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サンタクロース

海辺の村の家々は皆高床式。
ヤシの葉がさされ、波音でうたた寝。
そんな時間がゆっくりとたゆたう。
笑い声の先には、サンタクロースの帽子をかぶり、マジックで体に刺青を書いた子供。
純粋な人々へ、うまいこと布教したキリスト様の影がここにも。

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コンセントニンビー

入り江と砂州のある美しいヤコ村
全ての存在が正しい場所と時間でなりたっていた
貝殻や落ちたヤシの葉で遊ぶ子供達を見ていると
ごくごく自然な循環の中で生きる人々に多くを教わる
他から持ち込まれたジャンクな物も、足りない物もない完璧な世界
エアコンの効いた飛行機で乗り付けた我々へ
多くの学ぶべき事、思い返す事がこの国にある
進み過ぎた世界に、人の心は追いつけない事を知り
おばかなコンセントのはえた自ら人が作った物で
人の魂は縛られ締め付けれていく事に気づく
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ねぐら

風通しの良すぎるバンガローがしばらくの寝床であり、機材置き場。
マラリアを持つ蚊から守るため、蚊帳に包まれ寝よとの事らしい。
海は目の前。
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山車Dashi

ニューギニアの首都ポートモレスビーから国内線で2時間、インドネシアとの国境に近い場所についた。
しばらく手で積み降ろしをされた荷物の山が山車の様なカートで出るのを待った。
おもおもいに山から自分の荷物を引きずり出す。
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曲線

ごく自然にあるものは、曲線を選ぶ。

川は海へ向かい、海も途方もない時間で海岸線を満たした。
珊瑚礁の白波。
島が隆起と沈降をくりかえしながら、今の土台ができた。
海底のサンゴの岩盤が急に浅くなっている為、波が生まれている。
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旅情

明け方ポートポレスビーについた。 

そこから国内線でインドネシアとの国境近くの村へ行く。 

カップの壊れ具合が、なんとも旅情を誘う。

 
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ニューギニアへ

首都ポートモレスビーから国内線で2時間程で、インドネシアの国境近くの海の村へ、極上の波とまだ見ぬ世界へ向かう。 

かの大戦でジャングルに海に呑まれ、本当は長く生きられた命を、国の大義名分で無理矢理若くして終わらせなければいけない状況に圧倒された人々がいた。
海ももちろんだが、今回はまづ祈らなければならない。 

ハワイも初め殆どの太平洋の島々ではこうした物語がある事実を、我々日本人は心の何処かにとめておかなければならない。 
純朴な美しい島を勝手に戦争に巻き込み、兵器も骨も置きっぱなしの状態があの戦争でもあり日本でもある。
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一服

蚊を媒介とするマラリア原虫用。
前後もあわせ16粒毎日一つ飲み込む。

一粒900円の毒の玉。 
自ら一服もらねば生きられない地球の強い場所へ。 
ニューギニアもかの大戦で10万以上もの方々の命が消えてしまっている。 
泥縄式の作戦と、飢餓や病による死亡率は97〜98%だと言われている。 
今の政府や原発関係者の素晴らしいご報告は、欺瞞と自らの立場や体裁を維持したい大本営となにもかわっていない。 
こんな国にする為に若い命が失われたとは、思いたくはないのだが。
 
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外来種

新しく便利な物とは

今、私達日本人は、電気の車を始め、お金を獲る為に企業が編み出すジャンクな商品に毒されている。
たしかにフィジーで使われている石鹸は、界面活性剤の入った毒の石鹸かもしれないが
その反面、1本のシャワーから出るひねれば出る山の水があれば、これでいいのだ。
後先を考えない放射能も含め、これ以上地球の力だけじゃ分解出来ない物質を作るもんじゃない。
南洋の島々で彼らの暮らしをみていると、大事な事を憶いだす。
山のタロイモ畑から戻った親子と、水を浴び子供達。
昔と変わったと言えば、人々が服を来て、木の船がFRPになり、椰子の家がトタンになっただけだ。
キャプテンクックではないが、よく落ちる石鹸や洗濯洗剤は世界の南の島の最もジャンクな外来種。
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フィジーへ

