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規律

kamakura 鎌倉はグリーン

沖への流れが激しかった
でかい波の下

片手にカメラ
ノーファインダー

波の中 幸せで大笑い

生きた甲斐がある

生き甲斐!

海に遊んでもらっている

体術 波を読む円運動と律動
心術 怖い思う気持ちを常に胸に
泳力 黙って数キロ泳げること、海や川のレスキューの経験と体験を大切に
判断力 臨機応変様々な波の角度や、流されては戻り、山や景色で自分の位置を三角に結び位置を調整
    あまりに流れたら戻るか?別な海岸から上がる

    集中力が切れたら潔く帰る

経験 修験道と同じく経験を積み、胸と体に修めていく

祈り 無垢に海や鎌倉武士を祈る、祝詞や九字切など

死んでも悔いなし
生きてる時に、悔いが無いように空気を精一杯吸って、水と溶け合い
楽しみ笑うこと

必ず一人で行くこと

地球は水と空気
宇宙からの太陽光線でできている

大切なのはそこに
風がある知る事

海にも雲があり
空にも雲がある

その循環の風に生かされている
としれば

自ずと地球に頭をたれ
謙虚になる

海では人間の四角い机の知識など役に立たない

経験と体験と野生的感覚と叡智をつなぎ
 
自分を読み
冷静に周囲の少し先を読むこと

祓い潔めていくこと

神道やユタや

土地に所有権をつけ
人間様の強制的な宇宙と地球とは
全く関係のないルールで強制的に
接収し狭い箱に閉じ込められ

ほぼ絶滅させられた

アイヌ、フィジアンやマオリの祈り
ネイティブアメリカンのイヌイットの人々の憶いと
正しいバランス感覚は
言い逃れのできない、塗り替えられない正心であり
ごく自然に正しい事実

怖さを知る
美しさに心を投じる
水や風を尊ぶこと

難しいことじゃないが
遠いか過去の事にしようとしてきた
白人や和人

島を征服し洗脳した
マゼランやクックの持ち込んだキリストのおかげで
フィジーや島々の星やサメを大切にし
月や海への祈りが消されてきた

事実は事実

事実を観る事

目の胸を背けない事

勇気を忘れずに
独り旅を続けていく事

それは都会でも自然でも同じ

そもそも
都会も自然も線がなかったのだから

これは海と宇宙の関わりと
物語を知るための
僕が選んだある一つの行為の結果に

偶然写ってしまった1枚

そこにある影を観ること

その記録である

数百年後が数千後
伊藤若冲さんではないが

この写真の意味が理解される日を待っている

宇宙もこの世も全ては丸く動く風に生きている

回転することに
全ての真如がある

Tokyo

海も川も水槽の水だということを
忘れてはいけない

このまま人間様が
身勝手な山や瀧や川の破壊の限界を続ければ

いつの日か青く透む海も
珊瑚も海藻も魚もジュゴンもいなくなる

水の事故が増えています

海は美しいながら
紙一重の地球の別な宇宙

常に恐ろしく
体温も
気持ちも奪います

よく離岸流という流れに沖に運ばれ
戻ろうとしても戻れず
体力が消え

怖さでパニックになり
心身が機能しなくなります

離岸流に乗ったら
斜めに、横に移動しながらゆっくり帰ります

僕も溺れた経験上
心理的にもと来た

足を入れた場所に戻ろうとしてしまいます

冷静に

海岸は遠回りしても
波がない場所や磯でない場所を探して
時には波にのり、ゆっくり平泳ぎかクロールで

僕も世界の海で流され
モルジブでは20分泳いでも同じ位置だったり
これは意図的に挑戦し

水面が沖へ流れたとおもうと
波のポケットに吸い込まれたり

散々溺れてます

ハワイのノースショアでは溺れた数時間後には
潰れた自信と拭えないやな感じを
消すため同じ海岸で泳いだこともあります

決して海が悪いのではなく
これが現実の海の時間です

人がそもそも
いくには危険な場所なんです

生死の最終ラインは
喉の弁が閉まり息が吸えない時です
怖さとや緊張すると筋肉に酸素がいかなくなり

呼吸も浅くなり低酸素状態で負の連鎖
乳酸が腕や足に溜まり硬く動かなくもなります

そうすると
頭がショートし
この苦しみから逃げたい!
絶望的だ!
泳げず巻かれているだけで
苦しい!
十八方塞がりにしてしまう自分が囁きます

泳ぐのやめよう!
苦しいから
この苦しみから逃げたい!

冷静に考えたら
死ぬんですが

そう思うんです

そんなありとあらゆる
溺れ方を体験してきました

が最後は自分の力と諦めず
冷静に戻る心でした

でも何年経ってもそんな
怖さは消えず

今こうして陸地にいても
あの怖さを忘れませんが
それが海の事故をなくしているのも事実です

忘れられない怖さ
と前向きな切り替え
が大切です。

この写真も前にも載せましたが
いつも撮っていた場所です

あの島から小舟で、座礁したり波に飲まれないよう
遠回りをして7分

カメラを片手に握るので
片手、両足で泳ぐとゆっくりきて
20~30分です

サメこないだろうな〜
と足の下や後ろを見渡しながら
ここまできて

撮影中も波を何十回と潜りかわし

残された体力や気力を観察しつつ
撮ってて疲れたら終わりです
ので撮影中は疲れるような体力では
来てはいけません

帰ると決めた戻りも危ない

この海域は人知らないというか
原始的な美しさと容赦ない強さに魅了されます
妙な独特な静けさと
聖域と呼ぶ世界中にある同じ何かががあります

ここだ!これこれ!と一人沖で叫んで喜んでます。

人間の傲慢な態度や、口先の嘘の通用しない本物の地球と天然の海です

そんな場所で
必死に生きようと、また楽しんで潜ってカメラを太陽に向けてきました

泳力と諦めない心

限界は自分が決める
逃げです

生きたいか?
死にたいか?

