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はうちは
不動さま
英彦山
延岡の海を17時に出て
筑後川の温泉宿に着いたのは19:00
2日で600キロ縦断した
夜のため情緒ある中州の温泉宿は
見れず朝も通り過ぎてしまったで改めて散策
羽黒山の石段のさきに
天狗豊前坊を祀る磐座の神社が
雨の中だが華やかな
登山客の団体が多い
山にコンビニ弁当やペットボトルを投げ捨てる
登山客も多く、ゴミ拾いが大変だとお聞きした
時代と共に
大切な時間が消え
おかしな日本人が増えている
地震も天災も自然にくるわけだ
日子山
彦山
英彦山
字も経営も変わるも
あまたの修験者の霊場だった聖域
神社を護る、石鎚山の修験者だった方に
暖かなおもてなしをしていただいた
薄暗い独特な聖域で
葉を打ち付ける雨音と鳥の声
どこかの木から天狗がみているのだろう
下阿蘇
宮本さん
宮本武蔵は江戸の一流の剣豪の道場には来ていない
といわれているが
どうあれ
歴史は古い程推測と、憶測
決闘にあけくれ(じつは木刀が9割)
晩年は禅に溶け合い
書と禅画を残した宮本さん
この観音様を祀る霊巌洞に籠もり
明石から生まれ、13歳から60あまりの真剣勝負を勝ち抜いた修行の晩年ここで
兵法絵巻 5輪書を完成させる
5輪書とは地、水、火、風、空で構成された
兵法、精神、から最後は空にたどりつく
兵法の境地は空である
実の心を道とし
兵法をひろくおこない
ただしく明らかに
大きなるところをおもひとって
空を道とし
道を空と見るところなり
忍者の考えや中国の思想、道教の陰陽5行説の流れを感じる
般若心経もよんだに違いない
宇宙とこの人間の心理をどこまでも理解したかった人であろう
しかし看板と道があるからこれたが
こんな山奥の洞窟をしりあて
またよそものが、1年もある日から住めたのには
何かの魅力と謎が生きる
洞窟の天井には当時のままかわらずに残る
霊巌洞の文字
独特な怖くもあり
どこかと繋がっている様な洞窟
宮本さん亡き後も
その呼吸を感じた
あまたの武芸者の崇敬と修行の聖地
誰もいない静かなこの洞窟で
宮本さんを偲び
きっと笑われながらも
都城で手に入れた
島津の紋のはいる赤がしの木刀で
お祓いをし祈った
入り口の霊巌寺は昔は沼で
龍が住んでいたという
中国から帰化した僧に
証拠に鱗と、法螺貝を残したと言われる
なんにせよ
金峰山へ
道は2つ
蛇行しながらあがる道と
真っすぐに途中48度の斜度の岩場を登るコース
真っすぐは約30〜40分で頂上へ
しかしエクササイズ目的のご老人手前の方々が多い
頂上付近には数百回、数千回登った記録者の名前が
毎日登る方もいると聞く
何処よりも高いこの場を
選んだのは彼らもNHKも同じ
違うのは理由である
役の行者、蔵王権現、猿田彦
現ご祭神は金山毘古、金山毘売、安閑天皇
電波等も車も携帯も無い時代
感覚と感情性と正心に生きた彼ら
この地に何を見
どんな時間がながれていたのだろうか
吉野からわざわざ
修験者達を呼び
さつまくぐりのルーツがここ
様々なかれらの思いが残る
懐かしくも
離れがたい場所だった
2度お参りをさせて頂いた
熊本金峰山
渡海
海洋の廃棄され、風で飛んだりしたゴミも
推定数億トンらしいです
日本の海岸もクック諸島もニューギニアもどこも
肥料の袋やら、発泡スチロールや、ペットボトルや漁網など
ゴミだらけだけど、だれも拾ってない
ペットボトルも、プラスチック容器も
地球では分解出来ない
のは
原発の放射性部質とおなじ
行き場のないゴミ
リサイクルには
金と手間も薬品もかかる
中国がひきとらない
など中国のせいにしてるのもおかしな話しで
自分のゴミは自分たちで
処理すのがスジ
それも出来ないなら
使わなければいいのだが
なかなか今の暮らしから
プラスチックを無くす事は相当厳しい
売る企業側が代替え品を作らないかぎり
石油製品はなくなりません
かといって紙だと
世界の木はなくなる
再生紙は塩素やら薬品がでる
イナゴのように地球を食い尽くす勢いの地球人
これはある意味、代替え品はビックビジネスと見据え
各企業が水面下で開発もしている事に期待したい
意識?
