後、磔にされ槍で刺され殺された

次男三男は江戸で差し違え切腹
五男重久は大阪城の戦いで討死

4男重行 は興寺の住職に息子たちを頼み
お墓の前で切腹された享年27歳

残されたお母さん仙さんは仏門に入り

得度を受けていた織部さんを
大徳寺の塔頭の一つに重然さんと長男の亡骸を運んだといい
明智光秀の隣のお墓に位牌をまいたとも

言われるが詳らかではない

これは和尚さんよりお聞きしましたが

織部が60歳の時に天海と作った水脈の霊地
興聖寺に眠られています(一般公開はしていません)

宇宙は海

宇宙は海
海に宇宙からのガンマ線やら光線やら
様々の可視光線が届き
地球の海が生かされている

海へは独り
海の中も独り

ひとけの気配のない海は
静でかで清らか
正しい古来からの音しかしない
海の水と水がぶつかる音
波と波の水素が軋む音
水素結合の引き潮と波の動きに包まれ
回転するエナジーに包まれる
まるで滝行のような波に垂直に向かい
全身を水の風が包みながら足の方へ抜けていく感覚

携帯やばかな電気製品に支配され
靴を履いた都会の雑踏では忘れていた大切なこと

青白い明け方や
夕暮れ

夕暮れは怖い
夜の闇を計算して戻らねば
風も強くなり、潮も速くなる時もある
特にか海外は怖い

珊瑚や岩場でへ登る位置や帰る水路が見えなくなる
海底の岩や珊瑚に当たらないように帰る
ニューギニアでで一度変えれなくなり
遠回りして帰る

判断は瞬時に1度だけ

人間の感覚や5感(言葉で5感というのは、そういった目には見えない霊性の感覚をさす場合もある)
を超えた?いや人にはそもそも無限な感覚26?100感? があると信ずる

陰陽師や様々な祈りての修行と持って生まれた感で、その新しい不思議な技ができるようになる。

海でも少しそんな力を使っているのかもしれない

仏が来る大昔からあった国土(ありのままの自演ではない自然)

仏がいなくてもあの世にも行けますし、何も怖いことはありません
だってそもそも亡くなった人は家族なんですから
そんな遠いところへ、送りつけないで
たまには来て話をし、孫や日々の様々をゆっくり酒を置いて話したいものです

どうも仏を悪用する坊様が増えましたね。
戒名や墓代の巧妙な請求や
他の線香は匂いがうつる?とか

いい加減にして欲しいですね

宇宙の海に漂うのが地球という島
島は人間様の破壊と戦争や放射能やらの身勝手で
他の星の人々がきっと起こっていますね

江戸時代はネオンもない月明かりを基準にした旧暦に
12支当てた、自然界と共に移ろう時代
例えば2時間ほどが巳の刻になるから
待ち合わせも大体2時間の間で決めたのかな

巳の刻半とかいう場合もありますが

携帯もポケベルも時計がない為

今の人より目や頭はよかったのでしょう
電気がないから
暗くなれば寝る
宇宙のリズムに則した時間

美しい江戸の街並みと
様々な神話や説話の受け継がれ生きていた時間
月や星の輝く夜空で
不可思議な美しい浮世絵が生まれたのですね

鍋のマイヤーとヒデさん

アメリカのフライパンや鍋のブランドMayer
イタリアの工場でチタンで作られたパンを

ヒデさんにプレゼントする社長のジェイソン

ジェイソンはオージーで心優しいナイスガイ
20年くら前に何かの撮影出会い
サーフィンへ行き
やがて12年ほど音信不通に

数年前ファイヤーキングの個展の際
偶然店内にいた外人

目が合うと
あれ!

この写真ミキの?
ジェイソンか?

やっぱり!