それだけです

あるのはありのままの宇宙と海風です

オーストラリアのサーフセービングや
アメリカの スイフトウォーターレスキューの
体験も助けてくれていますので

是非体験なさってください

日本はオーストリアやハワイに比べ
海難救助の仕組みが遅れています

ジェットスキーもゴムの船もない状態です

川にはレスキューはいないのが実情
消防を呼ぶと20~30分後に来て実際は
溺者は流れているので

我々が来たときは
遺体捜索だと消防の方が言っていました

水上のネイチャーナビゲーター
代表のオリンピックのカヌーのレスキュー隊長や
消防やレスキュー隊に教えている
タチムラさんに教えてもらえます
3〜4日川で講習し
テストに合格すると資格が取れます

僕が受講した際は
僕以外は川に近い所轄の消防士の方々でした。

川にも国の予算でレスキューを配備できないか?
全国はとても無理でしょうから
選び方も含め難しいでしょうが

高校生で教わるとか
オーストラリアは小学校から
ライフガードの体験やサーフィンの授業もありました

日本は島国、水の国ですが
こうした視野がないのが現実です

古式泳法をプールで体験させる
小学校もありますが
もう1っぽ踏み込み
溺れた際や、川や海のサバイブする心構えを
教えてあげたら子供たちも救えるかもしれません

最終的には個人の判断と
あとは自然界の宇宙の運もあります

僕が死んでないのは
気をつけている以上に、運が強いだけです

パタゴニアの取り組みや講演でも知られてきた
無意味なダムを元に戻す活動や
魚動や

真っ直ぐなコンクリートの護岸は
流しそうめんのごとく流速が早く
這い上がれず、助かる命も助からない

悠久の時間が作り上げた自然の美しい蛇行する川を
ただの排水設備にした日本の政府

生物や循環の環境にも悪で
ビオトープ的な濾過もできない状況は
ドイツに見習うべきです

ゼネコンや政治家が潤うための
3月になると道を掘り返しては埋めるような
予算を使わないといけないとう大人の理由の
無駄な工事や

川のダムの工事や防災という名目の工事の1部を
河川や海のレスキューに回せないものでしょうか?

海や川は恐ろしい場所だと
常日頃、意識すること

上級者になれば無理をしないと
海や川の真髄をしれないので

黙って一人
たくさん泳いで、岩や苔の上で滑ったり
怪我をしながら武者修行をしていくしかありません

修験道と同じですね

古武道に寄り添うのは生き死に

生き死にを感じ
腰や指先の律動の動きが
黄金律でないと、振り遅れたり
投げ遅れたり
やられる

内野の野球の守備のようでもある

体制が崩れても
腰や線がずれていたら
2の矢を出せない

実は陸上の水中

最も近いのは水泳かもしれない

水泳は重力の使い方と応用がいる
地面を蹴る、摩擦や反動を生みにくい

水は陸地や水中の岩のような
密度や硬さがない

近いと言うのは
体の使い方、ため
呼吸など、自分のペースで
水や自分の体の、現時点の接点感を読み取る
ことに終始ついやす

水を味わい
自分を味わい
全身の感覚や毛穴や水分子の動きを読む訓練をする

何気ない風呂でも温泉でもいい
軸を取り入る

そうすれば滑らず
滑ってもリカバリーする
僕もよく温泉や岩場で滑りますが
リカバリーが上手?

水中の手でかいたり
足で押したり
体を左右に回転させたり
する時に生まれる

惰性=船の動き同じ
これは
伸び=ため

体の回転もどこに重心を置いて
その体の外や内の波動を動かしていくか

終始、味わう

人間は風を感じても
風の中を水のように深く感じない

海に比べ情報や読み取れる感覚は微量にすぎないが

水は感じれる

そう思うと羽や全身で風を読む
鳥はすごい

水中で泳ぐカワガラスなど
まさに泳ぎの先生であり仙人

空気の風と水中の風を感じて生きるのだから

日々の暮らし=農業や草むしり、午後は武芸を磨いた
伊賀や甲賀の地侍や忍たち
の生き方は自然に正しくなる

生きることは
心身の腰やよろけない
体の使い方のある

昔の武士や日本人に比べ
体を全っく使わない

海で魚をつかまえて
食べるのと

全く違う

電子レンジなど最悪だ

工程がおかしくなった現代
体も弱る

日々の暮らしに、心や意識を傾けて
動くことが正しい骨格や気流を自然に作り
健康になる

怪我をしにくくなり
人の波動も上がる
手裏剣も上手くなる
刀も刃筋が立つ
美しい連動を垣間見る

薬なんか毒だから
飲まないほうがいい

薬を飲んで胃薬を飲む
腎臓が破壊されていく

水中では
心一つ

波がきたら退くはない

前へ向かい
潜り抜ける

余計なことや頭で考えない

学校というビジネス
の生徒を確保するための広告も
(昔、色々な学校の生徒を獲得するための撮影をしたこともある)

