響くこと

昨日の夕暮れの七里ヶ浜

江ノ島は今、島民やオリンピック関係者以外誰も入れません

鎌倉の由比ヶ浜、材木座も海の家はないので
自由に本来の夏の海のまま
静かに過ごせます

サーフィンも海の家があると
朝8時から夕方5時までサーフィンできませんが
今は一日中できます

由比ヶ浜の目の前の
レイブサーフでは
レンタルのボードやウェット
サーフィンスクールもあります

由比ヶ浜は市がにも清掃車で海岸を掃除してくれているので
綺麗です

僕が子供の頃の海岸はまだペットボトルもなく
空き缶や食べたゴミや漁具程度でした

目には見えない
排水の洗濯の合成洗剤の排水など(千葉の海沿いはいまだに垂れ流しですが)
基準もなく、工場の排水や、塩素など毒が流されていたのは後で知りました

水俣のチッソという会社が流した水銀は
いまだにその後遺症を残しています

その写真を撮ったのは
僕の写真の師匠がアシスタントやプリントをした
ユージンスミスでした

子供の頃北鎌倉の、円覚寺の横に住む、曾祖父さんの日本家屋と池で遊ぶのが好きでした
湘南電車の中もみかんの皮や落花生の殻やワンカップや新聞紙
が散乱し、何とも言えないカオスでした。
日本人に環境や海へのモラルや教育がなかった時代を越えたはずですが

日本中の海岸は今や砂浜や磯にプラやペットボトル
発泡スチロールのゴミだめに

子供の頃、海の帰りは
潮のままシャワーは浴びずに帰りました
それが普通でした

人がいない岩場で二本の網を持ち
魚をつかまえるのが好きでした
あの深さだと息がもつかな?〜
苦しいな〜と
素潜りの日々

同じ歳の子供が、何で海の家の汚い海で
遊ぶのか?魚もいないのに
と本気に不思議に思ってました

だから僕は海の家にはいかないし
魚のいない濁った海は不機嫌になるから
おじいさんや、親は大変でした

水槽で買えそうなサイズと種類の魚を入れ

帰る間際に新鮮な水に入れ替え
酸素のブクブクを持って帰り
家の水槽で飼う

魚が大好きだった

渾身のキャッチ!
黄色いナベカやベラと
メジナの子供

ベラは輸送が難しく
途中で死んでいてかわいそうだから
ベラはやめました

しかしこれが子供には重かった
途中で居眠りをして電車内でこぼしたり

それでもあのビニールバケツの
電池式の空気を送る機械をそのポケットに入れた
入れ物には夢があった

当時は釣竿に網に水中メガネに浮き輪
を両手でもち
ビーサンが流されたり、足を切ったり

今は機材と写真で旅をしてますから

常に両手が塞がった移動で
重かろうが、何だろうが
独りでやるしかないから大変だとは
思いもしませんでした

きっと今もその下地があるんでしょうね

足元の水のチャプチャプするビニールのバケツを
のぞき
生きてるかな?
大丈夫かな?
といつも気にしながら
電車とバスで家路についた

おじいさんの家は、2メートルや様々
手製の水槽に囲まれてました
器用な人で、戦争に2度行き
ステンレスの職人でしたが
大工や料理もでき、何をしてもその道になったような人で

全て独学でした
想像と物の構造と摂理を知っていたんですね

今思えばプラスチックのバケツの方が丈夫でよかったです
が柔軟な発想がなかった僕は多岐に渡り創造性にかけた子供でした

家に帰りホースで水を浴び
網や水中眼鏡を洗い

五右衛門ぶろにドボン

ドロボー五右衛門さんは
京都の鴨川の河原で油で煮た特性?の窯に
投げ込まれ
死刑に

その時のよんだのが
心頭滅却すれば日もまた涼し

山梨の武田信玄の菩提寺
臨済宗 恵林寺の
快川おしょうに信長が
かくまっている武田一族をわたせ!
ときた際に

バカか!貴様のような
ヤカラにわたすようはない!

と言い放ち、怒った信長に
僧侶数70人と寺ごと焼かれた際に

先の五右衛門の辞世の句を読んだのは
創作らしいです

怖いですね昔の日本

在常戦場です

海は人を育ててくれます
海の中に住まなくてもたくさんのことを
陸地に足がついて空気吸ってハンバガー食べてコーラで流し込んで

海の凄さとバカな自分を内観できます
現実を知ります

真理と真如はこの自然界にあり
そこで人は、心身をさらけだし
己を見つめ、浄化され元気になります
そして海へぺこり

間違えないです

大事なのは潔い悔いのない生き方でしょう

生きがい
と生きないと
嘘のテレビや噂や周りに流されます

テレビは捨てて人の波ではなく
海にもまれ流されたほうが
尊い時間になります

人さまに迷惑をかけず、御膳が回ってきたら1つだけいただき次へ回し
挨拶をして
自然を大事に神仏と先祖を胸に

自分はどう生きるか
何が大事かです
比べて競争社会は人が渇きます

夏冬の通信簿という査定表
「協調性のない子供」

これが子供時代の数十年の座右の銘

胸に響かない先生の声
しかし、背比べも競争も強制もしない
フラットな
海は胸に響いたわけです

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