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宇宙や地球は生きているにしても、悲しい事実が起きている

どこの誰にも起きるとはいえ

綺麗言並べても

きな臭いので

日々できることをし

しばらく海に呼ばれる日を待ちます

スタジオ

www.park-studio.jp

不動前徒歩3分。南むき公園前のスタジオ&ギャラリーです。

モデルの宣材写真、ファッション、人物撮影をいたします。

またレンタルスタジオとしても、お貸ししております。

裏に狭いながら、メイクルームもあります。

よろしくお願いいたします。

事前にご連絡下されば見る事も可能です。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

明けましておめでとうございますとは、言いにくい年初め

地球は生きていて、あらがうことはできない現実

海も生きていて、見ている

それが海そのものなのか?

周波数の違う同時にあるが

人の目には見えない世界なのか社会なのか分かりませんが

海とは海岸とセットで

世界中の海岸のもつ妙な感覚を感じます

泳ぐ場所は海であるが、実は海辺の陸地と

そこに動いて息づき、風により命を生んだ波と名付けた動く水

その何かを無理に知る事も、手に入れようとする事も必要ない

科学や理屈の及ばぬ時間を大切に手渡してきた、アイヌやアボリジニやネイティブアメリカン、修験者も同じ

教科書も戒律と言った、人間界のルールを宇宙と自然の風に押し付ける時点でズレていく

ある線を超えたら死ぬ

しかし

ある線に行かないと感じえない時間もある

先人たちが、風や石や川や瀧に魂なる何かが

あると自然に認識し、供物を置き、こうべを垂れ、手を合わせ、胸を寄り添い

祈ったのも当然のことだろう

誰かや仏の個性に濁らされてはいけない

時間は過去と未来がつながって動き固定されていない

写真を現像すると過去の産物のようだが

実は違う

動き、過去も未来もある

茶碗や家具じゃそうはいかないが

人や波は生きて呼吸している

常に見えない風

聞こえない色に

触れること

ビルの隙間のおしゃれな植木鉢に閉じ込められた観葉植物や

鑑賞魚の水槽から自ら出ること

海岸にたち足を水につけ

深い呼吸で音を吸い込み

美しい色彩を胸で感じる

子供の頃、一日中海の中にいたかった

澄んだ山口の無人島で魚たちを見ては、図鑑にはない

実際の動きや習性や色など

何を見ても胸が躍った

大人になったら釣り道具やか熱帯魚屋が海の仕事にをしたいと思った

網を2本持ち水中で魚を生け捕ることが生きがい

やがて防水ケースのカメラを手に波の中へ

海で死ぬ思いをしたいと思いよかった

写真の師匠の師匠ユージンスミスや一ノ瀬泰造さんの生きた戦場のように

本物の海を知りたかった

それには道具を捨てて裸で行かないと海に失礼だと感じ

水中眼鏡とダイビングのフィンで冬のノースショアで泳いだら

やっぱり溺れた

避けては通れない海の道

待ったなしの恐るべし海の力

恐るべしネガティブに引き込み、パニックになる自分

あらゆる死なない工夫もするが

基本は自分の泳力や経験と、どんな状況でも切り抜ける胸の内

潔く引くときは引く勇気

自然と呼ぶ前からある、国土や海への敬意を忘れず

泳ぐ人 跡を濁さず

海の雲、空の雲

同じだが違う

同じなのは風

新潟は雪が降ってません

年々海の天気や風が変わり,撮りにくくなっているように地球が壊れ始めているのでしょうか?

雪山の「雪の元」は日本海の海の水やら雨やら

地球は大気圏のボールの中で海の水やすべてが

宇宙へ行かないようにできています

言い換えれば、地球の中の水間、空間の中でやりくりするしかないのです

沖縄の問題の埋め立て、全国の不可解な埋め立て、テトラやケーソン投げ込み

山を削り、気をなぎ倒し、除草剤や、凍結剤を撒いてできた、人工的なスキー場や

破壊されていく海岸線は2度と戻りません

人間様になりすぎた人間界

約200年前から家康などにより、人間のご都合で悠久の時間が自然形成した

2度と戻らない海や山や滝が破壊されてきた

今は、重機のおかげもあり当時とは比べ物にならない程の速さで壊され、ペットボトルや漁具のごみが

魚より多くなり、ペットボトルを食べる方法を考えるかもしれません

広重の浮世絵で青かった東京湾が黒く濁ったように、100年後の海は青くないかもしれません

現実を知ること

海や山へ行き。

胸でわかること

今年もありがとうございました。

ハワイ島 この時期は昔はハワイにいた。ノースショアやマウイへ

恐るべしパイプラインやすべての海で喉が閉まるほど溺れたのがハワイの始まり

人間はこの限度も手加減もない美しさと怖さを知ることで

自然に自然と呼ぶネイチャーと呼ぶ以前からある物語を

大切に胸で思い続ける

車メーカーもどんどんゴミになる

新しい車など作らずに、大事にできる部品を作り治せばいいのに。

エコやサスタナブルやら

大きな嘘で宣伝し消費者を作る

1991年頃のシボレーk 10と赤ちゃんを抱く女性と友達

アロは合わせる、溶け合う

ハは呼吸とか気

だからアロハ

ハワイアン の叡智を学ぶ

止まらない風

止まらない海の水

海底の砂丘も波によりその姿を変え続ける

冷たい水の空の隙間から太陽が注ぐ

人為の届かない世界をいつまでも大切に

言葉はお飾り

中国の道教は

開祖も教義も経典もない

ネイティブアメリカンやアイヌなど古来の地球人の方々が共通する

また今日せざる得ない感覚と体験が

万物には精霊が宿るとかいる

と自然に伝えている

これを俗にアニミズムというが古代の中国では精霊を鬼神と呼び

天神、地祇(ちぎ)人鬼の3種があり

天神は天と日月星辰だけではなく、暑さ、寒さ風雨なども精霊になる

地祇 は大地の精霊で山川などをいうらしい(道教と日本人 下出積與)