たしかに個々の意識がまづ大事だが
海にゴミを捨てるの人はなくならない
軍需産業の実験や廃液も実はなかなか
海外や国内の船のトイレや洗剤も汚水もたれ流しが現実
何海里以上はなれコンクリートに固めたら捨てていいとか
おかしな法律
ガラスはコストがかかる
再生物は色が悪く
売り上げが落ちる
病気の蔓延がおさえられた
などメーカーも歯切れが悪い
ま〜明日から急に皆がプラスチック製品や
発がん性のあるらしい
ペットボトルをやめるのは無理ですし
間違えなく人口が増え
このままでは食いつくし汚染するのは
間違えないでしょう
地球も自然濾過、治癒がりますが
それを越えた水槽のような限られた
水たまりになりつつあります
誰かがいい発明で
いいフィルターをつくらないと
海がどぶになる
広島の原爆のウランのことなど、様々な逸話が伝承されてきた
ネイティブアメリカンホピ族の予言では
地球の尊厳も慈しみを忘れた人々が
ある日一匹のつぐみが人々におしゃべりを教えると
人々は他人の肌の色など悪くちをいいあい
戦争になったと
こうした地球と宇宙を馬鹿にした人々が増えると、地球は自然淘汰されると
現在は4回目らしいです
5度目は黒い水がやってきて、又地球は生まれかわると古くから
言い伝えられてきてます
九州でも地震や噴火が連動して来ているのか
心配です
過去の中国には孟子,礼子はじめあまたの
哲学者と武術家がいました
仏さんもチベットから中国で修行し
上手に練り込まれ日本に輸入されました
MAIDE IN chaina が嫌といいながら漢字は中国製です
その教えを我々日本人はもう1度ともに
読み合い感じ合い
地球防衛軍、監視員がいないとだめかな?
エシカルとかそんな話でなくて
ムチをふりふりちいぱっぱの 教育者が排他された以上
都会の学校の子供達に渡海を教えないと
いけません。
恐れず 畏れる
人間様よ
迫りくる波に立ち会い
一瞬でも躊躇(迷い)があると大事件になる
けっして退かず
波の懐へ潜るしかない
行くなら行く
やめるなら踵をかえすように
やめる
中途半端は必ず大事件
それは心
心が恐怖にまけると
背中と腰の軸がぶれて
うまく体がうごかず
必ず波にやられる
心とはなんぞや?
胸の辺りにある
頭がぞわぞわしたら病気です
ぞわぞわや
わくわくは間違えなく胸のなか
ここを鍛錬し
自己の力を正直に見認め
大自然と会わせて行く
無理は即死
だが
前人未到の無理に少しは入り込まねば
撮れないのも事実
事実と真実は違う
ように
海の中にも風が吹く
神風が吹くと信じた日本人
みえない世界
みえない事実を信ずること
この国
この地球をはかりにかけないよう
ものさしで地球をはかる事をしないように
人間がこの宇宙の全てを知り尽くし
万物の叡智であるかのように
振る舞わないこと
自分の庭や海を大事にできない人間が
火星なんかいくべきでない
どうせまたゴミを散らかすに決まっている
馬鹿者!
もののふは常に信心いたすべし
天にそむけばいかでよからん
忍歌
循環
死と生は断絶する別世界ではなく
妻イザナミの死を悲しんだ
夫イザナギは妻の死居を訪れた話の様に
一続きであるかのようであったが
外来宗教の古参である仏教は対自的にとらえることを布教した
死後の世界を輪廻しながら六道に転生する因果観を強く
染み込ませた
あの世には天国と地獄の対峙的世界を描写し
民衆に勧善懲悪の倫理思想を植え付ける事に成功した
そしてこの世にいない死んだ人の霊魂なる霊威を
さらに強め全面に光らせ、自然的なアニミズムから
各仏教の教えとともに、先祖供養の儀式を系統化し
寺の檀家制度を確立した
戦国の世をかえるため
比叡山で皆修行しながらも
独自の思考、哲学を霊鷲山に向きながら
伝えて来た偉業は凄い事だが
江戸時代に編み出した檀家制度と宗派
一部の寺の坊さまは
代々の墓は長男しかはいれないルールですので
墓はあたらしく新品を買ってくださいと言い
戒名は1文字増えるたびに課金し
結局涙を流した兄弟も死んだあとに
離散し、まな板の上の鯉のごとく
断りにくい、拒否出来ない状況の中
請求されるお粗末
お釈迦様
これはあってますか?
