1眼レフのカメラを持ち歩き始めたのは1992年ごろ

1年のビザを、当時は陸の孤島だった麻布のオーストラリア大使館で取り

原宿のプロペラという、アメカジの雑貨店で茶色のキャンバス背負える

キャンバスのバックを買い、詰めれるだけ詰めて旅へ出た

数年後、外人たちが背負う軽そうなリュックを見て

そんなのあるんだ〜

地球の歩き方を、借りていた家の本棚でみつけ

へ〜こんなのあるんだ

ホテルなど書いてあるが

普通のところしかなく

日本語の地図が便利かな〜位で、あまり手に取ることはなかった

日本にいる時に知ってたら、もう少し空港やバスの乗り方や、税金など便利だったかもしれなかった

その点、教えてもらったロンリープラネットはすごいとも思った

小さな宿の値段から、こと細かく旅人が書いたガイドブック

でも当時は英語版しかなく

結局は自分のと本屋で調べた

ニュージーランド人から車を買おうと、道に止めてある車のFOR SALEの紙の番号に

恐る恐る電話したら出た

確か2000Aus 16万くらいだ

1週間後の払うから待っててというと

いいよと確認したが

いざ買いに行くともう売ってしまったと言う

なんだよこいつ

と思ったが

数ヶ月後

旅人はわからない相手より、すぐ現金で買う人間に売るのが心情なんだと

旅慣れてくると彼の気持ちも理解できた

ネットもカードもない時代

自分の足や感覚で見聞きし

レストランや海岸

帰りによったバリ島の山の宿や渓谷の道など

自分しか知らない、秘密のいい場所があったが

いまはネットで宿も、すべて写真で確認でき

いいやら悪いやら

あの野性的な感覚や、人と人の暖かな繋がりは

明らかに薄れていったと僕はおもう

バリの島でもジムニーを借り

それらしき宿をまずは、見せてくれますか?

と見せてもらい、雰囲気や宿からの景色

ベッドや部屋がカビ臭くないか

など瞬時に判断し、よければ交渉したものだ

そんな一人旅の時間が

やがて海の一人旅に役に立つわけだ

今度は波を探さなければいけない

どこでもいいわけではない

サーファーがいる場所でもいいが

あまりいない場所、水の透明度

波の距離

泳いぎ出る場所、帰る場所

岩だと戻れないかな?

サメいないかな

流れはどうだろう

自分の泳力で泳げる大きさの波なのか?

などしばらく海岸で座って観察する

サーファーがいるとサファーが波とかぶる

俺とってくれる?など

ハワイなどは面倒なことが多い

本当のハワイは治安が悪いから、車に一切タオルやビーサン以外は

置いておけない。フィルムも岩の下に隠したり

そうこう地球の波を探すうちに

どんどんひとけのない島へ行く様になった

南へ南へなんかし

サモアやフィジーへ

フィジーでも水が汚い場所もある

水深が浅すぎ、泳ぐには危険な場所もあった

それでもフィジー の最果ての島は美しく

波もデカかった

山には妖精がすみ

当時は水は山の水を飲み、電気もない世界

村で数年後ガソリンで動かす発電機をかったのだが

村人は自給自足で、女性が1日、服を着たまま冷えない様に海に浸かり

腰まで海に入り、釣り針と糸にその辺の貝を餌に魚を釣り、水中眼鏡で刺網を仕掛け

まれに男の人もモリでついていたが、漁はもっぱら女性の仕事

緩やかで、また厳しい生きる時間が生きていた

趣味の時間や、ランチなど行かない。もちろん服を着た犬もいない

海の移動は全てヤマハのエンジンの小舟だった

あの秘境の青い波での修行が

やがてこの写真の日本の夜明けの海へと繋がるとは

思いもしなかった。

なんだか日本の波の不可思議な色や形に惹かれている

不可思議な妙な神系というか

日本の海の独特な感じがあります

Back to list

ページの先頭へ戻る