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万惣さん
赤目48瀧
三重の修験者による
年に1度の瀧開き
その準備を数日前から執り行なう
結界をつくり
護摩だんをつくり
東西南北に飾る、それぞれを護る神々の梵字も
全て手作りである
ホウキュウと呼ぶ弓矢にも
祝い結びをするのだが
若者には難しい
あらゆるできる限りの
祈りの作法を尽くすため
彼らは淡々と動き
神様をここに呼び
こおから還す
四方の天空に矢を放ち
悪を破壊する訳だが
世界の平和と
人々の幸せ
を
地球がまだまだ,健全だった
自然という言葉が作られる前から
道教、密教、神道など様々な道が溶け合い
完成され自然発生した所作行為が
修験道である
法螺貝は海の物を山でこだまさせ
海に還す、命の循環を表す
チベット、ニュージーランド、タヒチなど
逢う事もなかった大昔から
ネイティブな先人達が不思議と同じ行為で
吹かれてきた様々な貝の音色
美しい地球をまえに
感じる事は同じな訳です
が
今の我々は天然の魚がいなくなったように
天然の地球を知らない子供達が増え
埋めもどせないその距離が日々
地球への畏敬や感謝を忘れさせていく
彼らの様な純粋な
修験者も絶滅危惧種です
松林正哲 Shoutetu Matubayashi
伊賀 延寿院 松本篤妙
ある霧に包まれた雨の朝
今から5年程前この伊賀の瀧寺へ参った
茶色い古いポルシェを道の脇にとめ
木の扉に閉ざされていた
お堂の中心で拝むと
ドアのあく音がして
一人の男が現れた
それがこの人
延寿院 33代目住職 松本篤妙
今だ山奥の瀧音と静けさにとけ込みながら
1700年佇むお堂には
赤目不動を祀る
忍達が修行をし
祈った寺と聞き捨て
瀧へいく前にご挨拶をと
引き返すと
たまたま出かけようとした住職と逢った
昨夜霊験が詰まったこの山の宿の露天風呂で
未知の明日の行くへに憶いをはせていた
あの時間がよみがえる
この近くには1581年に織田信長が伊賀をこの世から消滅するため
僧侶、神主、女子供まで殺戮と放火から逃げ延び
最後迄降伏せずに戦った砦,柏原城があると物の本の書いてあった
澄んだ空気の森の奥から観られている様な
独特な闇の気配を感じていた
それが
一転、雨の朝
お堂を開けてくださり
お不動様や役の行者と御逢い出来た
不思議
ここから全ては始まり
時間と共に深く長く彼らやこの地と繋がっていく
旅へいく事
頭で考えず
行動する事
不可思議な未来がここでも待っていた
今日は
年に一度の
瀧を祀る修験者と延寿院の祈りの護摩の日
強烈な修験者と住職と神主が
このお堂にこもり
法螺と太古の響く中は濃密だ
強くパチパチとはぜる護摩木の炎を
神仏に捧げ
炎で新たに生まれ変わる日
伊賀の山奥で地味ながら
深く深く祈りが継承される日
死に甲斐と生き甲斐
同じ時間がないという
記憶
写真はその証明であり
いつでも目の前でその
当時へその場にいた本人しか知りえない
音や感覚や感情をも,どこかに留まっていた
風となり運んでくる
光のスペクトルは7色と言われる太陽が照りつけ
その天然の照明が万物にあたり
その反射や影を色や形として
具現化出来ている訳だが
同じ物
同じ景色とて
その姿色は同じ物は無い
同じものください
とは
すしやのにぎり?
