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島へ

この島には今から37年前から毎年来ていた。
漁協の渡しで、朝から夕方迄、一日中水の中にいた。
25年程きていなかったが、数年前からこの島へ来れるようになった。
この小さな船は、この漁村で知り合った兄さんが、おやじさんから譲り受けた船だ。
たくさんの思い出と、優しさで近所の子供達も運んでくれたんだと、語っていた。
こんなにきれいな海が日本にあるのか?と驚き。
幼いながら海で生きようと思ったいわば原点。
ここで素潜りをしていなかったら今はないだろう。
兄さんのおやじさんと同じく、家族に感謝をしなくてはいけない。
ガイドとなる人がいなければ、子供達は海へ、海の中へは行かれないのだから。
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島へ

漁村で数年前知り合った、兄さんに島へ運んでもらう。

亡くなったおやじも、俺らやここいらの子供達を、島へ連れて行ってくれたんだ。
と話していた。
その時のままの船と
その時のままの島へ
受け継がれている、時間をいただいた。
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人間の目では見えない色 

カメラで写したものとの差は、目は色を瞬時に補正する為

目にはものすごい機能があるが
写真は正直な色を写し出す 
闇だと思われた世界も、実は海中と変わらぬ青い空間が宇宙へ続く
光が足りない為に反射がなく、青く見えないだけなのだ
岬の龍宮神社の森と月

 
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船出

夕暮れ沖へ1艘の漁船が出て行った

どこか海へ独り泳ぎ出す、自分とかさねた
伊豆稲取の磯で
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化石の川

水が自ら選んだ道。
道は白い珊瑚の化石の岩を流れる。
川の水も山からしみ出した、過去の記憶を持った水。
幾つもの瀧を超えて森の奥へ向かった。
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伝承

ジャングルの音のする場所には、一軒の小屋があった。
一目で丁寧な仕事だと感じる、職人のおじいさんがヤシの葉を編んでいた。
この地の風土と暮らしに欠かせなない、雨を凌ぎ適度な風を通す屋根だ。
先祖から伝承された彼らが森と海と生きる術。
マラリアの蚊など彼らには関係ないようだ。
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海から川をさかのぼる。
電子音のような羽をふるわす小さなセミ
幾重にも重なる木々からの木漏れ日に
海とは明らかに違う空気を感じた。
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沿う

瀧へ向かう渓谷で、水に濡れた親子に連れ違う。
地球にある素材で、全てを作り、その日の糧をえる。
地球にある素材を石油と混ぜこぜ、色をつけて編み出し消費する我々。
魚籠やヤスはそのまま土へ帰るが、
水中銃やサーフボードは2度と還る事は無い。
自然と言う言葉も必要ない、地球に沿って生きる彼らから教え。
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渓谷

ヒマラヤの岩塩と同じく、渓流は数億年前は海の底だった。
BLUE誌ニューギニアの文章で書ききれなかったので、書き足して行く。
大昔、島が隆起し山から流れる水が、流れるままに水の道をつくった。
珊瑚と石灰の鋭い岩肌もものともせず、彼らは裸足で歩いている。
海の歴史から、海の香りから、我々は離れる事は出来ない。
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教え

この数年で村々にも、FRPの小舟が増えてきた。
エンジンはヤマハ。
島の国では道路は未整備なため、船が主な交通手段。
病院や商店、小さな空港迄は1時間程、海原を全速で走る。
途絶と迄はいかないが、南の果ての小さなこの地に、彼らは暮らしてきた。
山から引いた水と、毎日この山で農業をし、魚を穫る。
外部から短い期間だけ来たものには、わからない強い地球と生きる事。
ここフィジーにも昔から続く、多くの教えが残っている。
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恥を知れ