説明はさておき

どうも波そのものは、風が生む産物であるが

それだけでは、言い尽くせない何かが宿る気がする

つまりはなんらかの有機的、生命=水分子とその水が持つ記憶が影響しているのでは

天道のとはすべての根源

天童の目的は仁義礼智信の人道にあり、これが身を修め国を治める人の道だとしたのが儒教であるが

でも、儒家の説く仁義礼智は人為的なものでダメで

天童は人為の発生する前から存在する太古の道であり、人為の外にある

人為を徹底的に排してこそ、初めて無為自然になれる

この無為自然の道をしめしたのが老子

この辺りの感覚とおそらく体験的な事象は意味深く

今の日本人や、地球人に大切なしおりのようなもの

だと感ずる

修行という行為、つまりなんらかの自己鍛錬、自然界の中でしか感得できない大切なこと

ビルや檻の中の今の暮らしでは生涯知り得ずにいること

窓を閉め、イカシタ植木鉢で植物を飼い、スイッチ一つで便利な便利と怠惰な時間が

そうした感覚や自然のありのままの怖さや強さと、同時にある美しさも

記憶から失せる

そうすると自ずと自然や海をなめる

山や海や町にゴミを捨てる

浮世絵の肉筆画を見ていると

時間をかけ描きつつ、風流な美意識と美しい自然界と溶け合う人を出現させる

その独創的でありつつも、どこかに太古の自然界や風流を愛し慈しんだ人の優しさを感じる

彼らは、まさか100年後の隅田川や海が埋め立てられ、美しい原風景や社まで破壊され

消えるとは思いもしなかっただろう

人が太古の自然界の感覚が遠ざかるほど

比例してこの地球は破壊されていく

古代の中国に見習い、憶いだし

海や山へ一人で向き、人間の小ささと、同時に神秘な色彩と音の風に

委ねれば、それらには共通する人為の及べない何かあると自然に知る

道教がこの波の中のことに通じ

古武道がまたこの波の中の体術的、心術的に通じ

独り波の中へ裸同然で行くことが、仙人の領域、神仙界、竜宮城

へつながっているかもしれません

よくわからないことを書きましたが

多分そうです

鋸山

四国の著名な武将の末裔、現在の名前は母方を受け継ぎ土居清

海での稽古とゴミ拾い

海も師匠も穏やかで暖かい

このところ雨風の海、数年前に比べ雲と風が変わってきた。                       地球が少し壊れてきたのかな? 

とはいうものの、人間様の手や科学を超えた叡智に

尊ぶ時間が自然と名付けた境界線

日が登る前、水平線が白くなり始めた波の中。びっくりするほど冷たい海は静かで独特な風を感じる

日本の海の水は日本らしい。水の中でないような水のの中。H2oの謎

Chacott Photo Shooting

Chacott 代官山のビルは著名なデザイナー佐藤おおきさんのデザイン

様々な美しいデザインの空間で

みなさまをお待ちしております。

写真は20m近い吹き抜けの階段

昼間はこのような明るい雰囲気、夕方から夜はさらにムーディー

な雰囲気になりますので

ご予約のお時間を、変えるのもおすすめです

室内とも暖かなオレンジの光の中で一瞬を残します。

ぜひ!