昔バリ島のお葬式に一日参加した
(バリヒンズーは人間は5つのエレメントでき、火、水、土など
いずれ生まれ変わり又家族のもとに戻ると信じられ)
悲しいですが、楽しくみなで盛大におくりだし食事をしましょうと
骨の一部はヤシの実につめて海へこれから流しますと
一緒に海へ行きました
なぜ?海へと聞くと
おじさんは生前、海と釣りがすきでしたからと
山が好きなら山でもいいんです
自然に還ることに変わりがないですから と
インドのラーマヤナに道教的な陰陽5行説とアニミズムがうまく溶け合って
どこか田舎の日本的でもあり感動しました)
バリ島のように本来は家族のお墓は家族の敷地にあるべきですが
妙な法律で日本ではかないません
毎日あえますし、むだなお金もかかりませんが
そうしたことすら嫌う人々も増えたのでしょう
さらに「いい暮らし」の追求と
すぐに壊れる石油製品や電気の余計な物を作り続ける
発展途上の国々が、すでに発展したのにまだ欲しがる日本人のようになれば
同じレベルでさらなる汚染がすすむのは眼に見えた事実です
日本の昭和30年代の海岸の状況が世界の海でおきています
フィジー、タヒチ、モルジブ、パラオ
中国のお金が流れ、ホテルが乱立し
パラオもモルジブも一部の日本さえ
残念ながら洗剤も垂れ流しです
情報がなかったあの時代
本当に効いているのか?疑問な空手チョップを
青いフィルターの白黒テレビで熱狂し
いい学校がいい就職でいい人間と
洗脳され、生産性と発展にばく進した日本
自然に対する配慮も考える暇も理念も理解もなかった
あの時代は水俣をはじめ科学薬品を垂れながし
当たり前にこのままでは、海は汚れていくでしょう
アメリカも日本も中国も
海に浮かぶ島ですから
唐突に
車は燃費を食おうと、古き良き時代とデザイン
と部品もあり治せる、昔の車がいいでしょう
これぞエコであります
現実ではオートマ免許を
お客様として発行する教習所にも
運転技術の低下と適性が緩いのはいなめません
逆走、やアクセルのふみ間違えなど
昔は無かった事故が多いのもその原因です
持続可能?英語でなんでしたっけ
エシカル?
笑
眼新しい「物」はこれ以上いらない
飼育されないように
明治時代に大きく日本は死んだ
富国強兵と欧米列強の獅子の分け前にあづかること
人々を従順に育て、管理コントーロルし
国家の意思を貫徹させる為
徴兵制と教育、財源の裏付けに国民から租税をとりたてる
ことが必要だった
日清戦争の前後の境
明治20年に日本民俗学では
あきらかな変質がおこったといわれている
さらに漁師や農夫の楽しみ、濁酒(どぶろく)の自家製造を禁止したのは
酒税をとり、軍艦や鉄道を敷くためであり
GHQにより大麻が禁止されたのも、アルコールや油など、アメリカ製のアルコールや利権を売る為の
障害になる為であっただろうが
神社のしめ縄も、衣装も表向きは代替え品となるが
お札はいまだ(おおぬさ、大麻と書いてあるのは名残である)
どぶろく禁止は共同体のつながりを破壊し
年間国賓6億円の1億円を担保させるものであった
(フィジーではいまだカバという(胡椒科のかるくハイになる木の根を絞り夜な夜な飲んでいて
村人の大切な時間である)
税務署、警察はようしゃなくどぶろく製造の違反者を牢獄へぶちこんだらしい
大正の初め東北地方の牢獄を視察してまわった司法省の役人は
投獄されたのは大半が50過ぎの老婆で、製造にかかわりつつも、一家の男子をかばい
すすんで罪をかぶり服役する理由であった と
市町村合併や戸籍をつくり「水槽の中に押し込め魚の数を知る為」
国家の政治支配
国家神道の系列化とし17万6千余の神社を
一村一社として神様を都合良く
ぐちゃまぜに寄せ集め10万社までへらした
それに反対した博物学社、南方熊楠が投獄されたのは有名なはなしであり
部落自治機能をうばわれ、産土”うぶすな”信仰とかたくむすびついた神社をうばわれたのである
これは悲しいことであったろう
昨今の都会のマンションが乱立し
誰が住んでいるのかわからない
希釈された人間関係
オートロックを理由に神社の寄付も無視され
土地に愛もない為に自然発生する世相
集積所のゴミ置き場もルール無し
村社、郷社、府県社はある日を境に国家神道の系列化の中に編入されていった