今だ見た事も無い景色が、いつまでも続く。
地球は人に、その美しい時間を見せながら、人がこの地球を大切に思え
、敬う心を忘れないように生きてきたはずだ。
この地球の中にあるものから、飛行機やカメラををつくり、魚や動物の命を終わらせ生きているのが人。
ジャンクなメディアの情報や、電気仕掛けの車やPCなんて、この場所ではなんの役にも立たない。
強い地球の生きる力に添いながら生きる時間、がどんなに大切な事か。
2枚の舌で言葉を上手に使う政治家先生方も、この海風の吹き付けるこの海へ、一本のオールで出てみればいい。
恥ずかしさに慣れ過ぎた先生方へ
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2003 Hawaii

ギターと歌を海へ伝える人
砂浜に残る足跡を残した人々
時間が流れながらも、そこにとどまり
続ける時間がある

普遍的で審美な海辺に人がいつでも戻るよう
地球は波音で語り続ける
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North Shore

2002年の冬
海から戻り、宿の目の前の海岸を散歩した
波に消されてはつくられる足跡と、子供達の笑い声がいつまでも記憶に残った
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North Shore

まだ今の様な波を撮れていなかった2003年頃。
毎日海の中を泳ぎ、夕暮れを海岸で迎えた。
金色に輝く景色に誰もが、同じ時間忘れ得ぬ時を刻んだ。
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LONGINES 創業180年記念 

今年でスイスの時計ブランド ロンジン社が180周年を迎え、そのフォトコンテストの審査員を昨年に続き、おおせつかりました。
時の実感というテーマにあたり
あるがままの地球の海辺に、自然と集まる人々を個人的に3枚プリントしました。
2003年のハワイ諸島オアフ。
冬の時期だけ、パイプラインと呼ぶ巨大なうねりが生まれる場所。
それぞれのおもいと、それぞれの夕暮れの海岸で。
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辺野古とジュゴン 毎日新聞6/24

沖縄は未だアメリカと日本政府に占領され続けている。

5年間で延べ189日の空からの調査で、ジュゴンは推定、3頭しかいないと書かれていた。 
アメリカが1966年から計画していた辺野古基地。 
辺野古に基地を作る為には、破壊と埋め立てを東京ドーム36個分も行う。 
何億年もかけて出来た広大な珊瑚礁や、魚をも全て生き埋めにしようとしている。 
その埋め立ての土砂は、実は集落近くの森と水源地の山から。 
国と防衛局のお抱え学者先生が昨年末に作成し、 ジュゴンの影響は「ほとんど」ない
と書いた、環境アセスメントは素晴らしい。
竹富島や、新島ではないが、「公共事業が雇用に必要だから」という理由、防衛局の「調査船」という名目で船をだせば、小舟で5万か大型で8万円を漁師へ手渡すといった、工作も実施。  
子供の目にも明らかな、不誠実な嘘は長持ちはしない事がわかっていても、やめないのが日本の大人達。 
やはりここにも、大本営ばりの欺瞞が漂う。

7/10 BLUE

全ての教えはこの地球にある
          ネイティブアメリカン 
Blue誌に杏橋幹彦の写真と文章が掲載されます。
7/10発売 出版社ネコパブリッシング
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旅へ出るわけ

文を書かかせて頂く事は

その旅をさらに深く知る事
僅かな人生で幾度、蒼い波に包まれたとしても
地球の時間からみれば、ほんの一瞬なのだろう
で、書く為に旅へでたとも、旅へ出たから書けたのか?
1コマ1コマが写真のように続く今も
過去と未来の狭間なのだろう
高速で動く波動が波
写真に止めておかないと、見えないわけだが
はなから透明な波動を撮るにはどうしてるのか?
未だ不思議の連続に生かされている
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アンジェロ マンジェロ氏