1208

54人のパイロット

9人の最初から戻れない

ハッチも開かない小さな潜水艦で命を落とした若者

ハワイ真珠湾が先の攻撃と嘘をついた大本営と政治家

事実、時間で言えばマレー半島の山下さんの攻撃が先

華々しいプロバガンダで嘘を並べてきた

フランス政府が仕掛けてくるが乗るなと再三言われたのに

仕掛けられた戦争にはまった日本

法華経と日蓮の信者、関東軍石原莞爾はよその土地を取ってはいけないと言っていたとも

中国に侵略、盧溝橋を引き起こした牟田口廉也は

誰もが反対するビルマの無謀な作戦を上司に掛け合い、温情と反論できない空気で

押し進めたインパール作戦

骨を埋めると言いながら

おめおめ帰ってきてだんまり

僕おじさんは、ビルマの北密林のフーコンで行方不明になり空の桐の箱。

僕のじいさんはビルマの鉄道隊だったが、間際にタイ国に逃れ、1年後浦賀に空母葛城で戻れた運

後から行くからな!と

特攻隊に若者を無理やりを送った冨永参謀もフィリピンが危ない空気になると

早々に台湾へ逃げたが、特攻を押し進めた大西瀧次郎は割腹

ワイキキはカリフォルニアの砂で、海水はハワイ

ワイは水キキは湧く

昔は王族やカフー(祈りて)の祈りの聖地もアメリカに接収され、今やおかしなことにアロハ

だから観光客が食べ、ゲップで流し込むコーラはアメリカ料理

パンケーキや街の食事はハワイの食事ではなく

本来はタロイモとキャッサバや発酵させたタロイモのポイや

魚のポキがハワイの味

日本にきたら寿司や天ぷら、うなぎにどじょうが守らているのは

類まれな伝統な技を練磨する職人さんと、そのシンプルながら奥深い味を知る日本人の凄さ

しかし日本人観光客は、ほぼ真珠湾へお参りに行かない

世界は領土の取り合いと

宗教の戦争

アイヌから、力と騙し討ちで略奪した和人と松前藩だが

結局はロシアに盗まれただけ

地球人は何をしているやら

欲深い破壊を繰り返し

エシカル、サスタナブル、エコなど

辻褄の合わないおかしな言葉で霞にぼかす

海や山や滝や石にも魂があり

風は生きている

こうなるともはや「祈り」とかいう言葉もきな臭い

誰もいない海岸でゴミを拾う

公園でゴミを拾う

胸を合わ瀬、祖霊や彼らを憶うシンプルな事でいい

神社に2列で並ぶのも間違え

効きは一緒で、利己的な姿でしかない

他力や仏だのみや坊さんだより、神頼みは問題を引き起こす

海は自力

政治家も裸でネクタイ外して波の中を泳げば

全てが瞬時でわかる

覚えてないなど言わせない

永田町に水泳部の顧問で行きますよ

侍をはじめ日本で命を落とした彼らの供養を忘れずに

地震、天災がやってくる

地球は地球人だけのもではなく

宇宙という海に浮かぶ、島に過ぎないと知りる事

ますらをの悲しき命積み重ね

積み重ね護る

大和島根を

三井甲之

Chacott

ドキュメンタリーな1枚。色加工やいじりなしの写ったまま。

1年だけ1998年に明大前のスタジオの写真家 柏原誠 (オヤジ)に写真の光と現像、4×5ハッセルブラッドやら

の使い方やを教えてもらいましたが、師匠というより友達というか妙に気が合い、大胆で優しさに包まれた男でした。

お前さん

なキョーバシくん

写真機に写されるな

こんな物な機械だから

所詮機械よ

いいか

カメラの窓な

あんなもん見るな!

いいな

バ~ン!とな押せ!

あのね

モデルのなきらっとする瞬間あるから

引っ張り出して押せ!

禅問答のようだが

今思えば、人生はあっという間に短く流れていく

瞬間、瞬間

頭で考えて

どう生きるか

どう生きていくかではなく

今をエナジーギンギンにやれ!

集中と精神性というか、無我夢中に大胆に斬る感じ?

と聞こえる

哲学

古武道の師匠の土居清とどこか似ている

とにかく何かのご縁で、撮影させていただくので

皆で全力で

なんと30分から1時間で8カットから10カット違う1枚を撮ります。

ご家族のもと、お子さんの成長や、還暦のお祝いなど

1枚の写真がご家族のもと、思い出が残れば嬉しいです。

そう

写真の仙人のような柏原のオヤジの口癖

バーン!といけよ!

あのオヤジはいいオヤジだったな〜

誰?のこと

おっ

俺がアシスタントをさせてもらってた

ユージンなユージンスミス

いいオヤジだった〜・・・・

戦場カメラマンから水俣へ

ドキュメンタリーな男たち

そんな彼らもあの世からバーンとやれ!いいぞ〜

と言ってますねきっと

Chacott

Chacott PhotoShoothing

も1年半、200人近いお客様を、チャコットスタッフと撮影させていただきました。

海外はオーストラリア、香港、シンガポール、中国、マイアミからきてくださり

国内も長野、静岡、栃木、四国、九州から

ありがたいです。

そんな昨年撮影させていただき、親子さん共々初めてお会いした気がせず。

代官山のチャコットの入り口でばったり再会は嬉しかったです。

お菓子とお手紙をいただき、ありがとうございました。

1年はあっという間で、大きくなられてました。

また来年!きてくださいね。

厚い雲に隠れていた太陽も出てきたが

水が濁り撮れなかった。

入ってみないとわからないから

とにかく思い立ったら行く

自然界へ人間様の都合を押し付けないように

あの先に宇宙があり、海もあるのだろうか

宇宙へ行くより、深海へ行くほうが難しいらしいが

そんなところはいく必要もない

ありのままの地球の風に胸を包んでもらえばいい

街でも車で走ってると数年ぶりの知り合いにあったり、ばったりあうことがお多い。

先日も波が小さく波を探しに明け方、1年ぶりに伊豆のたたど海岸に行く。寒くて1度上がり温泉に入り、またこの海岸へ持った。シャッターが下りなく浅瀬で立ちながらカメラをいじっていると、サーファーが横を走り抜けた。板から降りておきへ歩く人が急に僕をよんだ

誰だ?

