なんらか

こんな寒い中
本当にかぶるのか?

大祭の前の6日間
身延から山越えで七面山で瀧の氷水を浴び
35キロ歩いた
小松住職は
こうも言う
氷を割り毎日水をかぶる意味があるのか?

たまに瀧を浴びてすっきりしたい
元気になりたいなど

実はこの水をかぶる行為をやろうと
決めた時点で
もう元気になるのだから
水はかぶらなくていいのではないか?

浴びたくないのです。

瀧を浴び水を浴びるのは
心身を祓い清めると同時に
彼らのような
祈祷者になれば
人々の災いの身代わりになるとも

昨今の数字だけではない

なんらかの効果がある

なんらかは
は目には見えず
この場でこの水を浴びた者しか感じ得ない
心の感覚であるが

修行の慣れはもちろん
気持ちが強くなくては
桶の水も頭からかからない
不思議な作法

日蓮宗にも遥か歴史の深い修験道を
変化し吸収しながら練られた荒行がある
毎日水を浴びながら
100日もほぼ寝ないで行うという

世のため
人のため
自分のため
寺のため
動物や魚のため
風や波のため
宇宙のため

すべてへ
その想いを伝える

なんらか
を感じたから波の裏側へ

死ぬ可能性のある場で
この身と心を知りたかった

この
なんらか
が大切です

それぞれのなんらかを見つける為に
生きています

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