村人はマットなどにつかう葉を海辺で乾燥させる。
簡単そうで実は、何度も天日に干してはしまう作業。
生活がどんなに便利になっても、家、船、服以外は数百年、数千年前と変わらぬ暮らし。
楽しく幸せに暮らすには、これ以上の過剰な便利は必要ないという事だ。
ここには多くの教えと、 地球に沿った本来の姿が生きている。
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Makaha 2002

地図を助手席に広げマカハへ。
古き良きローカリズムが残る場所だと聞いていた。
たしかにノースとは異なりなんだか、穏やか。
古いピックアップトラックが風景と人の暮らしに溶け込んでいた。

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2002ノースショア

ハワイの人々は本当に海に慣れている。
子供達はまずパイプライン横の、このププケアのビーチで練習する。
自分も同じくたくさんのことを、体で学ばなければならなかった
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青く一列に高速で巻き込む波。
畏れと美しさは表裏一体。
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裸足で砂を感じ、大地と繋がる。
寄せては返す波は、彼らにその長い海の変わらぬ物語りを伝え
太陽は私達をここへ又たくさん戻ってくるよう、忘れがたい色で包む。
波と共に動き感応している子供達に比べ、大人になるとこうして、
地球だけで遊ぶ行為を忘れてしまう。
海辺に行けば憶いだす、たくさんの色がある。
どこへ向かうのかをそっと海は教えてくれる。

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忘れがたい色で包み、

絵はがき

旅は独りで行くのがいい。
様々な困難や不安以上の喜びが必ず待っているものだ。
考え、迷っていれば、それは行け!というサイン。
2002年、防水ケースを作り、右も左も見えないまま、ノースショアへ泳ぎでた。
危険きわまりない波へ生身でいく恐ろしさに、生きるすべを全身全霊で感じとるように
なった。
今迄知っていた怖い思いの、「遥か彼方の怖い」がここにはあった。
だから、やがて古来から人々が行ってきた、ありのままの地球と太陽への、感謝と祈りへと自然になっていく。
どこかのおひげのおじさんや誰かを拝み倒すのではないのだ。
間違ったジャンクな東京にあのままいたら、見る事も、この水の動きも、味もわからずにいた。
もっと早くきたかったとよく思うが、今来たから、そう思えるのだ。
旅は連なる波の様に、人々を魅了し続ける。
積み重ねられていく、自身の絵はがきのようだもいえる。
旅へ出ただけ人は、この地球から大切な言葉や、知っていたはずの懐かしい香りを
憶い起こさせてくれる。
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優しさ

2002年の丁度今頃、ノースショアにいた。
独り車を海岸沿いに東に走らせた。
やがてなんとなく車を止め海岸へ出ると、丁寧に飾られた木が冷たい風に吹かれていた。
静かな寂しげなこの海岸で、人々の優しさの風にそっとなでられた。

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海殻

海岸の砂も、もとは珊瑚や貝殻やかにの甲羅からできている。
これだけの砂が出来る迄に、何億年もかかったのだ。
繰り返し満ちては引く波にころがり、互いがやすりのようにこすれ微細なかけらとなる。
そんな時代を超え海を知っているのが海岸なのだ。
人も海の殻の中に生きている。
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海光線

風音と波音。
唯一海に太古から響き続く歴史の音。
そして太陽。
歌声とギター音は人工的なのだが、不思議と人為的な感がしない。
作為や無理がなく、波乗りと同じく、限りなく道具がシンプルだからなのかもしれない。
もちろん歌い手の心が、そこにはなくてはいけないが・・・・
砂浜に残る人々の足跡を見ていると、足跡の数だけある、それぞれの
人生の旅路に思いを馳せる。
数ヶ月先の自分が、どこの海岸にいるのか不思議で楽しみだ。
海から戻り、またここに戻る。
人は海岸に何かを伝えに来ている・・・・
何かを知りたいと思っている・・・・
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角刈り

