箕輪城 群馬

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すみませんでした。

個展の準備や
武術の稽古と古武道の流派の創始者のゆかりある
箕輪城に鎮魂の祈りに行きました

長野尚業さんは1512年に築城した山城
上杉家の再興を願い

1555年には武田信玄の攻撃を幾度も耐え抜き
1566年9/29 息子業盛さんが(偶然風武流土居清師匠の誕生日)
一族と共に自刃した

自刃されたのは本丸の隣の持佛堂らしく
その地には供養塔や古い石塔と井戸がある

昭和2年に偶然見つかった井戸から長野家の墓石が出てきたというから
征服後の武田、北条の誰がか
酷い物で井戸の投げ込んだものか

この長野家に使えたのが, 新陰流の祖 上泉伊勢守 
その師匠は室町時代の愛洲移香斎
伊賀にもいた足跡があり

宮崎の鵜戸神宮の岩屋に籠り
験力を得たとも神職だったとも

鵜戸神宮はウガヤフキアエズ(山幸彦と海の神豊玉姫の子供)をまつり
海の洞窟には不動明王が祀られている
僕はお参りの際は青島神社(塩土老翁、山幸彦、海の神 綿津見神、豊玉姫、瓊瓊杵尊、富士山の木花咲耶姫、磐長姫)
から南下し、青島神社〜海宮神社〜潮嶽神社〜最後は彦山高住神社へ

群馬の緩やかな丘陵地隊のお城の城主で、その山をさらに登ると
榛名神社や榛名湖へ行きつきます

一族郎党
武田信玄軍と幾度も戦い全滅

日本人の尊い生き方です

辞世の句
春風に梅も桜も散り果てて
名のみぞ残る箕輪の山里

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