はまだ自然界の曖昧さが残るから
携帯や車やパソコンなど
工業製品に見慣れ
同じ物に同じ人間になるように
幼い頃から学校で養殖され
地球の感覚を忘れた
不自然な人間が人造されている
同じ必要はなく
いじわるな大人が作った、おなじ問題がたくさん解けても
人生にはなんの意味も無い
ことは間違いない
自信を取り戻し
自信を高め勇気を積み上げるのは
人間臭いテストではなく
自然界と地球である
空手や武術の試合いはなんだかこれに近い
体と心の軸と相手にやられる怖さ、やる怖さは
大事かもしれない
柳田国男の海上の道にこんな話がある
浦島太郎のように人が何万何千といるなかに、たった一人選ばれて
そういう幸福の国へ遊びに行く事ができた理由は
説明を求められるのが普通である
その説明には2つあり
1つは当人にそれだけの値打ちがあったこと
無欲無邪気の善人の選に当たり、また親孝行の徳によるのも
もう1つは何らかの功労によるもので
鯛やウミガメに姿を変えて、たまたま岸近くで遊んでいた竜宮の乙姫が
凡俗のために苦しめられているのを救って
豊かに賞された話し
物や欲や情報が無い時代
それらが南の島々を点々と漂流しながら
作られた説話にしても
今の子供なんか
嘘だ〜
証拠の動画みせてよ〜
言うに決まってる
怖い世の中だ
話は飛びましたが
こんな美しい世界に一人
死に甲斐
生き甲斐
のなかで幸せです
町の子供達も大人も
同じ時間は無いのだから
おもいのまま
独りで旅へ行け!
俺も誰にも逢わない
真冬の海の裏側で頑張ります!
見てはいけないもの
舞う
その水面下
波の中はこうなっている
冷たくプランクトンもいない海は澄んでいる
まるで氷の中に閉じこもったようだ
割れた鏡と同じく
僅かな角度の鏡面と透明な部分が
この不可思議な文様となり
生まれては消えて行く
生まれたと言うと
人間臭いか
波動が来て
波動が去る
この言葉の隙間にも波動があるが
人間の目には高速で
周波数が違うため見えない
1秒の320分の1がこの1枚
言葉ではいいつくせない
世界が幾重にもある海
その存在していても
見えずに
気づかない
時間を
いかに大切におもえるか?
月を見ながら
暗闇から香る川面の音や波の音を
聞く時間が
いかに素晴らしいか?
気づくこと
周波数を
人間界の目で見た常識をずらし
その静けさに誰もが
心が舞う訳だ
目
夜明けの海岸の本島の色彩
目はなんでも補正してしまい
我々は本当の地球の色を見ていない
所詮カメラも人間が作った人工物だから
これも本当なのか?
そんな疑問は消える事はないから
いいのである
地球の宇宙の全てを知り尽くす事など
出来ない事を知る事だ
ともかく
こんな景色に立ち会えば
誰だって謙虚になる
誰だってゴミを捨てようなんて気づかない
余計な情報がメディアや日常で汚染され
欲深い人間に地球がないがしろにされ
破壊されて行くありさま
そんなありさまになったら
地球は古来の姿に二度と戻れない
今飲んでる水も
シャワーの水も
海と山から来た水だ
水道局にも作れない
誰にも水は作れない
よ〜くその事を知る事
よ〜く観る事
思い立つ
一瞬でカメラが水没し
新しいカメラを購入
こうした見た事も無い景色が
海の中にもまだまだ,無限にあること
そこに思い立ち
そこに独りで行く事
憶えば24歳の時
キャノンのAE-1プログラムというカメラを父親からもらい
あてのない旅へオーストラリアに行ったあの日から
続く
独り旅の成果ともいえる
インターネットも、携帯も無い時代
向こうにいって本棚の地球の歩き方やLonry Planet を見て驚いたあの時代
全ての感覚と行動力で家や宿を見つけ
海を見つけたのだから
今考えると
忘れ得ない時間でした
頭で考えると
ろくな事にならない
頭で考えると
心配が心配を呼ぶ
だからなるようになれ〜と!