朝起きると、スパニッシュ系の見知らぬ短パンの角刈りが、

立ちながらヌードルを食べていた。
やがて彼は台所でうれしそうに2杯目を作っていた。 
泥棒とかではないようだが、誰だろう? 
相変わらず宿に誰が泊まっているのかわからない。 
泳げる波はないようで、誰もうみの中に泳いでいなかった。 
宿に戻ると角刈りは庭の掃除をしていた。 
なんだ宿のスタッフか・・・ 
バックパッカーとはこんな所。 
ちなみに波はパイプライン。
まるで壁の様な大波が岸から数十メートルで崩れている。
 
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錆びJ

ぐさぐさに錆びたダッジラムのピックアップ。
このラットな感じが雨のハワイに溶け込んでいる。
持ち主は3階に犬と住み、酒の勢い大声でさわぐ、おひげのJと言うおっちゃんの車。
車はひとなりが見える。
やはり彼も錆びていた。
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知る

競技や技ではないサーフィン。
やらない人からみれば、サーフィンは呼び名も含め軟派で軽いイメージなのだが。
間違いなくスポーツではない命がけの行為に、敬意をはらわざるえない。
そして自身も彼らを見ていくうちに、競技もサーファーさえも撮らなくなっていく。
思えば自分なりの海との向き合い方を知る為に、ハワイに来ていた。
それぞれの時間。
それぞれの海。
流れにそって。
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世界中のフォトグラファーが、巨大な望遠レンズで一列に並び撮る。
一度は並んでみたが、レンズの先は同じサーファーだと気づき
2日目におかしくなって笑った。
だから以来このての撮影はやめた。
やってみないとわからない。
自分に合うか合わないだけの簡単な事。
海に違和感がある接触はしたくない。
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戻る

昼頃目覚めた。
雨も上がっていた。
やはり、溺れた海に戻る必要に押された。

この時が一番気持ちが重かったが、このまま逃げたら終わりだと感じていた。

たぶん死にかけた同じ場所へあえていく事で、心のダメージを和らげたかった。
ドキドキしながら海を望む小道から丘に出ると、
海は大荒れでクローズだった。
もちろん海にはだれもいなかった。
正直泳がなくてホットしたが、逃げずに来てよかった。
海はまだまだお前の力では、来るなと伝えてくれたと感じた。
そして気持ちを変え子供達でにぎわう、エフカイビーチへいった。
幾度かせまりくる波をかいくぐるりながら、朝の事が頭をよぎったが、
心が悪い方向に持っていかれないようにした。
結局1時間半程泳げたというのが正しい。
特別な写真は何も撮れなかったが、特別な時間を与えてもらった。
海もそうだが、子供達の楽しげな穏やかな時間に救われた。
朝の出来事は自ら招いた事故だった。
明日から何年も続くであろう波の時間を精一杯生きようと思った。
夜は宿の庭で普段飲まないタヒチのHinanoビールを1本だけ飲んだ。
気分がいいから、おごそかな乾杯というやつだ。
海では心のあり方がいかに大事かを改めて知った。
もちろん自らの力にあった場に行く事。
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12/20 2002 虹