養殖場の勉強なんか
海では何の役に立たない

これを
畳の上の水練という

黙って一人
身の丈を観察し
身の丈と向き合い

山や海へ行く

大事なのは正直さと無心

宇宙の儚さと怖さと美しさに
埋没し誘惑されたら
自然にゴミを一つ拾っている

ある日だけイベント的にする
ビーチクリーンなんか茶番だと笑う

海を見つめ
海を見て
海水をがぶ飲みし
海に浮かび
波を潜る

川はまた別なスキルがいる
動水流という流しそうめんの原理の
一定のスピードの流れがある

ここを勉強したい方は
アメリカの急流レスキューを体験するといい

スイフトウォーターレスキュレーション
僕も以前講習と試験を受け
レスキュー員の資格をとらせていただきました

実際に受けにきているのは消防士の方々

群馬の水上のネイチャーナビゲーターの
友人タチさんは
日本中のレスキュー隊や消防に教える
エキスパートで
オリンピックのカヌーのレスキュー隊の隊長でした

調べてみてください

川の凄さと怖さに加え
子供たちの川の事故を無くしたい
救いたいと胸で感じます

海岸にたてば

全てはそこにある

人間界との境界線
一歩間違えたらあの世のゲート

足すとか
引くとか
ではない

本物がある

そこで肝だめし
が僕の海の旅

いつまでかかるやら
いつ終わるやら

永遠に続く
永久的円運動でしょう

修行者空海さんが体得した
最終的な織に通じるかもしれません

大島 oshima Tokyo
フィジー Fiji
パプア ニューギニア Papua New Ginia

海の道がつながるように
 
誰もいない海岸で海面で、祈るのではなく

漂う水面でここにいることに御礼と
幾ばくか潔め祓う

目には見えない
可視化する必要も

理由も
結果もいらない
競争でも
賞でもない
名誉でも
地位でもない

影とずれないように
生きればいい

海の中では影さえも決している

言葉を超えた動き

宇宙へ海へ
ただそこで
そうするべきだと言う
気持ちだけ

誰のためでも
環境保護なんて茶番な言葉も
ゴミ箱に捨てて

一つだけ
ごみを拾えばいい

自分で胸で決めると
自然にそうなっていく

自然=ジネン


今では日本の海の聖地へ
見た目の美しさと
裏腹に

目を横に向けると
防波堤や、テトラの無残な海岸で泳ぐこともある
海と海岸でゴミを拾い
祝詞を捧げ、祓い清めるお役目もあると感じています

受け身な海岸と海の水

波の中で泳げば

何が正しくて
自分が何をしているのか
胸で腑に落ちない生き方をしないように
するしかなくなるのだが

優先席です
ゴミは持ち帰りましょう

あたり前のことを言わなければいけない
こんなサインばかりの日本の社会が
海岸を埋め立てている事実

小舟で15分位走ると
いつもの島の300mくらい沖のサンゴ礁の浅い場所の反対側に
キングコングライトと呼ぶ波があると聞いた

いつもは波はなく
様々な条件の時に立つ

結果的に僕もこの時だけしか行っていない

もう2度と行かない場所の一つだろう

同時にここは村人から
サメの巣があると聞いた

巣ってなんだ
海底で寝るホワイトチップ?
話ぶりでは、かじるサメのようだから
違うニュアンスだ

前に水深4mde
シルバーチップに囲まれたタヒチは
確かに群れでいて
あの時は危なかった

数日前、たまたま村長の家に連れていかれ
村人の持つカバの束を奉納?し
セブセブという儀式を受けた

木の葉でなんかぶつぶつ
まるで神社のあの白い大麻(おおぬさ)
のように頭の前で降る

「これでお前は
海で無事」

なんの儀式?

仲良しの村人「なんていうかお守りのようなもの」

キリスト?

「いや違う」

マタンガリに近い?(海や月を祈った自然信仰)
これは宗教が散らかす前の
どの国も同じく、宇宙や地球の万物を尊んだ大切な時代の
今では名残り雪

村長

前にな
ヨットでいきなり島に来て
島にも海にも挨拶なく勝手にサーフィンした白人が
足首かじられたぞ

海の神様にな
やっぱりな
うん

怖い!
いるんだあそこにサメ

でもな
ミキーはな大丈夫だぞ

お前はな家族だからな
何度もここにきて村人はあなたを
みんな知っている

カバ(胡椒科の木の根を乾燥させ絞った汁、味は薄い泥水?木の根の味)
少し覚醒する

翌日
ミキ〜いく?ライトへ
仲良しの漁師

双眼鏡で見ても遠すぎて僕にはわからない

僕一人?

そうだよ
ミキーだけ

そりゃそうだよね

俺が沖で待っててあげるから
大丈夫

サメ?いるかな〜

大丈夫さ
セブセブ済みだろ〜


いつもの
適当でおおらかな
フィジアンには笑うしかない

船は波の場所の近くで沖へ退避する

転覆し危いないから
飛び込んで!

じゃブンと入ると、泡が落ち着くと見えるのは
全てが青黒い世界

海底が見えないドロップオフの海は
いつも不気味だ
こんな場所にサメはいる

パチャパチャ泳いでる僕は
ルアーにすぎない

サメは神様だから
泳ぎながら、見えない青黒い下や足元を見て呟いた

徐々になだらかな海底が見えてきた

こうなれば安心だ
サメがいいたら浅瀬からは来ないから
沖を見ていればいい

しかし浅いな〜
波から逃げれるかな?

ふとまた
サメの巣ってなんだろう

メジロやタイガーシャークは泳いでるからな〜

よくないよくない!
忘れよう

浅い岩盤の海底の波の回転エネルギー
のその速さはすごい

水深は岩の上で2mないから(立ち泳ぎの足ひれの先が買い手で擦れている)

岩の深い穴やチャンネルに潜って、波の爆風をかわすしかない
あ〜ウニがいるな穴

沖から妙な1列の山が盛り上がり始め
島の円形の海底にそいラップ(包む)してくる

ドドーン!胸にに響く

泡だらけの海底
体を滑り込ませ
うかないように
岩を足ひれと肘で突っ張る

漫画のようなここいる自分を
水面で大笑いする

こののっぴきならない状況がたまらない

ポツポツ雨が降り
水中から見る水面が美しい

エンジン音がし小船が近づいてきた

どうしたの?

子供たちをさ
無線で
迎えに行って欲しって言われてさ
どうする帰る?

う〜ん
どの位で戻る?

30分

いや
ここにいるよ
必ず来てくれよ

昔のままの大自然の音と景色に独り
独特な怖さと、ここの穢されていない
妙な雰囲の包み込まれるような時間にいる

波を潜って交わすこと60回を超えると
スコールのような
土砂降りだ

おっ!
でかい波がきた!

ぎゅ〜んと音がしそうな水の軋むような回転
全身を抜ける水の壁
ギリギリでかわし反転してシャッターを押したのが
この1枚

し中で回転し反転して
立ち泳ぎのようになりながら
カメラを握る右手を出すと
カメラと体が、水の流体に巻き込まれ
波に持ってかれそうになるのを
今も覚えてる

あと数十センチで回転する波の向こう(空中)に出るギリギリだ

波の速さも然り
落差がすごかった
既に今の波は足元から消え去っている

速い波と神経を使う潜りに
緊張の糸が切れかかる

時計を見ると
あれから既に1時間
船は来る気配がない

フィジータイム!を忘れていた

ダメだかな
危ないな〜
帰りたいな〜

波の距離感がズレて怖くなった
周囲も暗くなり始める

ただ潜って交わすだけの海
もう撮影どころではない

覚悟を決め帰ろうと泳ぐと

全てが水の世界のグレーの景色から
微かなエンジン音が聞こえ

深緑の雨がっぱの漁師の船が現れた

ごめん!ミキー
フィジータイム!

そうだよ遅いよ

フィジータイム!