お!〜15年ぶり。行方不明だったパタゴニアのもとスタッフChiharuさん。

聞けば宮古島でフリーダイビングをしながらヨガや様々修練し移住し、たまたま本土に来てここにきたという。

普通は戻らない海岸に戻り。

防水ケースとカメラのセッティングが悪くなり浅瀬にいて

たまたま波に乗ってきた

広い海岸でなかなかない不思議

最後は挨拶できずそのまま別れた

またいつかどこかで

先日もカメラをはじめって映したのはいつですか?

と聞かれ、最初の1枚が何だっのか?

小学校の時にコニカのカメラで

沼田のお祭りか?近所で見つけたアルファロメオのマーク?

これだという1枚でも、思い入れもなくとった程度で興味の対象にはいらず

当時は海でそれも磯でもぐりながら魚を網で生け捕り、タコやアワビやサザエを採って

食べるのが生きがい。水中眼鏡と2本の網と腰のパンツにあわびおこしが海への道具

それが今はカメラになった。結局は先祖がえりですね。

そして生け捕った魚は、電池のポンプでぶくぶく酸素をビニールに送りながら

持ち帰って水槽で飼うのが1番の興味

少し硬いビニールの取手のついた、楕円のビニールバケツだから、

よれて途中床が木の客車でこぼしたり

生きてるかな?と水をこぼさないように、片手に釣り竿と網を持ちよく歩いた。

今思えばバケツにすればよかったのに、電池のブクブクが取り付ける

ビニールバケツのポケットがないからか

発想も考えも浮かばず

やがて海の学校へ行き、オーストラリアでアリフガードの資格をとり、海の怖さとすごさを

生身で再確認した。波の中を泳いだ始まりは89年のオーストラリアかもしれない

夜の街でもよく遊んだ時代

1年後の夏、逗子を海にいたら、伊勢の方の英虞湾で仲間が死んだと聞いた

運転していた船から落ちたらしい

そんなに普段は特別仲がいいわけではなかったが、あたあのいろいろと厳しく辛かった

ライフガードの海へ行こうぜと約束していたが

命は儚い、水泳もうまく体のでかい彼は19歳。僕は高校をダブったから21歳だった

それからは谷中のお墓に通い早いものでもう32年が過ぎた。変な話し生きていたら関係はなかったが、

亡くなってからの関係が深くなり、海へ行くたびに

報告に行く。郵便ポストが墓石の石柱に針金で結わかれ、中にはメモ用紙と鉛筆が1本。

それがご家族との手紙のやり取りだった。

そんな暖かなご家族のお父さんが急に亡くなったとお母さんから聞いた。

最後のあったのは3年前のファイヤーキングカフェ。

お母さんは、日本だった頃のパラオの生まれだと知り、僕もホームステーをしていたからお互いびっくりした。

そのパラオの家族とも、あのある日の40年前の4日間から今も家族のような関係が続いている。

話は脱線しましたが

そんな約束を守れないまま、1年だけ原宿のアパレルの仕事につくが、口先だけの社長に頭がきてやめ

やっぱり約束の海岸へ行こうと決めた

何かがずるずると約束を反故にしていたが

それは単に自分の決断力なさ。ワーキングホリデービザをとっても当てもない国へ行く不安だったのか

日常にスタックしていたのか、決めたらスッキリした。

あの海岸へまづ行って、家でも見つけよう

誰かが新聞に家のレンタルが出てると2年前のオーストラリアの海沿いのマンションで聞いたのと、最悪は日本食のお店に看板がありシェアメイト募集の紙があると聞いた。そんな程度だった

まだインターネットもクレジットカードもなく、なんと僕は調べないから、ガイドブック地球のあるきかたも知らず、むこうについて誰かが置いていった本を見て驚いた僕を驚く日本人

行くと決めたら凄い早い。原宿のプロペラという服や雑貨の店で、キャンバスのバックを買いこれに

詰め込めるだけ行こうと決めた。バックパックの旅や便利なリュックの存在すら知らず。

調べようともせず、誰にもそんだんせず。

すると僕の本当の父がカメラでも持っていけば?とCanonのAEー1をくれた

それが始まりかもしれません

窓から写り残る景色が、ただ楽しかった。絵は描けないが自分でも絵が描けるんだと思った。

36枚フィルムを詰め、スーパーで現像しても普通にできていたし

マニュアルで経験と勘でダイヤルや数字を動かし撮っていた。

結局家を見つけ4ヶ月ほど住むが、退屈になり目的を達成した感じがして、一度帰国しいろんな国へ旅へ行こうと決めた

今はデジタルになりすぐに写真も見れてピントも自動であうから本当に凄い。あの頃は現像が上がる日を心待ちにして取り行き、袋を開いたものです。そしてあの頃の一か八かの旅がなければこの写真もなかったのは事実。

子供の頃の海の時間が今を作ったのも事実。

夢中に一人でやることの大切さ。

漆黒の世界に

やがて薄暗い水中が

薄青くなる

人は目で色を光の反射で見ている

透明な光は目には見えない

透明な水も見えない

暗いから見えない

色は太陽が1度そのものにあたり

跳ね返り見える

しかし、海の中は透過して突き抜けてきているように見えるが

例えばカボスは緑でなく

太陽がカボスにあたり反射し、カボスのもつ緑の色が反射して緑に見える

カボスは緑でないが、緑の色素が皮に光がバウンドして緑に見える錯覚

暗いとカボスもゆずも黒です

カボスは硬い

水中で青いのは、青空を水中ごしにみるから青い(レイリー現象)だけではないと思う

水面という地球上のもう一つの異空間の層から水中に入った光「以外」の光も海底や水分子の角度や動く水素の隙間や、細かなゴミで反射し色がバウンドしている?さらにいろいろなスピードで動き、水素に潮まで入っている潮だってカリウムや様々物質がある

