思い出

鎌倉の波は意外にも小さく
海へ行かず

木曜日の夕方が大きな波だったようで
波は瞬時に姿を変えた生き物

ふと
宇宙を見上げた

一呼吸
落ち着いて
足を止め
手を休め

今までの感覚をずらす

都会のビルの隙間から見る宇宙も
昔とはずいぶん狭くなった訳だ

太陽も夕焼けも海も
変わらず数十億年

人間模様を見てきた

太陽や波に意識や意志、心が
あってもおかしくない

雲水のようにじっと日々を
淡々と刻んでいる

昨今のアメリカからカーブで入り込んだ
インド発祥?のヨガの軽さ

日本で何億人もの人が、人から人
師から弟子へ
心でわたしてきた時間はきっと昔と
何も変わってないのだろう

これこそが文化遺産
臨済宗、曹洞宗と若干の先生の言い回しが
違うにしても
根幹は不立文字

「文字では言い表せない」
言う必要もない

ごちゃごちゃ
うるせー!

と言う訳です

日々重ねていく
無欲で余計なことは考えず
期待も不安も捨てて
何もない空間に漂う

坐禅する方々には敬服する
座ることすら本当に辛い

6歳位の頃
北鎌倉の円覚寺の横に、ひいおい爺さんの家があり
円覚寺を横から入り、犬とおじさんと散歩していた
歴史も何も知らないまま
何だか好きだったと言うか
行きたくなる場だった

ずっと後に
北条が元寇の戦いで亡くなった
防人や敵を供養するために建てた
鎮魂の場だと知る

手を合わせたのはずっと後

禅は
古武術
波の裏を泳ぐこと
に似ている

全て自力で切り抜け
体から動き
夢中になること

刻々と移ろう国土
こんな景色を
昔の人々はどう見ていたのだろう

ローソクや行灯や提灯に火をつけ
夏のひぐらしや、カジカガエルの声を
聞いていたのだろう

今とは違い
国土がまだ生き生きし
人よりその闇の深さも濃かった時間

人々の心も自然に情緒に心を振動させらてた
また、そうした感覚が今の僕たちより、強かったのだろう

同じ景色

変わって観ていた訳だ

そんなに遠いところでも
難しいことでもない

きっとそれぞれに
少し振り返ると

気づくことがたくさんある

それが国土を大切にし
先祖を敬い
他人を思いやることに

自然になるのでしょう

海はいつも待っています

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