寒さで震えるからだで船に這い上がり
よかったな〜と
思いふける

島の小屋に戻り、冷たい雨水を浴びた、地に足がつく安心感と贅沢

海はやはり聖域で別世界
恐ろしい紙一重の美しさに酔いしれた

今はもう宿がないから
行かれないフィジーの離島
あの緑の山には妖精がいる

見たことはないが
山の中は妙な霊気を感じる

未体験の時間が流れていくのがこの世だが

死ぬ可能性のある水に包まれた独特な幸せというと
きな臭いが

神経や感覚がどんどん、宇宙に研がれていく感じだ

恐ろしいけれど美しい
ここで挑戦したい

あの波という、水面から数メートルの高さで
動いては迫る壁も
崩れて海に溶け合うと
静で美しい時間に戻る

怖いなんて言っているのは人間様だけで
珊瑚も魚たちも
ごく日常の地球のリズムと平穏に生きている

人間を捨てる

人間界の利己的で思い余った考えや推測は全く意味がない

水中
空の全ての周囲を見渡し

完全なる世界の中に異物として
浮いている自分の滑稽さを笑う

少しでも
この海風の中に生き
全ては循環し傷つけ合わず生きている
自然に造形された悠久の景色に
見も心も溶け合わ

必死に生きようと工夫し
前へ行けば

どんな困難も乗り越えられる

地に足がつかないと
陸上の移動する摩擦や反発力が弱いから
すぐには動きにくい

水をつかんで
水を味方につけ
指さきと胸を入れる

この感覚を積み重ね
つべこべ言わずに水中に潜り、回転し泳ぐ

酸素ボンベも、過剰な道具もない
体一つ、足ひれ二つの感覚で
動いてくる水の風を時には押し
時にはいなし

指さきと掌のひらで水分子を掴むが
次の瞬間には、波は移動し

力がかかるのは足に変わる

薄い波を蹴るととスカッと空振りし前へも行けない

鯉の滝登りもいつかできるかもしれない

必ず動く水の根本を蹴る

早いから目では見えない上
相手は透明は水の雪崩

体が自然に動かないと巻き込まれてしまう

全身の感覚を使い死生観を観る

昔の侍の生き方を、水中で学ぶ

自然に人は正しいことを
しようとしなくとも普通に正しくなる

これが伊賀地侍や忍たちが日々大切に練磨し
気づいていた正心

ゴミを海や山に捨てようなんて思いもしない

優先席に座ろうなんて思わない

自分勝手な人間が、電子レンジやスマフォに依存し

自由と冒険を忘れている

宇宙と海を「なめている」人間様

海で泳げば一瞬で心が自然に戻るのだが

美しさと怖さを知ること
がいかに大切か
 
それは浮世絵を描いた
湖竜斎や北斎や織部や利休の
永久的美意識にもつながる

誰かが作り、指図する宗教ではなく

自然な宇宙の風を知ることが
全てに通ずる

海はいつも待っています

時としては行かないのも勇気と判断
自分の胸の感覚を信じ

海は道場かもしれませんね

題名はないのが写真

よく聞かれるのですが
題名はつけないんですか?

はい
題名はないです
 

後からつけられないです

写した時には、題名なんかないですからね

作品とは

写真はそのままでないと写真ではない

昨今のカメラマンの意図する写真に作りあげる1枚は
グラフィックであり
策品

作品とかくと
作った物を感じる

ましてそこに
撮った時には、無いはずの題名をつけるなんて
馬鹿げた話しだ

僕はこのまま
これからも
波も人も
題名のない
ドキュメンタリーな1枚で行きたい

読む力を育てることが
芸術だと思う

読む力のある1枚は
そこのいて
そこのある角度に風のように
溶け合い入り込み

押してみた1枚
もちろん
ノーファインダー

海風や川風を全身で感じる以上に
胸で感じていたい

頭で考えた1枚はきな臭いから

師匠 柏原
柏原がアシスタントをした戦場カメラマン ユージンスミスへ
ブレずに俺は海の裏街道に独りいますと
笑う

彼らは今はいないが

今も彼らが命をかけ残し、無言で伝える1枚と

そこにわずか数ミリの印画紙に残った風がある

心澄まし
耳すまし
感覚を研ぐこと

己を練磨する
宇宙と呼応するだけ

すると1枚が写るだけ

至ってシンプルな話し

海は怖い
紙一重で
浮世から幽世

決して忌み嫌う世界のイメージではなく
僕にはもうどっちでもいいと

深く考えてもいないが

できるだけ
戻れて、波にやられないように
経験と工夫と予知能力?で未然に
死なない努力を惜しまない

海で死にそうになった経験は1度?いや3度?
1度目は冬のノースショア この時は絶望感で諦めかけた

2度目は翌月 この時はマウイのホーキパの沖へ
あっという間に流され

例の怖い(物質?電気的?信号の束?)がまた胸に集まり
パニックが来たが自分で納めた

3度目はフィジーの沖で独り雨の中
大波に3発巻かれ
空中へ飛んで、暗黒の水中へ
もう肺の空気が、波で押され全部でて

気を失うほど苦しい

四発来たら終わりかもと
思いつつ、パニックにはならず
(パニックになる隙もないほど、苦しいなんもんじゃなかった)

口から水面に出たら四発目はなかった
ゼイゼイしながら、沖へ横へ片手クロールで逃げた!

震えが止まらず

それでも30分ほどまた波を撮り
泳いで20分かけ浅瀬のサンゴのラグーンに帰った

なんの話でしたか

昨日ファイヤーキングカフェで
水中写真やナイトレインボーの写真家 高砂淳二さんに偶然お会いできた

ご挨拶をすると
目の優しい海の男でした

海は怖い

怖いけど美しい
妙な包容力と
溶け合う一体感がたまらない

水になれないが
どうやったら波と溶け合えるのかを
考え、実技で試していた2003年ごろ

大人になり
今では波という、一般的な形がなくても

写るようになった

基本他力本願
でファインダーもみず
感覚で、水中で回転したり、荒れ狂う水面をすり抜けながら
カメラのレンズを向けてパチリ

いい加減なものです

言い方を変えれば
迷いなく斬る感じに似てます

海はそもそも危ない怖い場所です
母なる海なんて言いますが

どんな母やら

恐ろしいです

やるしかない
泳ぎ、潜るのをやめたら死ぬだけ

単純明快
いつも死に際にいる心地よさ

そこで写る景色は感慨深い

2度とない時間を人は生きていることを
おざなりにする現代

矢でも鉄砲でも来い!

