子供の頃、夏になると下関の関門海峡を見渡す山の家にいた

毎朝、料理の先生のお婆と、唐戸市場や長府の商店街に座る、行商の魚売りの婆様から

虎魚やひらそやウニなどを買い、家で捌いてくれた。

食べたい魚を、買ってくれた。

サカタザメもかい、冷水で閉めて食べ

黒鯛(チヌ)や真鯛は

皮に布巾の上から熱湯をかけ、氷水に入れきる

皮の歯応えと、旨味が詰まった大好きな松皮造り

甘い、サッカリンの入った醤油と白いご飯をばくばく食べた

平家の落人が逃げた山はなんだか夜は怖かった

マムシもムカデもいた

今では平家の方々はまるで仲間のように、神棚で名前を読み上げ

毎朝、毎晩ご飯やおかずをお供えするようになった。

赤神宮の平家塚は子供ながらに独特な暗い雰囲気と耳なし芳一

のお堂も怖かった。

毎朝バスとディーゼル機関車の引く客車に乗り、網や水中眼鏡を持ち

無人島へ行った

渡船で渡してもらう島は、透明でゴロゴロとまるい石を船底があたると海へ腰まで濡れて飛び込んだ

どうせ濡れていいものしかない。帰りの着替えは乾いているだろう

一日中、釣りや水中で魚を追いかけ回した

岩から岩へ移動し

ぐらつかないような岩や滑らないような面や苔のない場所を選びながら

足をつくが、たまに滑ったり、蠣殻を踏んだり、と怪我をよくした

深い水中の石から石へ網とビーサンで動き

波や海を観察していた

石の上の魚を見つけると二つの網で挟み撃ち

大体がカサゴやアイナメなのだが

船が迎えにくる夕方まで水の中にいた

日本海の水もくる響灘の水は沖は冷たくブルブル震えながら

たまに出て石の上で温めてまた海へ

マリンブーツ やラッシュガードのない時代

青い海パンと黒い水中眼鏡が宝物だった

生捕りした魚はビニールのブクブクバケツでポンプで空気を送り

持ち帰った。たまに電車で居眠りをしこぼしたり。4キロぐらいあり重かった。

また翌朝島に戻ることと、夜の刺身や魚料理が楽しみだった

サザエはしこたま食べた。網で焼いていると、ばちん!と殻の端が弾けまぶたにあたり血が出たことも

あと1ミリでで目玉に当たったのから危なかった、今も傷がある

今思えば、あの頃の水中の動きや感覚、海での怖さの経験が

網から防水カメラに持ち変えただけで

大事な野外勉強だった

あの頃の体の使い方が自然と身についていたのかもしれない

海や水辺や魚が大好きな子供時代

今では、物や個体や魚ではない

さっきまで無かった海に現れる「波」の動きを写している。

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