無我

身を守りたいという心は
意識分別に迷いが生じる

守り固めて交代する気持ちを捨て
無心に雲一つない意識分別に満ちた心になれば
奇跡的な力を発揮し
成功するものである

無我になると今の危機的事象の理を
明確に察知して
時折節での問題に対処可能な智略が湧いて来る
迷いを捨て
本能的な死の不安を捨てると

かえって生きて遁れることができる

万川集海
延宝4年 1676 年
江州甲賀隠士 藤林保武

伊賀と甲賀は本来仲良く
地続きなであるから

保武の先祖 藤林家(富士林家)の城とお墓は
伊賀と甲賀の境、湯舟であり
墓所は同じ道の正覚寺にある

甲賀の忍であるが
この一族は両方の特性を吸収してまとめていた
伊賀の3人の上忍の1人で
信長が焦土作戦にきた1581年後の行方は不明だが
高野山へ向ったらしい?とも
根来へ向かったとも

僕が必ず呼ばれるように参拝する場である

先の本をまとめたその子孫保武の墓は
伊賀上野の西念寺にあり

偶然なのか四谷にある服部半蔵正成の墓所も西念寺である
服部半蔵は愛知三河生まれで、松平から徳川について
江戸城の伊賀忍の護衛をまとめていた

このひとの先祖は 服部半蔵家長であり
壇ノ浦で平知盛とともに戦い
入水自害したとも
平家と忍者が手を組んで戦っていた?
(お墓は壇ノ浦の赤間神宮に)

伊賀の予野にある服部家の千賀地城に生きのびたと

実は壇ノ浦は僕の田舎で
赤間神宮の奥にあるお墓には、夏に行くとお参りをしていた

鬱蒼とした森と、耳無し芳一さんのリアルな木像が
なんだか悲しい雰囲気の場だと感じた
そう簡単には天国に行かれないのか

義を尽くし郷土を愛し
傲慢な敵にも屈しない心

神仏や自然を敬い
呪術や心の修行を重ね
星を祈った忍と地侍たち

裏切りや様々な時代にもまれながらも
信長とまっこうから戦った彼ら

間違った伝わり方の誤解が溶けることを願う

彼らこそが日本の誇りである

陸軍中野学校の授業に
甲賀の忍者の末裔をよび
万川集海は教本になった
CIAも買いにきた

そうはいっても
最後は、体験と口伝であるから

身を以て泳ぎ
波に巻かれる刹那に
光を探して…

Back to list

ページの先頭へ戻る