でいきましょ

海に比べたら
地に足が付く人間界など

なんとかなるものです

大きな天然の鯛を5日前に炊いたが
イトヨリを先に食べ

忙しく食べれず
冷蔵庫に入れたり炊いたり

ようやく神棚にお供えし
食べたら

やっぱり濃かった

魚を食べると
海でうまく泳げます

人は器

なんだか打ち寄せる波で
戻れるか?心配だった
磯から戻る決意をした

怖いなここ

何か聖域だが
堤防が悲しい
海がないている

45分くらい泳いでいたが

波もなくなり

体は冷え
波がかき混ざる海面で少しよった

水を浴び
冷えた体で車を元きた森の道を
走らせると、カーブの隙間に軽トラのよこに

年季が育てた海の男がいた
車の窓から
おはようございます

と話しかけると
天草にきた
と北島三郎のようなおじいさんだった

車から降り1枚
その顔のシワの海のオヤジを撮りたかったが

疲れたからそのまま宿へ走らせるが

でも気になり
カメラケースとレンズを入れ替え
また海の親父のいた場所に行くが
もちろんもういなかった

海に目を凝らすと
ブイがあり
その横で潜る黒い人がいた

急いで岩場を歩くとそこは
丸い大きな石の浜で
大潮で引いた海は浅く
ひたすら両方の素手で岩の天草を
むしり、網に入れていた

水中で目が合うと
うなずき

水面に顔を出すと
立ち泳ぎで

シュノーケルを外してくれ
話し始めた

さっきはどうも

おっ!

明け方、誰か向こうにいたな
 
あれ
俺です
写真撮ってました

慣れてるんだな

また潜り
ひたすらむしる

邪魔しないように潜って写す

なんかレンズが寒さで曇ってきた

急いで浜に戻り
また蓋を開け湿気を取りまた海へ

波が結構きて危ないな

親父さん
帽子いるな

(寒いから心配してくれ、ヘッドキャップのことを言う)
はい
冷たくて驚きました

まだあったけーよ
俺なんかグローブしないよ今日は

おいくつですか?
すごいですね

60歳?

ありがと
80だね

80?!
思わず水を飲んだ

背中には海の石を
鉛のオモリのベルトの
他に背負っている

長い経験の浮力のいいバランスなんだろうな

ゴムバンドで腰に巻いている

すごいな

ウェットもぶかぶか
袖が長いじゃん

また浮いてきた

俺ね潜り55年!
フーテンの寅次郎

島に来たのはかみさんが島だから

そうなんですか〜

元は亀有

あの下町の?

そうだ〜

(寅さんは柴又帝釈天で、亀有は亀有天満宮と葛餅の船橋屋じゃないか)

また曇った!

ちょっと待っててください

だめだ!
また宿に戻りカメラを元のケースに戻しセットしにかえる

いるかな?

いた!

笑顔のオヤジさん

お名前は
ヤマグチ〜

さしきじ〜

ししじ?

さしじき〜

さしじき?

さしきじ〜

水中眼鏡で鼻が隠れ
声がこもり
お互い笑う

また来ますね〜

流石に冷えた
疲れた

お互い海を理解している同士の阿吽の空気

帰りがやられるな

あぶいないら

あれで怪我するな

と海岸にうち寄せる波を見る

ほんとですね

気をつけてくださいね

名残惜しい海の人

人は器

笑顔と命がけで
海と生きてきた男の大きさ
を知る

暗い誰もいない、昔のままの海岸には
風音と波音

風も波も同じもの
目には見えない波動

人なんかちっぽけだ

オゾンに満ちた朝の冷えた砂や海
山を風が撫でながら
 
美しい自然いや
宇宙美に

何億年もかけて作り上げた世界にポツンとあるのは

異物だな


笑った

海岸のゴミを見ると
うんざりする

ビーチクリーンなんてレベルではない
結果的に漁師の廃棄した、網やブイや発泡スチロール
ペットボトルはもはや地球の海には必ずセット

子供の頃の海岸は
ここまで汚れていなかった

壊したら2度と元に戻らない景色を
安易に壊す人間

60年後この写真の景色や海も
もうなくなり

今、僕たちが明治時代から昭和の初めの
大島の写真を見て驚くのと同じようになるのだろう

鎌倉の海へいくが
波が全くなく家へ

ふらりと現れる
武道の師匠と会う

武士道とは?

お前が普段書いたり
言ってることは武士道と同じだな

海の中の古武道は心の行
体術的、繰り出す言葉を超えた技
 
胸心=芯=素直=無

潔め祓うのは経験を重ねた後の行為
まづは雨に打たれる

今から500年前にいた侍や忍
比叡山や根来にいて信長に殺戮された
僧兵は、仏教の干渉と影響と、宗派の違いの悩みや、様々
な土台にまた考え方も違ったのだろうか?

煩悩は捨てられないと言うのも言葉上の事実だが

煩悩という言葉=物が添加物となっているだけで

そんな言葉は知らない方がいい
捨ててしまえ

自分がどうあるか
この宇宙の風のリズムに呼応し溶け合い
野生化し則していく
(即すというと仏教臭いが)

要は太陽や月の満ち欠け
陰陽に合わせ

どうす事もできない
あらがえない摂理と真理に寄生するのが人間界

いかした植物や鉢で部屋を飾り
雨、風や寒さ、暑さを、最高級の素材の家や電気製品で避け
ドアを閉めて鍵かけて
風呂をボタン一つでわかし
テレビやパソコンや携帯の充電を気にする暮らし
 
ありのままの強い宇宙から避けながら暮らさねば
死んでしまうのだが

随分と侍がいた時代に比べ
過剰に便利に、ひ弱になり

枯葉剤の殺虫剤で家の中の虫を殺し
電子レンジでチンしたカスを食う
余計なズレた不自然な行いも感覚を遠ざけてきた

ビルの隙間で
星も太陽も月も雲も見ず
虫音や風のメッセージを聞けなくなって退化する

当然宇宙や自然感覚はよわり
精神的にも電磁波やら余分なメディアやテレビのジャンクで乱れ
判断力が迷走

情報や物がありすぎると良くありません

1本の刀と
手裏剣で戦った彼ら

伊賀忍が言っていた

必死即生

死ぬ気でかかれば
必ず帰って生き残る

元々道教や大陸から来た彼らは
旅の転生の中で様々な宗教や神事を、体術と心で
練り上げ錬磨してきた

要は
いろいろな道具があると
道具にたより
迷い、遅れたり
技が出ずやられる
一つに集中するために

短い刀はあえて目抜きを抜くとか
鞘だけとか、持たないと伝わる

もしかしたら道具との連節的、霊的な集中力的、霊験的繋がりも
弱まるかもしれない

変な言い方だが
物波100年経つと九十九神が宿るというが
そんなに経たなくとも、特に手製のものは何かがある
相性もあるようだが

自分にあった刀と出会うのは
不可解な人生の旅

霊験はある

霊と書くと気持ち悪いが
霊魂の霊ではなく広い視野での例え
超越した 目には見えず

一朝一夕では身につかない
呼べないフォース

足跡ではなく
影を消すとか
影をずらして動くとか

海の中で太陽光を浴びて
自分を消さないと写真に
水分子のつぶや面に自分が反射して写りこんでしまうから
消すとか?