買いますよ!
すごいよね〜

そしてマイヤーの会社にも写真を飾ってくれた

影ながらマイヤーのお力に
メルボルンからは親戚のべん
日本が好きで今は時計の販売や
海外のセレブな旅行の企画をしている

20年前ジェイソンに会い
4年前ミラノの店でヒデさんに会い
店で重なる不思議

ミラノではインテル(サッカーの会長や選手)フェラーリのパーティーも任される
日本には存在しなかったイタリアンです

ぜひ
レ アピ オステリア

ご予算は飲み物入れ15,000~25,000円位です

手の届かない海

永遠に手のどどかないのが宇宙と海の美しさ
山の頂上を征服するように
なんでも手に入れようなんて馬鹿な話さ人間様よ

ミッドウェー

旅は一人
怖いものなんかない

雨の太平洋の端っこの離島
遥沖で一人、この世の浮世の雑音を笑う

やるしかない!
泳ぐしかない
潜るしかない

ただ息を吸うだけ

生きたいか
死んでもいいのか?

二つに一つ

片手にカメラを握り写真を撮る

そこでさらに余計なことをする

全ては自殺行為
漫画のような自分を大笑い

6/5〜8日(現地時間)は国難と大本営と日本政府に謀られ飲み込まれ
ミッドウェー海戦で亡くなった若者たちの命日

アホウドリがすむ美しい海は
金目鯛が獲れるから冷凍にし販売する商社

そんな場所で
空母飛龍に解釈の魚雷を放ったのは
ファイヤーキングカフェのオーナー阿部さんのおじいさん
後の空母信濃艦長 阿部俊雄さん
俊雄さんも48歳で呉に人間特攻機桜花などを運搬中
護衛の2隻だけの航海で、予想通り撃沈され熊野灘付近で自決された

戦争の愚かさ
殺しあう武器を作り金を設け
地球を戦場に痛め続け
ゴミだらけにする人間

鎌倉時代の武士の武器は弓矢や刀だが
今や電気製品

兵士の背後には家族がいる
どんなに涙が流れても
わからない人間

宇宙の海に漂う島が地球
地球は人間様だけのものではないのだが

取り返しがつかない現状
海岸はコンクリートで垂直になり
海岸が消えていく日本

珊瑚や水が全てを見て知っている

靖国の英霊を弔うことも
アメリカのアーリントン墓地と同じこと
幾重にも血が流れた地球

彼らが今の世界に思う感じることな何か?

2日前
ゾーリをサーフショップに
店が閉まり
裸足で帰る
流石にオーストラリアじゃないから
お店に入れず
腹減ったな〜

帰ります

由比ヶ浜

茅ヶ崎のお参りから
由比ヶ浜 和田義盛さんの供養を唱え
くじ切りをした

波で遊ばせてもらう

海水をがぶ飲み
海で大笑い
波に突っ込む平和な時代
ありがたや

茅ヶ崎

昔生まれた茅ヶ崎の柳島

厳島神社
イチキシマヒメ様
天狗半蔵坊=建長寺
青面金剛観音
猿田彦
道祖神

お掃除し
御神酒とお水とおにぎりをお供え

子供の頃奥にはジャングルジムがあり
遊んだな〜

不可思議なご縁

七里ヶ浜

七里ヶ浜
盛り土やホテルや宅地の開発で
川や谷戸の森が破壊され

今では東京湾のように
コンクリートの岸壁に

砂も年々どこかへ
川から運ばれる砂もない
川があることで潮が戻り
悠久の自然の循環と完成された循環に生きていた
この辺りの海水も残念ながら川にの登れず
生きる力が弱くなった