自由に自分の歩幅とスペースで
海は嘘もつかない
やがて自分にも嘘はつけない
と知る
仏教や神道がある前から
あった天然の地球に
人生の教えはある訳です
全ては
ある日の
ほんの小さな思い立ちから
未来は続いているのです
葉隠
佐賀藩士 の既に隠居した侍、山本神右衛門常朝に
縁あった同じ佐賀藩士が
インタビューした1716年の記録だと伝わる
葉隠
武士道とは死ぬ事と見付けたり。
二つの場にて、早く死方に片付けばかり也。
別に子細なし。
胸座って進む也、図に当たらず、犬死になどいう事は、上方風の打上がりたる武道なるべし。
二つの場にて、図に当たるやうにする事は及ばざる事なり。
我人、生る方がすき也。
多分すきの方に理か付べし。
もし図にはずれて、生きたらば、腰抜け也。此境危き也。
図にはずれて死にたらば、気違いにて恥にはならず。
是が武道の丈夫也。
毎朝毎夕、改めては死々、常住死身にて成て
居る時は、武道に自由を得、一生落ち度なく家職をしおおすべき也。
武士道とは
死ぬ事であるとわかった
どちらにしようかと迷う場では、死ぬ確率が高い方を選ぶのが良い
別にそれは難しいことではない
腹を据えて進めばよい
図に当たらなかったとか
犬死などという事は
上方風の打ち上がった武道である
選択の場で、図に当たるようにする事など
中々出来る事ではない
自分も人も生きる方が好きである
おそらく好きな方に理屈がつくだろう
しかし、もし選択が誤って生き延びたとしたら
腰抜けである
逆にうまく行かず死ぬ事になっても
恥にはならない
これが武道の一番大切なところである
毎朝、毎夕死ぬ覚悟をしていれば
武道の自在の境地に達っする事ができ
一生落ち度なく家職を全うする事ができるだろう
行くへ
夜明け
白浜へ
稲取へ
海から
この海の裏側で
起きている事など
普通の暮らしをしていたら
一生知らないままだろう
とにかく遠い
ここまで泳ぐのも遠い
だけど又来てしまう
路地裏ならぬ自分だけの行場?
とにかく張りつめた怖さと
美しい幸せな感覚とが混在し溶け合う場で
こうした場を聖域というのかもしれない
まだまだ人間が機械で破壊していない
生の昔のままの天然の海
だからここには
浮き世と さようなら
がいつもある
魚や鳥には楽園だが
人間は長くはいてはいけない
長くはいられないもう一つの地球
だから謙虚にならざるえない
行くのも
戻るのも
自分自身のみ
記憶をたどり
記憶を還す
のが海場である
よかった
死ぬ迄に知っていて
手加減も待った!もない世界が好きだ
南青山個展
ニュースにものせましたが
急遽ご縁のある方からのお誘いで
南青山の日赤広尾医療センター至近の
ミリオンズ オブ カラーズさんで
展示を開催致します
20年以上の絵画に携わってこられたオーナー様の
暖かなギャラリーで
冬の日本波の新作も2点制作中です
この写真は2009年にフィジーの本島で1泊し
いつもは直行だがこの時は席が無く
翌朝6時にナンディ空港へ行き
30分で首都スバへ
ここでなんと5時間待ち!
慣れたとはいえ独り空港で
何をするか?
荷物もある上
町はごみごみして
海も海岸もゴミで汚染されているから
ここにいる事にする
どうするもこうするも時間が過ぎるのを
ムクドリを見ながら待つ
おじちゃんの店で
インドカレーのツナのロティーを買い
本を読んでただ待つ
やがて笑う程小さな箱の様な飛行機が来た
ぎゅうぎゅうのパイロット2人,客3人のトンボのような飛行機でフワリと20分
いつもの海岸でその島の
知り合いの迎えを待つ事1時間!
相変わらず時間にルーズなフィジアンと再会し
小舟に乗り換え1時間海を走った
絶海の孤島の沖300~400mの波
文章も自ずと長くなる
6/2に日本を出て
着いたのが4日日付変更線を越えた手品だが
相変わらず遠い!
遠いなんてもんじゃない!
ここに初めて2002年に来てからもう5回目か?
それにしても車も電気も無い地球だけの景色と
恐ろしい波と暖かな村人に
脅かされ癒され
体を作り波があがって来て
ようやく泳げたのが6/6
輝く太陽が一面を青く照らす
美しい時間
未知の独り旅
何が写るのか?波があるのか?
不安と期待が常に迫る
独特な感じが
独り旅の醍醐味だろう
なんて
こうして振り返り
波の写真を見ると
不思議な奇跡的な1枚なんだな〜と
感慨深い
南青山で展示するとはこの時は知る由もない
見ない
技
2009年 フィジーの遠い離島へ2日かけて小舟で
2017年 真冬の日本の朝日
8年の歳月で海も地球も少しずつ汚れ破壊され
海は変わらぬが
自分が変わり
写真も変わる
いや
やはり海を介在するカメラの後ろにいる人が
変わったのでしょうか
所変われば場所変わる
即 死
即 身
なのか?