いちいち拾い始めたら
不思議な事もある
 
これを験力とも人間界では言う

大切なのは一人で修行する事
旅する事

誰見いない恐るべし力の中に身を置く
そこで自分の心の波と不安や、ネガティブな思いや
現実的な宇宙の波の力を、うまくすり抜け、また自心を乗りこえる

うまく言えないが

海は生きていて
我々をレントゲンやイルカの頭のメロンからる
周波数の反響のような何かでじっと見て聞いている

朝日を浴び
雨を浴び
宇宙のせつりにそい
自分を大切にし
弱いものを助け

誰も見ていない海や川にゴミを捨てず

正しい暮らしを自演すれば
の自ずと正心がついてくる

頭は捨てて
胸で話す事
動く事

他人は他人

耳すませ
心澄まして
生き死にを感じながら武勇を磨き

地球を自然に慈し無のが武士道だと思う

フィジー の大波の中で
蒼い写真が写っていたのは、振り返れば23年前

やがて、海というのが
別なものというか
場所ではなく

生きた聖域だと感じ得ずに
いられない出来事がたくさんあった

出来事とは目の前の現象だが
 
出来事がなくとも、そう感じれる自分がいた

アニミズムという自然信仰
の前の時間が

海にもあり

水、風、光、月、太陽、川、岩

そのすべての記憶と時間が
波であると思う

波は固有の一つの形をした物ではなく

エネルギー体
波動であり風

空気の風ではなく
水の風である

宇宙の感覚を使う=呼び戻す=自然に海の生物や海の循環を大切に思えることになる

人間界と宇宙の干渉行為の一つがこの水の風の裏側の記録である

独り
誰にも見られるず
海を神社のような聖域と感じ
お辞儀をして、言葉をかけ、言葉に心をそえ、お伝えする

日本の祝詞でもいい、ハワイの祝詞エホマイでもいい
わからなければ、お願いしますでいい

胸の無心に浮かび上がる思いを伝える

行くと決めたら行く
もちろん
怪我を避け
戻る努力を惜しまず

妙に胸が怖わくなったら
海岸へ戻る

結果や理屈や頭で生きている養殖池の学校の
(でも学校は「きっかけ」やガイドの先生の教えが必要だから、しばらくは我慢する場かな
僕も水泳の訓練はいい先生と塩素と魚のいないが、波のないつらいプールでした)

でも競争するテストではない
順位でもない
名誉でも
地位でもない
負けでも、勝ちでもない

全てを透明にして海へ入る

ファインダーは見ないで押す

写る時は見なくたって写る

目に頼ったら
人間様の恣意を海に押し付けるわけだ

昨今のカメラマンはファインダーを見すぎる
見れば見るほど、その輝く瞬間は
砂に吸い込まれる海のように消えていく

考える以上の
時間と風が夢中で飛び出せば
そこかしこに暖かく待っている

諦めずに
心折れないよう自分で自分を押して
ゆっくり、慌てず
脈々と泳ぎ潜る

やがて術が身についてくる

行かねば0
行けば0でもその意味が違う

どんな世界も刀のように鍛錬するしかない

自由自在に海の風のように

自分と自然界
自分自身の間合いを知るように

 

風がくれた命

海の中にも山がある

水面から見上げるほど
天にそびえる緑の山は海の中の海藻の生えた山とつながっている

陸地の山を包むのは空気
海の山を包むのは水
所詮同じH2oの粒子の大きさと水素結合の数の違い

霧も海
雨も海

それらに息吹を与えているのは風

海の中にも波動があり
風がある
 
陸地は空気の風

水中は水の風

水の風と回転する生きたエナジー
トーラスによってリンゴも海も全ては円の動き
アジアのタオも同じく

古武道 まろばしの術

30年前独りあてもなくいった
オーストラリアの海沿いの町

ふとした奇跡的偶然で
プール付きの家が見つかり
その一部屋をお借りできた

そんな家の本棚には精神世界の本、宇宙人のチャネリング記録
ネイティブアメリカン北山耕平さんの、ネティブアメリカンの教えという
僕にとって、知っていたのに隠されていた、記憶がこれこれ!
そう、そうと胸に落ちる言葉の数々