8時にハワイ特有の赤いの泥の水たまりを避けながら、車へ乗り込んだ。
ノースショアは雨まじりにかすんでいた。
数分で目的の海岸に着いた。
泥棒が多い為、車を表通リに停め車内に何も残さないようにした。
海へ出る道で偶然昨日会った、イスラエル人にすれ違った。
しばらく観察するとサーファーが数人沖に見え、泳いでみようと思った。
もう一度宿へ戻り軽い朝食と機材を準備し海へ向かった。
雨で固くしまった冷たい浜に広がる海でストレッチをした。
(とても今では考えれない至って簡単な気持ちと準備だった)
そして沖へ泳ぎ出すが、すぐにカレントに流され、絶え間なく崩れる波に木の葉の様に翻弄され始めた。
降りかかる水とパワーは桁外れだった。
息が上がり巻き込まれた。
さらに片足のフィンが脱げた。
気道の辺りからヒューヒューと音がし、何故か酸素が肺に全く入らなくなった。
穴が開く訳がないのだが、のど元を触り何がおきたのかを知りたかった。
暗い泡の中で恐怖とパニックに包まれた。
やがてあまりの苦しさに、泳がない方が楽なのではと
暗い水中で弱さと怖さに潰されかけた。
これが今思えば死線というものかもしれない。
昔パラオの深い海で意識がなくなりかけた時を憶いだした。
あの時と同じく、一人の中には二人がいて、これはもう一人の弱い自分だと落ち
着かせようとした。何故か先祖のひいじいさんに助けを求めた。
努めて冷静にすると音は肺に通じる気道の弁で、恐怖で細くなっているのだとわかった。
とにかく深い呼吸をし落ち着かせたかった。
スイッチを入れた様に気持ちがこの世に戻り、自分の体と繋がった気がした。
同時に次には笑っていた。
肺に水が入れば終わりだから、これ以上水を飲まないように口を片手で覆い
海岸までの距離と流れを溺れながら目測ではかった。
変な話だが、これ以上の最悪の溺れ方は意識がある内にはないという、
2度と出来ない体験をした事がうれしくてたまらなくなった。
数分後なんとか波に乗りながら足がつく海岸にもどった。
フラフラで足にも乳酸がたまり、すねの筋肉がかちかちで動かず、
寒さと怖さで、体が震え、しばらく呆然と小糠の雨の降る冷たい海岸に座った。
見上げるといつの間にか海に巨大な虹がでていた。
やってしまった!
素人がエベレストへ来たのだと痛感した。
もうすこしは泳げると思った自分が何も出来ずに溺れた事にがっくりきた。
本気で訓練をしなければ、命はすぐについえてしまう。
大好きな海に潰されたが、すべては甘い自分のせいだと海に謝った。
しかしこのままでは今日は終わらないと感じた。
あえてもう一度今日ここに戻り、泳がなくてはこれから先の自分はないと直感した。
この絶望的な気持ちも戻さなくてはいけない。
身も心もどっと疲れた。
途中スーパーで甘いデニッシュを買い、ひたいを壁につけながらシャワーを浴びた。
髪も乾かぬうち2段ベッドに潜り込んだ。
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12/19〜20 

今日は一日宿探しで終わった。

リビングには何人かの外人がいるが、話すのも面倒だから

昼にハレイワで食べ残した、シーフードプラッターを、薄暗い部屋で食べる。
ご飯の横にオイリーなすごい量のホタテやエビ、シイラ(マヒマヒ)。
夜は寒く、かけるものは何もないので、持ってきたバティックにくるまって寝た。
夜中あまりにも疲れたせいか、幽体離脱しそうになる。
本当に抜け出そうになり怖かった。
そして明け方だろうか、東京で入院している祖母の夢を見た。
すごくしっかりしていて、昔の元気な姿で現れた。
やっぱり気持ちをしっかりもって生きなきゃいけないわね。と
すごくはつらつとしていた。
妙にリアルな夢で、現実じゃないのだが、元気になったのかと錯覚した。
8時に起きると、木の床をたたく雨音がする。
どうも雨が降っているようだ。
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North Shore

ガソリンスタンドと地図を探した。
道を間違えて真珠湾へ来てしまった。
水兵に中指をたてられた。あらら。
やがて赤土のパイナップル畑の下りの1本道の先に白波の海が見えていた。
車を海岸沿いに走らせるとサンセットビーチへついた。
二日前に世界大会があったそうで、波はものすごいほれていた。
とりあえずサーフショップで聞き込みに入るが、宿はこの辺にはないと言う。
なんだかんだ探すうちに、もう日が傾き始めた。
本当に泊まる所がないのには驚いた。
行くあてもなくブラブラしていると、やがてもともと聞き込みにはいった
サーフショップの近くに、バックパッカーと書かれた小さな木の看板を見つけた。
試しに中へ入るともう18:00。レセプションを閉めるところだったらしい。
眼鏡の太っちょのおじさんに、クレジットカードを確認され、
部屋はあるから選んでくれと言われた。
12人1部屋のドーム25ドル。
 3組1部屋55ドル。
 2組175ドル
1組用 250ドル
ドームはきついから、55ドルを選んだ。
3組の客とリビングとトイレ、冷蔵庫をシェアする。
あてがわれた部屋は2段ベッドだけの、濃い木で出来た落ち着いた宿だった。
すでにオージーのサーファー2人とイギリスから来たカップルが泊まっていた。
シャワーをひねり何よりも寝たかった。
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2002 12/9