考える猶予もない
感覚的に生に向かう瞬間の瞬間
1秒の500分の1
波は高速なエネルギー体の中です
トーラスのような電磁場であり、回転しながら永遠に続くエネルギー場です
この世の常識では動けない泳ぎ方と身の振りように
波の中は
テスラをはじめ様々な学者が見つけた
俗にいうフリーエネルギーの生まれる場所です
あのころは,海外の未知のでかくて透明な波を探し
今は小さくとも日本の光と陰の狭間を探し
さらに暗い難しい世界へたどり着きました
おもしろいもので
やはり写真は正直です
1枚の写真は瞬時に水の温度や、旅の憶い出にいざないます
つまり人生も時間も連続性のあるパラパラ漫画です
難しい局面に立ち会い
見えにくい波と光の影を写す事は
すこし大人の技でしょう
回転しては繰り返す永久的なエネルギーの集まりが
水素結合力にある力が作用すると
波です
それを何らかの方法で利用し
泳ぐのが魚やサメ達です
わかりますか?
急ですが2月末に青山付近で個展をやるかもしれません
久遠寺
きわどさ
どうしても心から離れない時間がある
標高2000mの徒歩でしか行けない
七面山の籠もり修行僧達20人の
強烈な祈祷とお祓いに
どうもこうも涙が出た
真摯で純粋な彼らの気持ちが
俗な世間の我々をふと
立ち止まらせた
今をかえりみない
かれらの捨て身の祈りと
おしみない優しさに
日本人の崇高なまなざしを観た
徳川があみだした檀家制度やブランド宗派の振り分けに乗じ
それらを匠にを悪用しここぞとばかり戒名や墓代
ゆすりとる都会の坊様
どうかうちを御贔屓にと
仏具屋、墓石屋、葬儀屋、料理屋から
の手渡しの御礼金
一度そんな泥沼の蓮池に落ちたら誰でもあがりにくい
愕然の差は,つまりは修行と心のありようである
今の仏教界はどうしたものか
最澄や日蓮や空海さん
ら当時の博学な哲学者により輸入され
日本独自に創作された仏教の浅い歴史の前には
神道さえも届かない地球への信仰があった事実はいなめない
そこにある日人間の形に似た仏像を置いて
拝むうちにそこに,仏や神様が居着いてくれる事も
あるのだろうとは想うが
美しい山河や
悠久の景色がなければ
日蓮さんもこんな山の中いいな〜なんて
想えないのだから
まづはいい訳抜きに
この地球と森羅万象が大切である
ビルの隙間じゃ育たなかった宗教
それに比べ今の我々はどうだ
心が地球から離れ、無関心になればなるほど
地球をぶっ壊し
底なしの欲で自らも破壊して行く有様
本当は宗教なんかいらない
宗教はマインドコントロールしやすい
ツールとして悪用すべきではないのだが
そこが際どい
海で波音を聞き
川で川音を聞き
山で瀧音に包まれ
なにが大事なのかを憶いだす
国産の御影石の墓石も
結構な文字数の多い戒名も
生き残った人々の見栄である
大切なのは
その人たちと笑い過した
暖かな時間である
消すことの出来ない時間を
忘れずにいれば
死して生きるにつながる訳だ
都会の坊様はそんな蓮池にスタック!
