友へ

風がビュービューふく
防風林の細い路地を海の女と歩いていた

初めてなのに
懐かしい知っている道

でも
なんだか寂しいのは
毎日ここを歩いていた主をなくした道
だからか

その場には何か気のような
なんというか
目には見えない残像と雰囲気が残るのだろうか?

毎日ここを歩き
漁に出たのかと思うと
少しでもその足跡を感じたかった

一通の葉書がここに呼んだ

今から35~36年前
魚のアルバイトさきで
後から入ってきた、田舎の元不良な雰囲気の
長身の笑顔の2歳年上の木曽さん

その日から仲良くなり

海に素潜りに行き
貝やウニを焼いて食べた

5年前
当時の名刺を手がかりに
お父さんが開いていると聞いた
海産物屋さんに島屋へいった

お店は開いていた
30年間あってませんが
東京の友人です
というと
お母さんが干物を焼いてくれた

やがて漁から戻った
30年ぶりに会う友は
潮で焼けて、シワも増えたが
笑顔の人なっこい目玉は変わらなかった

目が語る

でもそれから
思い出してはいたのに行かなかった。

後悔はしないように
と言いながら

こればかりは
後悔先にただず

店の雨戸は閉まっていた
向かいの磯料理のおばちゃんに
聞くと奥さんに電話してくれ
すぐに、日に焼けた海の女がきてくれた

キョウバシさん
わざわざ・・・・

道を歩きながら
ポツリポツリ
この辺じゃ潜りでは1番と言われてね

6月に食彩の王国に出演したのに
進行性の病魔が既に体を蝕んでいた

あんなに元気な海の男も、
あっという間に戻れなかった

最後は家がいいと
言ったそうだ

エビ網や漁具の先の
代々のご先祖の写真と空海さんの仏壇と
氏神様を祀る神棚に囲まれ
石垣鯛を持つ写真が笑っていた

人の命は
草木や珊瑚より儚い

会いたい人には
日常で忘れがちな思い出を紡ぎに

なりふりかまわず会いに行かないと

あの時期てくださってから
主人はよくキョウバシが来てくれたんだ〜
って
喜んで話していました

ここは千葉の最南端白浜
今では高速道路もでき2時間もあれば来れるのに

申し訳ないね
木曽さん

ごめんね
と仏壇で涙した

同じくそれぞれに道で
海の男になっていたアマ(海士)と海伏

飾らず笑い
東京には興味が消えた
海で働き命をもらい
厳しい荒磯で生きていた海の男

どうぞ
皆さんも、おじいさんやおばあさん
大切な友達に一言

会いにいくねと

時間はあるようでなく
長く生きようとも
それがとえ、人間の時間で短くとも
どう生きて、光陰を引いたかに
その人の生き様が続くのですね

新しい付き合いが始まりました
息子さんが昨年からその海の道を
歩き泳ぎ始めたばかり
とお聞きしました

何かできることがあれば
共に。

帰り道は一人
友達の子供の頃から変わらない景色と潮の香り
と、足跡が染み込んだ道を歩いた

港に着くと
不意に1羽のトンビが現れ
風に乗りすぐ近くの低空を舞い始めた

ありがとう

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