今やペットボトルのマイクロプラスチックもある

水中に入れない光が、全部反射したら海は暗いが

そこは透明だから水面を抜け、水分子の隙間を抜けてくる

海の色の違いは、太陽の角度と波のめん、水素結合の面の誤差が永遠に起こるから

沖の波の水は、ほぼ一滴も海岸にはきていないように

超細な透明な発泡スチロールのビーズでできている海

海は全体をさす言葉

事実は粒子とH2oの密度(透明ビーズ)で動いているから(これにエナジーの風が加わり波動となる)

押し合いへし合いしている為、1センチ先のビーズは前にあるビーズを乗り越えなければこれない

川は流れているが、これも水のビーズが絡み合いひっぱり、離れあうから

これを水素結合力といい、流しそうめんの原理この水の流れをどう水流という

川で溺れた人がいたら

後から飛び込んでも追いつかない

前に人が流れの緩やかな場や縁や岩の後ろエディーに入る場合や

後からの人が凄い泳力で流れより早く泳げた場合だが

流れた水で、流れと並行に手足をかいても、空振りする

これは摩擦がないからで、少し斜めにしたり縦横にして角度をつけ、水分子のビーズを

抑えたらいいが、なかなか流れる流速が早くなればなるほど難しい

流しそうめんに、金魚を流すのと同じ

でも問題が生まれる

なぜ鮎や鯉は滝に登れるのか?

逆らっているのになぜ?しかも上へ行かれるのか?

おそらく胸びれは邪魔になるから、特にシリびれを水の向きに対し、高速に垂直や斜めに動かし

体は落下する水に垂直で抵抗を少なくする、体重も軽い

あとは頭や体の連動した波打つうねり運動が、うなぎのように上へ行く

サメの鱗は水を後ろに押し流し、前へ体を進めるようにできているように

鱗もいいんでしょうね

きっといいんだろう

鳥が空を飛ぶのに近い?

僕もいつか落ちてくる波に逆に登ったら凄い

妄想こそ美意識への扉

学者や科学者なんていい加減なものです

自分で感じること、人に聞かない

自分で見て肌で水の流速や硬さを感じましょう

目が毒で真っ赤になる塩素のプールで真っ直ぐに競争なんてしないで

自由に上下左右に大自然の水に遊んでもらいましょう

在る事実

江戸の火消しで侍、浮世絵師に変身した、安藤徳太郎の偽名「広重」は写真的なデッサンにこだわり、写生こそが全てと言ったそうだ。

草鞋か足袋で徒歩で全国を歩き、時に馬にしろ籠にしろ、時間が今よりも濃密に緩やかに流れていたのだろう。

彼らが水中眼鏡で波の裏を見たら浮世絵にしてくれただろうか?

海の波や川や棚田に写る月や、瀧の動きを平面から動きを生ませた彼ら。

デザインや色にも拘理、芝の神明神社あたりに固まっていいた版元や絵草紙やで打ち合わせをしていた。

時計もない時代、なんとなく鐘が鳴ったり、人に今何の刻?と聞いたりして、大体の時間に集まったのだろう

奉書と呼ぶ、木「こうぞ」を細かく叩き、何度も漉くという越前の和紙

これも職人芸の硬い紙があってこそ生まれた浮世絵

今ではできない1ミリに3本の線を彫れた彫り師、絵を逆に何枚も重ねて絵になるように

感あげて彫るのも凄い、相当凄い小刀と息を止め、彫ったのだろう

髪の毛1本掘り間違えたらまた最初からやり直し

摺氏は寸分ずれずに、何枚もの桜の硬い木の版下に色を載せ、バレンで摺る

肉筆の浮世絵に比べ、緻密な腺や細かな描写ができた訳だが

布の目や模様まで空摺刷りし、着物の雰囲気まで再現しようとした

とにかくほんの150年前の海の埋め立ても、滝や川の破壊もない美しい日本があってこそ生まれた

この後も、世界にも現れない幻の技の結集

そう考えると写真なんて、押すだけだからいい加減な物です

しかし当時から海岸や海の姿は変わっても、波の裏側は江戸時代と同じです。

広重さんや湖竜斎さんや北斎さんに見ていただきたい

加工なし、ノーファインダーでカメラをむけて押しただけの1枚の記録

数百年後この写真を見た日本人が昔の海は透明でこんな色だったのか?と

いうのでしょうか?動き続けるマグロのような破壊に自然の海岸線も消え、テトラポッドや四角いケーソンの埋め立て、コンクリートやチタンの防波堤になれば

波も消えるどころか、芦ノ湖のコンクリートの堤防で波が鎮まらないように

地球はさらにぶっ壊れます

海と宇宙の連鎖と循環を尊ばない人間界は結局は自分たちを破壊します

自然に即す

海へ行こうと思い立ち

風や天気を見ると、風速10m波も小さい?

頭で考えたくないから

常宿に連絡するが数日団体で満室!

