大学に(儒教の教書)、致知格物という事あり
致はつくすという事義なり

知をつくすは、およそ世間に人のしるという程の事
ありとあらゆる事の理(ことわり)をみな知りつくして

しらずという事なきを、知を致(つくす)とよめり
その事々の道理をしりつくせば、皆しらずという事なく、せずという事なき也

しる事がつくれば、事もつくる也。

理(ことわり)をしらざれば、何事もならざる物也。
万(よろず)の事はしらざる故に不審あり

うたがはしき故に、その事を胸をのかざる也。
道理があきらかにすめば、胸に何もなくなる也。
これを知をつくし、物(こと)をつくすという也

胸に何もなくなりたれば、よろづの事が仕よくなる也。

此の故に、よろずの道を学ぶは、胸にある物をはらひつくさむ為也

はじめは何も知らざる故(初心は太刀の構えさえわからない・・・)沢庵

一向に胸に不審も中々なき者也

学入(い)りてより、胸に物がありて、其物にさまたげられて、何事も仕にくくなる也
其学びたる事、わが心をさりきれば
ならひも何もなくなりて、其道々のわざをするに

ならひにかかわらずして、わざはやすらかに成りて、ならひもたがわず
われも其事をしながら、我もしらずしてならひにかなふ物也。

兵法の道、これにて心得(こころう)べし。

百手の太刀をはらひつくし、身がまへ、目付、ありとあらゆる習いを
能々(よくよく)ならひつくして稽古するは

知を致(つくす)の心也。

さて、よく習いをつくせば、ならひの数々胸なく也て
何心もなき所、物(こと)を格(つくす)の心也。

様々習いをつくして、習い稽古の修行、功(こう)つもりぬれば
手足身に所作はありて心になくなり
習いをはなれて習いにたがはず、何事もするわざ自由也。

此時は、わが心いずくにありともしれず
天魔外道もわが心を伺い得ざるなり。

この位にいたらん為の習い也。

ならい得れば、又習いよくなる也

これ諸道の極意向上也。

ならひをわすれ
心を捨てきって
一向に我もしらずしてかなう所が、道の至極也。

此一段は、習いよりいりて
ならひ無きにいたる者也。

兵法家伝書
新陰流兵法目次事
柳生宗矩 著
渡辺一郎 校注
岩波新書

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