コンクリート業者
海洋土木業者
 
国や市の直さなくてもいいが
使わないと来季に降りない予算

そんなゼネコン業者から
お金は政治家の資金になるシステム

一度壊したら戻らない時間

サーファーだから波がなくなるからいうのか?
ではな句、海から見ると、海へ降りると
その不自然さと海や海岸の悲しみが
伝わります

日本はどこへ行っても、テトラポットと護岸の海

広島の牡蠣の養殖業者も昔は帆立のからだった
プラスチックの棒
みんな海に鯉に海洋投棄しています

中国新聞でも以前、取材し
事実をとりあげてくれました

その告発?いや普通に気付き、毎日見ている
彼らの違法投棄を伝えた人は、
その会社を首にされたそうです

広島が神社の先祖の僕としても
蠣業者の心の狭さに
呆れます

和田義盛

鎌倉は北条の策略と欺瞞、源氏の権力争いなど
独特な多くの侍や女子供の血を吸った土地

源氏の時代は武勇の家系で
今でいうう警察のトップ

一族和田義盛さんの供養塚は
住宅地に囲まれた
一段高くなった木々のしげる場所

御神酒、お水、おにぎりや線香を炊き
貝をたてた

北条に謀られ、北条をおいつめるも
新手の侍がどんどん現れ

最後は由比ヶ浜で息子の討死を悲しんでいるところを
精魂尽きたのか?
結局は
一族部下達や女子供共300人近い人々が、由比ヶ浜で
首をはねられた場所

由比ヶ浜には供養碑も、説明板もなく
夏には海の家でどんちゃん騒ぎが
日本の現実

数年前由比ヶ浜は鎌倉市が財政難?で
なんと売り出したが
鳩サブレーの豊島屋さんが購入

サブレー海岸とはぜず
由比ヶ浜のまま
はさすが

鎌倉は山に囲まれた盆地で
神社や寺の修行僧の方の祈りと供養で
なんとかバランスを取ろうとしている場所

北条でいえば
臨済宗(武家に愛され、作動や瞑想のストイックな生き方がはまった)
北鎌倉の円覚寺(元寇の乱の、双方の御霊鎮め)建長寺などが有名だが

後醍醐天皇の息子が幽閉され惨殺された場所や
皆殺しにされた比企一族や梶原さんもいる

鶴岡八幡でも石段で源の関係者が雪の日に首をはねられている

北条に何度も
浄土宗の首を由比ヶ浜ではねろ
日蓮宗以外は邪教である!
と何度も叫んだ

勇気ある
日蓮が首をはねられそうになり
八幡大菩薩よ!私を助けないのか!
と叫び

腰越で死刑が中止になり
日蓮宗は首切りの刀に稲妻が落ちたと
勝手に流布し捏造

実際は記録がなくわからないが
これだけの坊主の首をはねたら
祟ると恐れたのとも

海や山、鎌倉など古戦場と
様々な人の恨み辛みが残る場所には

供養とお浄め
感謝が必要です

北鎌倉の八雲神社にも
安倍晴明さんの狐のお母さんの石碑や
別宅後もあり

古来から不可思議なパワースポットなんでしょう

僕曾祖父さんは北鎌倉の安倍晴明の石があった(今は道になる)
場所の近くに住んでいたので
円覚寺は遊び場でした

火曜日も鎌倉へ

多摩川のアメ車専門店
城南ジープさんで
海の学校の親友がいた

世界の海を潜り
サーフィンした
80年代僕が働く
六本木のソウルなダンスフロアや
音響設備のある店に毎週きていた

鎌倉は
波さらに小さい謎

サーフショップの山井くんと
波乗り

波の小さい日ならば
お子さんから大人まで
ウェットや板もレンタルがあり
体験サーフィンもできます
ぜひ下界から海岸線をこえ
不思議な体感ができる
心美しき海へ

カメラや機材、助手席にはボード

狭い!

台風のうねりが、予想より遅く
波が小さいな〜

撮影できなくとも
海にはいると時間を忘れ
自然に体が調律されていきます

ぜひ海へ

鎌倉

車検から戻り
久しぶりに雨の中茶がえるで
鎌倉へ

波は夕暮れ
胸、肩に

大きな波の周期が20〜30分
ひたすら浮いてまつ
3時間ぐらい

由比ヶ浜の仲良しのサーフショプレイブ

時計がなく
戻ったら18時をすぎ店は閉まっていた
車の鍵はあったが

ビーサンが店内?