これは自然の流れ

しばらく太陽と波の風を待つ

人は自然という言葉のない時代から

宇宙に即して、寄生して生きるしかない

そこで、人間以外の万物に魂が宿ると信じ

科学や数字ではない、研ぎ澄んだ感覚と信念

を先人は大切にしていた

それは日本だけではない。誰もが胸にピントくること

パタゴニアの道具を使いたいのだが

正直ウェットスーツは寒いので、鎌倉の zero

ウェットは全てオーダー

体にフィットしないと命取りや、擦れてストレスに。

足ひれも相当ハワイの店をまわり履いて歩いて選んだ

日本軍失敗の本質=客観的に見て、失敗をしたらすぐに調整すること

海では瞬時の判断が迫る

非公開 織部3畳の茶室

織部がいた頃に作った訳ではないが

ここは妙な雰囲気が利休のワビサビの黒の窓のない世界とつながる

窓の多く四季や太陽の移ろいを感じ、楽しませ

感覚的に宇宙を感じようとさえた風の場

師匠利休の余計を排除した漆黒の楽茶碗や茶室

禅寺の和尚でもあった織部はそんな利休を吸収しながら

自由に感じて楽しむという、独自の感覚をブレずに確信し、器に猿や花鳥画を描かせ

それまでの、茶の作法に鮮やかな光をふり注いだ

織部が土を練り、描いた訳ではないらしい?から

学者の定説で言われているのはプロディーサーだったようだが。

それも実はどうだか?さすがに少しは描いたり、作ったんじゃないかな〜と思います

茶は中国から、臨済宗も臨済さん中国 正確には中国の前の国の時代

お茶は日本にもあったが

806年ごろ空海や最澄のお土産や土産話で始まりで栽培が始まったらしい

発酵させない緑茶、発酵させた紅茶。その間が烏龍茶

喫茶店の喫茶は鎌倉時代の栄西の喫茶養生記

仙人が飲むとか、体に良いと宣伝した訳が

歴史はさておき

今や、南の国の輸入のコーヒー豆が主流になる謎

お茶は無料なのに

なぜコーヒーは有料?

コーヒーマイスターとか焙煎気がどうとか

外見ばかりの言葉の付加価値どうでもよくなります。

坐禅して深呼吸。

静けさに身を置き、己を確認する

わからなくていい

わかる訳ない

ネットで物を買い、先に理屈や答えを知ったフリをして頭でっかちになる時代

古き長い時間、瞑想してきた先人の何かが残る場。

刀を外して平等にということで、狭い60センチ位のドアから入った茶室。

もちろん密談もしたし忍もきたな!あのにじり口から

どこかと通じれるこうした場は海や山や滝や川にもあるの同じ、人工的宇宙的体験の部屋

大切な時間はそこかしこに見え隠れしながら、いまだに訪れる人を無条件で平等に待っている

タスとか引くとかではない

考えすぎも、坐禅のしすぎもよかない

が、胸の赴くままに息吸うだけ

鯖街道

鯖街道とは若狭のサバを京都に徒歩で運んだ道。代々約100年続く鯖鮨やあれば天然の鰻、トロ鉄火

地下から湧き出る清水でつくるだしの狐うどんのお店。

その昔、貴船や鞍馬山僧正ヶ谷(天狗鞍馬山僧正坊が住み、義経に剣法の奥義を教えた山)の帰りに、なんだか地元の人たちのいる良さそうな雰囲気で美味しそうだな〜とふとたちより、味と雰囲気が好きになり、時間を作っては行き、数回めにけりがけると、「前にも来たよね?」と話しけてくださり。その次から写真を取らせていただく。携帯の写真や中の電話はもちろんご法度の当たり前が守られる雰囲気とオヤジさん。

朝から仕込んでな、いいサバないとやらんしね。11時から14時でおしまいや。

最近並ぶね?どうして?

あのな、もーなテレビや雑誌なろくなもんやない!もう絶対やらんわ!いろんな人がギョーさん来てな。まちで声かけられ面倒ねん。笑 写真も禁止や! あかん!NHKに取材でたりな もうあかん!

神輿だこが残る、貴船神社の氏子で今は若冲を応援していた相国寺の総代でもあるオヤジさん

余談

実は鞍馬寺は昭和24年ごろから、金星から来たサナトクマーラが降りた場所には変なモニュメントがあり、鞍馬弘教という新興宗教の場になってしまった。レイキヒーリングの臼井さんは山に篭りその宇宙のパワー?を得たとか、今やそれは商売として回路を開くとかうたい、最初はいくら、セカンドサードは7万!