だから道祖神やお寺僧様など古来よその土地土地に崇め
護られてきた石仏や、ひいては石や瀧など、そもそもどこにも、系統にも人間界に属さない
それは置き去りにされ、古来から呼応しあった自然信仰は失われていった
日本人の生活の共同体の象徴であった社稷(しゃしょく 社は土地の神,稷は穀物の神)から切り離された
それは当然土地と人間の充足した紐帯関係を喪失させ
日本の庶民の暮らしに虚無の感情を喚起させることになる
部落共有の山の入山の規制、部落とは歴史的にゆかりのない村社で
祭りを執り行なわなければならなかった
その上に親方子分の様な人間関係が庶民の日常をがんじがらめにした
長男に家族相続を権利を与えることなど
今では普通に思われるルールもこの時代に作られたのである
庶民が代々守りついできた部落の内法とは倒立する
国の法律にいやがおうまでもなく、従わなくてはすまなくなった
これは伊賀忍者、地侍にたいしておこなった
東大寺の荘園、年貢制度と同じである
だから彼らは数千年にわたり、そうした代々受け継がれてきた大切な時間、日本の自然感
を傲慢に奪い、矯正しようとした力に、日本で唯一最後迄志にしたがい戦って来た誉れである
が、アメリカで忍者を暗殺者と広告したショー小杉や国内の劇作家は残念である。
信長が2度負け
伊賀を日本から無かった事にするために
行った無差別殺戮が天正9年1581年の伊賀の乱である(映画はフェイクです)
話はそれましたが
いずれにしろ事実はこうであり
国や一部の利権や金のおこぼれを狙い
国を国家神道の頂点である伊勢神宮や、将軍から天皇への威厳をつよめ
民衆を、コントロール管理しやくする政治工作の傑作が明治である
修験道禁止、廃仏毀釈、神仏分離、ほねつぎ、呪術、陰陽道類の禁止など
日本人が諸外国には無い、独自の個々の持つ本来の力を封じ込めたかったわけだ
が同時にアニミズム的な地球との距離感や、道徳観を徐々に失って行くことになる
「むつごろうさんあたりは、この辺はまだお持ちでいる気がしますが」
最後に大切な事がかいてあった
軍事目的を考慮に入れた
鉄道が資本主義の経済の進展に決定的な役割を果たす事は明確になった
鉄道の敷設は、それまで孤立していた町村に大きな動揺を与えずには済まなかった
峠道はかえりみられなくなり
宿場はすたれていき
帆船の上下する大河、汽船の航行する沿岸風景は明治から大正にかけて
しだいに影をひそめるようになった
陸の移動には天候が大きく左右する
海の航行には潮の干満や風の方向の有無が決定的な力を持つ
(命にかかわる)
そこで自然と人間とはどこかで協調点を見いだしながら動いていた
ところが鉄道の敷設によって、旅行するにも、物資の輸送するにも
正確な日時を予定出来るようになった
このことは日本人の時間感覚を一変せずにおかなかった
(ごく自然にだれもが、自然を馬鹿にし下に見るようになっていく)
国内移動により金になる都会にありのように人が集まり
戦後高度成長社会は、日本の山川や海を思うがまま削り
埋め立てて工場をつくり(東京湾、川崎、四日市や、水俣、ディズニーランド、原発など)
観光道路をつくり、レジャー施設をひろげた
この結果、公害がいたると所でおこりはじめ
自然の循環体系は回復不能になるまで破壊された
自然と人間との
かくもいちじるしい不協和音は1960年代以前にはなかった
(個人的には江戸幕府の湯島や日比谷、銀座の海をはじめる埋め立ては残念である)
それは自然の中に伝統の場を見いだしてきた価値観の破壊につながっていくもでのある
明治以来の富国強兵の「強兵」は、連合国の思うつぼにはまった
大東亜戦争のみじめな結果により棄てられたが
「富国」の政策は戦後一層強調された
だがその富国の理念がとわれる時代にさしかかかっている
強兵も富国も国民を幸せにすることができないのであれば
明治の初年にもどり次はなにを求めねば
ならないか、当然問題とされよう
しかしまだその答えはでていない
1973年(日本人の100年 19 世界文化社 谷川健一著)
昨今、自分の土地に家をつくったら取得税、固定資産税、相続税
ものを買うと消費税、車には車検やら重量税やらなんやら
それを悪用する政治家達
今に空気税や水税をつくるに決まってる?