イタリアの建築家アンジェロマンジェロ氏のイベントがイタリア文化会館で開催。
幼い頃から知っているご近所の知人は、昔マンジェロ氏のイタリアの建築事務所にいた関係でお誘いいただいた。その後彼は清家清氏の事務所の後に独立。
知らない間に旅をしていたのだった。
そんな多くの日本のお弟子さんと、マンジェロ氏のお人柄と、哲学がひしひしと伝わる時間だった。
「日本は最新のテクノロジーは進歩したが、400年前の素晴らしい建築技術や職人の伝統芸の多くはもう作れない」と憂いていた話は印象的だった。
「素材を生かした心ある物、長く伝わる心地よく、美しい物を創らなければいけない」という哲学は彼が、必ず言う口癖 セビーチェ「素晴らしい!」。と同じ。
正しい道へ行く為に、正しいデザインを探求したマンジェロ氏に敬服。
写真はニューギニアの昔のままの海岸。
なんだか海で泳ぐ自身の哲学と通じる道が続いていた。
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忘れぬように

ビルも消波ブロックもなにもない景色に
太陽が山の向こうへ消えていく
夜をむかえる静かな海で、光のケルビームに包まれた
魚達も珊瑚も毎日見ているんだと思うと、人間の見れる景色など
人生で僅かな時間に過ぎないのだ
旅へでないと、見れなくなった世界を
旅へでないと、感じえなくなった闇を
過剰な便利に住む我々は、忘れてはいけない
忘れる時間だけ、心が美しいものから離れてしまう
人間がつくりだした物ではない、かざらない美しい時間の中で
人は感応しなくてはいけない
静かな闇を楽しまなくてはいけない
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人を知らない海

2005年サモア諸島 

ハワイからアメリカンサモアへ 南下する事5時間
 一泊し飛行機で隣のウポル島へ行き車で数時間もかかる、
正味丸3日もかかる、遠過ぎる原始の島
日本では考えられないが
ここへは2時間程機材と、道の無い溶岩の海岸を歩き、途中泳いで行く
ポイントも岸からさらに遠く、泳いで30分はかかった岬の横
フィルムを森の茂みに隠し、つめ替えては泳いだ
勿論帰りも歩かなければ戻れない
しかし高速で回転する波が緑の森を巻き込む
厳しくも美しい人を知らない海 


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この山には龍宮神社がある。
地球にしかない音を聞きながら
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八幡宮

時間があれば出来るだけここと龍宮神社へ詣でる。

詣でるとは大げさだが、海の人だから、ことさら地球と海の神様へ感謝する。
その昔は江戸の商人達からも崇められ、瓦が当時をかたっていた。
巨大な松がうねり、鳥居が幾重にも結界を作る。
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寒天

天草が干してあった。
よく水洗いし、甲殻類やゴミを手で一つ一つ取って干す。
お酢を数滴、ことこと煮て布巾で濾して、冷やせば100%天草の寒天。
黒蜜をかければほっぺたがおちる。
磯のごちそうだ。
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旅情

写真を飾って頂いている、伊豆稲取ホテル浜の湯さんへ列車で向かった。
うねるコンクリートの海岸線と、緑の崖にそいながら、列車は幾つものトンネルをぬけた。
よくもまあこんな場所に線路を通したものだ。
山の中である。
海の上である。
戦時中鉄道隊だった祖父から、象を使いながらのビルマの山の工事の困難さを聞かされた。
汽車で最前線の奥地へ笑顔で向かう兵隊達が戻れないことを思うと、胸がつまる思いだったと言っていた。
彼らが、命を繋ごうにもつなげない異国の地で揺られた路線と、今の平和な路線での旅情は全く異なったであろう。
同じなのは勝手な人為の都合である2本のレール。
河川を固め、森で生きる木々や動物達の領域を分断した。
車窓の外はずらした時間の様だと思った。
ニューギニアを始め南洋の島で、ケミカルな洗剤や石鹸が日々川から流れている。
川で洗濯をし、水浴びをする、昔のままの彼らの生活にうまく溶け混んだわけだ。
10年に渡り通った離島さえ、海が濁る日があり、貝や魚が減った様に感じた。
間違いを犯してきた,我々「文明人」が過去の教訓から学び、島の人々へ教えられる事が
たくさんあると思のだが、その「文明人」達は地球から心が離れてしまいつつあるから、
言葉が詰まるのは、政治家先生達だけではない。
身近な山河へわけ入るべきなのだろう。
皮肉な事に電気と鉄のレールが気づかせてくれたわけだ。
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地球の言葉