なんと数年前バリ人からホテルでレイキの資格を買ってきた友人もいたビジネスに。

臼井さんもびっくりされているだろう。

自分でできること。自信を持って進められる仕事だけやる。当たり前の話。

菓子の匠 京都の老舗 柏屋光貞

京都に誰も知り合いがいず。お寺で公開のイベントを開く運びに、と今日から40人近い仲間や知人やお客様が足を運んでくださり、何かお返しをと京都散策しに行くと、胸に響いた美しいお店と、整然と並ぶ、一眼でただならぬ美意識の高いお菓子が白い暖簾から見えていた。

恐る恐る、お声かけし入り、ガラスの中の淡い彩りのお菓子。聞けば1年中同じお菓子だけを、その日のお菓子は、朝早く作りその日で完売するという。恐る恐る明後日までに40箱できませんか?と事情を話すと、少し間を置いて店主で職人のオヤジさんは、よっしゃ「気張らせていただきますわ」!と 紅白の箱には手書きので杏橋の文字まで。以来京都に行けば必ずよらせていただく。

ある日、朝工房に来てみてはとさそわれ、和三盆や水飴、独自の古い木型や手製の銅道具と銅の大きなボールでお菓子を繊細に大胆に、感覚的に創られていた。

約200年前に始まり、継承されてきた変わらない、美しい姿と味。同じことを生涯続江ける凄さ、たまにはね、季節のお菓子や、螺貝の形のお菓子を作りますねん。

先生

はい

実は私は山伏です

え〜

だ代々、醍醐派の山伏でして・・・・・

                              

京都 興聖寺

11/11~12/11まで臨済宗興聖寺 特別公開!

古田織部正 重然、江戸時代の鬼才な画家 曽我蕭白さんの菩提寺

織部さんは家康に京に火を放ち、家康にクーデーターを連歌師と島津らと起こすと嫌疑をかけられ

切腹を言い渡された。和平をする為に動いていたと言われてますがわかりません。

「かくなる上は入り組み難き故、一切の申し開きもなし」と反論も命乞いもせず

1615年6/11 織部72歳長男重嗣37歳の屋敷で自刃

6/13 次男重尚35歳(前田利光家臣)と3男重広(池田輝政家臣)江戸で切腹

4男重行27歳(豊臣秀頼家臣)大阪を脱出し興聖寺の和尚に兄や自分の子供達を託し、墓の前で屠腹

5男重久25歳5/7お父さん古田織部正の名前の のぼりを背負い討死

利休が秀吉に切腹させられた後、全国の大名や様々茶道や、独特な花鳥画を取り入れた茶器や庭づくりでは時の人となり、家康はうとんだのかもしれません。

3男の息子に武田と通じていると、疑心暗鬼になり切腹させられ、服部半蔵に介錯させようとしたくらいです。

半蔵は幼い頃から知っていた為断り、仏門に入り四谷の浄土宗西念寺の僧となり、彼の隣に半蔵自身も眠っています。

織部が自分の菩提寺とし、60歳の時に天海、城造りの名手藤堂高虎たちとこの地に創りました。(高虎と天海はセットです)。今は堀川通に分断されましたが向かいの水火天神にも織部稲荷があり敷地でした。        高虎は織田信長の伊賀侵略と伊賀忍や地侍に、息子織田信雄が勝手に侵略し2度大負けした為、1851年9月に7万の兵で伊賀をこの国から失くそうと、神社仏閣に火を放ち、女子供を殺戮しました。、打首!までいくほど怒り、だから魑魅魍魎の住む伊賀へ勝手に攻めるな!と言っただろ!こうなれば猫や狸1匹殺し、焼き払えと命じる。

伊賀忍達は見かけない怪しい江州なまりの魚屋や薬売り、商人が来たので、後をつけ信長の屋敷に忍びこみ、侵略の日も知っていました。伊賀無料寿福寺で12人の上忍で会議を開き、数では負け全滅するが

信長のような悪に頭を下げるくらいなら、地租伝来の地を汚す輩には降参はあり得ず、民衆や子供達も巻き込むが、潔く戦い死んでも魂には嘘はつけず生き残ると、徹底抗戦に決めました。

地続きの甲賀は数年前に信長に戦わずして頭を垂れましたが、これは甲賀と伊賀のシステムの違いで、郡忠惣という多数決で決める仕組みで、神社仏閣や民衆を守為、致し方なく降参したとはいえ、湯船の藤林長門守と甲賀の芥川さんなど元は仲良く地境もないので、きっと情報を流したり助けあっていたと思います。

ですので忍者ドラマや映画はみんなでたらめで、本当は神仏を尊び修験者でもあり、陰陽師でもあり、大陸の道教の流れもくみ、東大寺の荘園や植民地化に対抗し郷土を自営で守る、純粋な正義のレジスタンスで武士だったのです。正心こそ自分たちの生き様だと忍術書にも書いてあります。役行者像が伊賀だけでも数百体ある以上な祈りの聖地です。

そして大問題!伊賀上野城は何ら伊賀忍者とは関係ありません!いい加減に悪用するな!後ほど

結局は半蔵が家康に、伊賀忍が全滅すると伝え、和睦を信長に命じ、奈良の大倉五郎なる神楽氏(忍か?密使)の仲介で柏原十郎吉政(伊賀忍12人衆の一人)たちと彼らの城で和睦したと言われています。

その1年後警護の薄い日に信長は暗殺?

