松尾先生

伊賀で信長の伊賀殲滅に際し
戦い討ち死にしたといわれ
その息子は伊賀赤目不動を信奉した藤堂の無足人(地侍)
その息子は芭蕉
18の時には伊賀の服部の親戚につかえたとか

芭蕉はイマイチ謎がおおい

伊賀では吉田兼行も庵を結び、その後その種生の山も
伊賀の地侍、忍者、農民と信長の激戦地に

能の観阿弥世阿弥も伊賀である

渡来人の流入もあり
秦氏の末裔は服部家とか平家とか
間違えないのは
先祖は平家につき壇ノ浦の赤間神宮に墓がある
一説には生きのび伊賀の予野のちがちに
住んだとも。城跡あり

松尾さんが忍者説はあるかもしれません

そんな謎めいた松尾さんは
深川のあばらやにすみ

最果ての海辺を旅した昨年
帰ってんばかりだけど

ちぎれたくもをみていたら
なんだか
道祖神やそぞろがみが呼んでいる
ようで
松島の名月がみたくなったな〜
旅へ行きたくなっちゃったな〜

と大胆にも
3/27に家をひきはらい
弟子と俳句をのこしながら旅へ

馬か?籠か?

本当に?延々歩いて月山、湯殿を参拝しながら
北陸〜大阪〜長島へつくのが9/6頃

1日数十キロあるくただならぬ健脚と
資金、あれだけ見たいといった松島は1泊だけで俳句も詠まず

栃木黒羽に13泊したりと謎な行動を5ヶ月2400キロ

仙台藩の石高を調べていたとも?

大空の月や太陽は永遠にとどまることなく動く旅客であり
時を刻む……
人生は日々旅で
李白や杜甫や西行も
旅をすみかとし
旅の途上死んでいる

元気がでるように(三里という場所)足にお灸をして
笠の緒をなおし
ももひきの穴をぬって
いっちょ行くか!

荒っぽく訳すとこんな感じで
なんだかいいですね〜

ふらりと寅さんのように旅へ行く訳です

準備や健康もなにより、あるきだから

ガソリン代や電車賃もいりませんが
ご飯食べたり宿とまったり
きっと名物やお団子食べたり

お金どうしたんでしょうね
半年も、銀行もコンビニのATMもないから

写真集に寄稿してくださった旅人
でドイツ文学の故池内紀(おさむ)先生は
寅さんも山下清も一見無計画の様で
実は事細かに用意周到に旅の準備をしていて
と著書で書かれていた。

どうも色々松尾さんはそれなりの、人脈とネットワークがあり
いい家や屋敷に歓待され泊まってます

お人柄もいいんでしょうし
礼儀正しい方なんでしょう

旅を色々してきましたから
お話もおもしろかったんでしょう
旅行が今のように簡単でない時代ですから
みんな大歓迎です。

日本が66の国にわかれ
関所なる税関があり、通行手形や、許可する手紙、修験者
といった規制があったから
なかなか全国を自由には行けなかったのに
不思議。

伊賀で生まれた服部半蔵の末裔は
愛知で生まれ松平について
江戸に来て徳川の警護をし半蔵門として残る訳ですが

これが皆さんのしる服部半蔵正成です
半蔵は代々世襲してますから半蔵は実は10数人いるんです

この半蔵の父へ仲間の忍者が(半蔵正成は天正8~10年は行方不明)
伊賀の忍者が命は惜しくないが
信長と戦い全滅するから、あとはたのむと言われ

半蔵が徳川に口をきき、奈良の大倉五郎なる猿楽師に
赤目瀧の近く、伊賀忍者の棟梁のひとり
滝野十郎よしまさと信長を和睦させ

忍者や侍は高野山や根来や岡山藩や全国に散っていって
忍術がひろまったので元祖忍者は伊賀であり
少し前に信長に降参した甲賀も元祖ですが

女子供は助命すると、腹をきらせたのに
降参した女子供を鉄砲で撃ち殺し

武田の残党をかくまり
「おまえなんかに誰が渡すか!ぼけ!」と言った恵林寺の快川和尚数百人を山寺にとじこめ
火を放ち

仏罰が落ちるといわれた
比叡山の700人の僧の焼き殺しなど、をおこなった信長
悪い奴なのに教科書では教えない

そんな理不尽で数の戦力では勝てない相手にも頭を下げず

自分の心をみくだすなら、侍ではなく
死んだ方がましだと

死はしではなく
魂は悠久であるといった

自然を生きる真理とし
儒教や神道、仏教、道教をも取り入れてきた
忍や侍こそ立派な日本人の根幹です

話は熱くあの世へいきましたが

こんな時こそ
足るを知るで
我慢と何か意味があるんでしょう

今や宇宙にまで迷惑をかけ
自分の家もだいじにできないくせに
火星にまで行き金儲けをたくらみ
海を空を大地を
全く大切にしない人間界

太陽はずっとそんな歴史を見てきました

普遍的で太陽の位置や時間はかえられないように
水が上からながれるように

旅へ行って
おいしいもの食べて
なるようになれ〜と
身をまかせ流れるしかありません

松尾さんなら
どうしたかな?

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