武士の特権社会の様な封建制度は
時代を超え巧妙に受け継がれ
もう茶番なめちゃくちゃな日本。
年号が変わり、見えない何かがかわるのか?
陛下の力あるお一言でどうにかならないものでしょうか?
政治には介入しなのはわかりますが
いかのもどうして、大好きなお魚を研究する海岸や海が
放射能も垂れ流しのまま、このままでは全てコンクリートの護岸になりかねません
仏も神も心地よい、そもそも自然があり
そこに、いつのまにか、仲良くかれらがよりそい
高天原につづく場所や、龍神の池、独鈷の泉がある
宗教は大切だが
宗教は日々の自分の中にあり
この大自然の天地、海川にある
神社は神様の別荘であり
交信所である
その交信所で祈りを運びつなぐ役目が日本人である
理屈はさておき、みえないなにかを信じ
先祖を供養し
海や山で怖い思いをし
美しい時間の中、感覚的な喜びと感動を憶いだせば
自然におかしなことは出来ないと思う
正心を生きることは日本人ならではの
まさに忍の道である
着ぐるみを来た人間のはいった
レジャー施設じゃ知り得ない
大切な時間を今の日本の子供達に伝えねば
とわたくしはおもいます。
単純明快
神仏は尊ぶが
神仏に頼らない
宮本武蔵
輸入され日本にうまく土着した仏様ご一同
日本人の心の支えと
日本人の思考にうまく溶け込んできた
しかし
波のなかではどうだろう
一瞬のさらに微細な時間をよみ
全神経を研ぎすまし
遠くまで電波?をとばし
感じる
昨今の気味悪い
5感なんてもんじゃない
人間にも7感、10感がある
とにかく大波が迫り
巻き込まれても
泳ぐしか無い
暗黒の泡と轟音の中
水面の泡の薄い光に向け
神仏は助けてくれない
自力で自分の心と体をずらさず
強烈に動くしかない
藁をつかみたくても
藁なんて無い
誰も助けちゃくれない
そりゃそうだ
フィジーの沖数百メートルに誰もいない
常に独り大笑い
生きてる実感と
妙に込み上がる幸せ
入る前には祝詞をよみますが
これはあくまでも
他人様の聖域に入ってすみませんが
よろしくおねがいします
と
自己暗示
前行くしかない
波が来たらとにかく
その懐へ
水鳥のごとく鋭く深く潜るしか
生きる道はない
単純明快!
円運動
循環無端の哲理
古来という言葉の以前から
四季のうつろいの
循環に流れ則しながら
いきてきた生物
何も邪魔をせず
地球を破壊する事無く
それぞれの思いのまま
ながら生き
いにしえの人々は
日本に限らず
万物はその満ちるエネルギーと一体であり
その力に畏怖に
自然に溶け合い
心根で理解して来た地球人
海や山を慈しみ
アイヌのイオマンテの儀式のように
命を奪った動物達の御霊を鎮め
祈るのは、ごく普通だった時代
その摂理を悟ることこそ
人間が地球に配置されたごく
シンプルな事
するとごく
当然の行いが他人にも
自分にも正しく流れて行く
それが道義の心であり
真理である
正しいという基準そのもが
蚊帳の外
宗教でもない
輸入された仏達より昔から行われて来た事でいい
人の容姿に似せた神や仏も
これだけ祈れば、何かしらは宿るのだろうが
すがることで勇気と自己暗示のお護りはもらえるが
海原で独り
大波を眼の前に
最後のひとかきはじぶんしかない
仏教のぶったが伝えたかったこと
ビルの谷間じゃぶったさんも
良い瞑想やアイデアは浮かびません
あの自然という言葉も無い
世界の海が美しかった
青い海の時代がよかった
テレビもスマフォもない
正しい時間と空間が必要だが・・・
いらないものばかりの
身の回りを捨てて
裸で海へ行くこと
が近道かもしれない
その道は延々と
一人一人の中にすでにある訳だから
自らをよく観て
宇宙の波動と呼吸に
流れてみること
死をおそれず
生け花
長野は松本の櫻
これは生け花
命の吸収により
命が生かされる
水も命なのかもしれない
一信教ではない
あまたの自然の神々の祈りが
この国に結界を結んで来た
個人的な願い事ばかりの昨今の祈り
ご利益と称した
神社のプロパガンダに神様も困惑しつつ
その各種願掛けに、祈りの質が変身
季節のもようしに、収益の見込める檀家のいるお寺と違い
寄付やお護り業者の作るお護りの販売、おみくじ、お賽銭がないと
維持が出来ない昨今の神社の事情
櫻は1年に1度
なにがあろうとも
人工的な護岸の川のそばでも
文句も言わず律儀に必ず
咲いては散る
四季が生き物の命を巡らせ
風が命の言霊を運んでいる
生け花として散る桜は
あまたの枝で咲いているよりも
1枝の命を感じる事ができる
魚の活け造りと差は何か?