話がそれましたがその後伊賀平定のあと、津藩の高虎が伊賀で忍や侍たちと友好的にまとめ役として訪れました、その時、伊賀の民衆の高野山や大徳寺のような宗教的聖地「平楽寺」も火を放たれ800人以上に僧や、侍、忍、神官、女子供が殺され、伊賀には大迷惑でいらない伊賀上野城を建設し、今伊賀上野観光局は忍とは全く関係ない(悲しい殺戮と侵略のモニュメント)を悪用し忍者ショーなる観光もうけをしています。伊賀忍たちは悲しみ、呆れています。今も入り口のカーブの先の左に古い石仏や墓石が乱雑に集められていますので、是非お参りを。

実は京都のここ興聖寺に高虎由来の品々があり、和尚に聞くと織部亡き後、弟子でありその死を悲しみ、織部の奥さん仙さんと興聖寺の大檀那として供養を続けたようです。

ちなみに天台宗の伊賀延寿院には高虎さんのお堂と御位牌があり、家康に背を向けて安置。松本住職談

その伊賀と信長の和睦し立て篭もった柏原の山城は今も土塁や井戸が残り、僕も年に数回供物を捧げお経を読み供養に伺っています。

余談

始めて伊賀忍の供養に訪れた地が、赤目48瀧の麓の延寿院

そこで松本住職に出会い、お堂やお不動様のおあ掃除をさせていただいた際、すみませんねと位牌を手にしたのが実は高虎さんで2013年6/11

興聖寺に始めて来た際に波の襖をやることになったのが、2020年11/11

そしてここで高虎さんのことを望月和尚に聞いたのが昨年

織部さんご命日1615年6/11

6/11に高虎さんのご位牌を手にした日が織部さんのご命日

そんな現代アートとか芸術と呼ぶ以前の、自らの心と美意識の四季をたっとんだ彼らの安寧の場に

フィジー の青い波を飾っていただいたのは、純粋に不思議と感慨深いものです。

普段は非公開の禅の道場です。この機会に是非!

web 治りました

サーバー会社の更新の為、複雑な移動作業。僕にお手上げで、webサイトをデザインしていただいている、「Form Process 」八木さんにご足労願いました。皆様には見れなくなりご迷惑をおかけいたしました。八木さんありがとうございました。

スイスの時計メーカーLONGINESとの展示会やPRでのDM

幻のカタログ(これはまた印刷所さんを探してやり直します)

伊勢神宮に特別奉納(365にち朝晩祝詞奏上)になった写真集!限定1000部。湯島で刷り、さらに今日のサンエムカラーで再度やり直し、ニスまで塗って、270線高精密印刷(西ドイツハイデルベルグ)

東京に運び手製本しなんと650万円!

なんと写真をコレクションくださった熊谷さんが半分出していただき作れた、2度とできない奇跡の1000冊!

全て八木さんデザイン!webサイトも是非見てください。世界中のアーティストが見ているデザイン会社です。

規律

kamakura 鎌倉はグリーン

沖への流れが激しかった
でかい波の下

片手にカメラ
ノーファインダー

波の中 幸せで大笑い

生きた甲斐がある

生き甲斐!

海に遊んでもらっている

体術 波を読む円運動と律動
心術 怖い思う気持ちを常に胸に
泳力 黙って数キロ泳げること、海や川のレスキューの経験と体験を大切に
判断力 臨機応変様々な波の角度や、流されては戻り、山や景色で自分の位置を三角に結び位置を調整
    あまりに流れたら戻るか?別な海岸から上がる

    集中力が切れたら潔く帰る

経験 修験道と同じく経験を積み、胸と体に修めていく

祈り 無垢に海や鎌倉武士を祈る、祝詞や九字切など

死んでも悔いなし
生きてる時に、悔いが無いように空気を精一杯吸って、水と溶け合い
楽しみ笑うこと

必ず一人で行くこと

地球は水と空気
宇宙からの太陽光線でできている

大切なのはそこに
風がある知る事

海にも雲があり
空にも雲がある

その循環の風に生かされている
としれば

自ずと地球に頭をたれ
謙虚になる

海では人間の四角い机の知識など役に立たない

経験と体験と野生的感覚と叡智をつなぎ
 
自分を読み
冷静に周囲の少し先を読むこと

祓い潔めていくこと

神道やユタや

土地に所有権をつけ
人間様の強制的な宇宙と地球とは
全く関係のないルールで強制的に
接収し狭い箱に閉じ込められ

ほぼ絶滅させられた

アイヌ、フィジアンやマオリの祈り
ネイティブアメリカンのイヌイットの人々の憶いと
正しいバランス感覚は
言い逃れのできない、塗り替えられない正心であり
ごく自然に正しい事実

怖さを知る
美しさに心を投じる
水や風を尊ぶこと

難しいことじゃないが
遠いか過去の事にしようとしてきた
白人や和人

島を征服し洗脳した
マゼランやクックの持ち込んだキリストのおかげで
フィジーや島々の星やサメを大切にし
月や海への祈りが消されてきた

事実は事実

事実を観る事

目の胸を背けない事

勇気を忘れずに
独り旅を続けていく事

それは都会でも自然でも同じ

そもそも
都会も自然も線がなかったのだから

これは海と宇宙の関わりと
物語を知るための
僕が選んだある一つの行為の結果に

偶然写ってしまった1枚

そこにある影を観ること

その記録である

数百年後が数千後
伊藤若冲さんではないが

この写真の意味が理解される日を待っている

宇宙もこの世も全ては丸く動く風に生きている

回転することに
全ての真如がある

Tokyo

海も川も水槽の水だということを
忘れてはいけない

このまま人間様が
身勝手な山や瀧や川の破壊の限界を続ければ

いつの日か青く透む海も
珊瑚も海藻も魚もジュゴンもいなくなる

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