写真は嘘をつけない
これが彼らの矜持であり
我ら日本人のDNAに組み込まれ
さけられないサガである
きわどさを知り
そのきわどさを越えない心
Takei bou at Minobu
Takei bou born from 1500 years ago
also Shingen Takeda protect long story this Tample had can able to stay (syukubou)
武井坊は今から1500年前から
天狗が住むと言われてきた
この身延の斜面にへばりつくように
たたずむ
2人の兄弟と父であり七面山の別当をつとめた
修行僧の小松家により脈々と護られてきた
ここはそもそも修験と真言の山であるが
いつのまにやら,武力と政治力に後押しされた
日蓮のものになる手品であるが
祈りの憶いや地球への哲学は変わらず
この地で呼吸している事実は変わらない
ここは宿をかねた行場であり
宿泊者はひととき
彼らの歩き悩み抜いた道を
彼らの崇高な経文の声に感じながら
修験道から受け継ぐ木剣の響きに
古くから伝わる幾重もの光に
心を射抜かれるだろう
日々彼らは自らを磨き続け
その負荷を常に背負い
磨き続けていく
これが本物の旅行の僧である
迷いを人から求めては行けない
笑いながら存分に迷い
自らで見つけなくては意味が無い
どんなに時間がかかろうとも
自分の歩幅でそれがなんであるのか知れば
迷いでなくなるのだから
気づけば
あ〜小さな事だったな〜
と笑っている
自分の影を見る事になるのだから
なんの心配は無い
心配は毒だよ!
といった
志ん生の王子のきつねを憶いだす
Originally by a mountaineering ascetic
The mountain which has been prayed for
While the Nichiren priest succeeds to the prayer
Far-off time has been prayed for
Takei Bou is followed from generation to generation now by the Komatsus and 2 brother
I can experience the reverberation of the prayer
It is a hotel
Of history and them who are long as for the hotel guest
By a prayer molded by severe ascetic practices
I have you cleanse it
Minobu
影
先週久しぶりにスキーで調子にのり
急斜面を攻めるも
板が外れ
息が詰まる程
胸から肩を強打し大笑い
腕があがらず,寝返りも打てず
健康のありがたさを知る
全身を回転させ
あらゆる水の方向へ
力を逃がしながら
水を掴みながら
水中を泳ぐなど
しばらく無理です
とあらためて
知りました
そして今日はスキーパトロール
日赤雪上安全の更新講習
偶然3年前に山で御逢いした方がいて驚いた
講師の先生も3年前お世話になったお方
過去があり
未来あり
未来あり
過去があり
今はもう過去
のだが
未来がなけりゃ怪我もなおらず
波も来ず
光と影の狭間を
行き来する我々
そのどちらも知ること
そのどちらかが
かけたら月は見えない訳だから
影が消えたら
全ては無である
絶滅危惧種 日本人
胸の心
びっくりした!
数日間新潟の雪山にいた
日々びっくり!する為に人は生き笑う
偶然数年前
ニューギニアの海であった友と山で出会う!
思えば70年代
祖父の運転する屋根にも荷物を積んだ
グロリアワゴンで野沢温泉へスキーへ行き
熱い温泉の湯気とあの斜面にへばりつき
温泉の白煙に包まれた
野沢温泉の古びた
雰囲気がたまらなく好きだった
蒸したての饅頭と
鳩車や野沢菜を始め漬け物や胡桃など
まだまだ輸入品に汚染されていない
郷土と風土の時間や技を
感じる土産物屋さん
今思えば暮れから正月頃
道の渋滞など知る由もない4歳頃から
竹のストックと、木の板、皮のブーツで
スキーを教えてもらった
のが始まり
あのスピード感と
斜面の怖さや
その場所に挑戦するわくわく感
は波に通じる
案の定小学生になると
その野沢の林の滑走禁止を滑りコースにでると
絶妙な位置に大きな穴があり
その穴に板先が刺さり
足がポキリ
を2回
極めつけは
群馬の万座で直滑降でバランスを崩しながら
白樺の林にまともに激突!
このときは死んだか?と
思うほど時間が長く感じながら
飛ばされた
太もも
すね
くるぶしなど
3カ所をバラバラに折る
その時も助けていただいたのは
スキーパトロールの方々
と折れてないかもしれないから
頑張れよ!と励ましてくれた
救急車の隊員の方
でもやはり
あの誘惑に負けた
いやかけた
びっくり!する程
年甲斐も無く急斜面を攻めると
前のめりに両板が外れ
あぶない転び方で
右胸あたりから
びっくりするほど
息がつまり強打!し
おお笑い
今だ腕は上がらず
マニュアル車を左手でギアチェンジ!
折れてないようだが
打撲と筋肉の挫傷
のようだ
これは攻めた怪我だから良い怪我
あ〜この程度で良かった
山に祝詞を唱えていたおかげかな?
