吉野山 楠木正成

この正面の山の塔が平安期に作られた如意輪堂
後醍醐天皇の遺言

「玉骨はたとえ南山の苔にうずまるとも
魂魄は常に北闕(ほっけつ)の天を望まんと思ふ」

我が身は吉野山の苔の下にうまるとも
魂は北の京都を望む

その意志を受け継いだ楠木正成と
その息子正成(まさつら)
弟正時と一族を伴い詣で

この如意輪寺の扉に鏃で辞世の句を彫った
(これは今も残る)

「かえらじと かねておもへば 梓弓(あずさゆみ)
なき数に入る名をぞとどむる」

もう生きて帰らないので
過去帳に名を残す 意味で

40倍の敵と戦い
敵の武将100人も戦いで助けられた恩に報い
ともに散った侍
その父も負けると知りながら
も散った南朝の武士であり忍を使った侍

この湊川の戦いは太平洋戦争で
武士道と玉砕と同等に
多くの若者が無理に命を潰す
大本営と東条英機の愚行に悪用される

今でも秘境のような吉野山
はそんな侍や本居宣長をはじめ
多くの文人や侍の憶いが留まり

7世紀の役の行者の伝説と溶け合いながら
人々の信仰や供養により
櫻の苗木が植えられながら作られた場である

感覚的に今の日本人より優れていた
彼らの感じた何かは

きっと今でもこの地にあるはずだ

そんな彼らのように
覚悟と生き様を貫く人間でいたい

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