裸足で帰るが

夜飯を買いたいが
オーストラリアじゃないから
流石にお店に寄れず

裸足でクラッチ踏んで山を超えた

浮世絵から伝わる宇宙観

1851年
歌川国芳 文覚上人 那智滝修行図

不動明王の周りには眷族さんがいます
その中の セイタカ童子、コンガラ童子が
お不動さんの手足となり
以心伝心

冬の滝で修行し
低体温症と心臓麻痺?で流された
文覚(京都御所の北面の武士)を救い上げている逸話

奉書の紙漉技術の高い日本
越前鷲とも言われ、コウゾの木をフィジーのかばのように
叩いて、細かな繊維にして作られる
途方もない根性と労力

下絵を打ち合わせを綿密にし
途中で絵師がやっぱりこうしたいなど
堀氏は硬い桜の木の板に
裏返しに髪の毛1本、ルーペもない時代に緻密に彫る

色により板が違い
色の枚数だけ板があり
今の印刷の基本(黄色、緑、赤、黒で色を作る網点と言って小さな絵具の粒を吹き付け
ルーペで見ると黄色、赤、緑の単色の粒なのだが、遠くから見ると色々ないろになる
これが線 精密な綺麗な印刷ほどこの線がたくさんあり、インクの粒と感覚が狭く細い
またその粒に盛るインクによっても奥行きが変わる。

これは写真集を京都の美術印刷のサンエムさんで制作していただいた時に
松井会長から教えていただいた
僕の写真集は270線デニスまで塗るから1枚の写真を5枚の色の違うステンレスの板で再現し
西ドイツの機械 ハイデルベルグで刷った。

その後ある不思議なご縁で伊勢神宮の内宮に特別奉納していただいた。

浮世絵も実は
型押しのエンボスを作る板があったり
幾重にも重ねるイメージを空想し

描いて彫る訳で
それはすごいことです

最後の摺師も
馬連でインクをのせ
力一杯繊細に竹の皮の面で回転させ押す
ずれたり
髪の毛や水の表現にインクがのりすぎたらやり直し

初刷りが木の目が写り
色も写しいが

なんせ170年前にガラスやアクリルの額がないのだから
庶民は障子や壁に貼ったり
桐ダンスにしまって眺めたり

きっと浮世絵には
当時の人の指紋や言葉を超えた
安易に遠くへ行けな買った時代の旅への情緒を聞いてきた時間があります

今のなんでもパソコンやスマホで調べて
写真までみれる時代とは、違い心が豊かになったのでしょうね

水の表現、岩や苔の配置
不動明王や文覚の表情など

普通の狸か馬の毛の筆でこんなにも細かく描けたのだから
恐るべし技術

132mの那智滝(現地に行ってはいないのかな)をイメージし
当時の紙の最大の長さが42センチくらいだから
それを3枚縦につないで絵を描いた国芳さんも凄い

版元は企画し販売する
まとめ役

写真なんか
電気製品で押したら写りすぐ見れるから
誰が写しても同じになる

そこで写真に何か内包するというか
動きや生きているような何かを自演ではなく自然に
残すのが技であり、難しところ

間違えなく
構図や頭や目で見て四角い枠を
作り始めたら、きな臭い意図にまみれた
心地悪い写真になります

ここにはその人の人生観や性格や
生き様が明確に関与してきます

そこが写真の不思議です

旅をして、馬鹿みたいに押して
失敗しながら、人生の憂や喜びや寂しさや怖さや全て
がこの1枚に出るのも写真の魅力です

今日の1枚と明日に1枚も違います

たくさん文覚さんや国芳さんのように
色々思うとこもあった人生

独り旅をしてください

江戸で生まれた浮世絵
大東亜戦争の1945年3/8ごろからのb 29のよる
焼夷弾の無差別爆撃で、多くの職人や浮世絵が肉筆画を始め
た芸術品が廃塵とかした事実

多くの浮世絵は海外の流出したものが
故郷へ戻ったものとも聞いています

しかし
どうやって保存していたのか

浮世絵の中の水だけが知っている

水は情報や感情もあるとも
絵具もすみも水がなければ
伸びていきません

水素結合力と波動がなければ
絵具は伸びず、溶け合ません
実は水分子の隙間に絵具の粒子が入り
色が変わったように見える絵具も
顕微鏡で見たら、水と顔料の粒は別々になっています