北山さんの旅をした勇気と様々な長老たちの出会いが詰まった
本当に大切な1冊

ネイティブアメリカン
のナバホの古い祈りの歌にこうあった

その人たちに命を与えてくれたのは風
今、私たちの口をついて出てくるのも風

風がくれた命

私たちが生かされているのは風
風が止むとき私たちは死ぬ
今でも私たちの指の下に風の道が見える

あの日から30年たち
その本当の意味が海の風の中を23年間じて
胸の奥で分かった気がした

旅は続く
誘うのは風です

大島

やや

写り始めたぞ

世界中あてもなく
泳いで23年

早いなー

呼ばれるように
行くわけですが

水中の地形や波の中の
感じのガイドブックはないから

ひたすら旅して
海岸を探す

気というか
雰囲気かな

人がなるべくいない
昔のままの海

テトラや様々人工物が
無い海を探していたが

最近は
そんな事より
大切な芯を観る

昔は皆
どこも、ありのままの
自然の海岸だったが

毎月のように
海岸は破壊され
埋め立てられ

テトラポットや
四角いコンクリートの埋め立てにつかう
箱、ケーソン


国や県の税金やらから

危ないから
必要と判を押され
毎年認められ

政治家にあとから
献金という
ロンダリングを通じ渡される

政治家や町の有力な土木屋
を潤す大切なアイテム

最悪です。

使ってもいいから
破壊を最低限で済ませる

自然を生かした
使い方をしたらよいのに

土木工事やは
そんな手間やノウハウもなく
工期を短く

新しいことをいやがる
島の古い政治と同じく

自然を
大事に思えないかな

やがて
海からこの景色は
絶滅する日も遠くはないだろう

冷水に酔う

水中は大きな石が点在し
波がきたら、かわす場所を常に意識する

浅いな
波にのまれて
海岸方向に
石がないか
常に見ながら
位置を変えていく

堤防にあたり戻るバックウォッシュの不自然な波と
沖からきた波がぶつかり合う

波が崩れた後に沖の波がないことを確認し
一気に泳がねば

波に叩きつけられる

思った以上に海水は冷たいな

たまたま持ってた、右手だけの手袋で
岩で手を切らずにすんだ


寒くて震える海
外洋に面した大島は水が冷たい
昨夜の風で冷やされたせいもあるだろう

緑の切り立つ山の
タヒチのような、昔のままの景色の中

不思議な気がここにはある

堤防がとにかく残念だが。

四方八方から海面が暴れ常に緊張する

冷水に酔った

梅雨の隙間で撮らせていただいた。

人間が安易に防波堤にするのもではない
岩場の貝や蟹も生きたまま埋めてしまう人間

防波堤のまっつぐな硬い表面は
海の水を跳ね返し、海におかしな海流を生む

自然の入り組んだ岩ばなら
その波動は自然にかえるのだが

その波の自然な一件関係ないように思える
岩場や海岸には必要なエナジー
波動が循環する

人工的な違和感ある景色になる前からの海を知っている
とこの1枚を見ると感じます

海は生きていて我々を見ている

しかし受け身になっているので
行政や政治家や海洋土木やら
安全といシールで日本中の美しい海岸線が破壊され消えている

観光とはその国のその風土と自然が有給の時間作り上げた
美を愛しみ、守こと

日本も意識が変わって欲しい

美しい景色にすれば
見にくる人も増えるだろう

宇宙の箱庭じゃないんだから

泳いで大丈夫か?

波はなく
こんな岩場で泳いで大丈夫か?
不安になり(常に誰も泳いでない海は不安です)
やめようか
入ろうか?

危ないな〜
危ない!

いやいや
行くだろ!
せっかくきたから

いつものように
独り事をぶつぶつ
観察

しばらく、じっと観察してました

朝3時に起きれた

体操をし
カメラをセットし
入る場所
戻る場所と波のタイミング

戻れない場合
遠回りしても最短で戻る場所や海岸を観察

そうこうしているうちに太陽が本当きそうです

どーん!と
岸壁に打ち付ける波!
をみたらドン引き

笑うしかない

行くしかない

キリスト排除運動1612

徳川家康の命令で
キリシタンのオタイエさん

大島〜新島〜神津島へ流刑されその生涯を閉じた

小西行長野の元で暮らした少女は
やがて家康に強制的に侍女から
かこわれそうになり
一切拒否した

一説には朝鮮から朝鮮出兵時に拉致され

そういえば
家康に家族もろとも
切腹をしいられた
古田織部の弟子高虎の戦利品(勝てばなんでもありは大東亜戦争と同じ)
略奪したであろう達磨が京都興聖寺にあります

達磨は
臨済さんの臨済宗
あの白隠も富士山の噴火を見て人生に何かを感じ
西行のように、漂泊の旅へ出たわけで

白隠の書が骨董で多いのは
当時相当数、書いたのと
売れるので贋作屋が偽物を描いたと
骨董屋さんに聞きました

行長が関ヶ原で敗れ
切腹を拒み、京都を市中引き回しされ
六条河原で、石田三成と共に斬首
晒し首に

恐るべし日本人

家康に拉致され侍女とは名ばかりの愛人にさせられ
デウス(絶対神)のキリシタン信仰を捨てない為
家康が怒り流刑にされた

1612年にキリスト排除の禁教令が作られ
多くのキリスト教信者が殺された

彼女も拉致された上に今度は流刑に

ここに十字架があるのは
キリスト教の信者が、大島町とどうにかして
色々して昭和34年に建てたそうです

昨年亡くなった園芸園を経営され数々の骨董や様々集め
一時は建物内で開放し
波浮の港を愛する会のメンバー金子勇さんが

オタイエさんが、風の吹き荒ぶ
霊的聖地のこの場の雰囲気と
イメージで
この場所に何かあったらいいのではと
考えたようです

オタイネの碑は金子さんが自費で作られ
人々に後世、織部家族を切腹に追いやり
服部半蔵に自分の息子を切腹させ介錯させようとし
拒まれ
半蔵は仏門に入り、四谷の(浄土宗)西念寺にお二人のお墓があります

権力を我が物顔にしたスターリンやプーチンのような
家康の愚行と小西さんやオタイエさんの生き様が
のこり伝える、ご供養になられているでしょう

今でも大島には一つだけ教会があり
キリシタンの人が数十名おられるようです

この場所自体とおたあジュリアさんは
関係あるのか?ないのかはわかりませんが
約1ヶ月滞在したようですが
詳細はわかりません

海で泳げたのかな?
くさやは食べたかな?
かわいそうです。

海岸から急な山が聳え立つ景色は
まるでタヒチのモーレア島のようです

この海と山は全てを見て聞いています

今大島町長は新しい町長さんになりました。
筆しまの海岸のゴミをなんとかして欲しいと
直接お会いしお話ししてきました

漁網や発泡の網の目印、ウキや様々
とペットボトルの山!
拾いきれません!

由比ヶ浜
海へ行くと海水をがぶ飲みする

昔と違い
いろんな、化学の毒もマイクロプラスチックも
水素の隙間に入っているのでしょう

そもそも食べるために買う食品が
あらゆる、添加物や農薬やら体には確実に悪いですね

コーヒーではなくお茶を飲んで
忍者や侍の食生活がいいんですね本当は

海を大切にとは
海岸線も川も、鮎やうなぎのようにさかのぼれば、山の木々も滝も
大切にしないといけません

人間が自ら生きられない世界に汚染し
加速しているのが今の地球なのが
現実ですが

海へ行き
恐怖や美しさを知ること
限度のない無限な美と怖さに胸で感じること

鎌倉

鎌倉今日は波は大きかった
サーフィンし
その後40分ほど流されながら泳いだ

雨まじりのグリーンの海
冷えました。

織部さん

今日は古田織部さんと長男重嗣さんのご命日
徳川に疎まれ嫌疑の末
 
師匠利休と同じく切腹

仲の良かった木村宗喜他連歌師 如玄他20数名
も京都に火を放ち三重安を暗殺するという
嫌疑で京都の市中引き廻しの後、磔にされ槍で刺され殺された

次男三男は江戸で差し違え切腹
五男重久は大阪城の戦いで討死

4男重行 は興寺の住職に息子たちを頼み
お墓の前で切腹された享年27歳

残されたお母さん仙さんは仏門に入り

得度を受けていた織部さんを
大徳寺の塔頭の一つに重然さんと長男の亡骸を運んだといい
明智光秀の隣のお墓に位牌をまいたとも

言われるが詳らかではない

これは和尚さんよりお聞きしましたが

織部が60歳の時に天海と作った水脈の霊地
興聖寺に眠られています(一般公開はしていません)

