水をつかむ

ここ最近の写真は全て逆手どり
逆さま

意味が分かりませんが
水面から波の中へ潜り
波が速いと反転しながら止まり
頭は逆さまに
右手でカメラのハンドルを握り
カメラも、上下逆さま

もちろん僕の場合は今まで全てノーファインダー
カメラの窓を覗きません

古武道です

写真を練習するのはいい

先生につくと、先生の写真になるからやめましょう

上手になるにつれ
上手く撮ってこうしてやろう
とか

構図ありきで風景や人物を時間をかけ作ってしまう

あざとさや嘘が自然発生する

しかも昨今は画像ソフトで好みに色を変えてしまう

こうなると、これは写真ではありません

その場に立ち合い
そのピカッと!観た瞬間が醍醐味の写真

を後で都合よく
仕上げてしまう嘘

つまり撮れていない・・・・

撮るのは瞬間
見ているまもなく押すこと

カメラを一種懸命覗き
こうしてやろう とか
あーしてやろうという
いやらしさが出る

そのままに
ありのまま以上の領域がある

ありのままに
人間には届かない
美があります

書の話で銀座久兵衛さんの
先代の、技と心意気に惚れた
魯山人は
練習を盛んにし
技巧の練達は、技神に入るということになる

自分の思いもよらぬ
結果が起こってくる

技神とは
精神的に腕を動かすこと
理智的性能はがりではない

この頃の言葉なら芸術的

理性のみの産物ではなく
個性や魂とかいうもの元行寺、作品中に織り込まれ
精神的なものになってくる

技術があるところまで
練達すると

技巧が自ら精神的になってくる
したがって図らずとも
思いがけない結果を顕してくる

そこではじめて、自分の書が
身についたとか、板についたとか言える

練習した、手本の四角い、丸い綺麗な整っただけの字で終わる

筆とカメラも似ているのかもしれません

芸術という名前さえきな臭い
特に現代アートという言葉は
仕掛けや広告的着地点を感じます

武術も水中も
体に線や軸が水中で一瞬で維持できないと
ぶれたり、そもそも波の中で動けない
陸上では摩擦や重力があり
体を筋肉で動かします

水中は(プールではなく生きて動く水)
重力?
水の固さを摩擦ではなく
押す感覚

水分子の密度を利用する
もちろん筋肉を使いますが
もっと感覚的?

浮力は邪魔であり
また船のように惰性を利用できます

浮力があるから上に(水面)へ行くのは下るより(もぐる)早いですね。
筋肉は使いますが

指先から顎は必ず引いて(折れてしまう、先に頭が入らないと水中では動けない)

魚のように動く

実は波をかわすのですが

波や水流には逆らってます

向かってくる力を逃します
いなす?

その流れる水を掴んで
推進力にします

でも早く流れる水は掴んでも、手の平をまるめ
水をかこうとしても、一緒に水分子が流れていきますので

なんというか
空振りしますので
水分子の束の進行方向と角度を感じて
手をかきます
実はあまり足は使ってないです

指さき
手のひら

頭(顎を引いた状態)
で水中の芯に入れ込む


背骨

足首
足の指先
の順です

手や指先と全身感覚で
瞬時に手のかく角度や
水を掴んだ重さや抵抗をしっかり
動きたい方向とは逆に押します

よくわかりませんね

説明がうまくなくて
ごめんなさい

これは
畳の上の水連

なんでもやってみると
意外に簡単だったり
考えていたこと(妄想)とは明らかに違い
習得が早いですね
観察、内観、観察
自然界と溶け合う心と周波数を変えることです

きっとコイの滝登りもいつかできるかもしれません。

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