紙が顔料を吸い込むのではなく
紙の隙間に顔料を含んだ水が、水素結合をして
動き浸透しているのです

波と水
滝の落ちる原理だけは
変わりません

水素結合がなければ
滝は落ちてこず

婆さんも桃を川で拾えない

古来からの息吹や原理を大切にしていくこと
が環境?を守ります

浮世絵を大事に思い
当時の彼らの思いを偲ぶと

自ずと何が大事かが日々わかってくるのかもしれません。

ここから先は
自由自在

大胆に繊細に
修行と失敗を糧に
積み重ねていく情熱を
儚い浮き世に燃やすこと

また国芳さんや彼らの
水の表現力を妄想し
海へ!

出雲日御碕神社前
 
経島(Fumi shima)と言う島の内部は空洞で
参道や石を故意に意図的に敷き詰めた祈り場がある

出雲大社、出雲教講のできる前

古代の出雲族の夕陽神事の大切な場所
天照は実はニギハヤヒ 男の神 とも言われている(ニギハヤヒは神武とも素戔嗚とも、様々な神が習合、溶け合う)
霊蛇(龍)を祀る

出雲大社=大きなしめ縄のある社は千家家の神社
千家さんのご先祖の尊福さんの広告的活動が効果で広まった

その右隣の出雲教講=北島家=地元の方の信仰が厚い
奥には少彦、弁財天=イチキシマヒメさんの社もある

古来は重要な祭事は全て北島家が行ってきたが
やがて交互おこうなうようになるが

今や、パンフレットにも北島家はない場合もあり
千家さんの出雲大社が目立つように宣伝される

どっちが出雲の神社?
もちろん両方です

霊界のヒーラーで御霊の供養の大国主=大黒
息子 事代主=エビス
弟タケミナカタ=龍神は

天照の国譲り=分捕りにより納得いかない弟タケミナカタは
戦い、やがて武人の神タケミカヅチに追いやられ
諏訪へ

諏訪は安曇族の聖地=福岡の海神神社の祈りびと安曇族が移住

本当かどうか真意は神みぞしるので
細かいところは置いておき

いずれにしても
神様も戦った神々の供養や自然や宇宙の感謝と尊ぶ思いを
大切にしてきたのでしょう

古事記も日本書紀も人間が書いたので
正直どこまで本当か?怪しいです

怪しいと思うことも人間界の考えですのでが

人間より遥か彼方にあった海や山と石や水
そうしたものには魂はあります

宗教が入り込めない時間を大切に感じること
胸の衝動を大切に

海へ行く

海とは何か?
未だわからない

明らかに地球にある
もう一つの地球

呼吸ができず
空間と水間

動きも違う
陸地の空間の摩擦や重力の影響も軽くなる

水を手足や指先で感じて
掴んで動くには、陸よりも
繊細で早く
力ではなく感覚と効率

実はゆっくり味わうが
動かす動的動作は鋭い

これは周波数の違いというか
頭や感覚や心と指先や頭や腰の使い方が違う

あえて言うなら古武道に近い

鮎が滝や流れを登る
なんらかの摩擦がある
確かに波は来たら垂直に向かわねば
抵抗で潰される

波分子の波動のある一定の皮のような激流と
方向性に足して
必ず垂直に頭から抜けないと波の裏側へいけない
動いてないなみの中に入ればそこは無風状態なのだが
波の塊は動いてくるから、その狭いポケットに入るには
体の使い方と人間界の動きではない
先に動く動的アクション入るが
これがなかなか最初はできない

ない場所へ飛び込むと
動いてきたある水波動の塊を超えられたり
受け流せる

とはいえ水は分子レベルでエネルギー波となって動くから
どこで切る?かが難しい
終わりも始まりもない

山登りは違う

魚の滝のぼりも
無駄な力は使わずに
ある真っ向からくる流れの隙間に
硬さを感じるスピード角度で圧を産み出し
逆流を登っていく

うなぎの動きも大事で
海ではよく使うが
くねるバックだけはできない

海は魚が先生
基本はハタとあゆの動きを真似る?