ももろもろの罪けがれ はらいみそぎてすがすがし
遠つかみえみたまへ いずのみたまを さきはえたまへ
あまつひつぎの さかえまさむこと あめつちの むたとこしえなるべし
出羽三山、羽黒修験
事実を観る
一つ前のブログの後の写真
海外の海とは日本の海は
何かが違うのは感じているが
まだ言葉に表せない
地球にくまなく
自然という言葉以前から
住み着いた人間が創作した神様と
もっと全体的で、神様という言葉以前から
いるネイティブアメリカンが言い伝えて来た
創造主のような大きな存在がいるのかもしれない
そうでなければ
つじつまがあわない
真空の世界でなく
生きた風が吹き付け
岸辺に海の水がふきつけるように
学校で子供達に
波なんて物はないことを教え
いったい波とはなんだったのか?
を理解していくと
古来からの地球がいかに
絶妙な間で生きていて
生物達のこと
から人間がしでかしてる事実
人間が地球の一番の汚染原因だと
心で感じることができるだろう
まづはやってみる
まづは海へ行く
まづは流れに乗れば
いずれ自然にその意味を含んだ言葉
が口をついてでてくる
よ〜く見る事
よ〜く太陽に照らしあわせ
波のリズムに照らし合わせ
よ〜く観る事
皮肉な事に
人間が作ったカメラが真実をうったえ
その人間があとで写真をいじりねつ造している
写真は全てを正直にみせているのに
独りを慎む
弓馬武芸の家に生まれて
兵の名をうしなってならないと、思うのであれば
毎朝寅の刻に起き(4時から6時)
我が身を清め、衣服を替え、諸天に祈りの誠を捧げ
神明を崇敬し、信じて疑ってはならない。
いましめを細かい点にまでゆきわたって実践し
邪を除き、愚にならず、痴にならず、心は均衡を保っているか、
道は通じて塞がっているか
これらを独りで知り、独りで思えば、これによって知識がはっきりと
よくわかってくるのである。
立派な人とつまらぬ人と、智に至ると愚に至るとの違いは
「ただ独りで慎むか、慎まないか」
の違いである
独りである事を慎んで自らの心に欺くことがなければ
礼節や信義もまたその身から外れる事はありえない
天地の神明が物体へとのりうつり
智もまた偉大な霊力に導かれて発揮されるものである
楠正成 河陽兵庫之記
現代語訳 家村和幸 編著
30min
波へ
ぎりぎりまで様々な気象情報をみても
風と雲がかわり
撮れな日が続いている
とは言え
地球にあとから寄生した人間様の
思いなど図々しい訳で
どんな状況を受け入れて
およいでみるしかありません。
同じ写真も1枚だけ
眼には見えない速さの瞬間
人間が見ている全ては幻である
1枚に潜む謎に捧げる
The rhythm of the weather from last year
In other words, is the earth caught a cold?
Even if you look at various weather information to the last minute
Wind and clouds change
The day that can not be taken continues
but
A human-like person who was later parasitic on the earth
It is a simple translation
Accept any situation
I have no choice but to see.
