昔は目でみえる
透明な大波を探しに世界中を泳ぎまわった

言葉も暮らしぶりも違う外国で
波を見つめていた

まだ見ぬ世界と暖かな海へのあこがれ
ヤシの実を飲んでみたかった子供の頃
都会には椰子の木はなく
珊瑚に住む色とりどりの魚もいなかった
からそんな憶いも強かったのかもしれない

人の出会いと
その人の死により
この写真がある

34年前のパラオのあの日
家に泊めてくれ
船で島々へ連れて行ってくれたアキヲさん

そもそもそこへ連れて行ってくれたのは
自然の中で子供達は学ぶべきだと感じ
子供達の実践体験キャンプを企画して頂いた浜野安宏さん

実は浜野さんのお父さんは修験者だった

ま〜
命が自然と天秤にかかる
危機一髪の世界で知りたい事があった

南洋の土饅頭で急に
湧いたように感じた確信

裸で海で苦しい修行をせねば

海外の島は
今憶えば独りの時間がさらに濃密に
波の裏側の事を
どうしたら行き帰りができるのか?
静かに深く考えるには
よかったのかもしれない

テレビもなにもない
過剰な文明から逃げるように
南へ南へ下った

やがてフィジーの離島の青い大波がフィルムに現れ
驚いた

人間の目の色が
正しくもなく
全てでないこと

頭や経験は全てではなく
新たな体験こそが
終わりない答えだと知り始めた

もう海外の大波は同じかもしれない
と感じる時に

日本の夕暮れを泳いでみた
驚くことに波は小さくとも
写りこむ光と波に
日本でも撮れるんだと知るのはその13年後

翌年には真冬の暗い黎明の朝日へ向かった

太陽を崩れる波を影として撮らなければ
透明な水しか写らないから
「影」を探していた

太陽は岸の上にある事
その光を隠す海の雲や屈折した大波が条件だと決めつけていた

しかし向かってくる波と共に
沖にある太陽でも写るのだと知った

波も太陽も同時に
向かってくる「影」

挑む気持ちがなくては
死ぬかもしれないが
挑みながらも受け入れて行く「間」を
15年後に自然から教えてもらった

冷酷な海は嫌だが
こんな世界がある

大きな目で見た姿に
とらわれて
決めつけてはいけない

自分にとらわれてはいけない

なんでもかんでも
挑戦しこの身ひとつでやってみること

海の影が教えてくれた

彼らに感謝しないといけない

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