車のブレーキは
一度密閉した小箱と押し出すピストンの板マスターシリンダーの密閉された液体を押し
前後タイヤに通じる、別な密閉した箱とピストンの板に送る

板の直径により
その力は変わるらしい

液体は圧力をかけられない
圧力をかけても水は水
氷は逆に水に戻る

水中で泳いで瞬時に動くには
ある特殊な動きと使い方がいる

これは言葉では言い尽くせない

仙人や忍が使った訳です

その研究こそ
海や川にあり

教科書はゴミ
全ての教えはこの宇宙と自然界にある

禊ときよめ

目に頼らない
カメラに頼らず
大事のはするが所詮は機械

押すのは指先の先にある
頭ではなく胸

胸から入れと

神道や禊や祈りの人
川面凡児さんも滝行や海浜での行を重ね
正月に片瀬で海の行の指導をしたのち
肺炎で亡くなった
享年68歳

冷たい海は体にきます
血管を細め
心臓は血液を送るために
自然に圧力をあげ

ホースを絞るように血管に圧を変かけ
寒さは万病のもとというが
僕も寒がりで
夜明けの冷水の冬の海は確かに心臓がトクトクする

危ないですね

これはそんな冷水の雨の海

あためで考えるように
学校で養殖されてきますが

これが厄介で
勝手に妄想したり、ネガティブを作り
また行動すれば胸にスッと入る全てを
遠回りさせる

つまり
考えるより動け
頭はイメージを作ればいい

どう動いて、どう切り抜け
どんな状態かを判断する

常に体や心に問いかける自分

己の力量と置かれた自然界の絶対的ルールと強さに
どう流れ、ひらひらと動くか

そこに、目には見えない神々や自然へ
心を尽くし、感謝する

海や滝はものではなく
有機的な何かだから

尊ぶことに尽きる

修行の場ではあり
その絶対的な宇宙の動きが全ての教えと黄金律的な波動があるから
確かにただしてはくれます

そこに過剰に頼らず

人間のご都合で
禊で邪気を捨てたら
その場を清めることを忘れずに
擬臣を捨てて汚染しっぱなしな昨今

神社も勝手な神頼みや
一方通行の都合良いお長いばかりする日本人

湯島天神に合格祈願したが
子供が受からなかったから
お金返してくださいと
いうお母さんがきたと
お聞きした

各神社も、維持管理や神様のお供えお賽銭やお布施のためもあり

恋愛やら、商売繁盛やら「効能」を書いているから
誤解を招く
そもそもは、絶対でも効能ではなく
ご利益と書いているのも
勘違いしやすい

神社は祈祷して願掛けをする場ではないのだが
江戸時代ごろから民衆にも広まる
広告的要素

海も山も神社も
みんなの美しい場所だから
お願いします

ミラノで

数年前ミラノで出会った
ヒデさん

フレンチからイタリアンの修行でイタリアで18年
ダビデさんとのお店はミシュランをとり
やがて独立しミラノにお店を構えていた

コロナの影響で
お店を閉め
日本の西麻布でスタートした!