そして今日3年前に偶然にも両足を折った群馬の山で
(ここにくる為に30年前折ったのか?不思議だ)
4日間朝から晩まで講習し所得した
日赤の雪上安全法(スキーパトロール)の継続講習を忘れ!
危うく新たに取り直す事態に、なりかけたが
偶然にも日赤の方の御計らいで明後日講習可能に。
もっとも仕事に出来ていないが
あの当時助けて頂いた方々を憶い
いつか恩返しが出来たらと思います
ほどほどに
年を考える?か
年を考え
ほどほどにするか?
・・・・・
どっちも出来ないな
波だって思い切り
フルコンタクトでいかないと
死にますので
やはり
ほどほどな心持ちを忘れずに
強烈な心で大胆に行く!?
右腕が全然廻らないず
クロール禁止です
しばらく海は禁止です
普段の寝返りも起きる事も
ままならず
びっくりする程
健康のありがたさを知る
驚きと未知の旅で己を磨く訳ですね
カゴの鳥ではないからね
センター試験ってなんだ?
学校や塾に通わされてる子供達へ
真冬の大寒波の
つなみの下で
独りお祈りをして
泳ぐ変なおじさんがいるように
あんまり学校や塾で
イスに座りこみ
順位や良い学校に入る為の
記憶力大会は
ほどほどにして
外で遊び自然へいきましょう
良い学校や
良い会社に入る事が
人生で大切な事ではないから
水槽の魚やかごの鳥は
楽しいでしょうか?
自由でしょうか?
家族とはなれ
一生広い海や自由な空に戻れないのは
どうでしょう?
これから未来へ
間違いなく勇気と約束と義理を守り
心や自分の力をよく理解し
地球や周りの人の迷惑にならずに
挨拶さえ出来れば
大丈夫です
おじさんは宗教も大学も会社にも入っていないけど
冬の海で死にそうになりながらも、こうしてなんとか生きてます
1枚の写真は人間界を越えたその証明です
絵でも写真でも歌でも
自分を証明できる何か1つを見つけてください
そんな事を憶いました
見た事の無い世界を30分間に
何十回もみれる事など
なかなかないですね
日本人絶滅危惧種
北大路魯山人 白崎秀雄 著 文芸春秋 昭和46年発行
を今は亡き陶芸家でジャーナリストの父を持つ
アメリカのビンテージカーを輸入販売されていた友人で先輩
本人 安江武士古より頂いたのは今から3年前
お父さんから古武士のように生きろ!と命名されたと聞いた
美しい魯山人の描いた文様のケースと
オレンジがかった丁寧な装丁と独特な字体
それは不信というタイトルから始まる
当時の魯山人が経営し,素材のままの味と
器まで一体となった名物はグルメや知識人から絶大な
評価を受けたが
最後は、骨董品収集やその言動で自身が追い出された
赤坂の星岡茶寮「ほしがおかさりょう」
素人であれだけの作品や派手な影響力と
結婚7回を含めた
そんないで立ちで
多くの正統な修行を通過してきた同業者、業界人らから
賛否揶揄されていた時代
料理は器から自分でその料理や自然感にあわせたもの
出なくては、駄目だと行き着く迄の時間を
魯山人亡き後に,魯山人の作品や当時関わりのあった膨大な人々の
インタビューへ流れる美しい文章
ピカソや日本画家 河合玉堂をはじめ
他に対して甚だしい誇大妄想的な言動の多く
はじめは瀬戸や加賀から焼き物職人を連れて来て
他人がこね焼いたそれらに絵付けをし
自分の作品だと言う詐欺まがい
しかし魯山人没後(たにしがもとで病気とも)
白崎さんは
ある場所で出された
伊賀シノギ皿に驚嘆する
「私はある料亭で鮎の塩焼きを出され、笹の葉を敷いてそれをもった四方の皿との配合の良さに
思わず箸を置いてしまった。
黄釉の陶板の四方をうねらせ,変化を付け、横へ数条の溝を抉り(えぐり)
そこにガラス化した緑色の釉が、せせらぎの岸辺の水のようにたたえらえている
その上に横たわっている鮎はいのちあるものの様に鮮やかだった
いや,それは単なる料理を盛る器物を越え、明らかに鮎料理そのものの,味覚の1部を形成していた。」
中略
洗わせて手にとる
その皿には、要するに圭角があり(丸いのだけど角がある意味)
角が立っていた。思えば魯山人の藝術は、その基本となす書や扁額にしても
いわゆる和風を尚んで日本的な柔らかみをたたえているものでも、ただ柔かいと
言うだけではなかった。常にどこか鋭く屹立(きつりつ 険しくたつ)する圭角をひそませていた
魯山人が生前
昭和8年刊行 魯山人作陶百影解説の序に
なぜ作陶を志したか という一文に行き当たった
魯山人はここで魯山人は今まで上絵だけつけて魯山人作の銘をつけて来たのは
「一種の詐欺行為であった」と記し
つづけて「制作の全てに当たらねばならぬ」と覚悟し
「そこで手元に窯を築き,轆轤場(ろくろ場)を設けるにいたったのだ」と述べていたのである
すると魯山人は鎌倉に築窯してからは
全ての作業にあたったというのであろうか?