初めてカメラを握り泳いだオーストラリアから数ヶ月後、冬のハワイにいた。
武者修行の為、世界中の波を泳ぎ、感じたかった。
何を撮るととか、口でとやかく言うよりも、とにかく経験と実践がなによりも自身が納得できるのだと確信していたから、毎月の様に世界の波へ向かった。
早い時期にいずれ泳ぐであろう、避けられない道。
冬のノースショアで泳いでみたかったから、チケットだけを買い、オアフへ向かった。
昔からガイドブックを持たない旅を続けてきたが、今回も何もわからないからドキドキする。
すると空港内でバックパッカー&バジェットの看板を見つけた。
そこにはかけてくれとばかりに1台の電話が置いてある。
受話器をとるがどこの宿にも繋がらず、何度目かに女性のオペレーターがでた。
どうも住所と家の電話を教えてくれと言う。
数秒後電話の向こうからは 
「はい杏橋です只今撮影で留守にしています・・・・・」
なんと家にかかった。
英語力無さと、行くしかないんだなと、独り大笑い。
ともかくノースへ行く為、空港近くにあるレンタカー屋へ向かった。
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Honolua

急な赤土の崖のサボテンのわきに、サーファー達の裸足で固められた蛇行する細い
けもの道があった。
登る人、下る人が譲り合いながら、それぞれの思いで沖へ向かう。
おそるおそる、沖の波へ泳ぎ出した。
海の神様に祈った。
2002年冬のマウイ島
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スネーク

2002年の冬のマウイ島はホノルアベイ。
地図を助手席に広げ、この日から毎日ホノルアベイへ向かった
パソコンもなければ波の情報の見方もわからなかったが、それでよかった。
サボテンと切り立つ崖下で、一面に開けた海にレギュラーの大波の割れる場所だった。
ここも僕にとって世界の海岸で好きな場所の1つだ。
波は偶然にも毎日よく、多くのレジェンドがここに集まっていた。
今は亡きシェイパークリスバンダーボートと出逢ったのもこの日。
この写真はいつも大波に一番奥から乗ってくるレジェンドスネーク。
最近、偶然雑誌でも御見かけしたが、古いハワイの王族の血を次ぐやはりホノルア
のレジェンドの方だった。
ローカル色の強い場所な上、神聖な感じがしている。
36枚のフィルムを入れ、崖を降り100m程沖へ泳ぐと、太陽と波に包まれた。
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戻る

カメラを変えフィルムを詰め替えては海へ戻った。
2時間程撮影しても、波はあった。
やがて山に雲が流れ、雨が全てを包んだ。
水中から見る雨は美しい。
幾重にもうねる墨絵の様な水面に、パチパチと時間をずらし波紋が打ち付ける姿は生き物のようでもある。
もとの海の水がまた海へ戻る瞬間だ。
幾度となく船に戻ったが、そろそろ本当に船に戻ったほうがよい気がした。
波を泳ぐ時間と共に緊張感が薄まりつつある。
感覚的なことだから、上手くは言えないが。
それが常の答えなのだと信ずる。
大波をかわし回転しながら押した瞬間、シャッターが水中で折れた。
既に1台は水没し、いよいよ暗い海から戻る決意をした。
波をかわしながら泳ぎ、雨の中の沖の船へ戻る。
途中ふと眼下を2mくらいのブラックチップシャーク(安全な鮫)がコバンザメを体につけ
沖へ泳いで行った。
鮫は海の神様。
海と生き物達に感謝した。
最後の日に写真集が1冊出来そうな数の写真が撮れた。
いずれ機会が訪れたら、写した順番のままお見せしたい。
またあの雨の様にこの海へ戻りたいと思う。
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