宇宙は海

宇宙は海
海に宇宙からのガンマ線やら光線やら
様々の可視光線が届き
地球の海が生かされている

海へは独り
海の中も独り

ひとけの気配のない海は
静でかで清らか
正しい古来からの音しかしない
海の水と水がぶつかる音
波と波の水素が軋む音
水素結合の引き潮と波の動きに包まれ
回転するエナジーに包まれる
まるで滝行のような波に垂直に向かい
全身を水の風が包みながら足の方へ抜けていく感覚

携帯やばかな電気製品に支配され
靴を履いた都会の雑踏では忘れていた大切なこと

青白い明け方や
夕暮れ

夕暮れは怖い
夜の闇を計算して戻らねば
風も強くなり、潮も速くなる時もある
特にか海外は怖い

珊瑚や岩場でへ登る位置や帰る水路が見えなくなる
海底の岩や珊瑚に当たらないように帰る
ニューギニアでで一度変えれなくなり
遠回りして帰る

判断は瞬時に1度だけ

人間の感覚や5感(言葉で5感というのは、そういった目には見えない霊性の感覚をさす場合もある)
を超えた?いや人にはそもそも無限な感覚26?100感? があると信ずる

陰陽師や様々な祈りての修行と持って生まれた感で、その新しい不思議な技ができるようになる。

海でも少しそんな力を使っているのかもしれない

仏が来る大昔からあった国土(ありのままの自演ではない自然)

仏がいなくてもあの世にも行けますし、何も怖いことはありません
だってそもそも亡くなった人は家族なんですから
そんな遠いところへ、送りつけないで
たまには来て話をし、孫や日々の様々をゆっくり酒を置いて話したいものです

どうも仏を悪用する坊様が増えましたね。
戒名や墓代の巧妙な請求や
他の線香は匂いがうつる?とか

いい加減にして欲しいですね

宇宙の海に漂うのが地球という島
島は人間様の破壊と戦争や放射能やらの身勝手で
他の星の人々がきっと起こっていますね

江戸時代はネオンもない月明かりを基準にした旧暦に
12支当てた、自然界と共に移ろう時代
例えば2時間ほどが巳の刻になるから
待ち合わせも大体2時間の間で決めたのかな

巳の刻半とかいう場合もありますが

携帯もポケベルも時計がない為

今の人より目や頭はよかったのでしょう
電気がないから
暗くなれば寝る
宇宙のリズムに則した時間

美しい江戸の街並みと
様々な神話や説話の受け継がれ生きていた時間
月や星の輝く夜空で
不可思議な美しい浮世絵が生まれたのですね

鍋のマイヤーとヒデさん

アメリカのフライパンや鍋のブランドMayer
イタリアの工場でチタンで作られたパンを

ヒデさんにプレゼントする社長のジェイソン

ジェイソンはオージーで心優しいナイスガイ
20年くら前に何かの撮影出会い
サーフィンへ行き
やがて12年ほど音信不通に

数年前ファイヤーキングの個展の際
偶然店内にいた外人

目が合うと
あれ!

この写真ミキの?
ジェイソンか?

やっぱり!

買いますよ!
すごいよね〜

そしてマイヤーの会社にも写真を飾ってくれた

影ながらマイヤーのお力に
メルボルンからは親戚のべん
日本が好きで今は時計の販売や
海外のセレブな旅行の企画をしている

20年前ジェイソンに会い
4年前ミラノの店でヒデさんに会い
店で重なる不思議

ミラノではインテル(サッカーの会長や選手)フェラーリのパーティーも任される
日本には存在しなかったイタリアンです

ぜひ
レ アピ オステリア

ご予算は飲み物入れ15,000~25,000円位です

手の届かない海

永遠に手のどどかないのが宇宙と海の美しさ
山の頂上を征服するように
なんでも手に入れようなんて馬鹿な話さ人間様よ

ミッドウェー

旅は一人
怖いものなんかない

雨の太平洋の端っこの離島
遥沖で一人、この世の浮世の雑音を笑う

やるしかない!
泳ぐしかない
潜るしかない

ただ息を吸うだけ

生きたいか
死んでもいいのか?

二つに一つ

片手にカメラを握り写真を撮る

そこでさらに余計なことをする

全ては自殺行為
漫画のような自分を大笑い

6/5〜8日(現地時間)は国難と大本営と日本政府に謀られ飲み込まれ
ミッドウェー海戦で亡くなった若者たちの命日

アホウドリがすむ美しい海は
金目鯛が獲れるから冷凍にし販売する商社

そんな場所で
空母飛龍に解釈の魚雷を放ったのは
ファイヤーキングカフェのオーナー阿部さんのおじいさん
後の空母信濃艦長 阿部俊雄さん
俊雄さんも48歳で呉に人間特攻機桜花などを運搬中
護衛の2隻だけの航海で、予想通り撃沈され熊野灘付近で自決された

戦争の愚かさ
殺しあう武器を作り金を設け
地球を戦場に痛め続け
ゴミだらけにする人間

鎌倉時代の武士の武器は弓矢や刀だが
今や電気製品

兵士の背後には家族がいる
どんなに涙が流れても
わからない人間

宇宙の海に漂う島が地球
地球は人間様だけのものではないのだが

取り返しがつかない現状
海岸はコンクリートで垂直になり
海岸が消えていく日本

珊瑚や水が全てを見て知っている

靖国の英霊を弔うことも
アメリカのアーリントン墓地と同じこと
幾重にも血が流れた地球

彼らが今の世界に思う感じることな何か?

2日前
ゾーリをサーフショップに
店が閉まり
裸足で帰る
流石にオーストラリアじゃないから
お店に入れず
腹減ったな〜

帰ります

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