The same picture is only one
A moment of speed invisible to the eye
All that human beings see is a vision
Dedicated to the mystery behind one
松本城
宮崎神宮
東霧島神社
方丈の間
しゃしんや
1枚の意味
展示
和室に日本の御来光と波
洋間でなくとも
黒い漆喰の和室にもマッチします。
大きさなど無理に飾ると部屋を圧迫してしまいます。
ちなみにこの部屋は畳三畳の狭い部屋です
根津美術館のお仕事にたずさわった
隈研吾事務所の方のデザインです。
写真サイズはW1200ですが
高さを600でざっくり裁ち落としてます
細長い写真は日本の狭い環境でも
広がりをあたえてくれます
お客様には照明選びから
写真のあらゆる壁の設置から
壁と作品の距離など
ご相談にのらせていただいてます
壁の色の変更も施行出来ます。
ちなみに黒漆喰を塗ってます
日本をはじめ世界中の展示を自分自身で
道具を背負い
60カ所ほどしてきた経験でコーディネートいたしますので
お気軽にご相談ください
額装、アクリルマウント、野外など
様々なご要望に対応いたします
写真の敵
太陽光線は特殊なフィルムを貼り対応しています
写真に題名はつけません
そのままの海でないと意味が無いので
色をのせたりしていません
価格 税込み54万円です
コダック印画紙
ライトジェットプリント
エディション10
Pipe Line
Johon Peck
ハワイのノーズショアの
巨大な波パイプラインに
サーフボードと足をつなぐヒモ
リーシュ無い時代にのった
サンセットのツリーハウスに住んでいた
当時は合法だったLSDやマリファナを用い
精神世界や宇宙の世界に扉を開いたヒッピーの時代
警察当局にもマークされていた
そんなジョンペックの手製の板は
ペネトレーター(真っすぐ行く)はキリストの顔がマークされた
固くて重い7.4くらいの板
四国の海部の玉じゃやりに突っ込んだら
怒られた!
旅にはでかい枕を2個
昔LSDのとりすぎで宇宙の電磁はノイズが未だに何チャラかんちゃら
独特なシタールの様なギターを弾き
ロブマチャドが師匠とあおぐ
ペジタリアン
だが
インドネシアで魚のフライを食べていた
ペックさん、それ魚だよ
たまにはいいいんだ〜
とうまそうに食っていた
この写真はジャワに海部のレジェンド串本さんの
音頭で,ゲンテンスノーボードの玉井太郎さん、山の写真ヤーマン達と
いった旅の記憶
年齢を感じさせない身のこなしで
波を奥からのってくる
雑誌NALUに他人のクレジットでのせられてしまった
問題の1枚
ホノルア
クリス
インターネットもない
2002年頃マウイ島
全ては感
当時はいつも宿もとらずに
空港でタウンページような本を開き
公衆電話で探すも
まったく見つからず。
結局レンタカーを走らせ
風が吹き付けるホーキパの海沿いにみつけた宿
ホノルアベイに毎日1時間
車を走らせた
偶然数日間波があり
海からあがると偶然サボテンの崖の道で
カメラで撮ってたの?
と
声をかけてきたクリスバンダーボート
テレビや雑誌で見聞きした
海と人を慈しみ、愛した伝説の海の男
そんなクリスとホノルアで待ち合わせた
ひかれる程、頭の上で板が回る
36枚フィルムでまだ波の裏を撮ってない
武者修行の頃
僕のサーフボードは今は亡きクリスが削ってくれた
古いテンプレートのフィシュ
形見になっちまった。
非科学
そくす
是諸法空相
メルト
独りで行く
旅は全てを解決してくれます
思いがけない景色と出来事
なんて実際には
そもそも答えも、解決でもなく
頭で予測し考えていた景色が
いかに小さく、馬鹿げていたかを教えてくれます
だまって独り旅へ行く
エスキモーの言葉にもありました。
忍者の3病
悔いり
考え過ぎ
恐れ
その通りです
波の中は常にあの世と背中あわせです
だからこそ、真剣になれ
自分の力に正直になれます
命がかかるからこそ、海に失礼がないように
正直になれます。
そこではじめて無駄な動き無く
切っ先をかわし
体を手を水の抵抗から逃がしながら
動けるのです
何が波の裏で必要なんでしょう?
心の平穏
体の気のめぐり
長く泳げる力
すぐに潜れる水鳥の様な動き
楽しむ事
笑う事
考えない事
無で押す事
深い呼吸
嫌な予感がしたら戻る勇気
信じて前へ行く
引き下がるのはなし
前向きに
前向きに
すべては体験となり
体の細胞が心がその経験で助けてくれる
独りで行く事
以上
波のなかのはなし