魯山人はそうとは書いていなかった
読者にそうとしか思われぬように書いて
実はそうではなかったとすれば、この表現の狡猾(こうかつ=ずる賢い)
さはきわまっている
その心事は,又頗る(すこぶる)わたしの興味をそそるものだった〜
奥深いな
北鎌倉の円覚寺のすんでいた,変わり者のひいじいさんも
魯山人とあったのか?聞いたら
現在86歳の息子は知らない
と
にべもなく
かけいのある 庭を見て
そうだ
むかし横須賀の議員秘書だった若かい小泉首相とは
横須賀線車内で酒飲んで仲良くなり
友達だったな〜
それは知ってるが
なんだ魯山人とは関係ないのか・・・・
しばらく
して
おまえさん
そこに魯山人の皿がちょっとあるから見てみろ〜
何だ!あるじゃないか!
ちょっと
関係をかすった話し
やはり確信しました
写真もその場で
覚悟を決め
大胆に見ないで押す!
頭で考えぬいた気持ち悪い構図や
写真家の気持ち悪い念や想いは
策者である
Photoshopで合成加工し
いじり倒した
こずるい写真
の蔓延した
写真機が出来100年の今
写真でなくグラフィック作品と呼んでくれ
撮れてないの
撮れた風
は
弁当の鮭はにじますなのに鮭と書き
いわゆる天然風ブリや
大分産ブリ
すしざんまいの本マグロ(天然とは書いてない)
と同様に
狡猾である
そんな狡猾な日本人が増えた事に
侍や忍者はあきれています
日本人は絶滅したのか?
何処いった?
考えず行動
つべこべ言わず
感がえて
勘えて
やってみること
四角い学校や塾の競い合いや記憶力順位の意味の無い
事を知り,子供達は自身を取り戻すように!
大人が自分が自分を
養殖マグロにしてしまう世相に
上野動物園の動物は幸せか?を
よく知る
影と光
を生き抜くこと
1枚の写真は人間界を越えたその証明です
そんな事を憶いました
三途の川
大きな青いタヒチ周辺の横町の波もシビレルが
日本の波は本当に手加減なく冷たい
寒がりの僕はせいぜい30分だろう
目眩いや目のピントズレ
手のしびれ
へんな呂律「ろれつ」
意識が軽く鈍るなど
無理をすれば低体温症ハイポサーミアになり
渡し場で並んで呂律がまわらないまま、三途の川の婆様に六文銭
はかっこわるいし、並ぶのが嫌だから
俺は泳いでやる
「真田幸村はいつ死して悔いなしと
六文銭を肩身離さず、のぼりも六文銭なのは
西に東にたなびいて、生き残った藤堂高虎に比べ
男的にぐっと来ると」
伊賀の忍の寺の住職が言っていた
たしかに
成仏の差はなんだろうか?
生きる差
死への差
北斎が死の間際
後5年神が命を持たせてくれたのなら
もっと良い絵が描けるのに
と魂はしっかりピンピンしても
入れ物の体が参ってしまうのは
儚い浮き世で今がある訳だが
好きな事をし
好きな場で
死ねれば
もののふの矜持という訳で
自殺はいけません。
そんな場です
ここ