私達は知っている。
地球は人間に属するもではないことを。
人間が地球に属しているのだ。
全てのものは、私達を一つの家族として結ぶ血のようにつながっている。
地球に降りかかる全ての出来事は,地球の子供達でである私達に降りかかるのだ。
生命の布を作り続けてきたのは人間ではない。
人はその中に存在していただけなのだ。
人間の地球に対する行為は、自分自身に対して行うことと等しいのだ。
ネイティブ アメリカン 酋長シアトル 19世紀中頃
This we know the earth dosn’t belongg to man, man belongs to the earth.
All things are connected like the blood which unites one family.
Whatever befalls the earth befalls the sond of the earth.
man did not weave the web of life, he is merely a strand in it.
Whatever he does to the web, he does to himself.
Native american Chief Seattle mid 19th century
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Eddie Woul’d go

Eddie Woul’d go(エディならいったさ)
ハワイライフガードでもあるエディー。

伝統航海船ホクレア号がハワイ沖で難破し、サーフボードで独り荒波へ救援に向かったまま、帰らなかったEddie Aikau
そんな彼の,生き様と勇気を讃える、ワイメアでの物語
独り漂う海原で勇気をもらった


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トランジット

92年頃からネガを詰めて撮っていた。
当時オーストラリア〜バリはトランジットで乗り降りが可能だった。
そこで海のそばの骨董屋へ、オーストラリアからの帰りに幾度となく足を運なんでいた。
そのおやじさんがその都度食事やお寺へ誘って頂いた。
独り旅をしていると、こうした時間が無性にうれしかった。
なにより外国の人の暮らしを見れる事が楽しかった。
目玉をくるくるさせ、海を覗くのとかわらないのだ。
知らない事だらけの、地球や海や人々の事。
でも共通する事だけは変わらないはずだ。
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1995

Bali 1995
空港とは真反対に位置する、昔の首都シガラジャ
この頃よく立ち寄った骨董店のおやじさんの田舎へ
車でお寺を周りながらつれていってもらった
どこか懐かしい,ゆったりと時間に戻れる
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チャンプアン バリ

何を見ても新鮮で、わくわくした。

心地よい川の流れの音に包まれた渓谷で。
17年前の景色と兄弟。
カメラに慣れすぎると写真が上手くなりすぎてしまう。
旅をしていた頃が懐かしくも、新鮮に思えたりする。
記憶は時間を返すものかもしれない。


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Ubud

1995年頃のバリ島のウブド。

森と渓谷に囲まれ、芸術家の多く住むこの場所が好きだった。
なんともいえない不思議な場に惹かれ、オーストラリアへの行きがてら
年に数回訪れていた。
観光バスもこないまだ静かな村の時代。
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ボール

水にも空にも色はついていない。
子供の頃手ですくった海の水を、見ているように。
この地球は不思議と極限のない美しさがつまったボールだ。
地球が丸いように、波とよぶ島に寄せる波動も、水の中では丸くなる。
厳しくもどこか優しさに溢れた青い雲。
空の雲も宇宙から見れば、海の中とは逆にしたお椀の様に丸く地球を包んでいる。
全ては海を境に青く丸いボールになるわけだ。
体を包んでくれるのは空間と水間しかないように、H2oの構造しかり。
水と空気は常に一つである。
血液の成分が海とよく似ている事など、人はこの海であり海の子供なのだ。
命の風の道を唱ったナバホ族の祈りの歌を、20年前オーストラリアの本棚に見つけた。
北山耕平氏と彼らがうたい伝えてきた言葉は、言い表す事が出来なかったが、まっすぐに
心に響き、知っていた記憶を憶いださせてくれた。
その人達に生命をあたえたものは風
今 私達の口をついて出てくるのも風
風がくれた生命
風が止む時私達は死ぬ
今でも指の皮の下に風の道が見える
私達の祖先が創られた時
風がどこに吹いていたのかを
それはいつでも教えてくれる
            ナバホ族に伝わる古い祈りの歌