レ アピ オステリア
触覚がナイフとフォークのミツバチのロゴ

そんなヒデさんが
京都のお寺に続き
ギャラリーにも来てくれた。

不思議なご縁

常盤稲荷

日本橋のお稲荷さん

神様をつなげたのは、太田道灌

1457年江戸城の守りとして
元は秦氏の祈りば、空海も修行した
日本中の神や霊魂が上がる場所
聖地、京都伏見稲荷から分けられ
元は別な場所に

この地に引っ越し祀ったのは家康と宮大工や氏子

魚市場の水の神(甲賀油日神社と同じ罔象女神)だったらしい

時代の移り変わりと川の埋め立ての開発で、神様も右往左往

小さな日本酒が2本

崇敬の暖かさを感じる
大切にされている神社でした

NHK放映は別な日に

今日放映予定とお聞きしていた

NHK歴史探偵 西遊記となっていて
放映されませんでした。

お寺に確認中です。

すみません。

人は器

京都書道の大先生
杭迫さん

仙人のような独自の笑顔
独特な流れる気の生きた水墨の流れ

聞けば山中鹿之介さんのご子孫

尼子に尽くした彼は、出雲安木の上月城が落城し捕虜となり
岡山の阿井の渡しで
捕虜となり連行中毛利側の侍に殺された
とも、生き延びたとも、自害したとも謎

いずれにしろ心に寄り添い
尼子義久一族の再興の願った
武勇の男 山中鹿之介さん

鹿之助さんは
出雲の安木にある、山城にもいらして
供養塚もある

岡山にもお墓があり、出雲とも
御供養へ行かせていただいたご縁

月に向かい
願わくば我に七難八苦を与えたまえ
とよんだ句は有名で

その昔は国民教育として教科書にも載っていたそうだ

月岡芳年さんも浮世絵にしている

人は器


天台宗 伊賀赤目の滝 延寿院 松本住職

普段は僕の3倍話す
比叡山で修行しお父さんは
戦後どうしようもなく
目黒不動で野宿寸前の時に
当時のお坊さんに救われ、お寺に住み込むことになる

伊賀赤目不動は
テロリスト信長に焼かれ
その侵略後、家康により伊賀の侍と忍は和睦

和睦とは言葉だけ

神社仏閣を燃やし
女子供の首をはねた信長は決して許されまじ
一方的なロシアのような愚行に
命を惜しまず戦った彼ら

伊賀を安定させるために
藤堂高虎がこのお寺を祈願寺とし
(家康の背を向けた御位牌もある)
 赤目滝詣りの衆という、法華経を全国66の国に納経する
集団がいたが、おそらくは忍で諜報活動もしていたのであろう

通行手形がいる時代
このお寺からは特別に御押印が発行され
木札を持っていたのであろう

そんな住職の護摩焚きは
その場を変えて
何かが降りている

雨で水も濁り
海はしばらく待機です

秋には今年も19年 目の個展を
ファイヤーキングカフェさんで開催します。

写真を撮らねば!

作為を消すのではなく
作為を写真に持ち込まない

撮りたい、撮ろうという思いで
撮影する現場に行くのだが

商品やモデルの絵コンテや
着地点をメイクやディレクターで目指す
いわゆる広告、商業写真は別な写真

僕の場合は
行ってみて、さらに泳いで見て
撮れるか撮れないか

後でわかる

この辺も2022年ごろまでは
フィルムもあり36枚写して
また泳い出戻り
フィルムを詰めて
5時間くらい漂って、波を潜っていた

マウイ島のホノルアベイで2002~3年の冬に
宿がホーキパだったから片道1時間車を走らせ
帰るのは夜になっていた

話を戻すと

つまり
「写っちゃった」
もちろん被写体は透明な水と太陽

超感覚的なアンテナを呼び覚まし
場所探しから、水中の波へ向かう

すべての世俗の汚れや時計を外し
昔からの正しい本物の天然の海と波を
指先から足さきまで、圧力のある天然のMRIのように通過すると
あ〜生きてるな〜俺
これだ!これこれこれ!
と大笑いしていた

