ここで撮影した1枚
こんな荒れた状態では海に入れません
出ても戻れません
船が岸に接岸できないように
岩に叩きつけられてしまいます

海に出る前には
陸地とおさらばする場所
海から上がる場所
をまづ確認します

それでも帰れない場合は
どこから上がるのか?

もし天気や風の変化潮の満ち引きで
水深が浅くなったり、深くなったり
想像と経験を巡らせます

あとは考えすぎず
迷いなく楽しむ

覚悟なんて言葉は
ずっと跡でそうだったな
と思う程度です

夢中になるが
夢中になりながら冷静な感覚も
所々に釘を刺して、付箋を貼るよいに忘れずに
ここは異国の地

いつかは見切りをつけて
帰らないと死んでしまうと

僕の写真の師匠は柏原誠
コッポラににた独特な雰囲気のある芸術家で
大胆で豪快ながら、周囲や人を思いやる繊細さを知る暖かで
明朗快活なおやじでした

やっぱり海にいけお前さんは
とある日言われたのは2000年頃

そんなオヤジが親父と呼ぶのは、大東亜戦争のミクロネシアや沖縄を駆け巡り
記録を残し、水俣を撮ったユージンスミス

ユージンスミスが日本に来た際の
プリントや助手を引き受けていたと聞いた

いいオヤジだった〜な〜
とよく話していたのを覚えている

ユージンは写真はドキュメンタリーでなくてはと
当時マグナマウフォトの、伊江島で戦死したアニーパイル、同時期にヨーロッパ戦線にいたキャパ
と同じ、フィルムカメラで戦場やそこにいた、日本の島人を写していた

しかし、戦時下の軍の厳しい検閲と、戦意を失うような暖かな子供達の写真や、アメリカ兵の写真は
全て没収され、こんな写真を撮るならば太平洋から追放すると
言われたと
自分の子供と同じ子供たちが戦争でこんなひどい思いをすることに衝撃を受け
戦争屋どもくだばれ!と矛盾と葛藤に包まれていた

写真はその99%が軍により捨てられらたと言い
その後サイパンで砲弾を受け重傷を負い

写真を撮れなくなるも
セントラルパークで自分の子供たちを
写した写真を機に復帰をし
人物を撮っていく

そして彼の行き着いたのは当時
九州有明の、水俣の飼料会社チッソの水銀の垂れ流しによる
汚染と人的被害

当時チッソはしらを切り
ゴマカシ続けたが
ユージンが邪魔なため、千葉のチッソで
反対住民もろとも、暴行を受けた

日本人さえ普通は目を背ける部分に溶け込み
本来彼が撮りたかった、ドキュメンタリーに戻るわけだ

写真は一瞬を止める
不思議な術で

記憶に残るが
記憶はそれぞれの、残像であり誤差や曖昧さが生じるが

写真は嘘をつけず
その1瞬を焼き付け、残る時の証人である

その1枚に入り込む、生きた何かや
人物ならその人の背景や生き様
まで残せるかが、写真家であり
いい写真だと思う

波と人
実は同じ波動だと最近気づきました
波も人もうんと近づく前に
近づいてあって押す場所まで
体を持っていき押す!

波も人も少し先を予見して
ファインダーは見ないで押す

モデルさんはいい
うまいからカメラを向けても
自然に撮れる

しかし
普通の人はカメラを向けると身構えてしまう

波も同じく、見て写したことはないが
見て写したら、撮影者の意図や念が海の何かを汚染してしまう

大海原の中に一人
海の神様や魚たちの幸せな住まいに
お邪魔するのだから

すみませ〜ん
すみませ〜ん
入ります
撮らせてください
帰ります
またきます
ありがとうございます

なのです

柏原誠
ユージンが心と体を張った1枚の
先に多くの教えと勇気を分けてもらえた
僕がいたことは、彼らも予想外であり

よくやった!と
あの世から彼らの意思と気概を受け継いで行けたらと幸甚です

先のことなど
考える暇があれば泳げ!

どうでもいい先のことは

今と言う1枚1枚のライブな時を
心のままに動き自分に焼き付けていくこと

いつか
自分なりのいい写真になっていればいい

評価や順位ではない

海にはじない生き様
山にはじない
ご先祖に恥じない生き様

一かき
一かきゆっくり泳ぐ

人生もスポーツじゃない
競争でもない

綺麗に生きることでもない

目の前のでかい墨壺をひっくり返し
自由に描く

よくわかりませんが
これが今のドキュメンタリーです

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