表層

表層しか知らないでいた。
波という言葉は、あたかも一つの「物」のように単一で、物質的な物言いだ。
明治政府が西洋化をおしすすめ、仏像焼きながら作った造語「自然」しぜん。
本来は仏教用語「自然」じねんを、ネイチャーに利用しただけ。
と禅に深く関わる書道家大橋陽山氏から聞いた。
ジャンクな町と地球を都合よく線を引く為、つけた言葉だ。
実際に触れてみないとわからない。
実際にその場にいないとわからない。
いや、既に何が良くて、悪いのかを本当は皆理解できている。
もっと言えば「良い事」ではなく、「当たり前」の事を人は知っているはずだ。
太陽がいかに大切で、地に足がつく大地が大切なのかを知る様に。
教わる事でもないわけです。
笑い話だが核ってなんでしょう?
この地球に、宇宙にないものを人間が作ったのだから、分解など出来る訳が無い。
「除染」という「巧妙な」言葉ほど、「自然」と同じく欺瞞に満ちた言いまわしはない。
実際には丸い地球の川から海へ、海から山へ、よその國へいくだけ。
このやっかいものは、半永久的に地球や生命を傷つけながら動き回るだけのお話。
でも核は莫大なお金になるらしいから、好きな方が多いのですね。
どこかの企業やエコビジネスが言う「自然」こそ「不自然」だとわかる日がくればいい。
意識がその向こう側と繋がり、気づいた時に、町や海岸におちているゴミを拾っている。
地球を知った様な顔の科学者やメディアの、薄くて馬鹿なお話に耳を傾ける時間があれば
まづは「自然」しぜんへ行きましょう。
この地球をもっと好きになります。
そのうちきっと気づく日がきます。
雨のフィジーの離島の300m程沖
地球の海の崖の中で。
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風は椰子の葉をさらさらと音を奏で
この静かな小さな孤島を包みながら、作為の無い色で染める。
僅かな時。僅かな今。
ここに来なければ知らないままでいたであろう。
この潮を含んだ冷たい風も、遥かかなたからここに来、様々な景色を見てきたのだ。
人も同じ時間を生きながら、本当の意味で生きている事を確認するため、
島から島へ旅をしているのかもしれない。
風の温度に地球の厳しさを知った。
フィジーの離島で
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海のご褒美

おばあと話をしていると、そこはさっき話をした人の家。
「茹でたてだからおいしいよ」と珊瑚礁に住む甲羅の固い丸いかにを頂いた。
流れと外敵から身を守る為か進化した形はすごく美しい。
まるでボールのようだ。何よりもこの甲羅の固い事。
歯が甲羅で滑ってとても噛み砕けず、珊瑚の石でたたいて食べた。
それは甘くおいしいかにだった。
足の折れていないかにを選んで手渡してくれた優しさ。
聞けば昨晩暗闇の海でつかまえたとの事。
しばし海がつまったご褒美をいただいた。
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亀の子

人が住む集落は海に平行に建ち並ぶ高床式。
目の前が珊瑚礁の海が一面に広がる。
ここで大きなグリングリンの波がくる。
窓にはガラスなどある訳が無く,風は家を駆け抜ける。
美しくも地球の強い暮らしの中で。
乾燥させたヤシの実は、火種にする。
日本では亀の子たわし。
海に帰ったような帰らない様な亀の子供。
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