真剣に宇宙と海と向あわざるえない

自分の嘘やなめたり、おごれば
即身成仏

自分の嘘とは体力や泳げないのに
その力を客観視せずに、行くこと

それでも予想できない事故は起きるのだけれど

それ前の準備や、力量を鍛錬し
研究して死ぬなら
それは潔いスッキリした討死

切腹ではない

生き死にがかかること

戦争ではなく

平和だからわざと命をかけれる贅沢

考えすぎないこと
黙ってやること
独で向き合うこと
答えははなから無い
電気製品や時計は捨てて
自分の時間で右左、上下泳ぐ
怖さを泰賢すること
心の目を逃さないこと

キャッチする野生的感覚を磨く

すると体が自然に動いている

胸で動くこと
頭は捨てる

先生は自分かもしれない
大自然の無限な教え
宗教は日々の暮らしやこの宇宙にある
人間界の宗教のホコロビにかどあかされないこと

アイヌやネイティブアメリカン、忍たちの心によりそい
供養する

明け方の宇宙の光

彼らの生きた時間と変わらない
汚れた人間界とは別な次元がまだここにはある

思うことは同じはずです

観光地や作為と人間臭いテーマパークでは無い
独り旅へ行けば行くほど
自然に磨かれていく

神社へ自分のお願いを押し付けないこと

神仏は尊ぶが
頼らないこと

うみで独り
誰も助けちゃくれません

助かるような作為をしない

手紙

ビルマからの便り
軍の検閲係に読まれ(この頃は渡辺と印がある)

場所や作戦の事、などは上からマジックで消されたり
削られたりするから
初めから決めておき
斜めに読むとい場所がわかるようにしたとか

ごく一般的な今年書けない戦時郵便
書いてから日本に届くのは2〜3ヶ月後
まれに航空便でビルマへ12日で着いたこともあったようだが

手紙が家族のもとへ祖国についた頃には
戦死している場合も多かった

祖父は琵琶湖の近く
甲賀や水口あたりに先祖がいた
江戸時代は水口久兵衛 が山本に養子に入ったりして

爺さんは築地の波除神社で生まれ
ひいじさんたちは近江八幡から
築地へ来たという
やがて関東大震災で焼け
まだ鮎や亀もいた清流だった目黒川へ

27歳
きっちり
と書けるだけ一生懸命に書いた手紙

思うのは家族のこと故郷のこと

戦争の戦いのことは聞いたことがなく
つtらい体罰や敵や捕虜のことも
今思えば話さないようにしていたのかもしれない

盧溝橋事件を起こした
牟田口廉也の愚行
本人はおめおめ帰りだんまり

その作戦部長の河辺、辻参謀は当時の先輩
なんとか牟田口れんやの(個人的な盧溝橋を巻き起こし日中戦争のひだねの責任)を
錦で飾ってやりたいという
個人的、大本営の強制的で、それに毅然と反対し文句を言えない空気と参謀達の
決断できない決断が、多くの兵隊を犠牲にしたのが大東亜戦争

誰もが反対する、補給も制空権もなく、数1000メートル級の山脈や
未開のジャングルに、シッタン河、チドウィン河などの大河

食料は羊や牛に兵器を運ばせ
いざとなれば殺して食べればいい
チンギスハーンの作戦と言い
牛はすぐに歩かなくなり、羊はさらに無理だった

インドのインパールを落とせばいいという無謀な作戦

物量と合理性で勝る連合軍は
パラシュートやグライダーで物資を運び
日本軍はマラリアや飢餓で消えていった

日本に味方していたビルマ人
チャンドラボースもやがて、日本軍の素行や未来に失望し
反旗を翻し昭和19年以降敗走の渦と無理な突撃で死んでいった

祖父は器用で電気の知識もあり
満州からビルマへ4年
鉄道兵として習志野にあった鉄道5連隊で
訓練したと聞いた

主戦前にはタイにいたので
捕虜にはならず
21年に浦賀に呉で空襲され甲板に大穴のあいた空母葛城で帰ってきた

こうした手紙が70通ある

ビルマから日本へ心を運んだ1枚の手紙

1枚の写真と同じように

残り伝え続ける時間があることを改めて知る

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